(東條の作品)
「なんだかしねない」
練馬区大泉には昔、「R」という喫茶店があった。
近所のマンションの一階に位置するそれは、
喫茶店と呼ぶには大人の陰鬱な香りがして、
飲み屋というには健全で、高級マンションのバスルームを改造したかのような
タイル貼り、1980年代にしてはちょっとオシャレだったんじゃないだろうか。
子供のいない当時40くらいの夫婦がやっていた。
DINKSなんてオオコケした「子供ナシ夫婦」のニックネームがあったが、
その「DINKS」なんて言葉が似合う、どこか冷めたふたりだった。
わたしが5才から10才まで、その店は営業していた。
近所のちょっとしたランチ、ちょっとした夕食、
そこで「ポークソティーセット」 という名の定食を食べるのがならわしだった。
「ソティー」という言い方がR、である。
いま思い起こしてもあそこのママはいい味のセンスをしていたと思う。
ついてくるオリジナルサラダ・・サラダと呼ぶのもしっくりこない。
あそこのたべものは「R」という食べ物だ。
玉ねぎのぱりっとした爽やかな辛さとマヨネーズの甘さと
なぜか入っている細切れのタコとか。
ただの豚肉のソテーが、トマトソースのようなかつ甘いとんかつソースのような
絶妙なソースによってRの「ポークソティー」になっていた。
あの味を食べれない。
閉店する、ということは、もう食べれない、ということ。
10才のわたしには、それをイヤだと思っても、受け入れることしかできなかった。
そして、受け入れることができるだけの、他にたのしいことがいっぱいあった。
大人になってなんとなく思う
あの魔法の味をまた食べたい
食べたい
食べたい
食べたい
食べたい
食べたい
でも Rのふたりはどこに行ったのかもわからない
似せた味の料理を作っても、到底足元に及ばない
二度と食べれない
二度と会えない
生きてる意味などない と言ってる人が私の周りにもいるけど
まったく意味がないなら何故、人は自分の思い出をこの世に残す生き物なのだろう
どんなに地味に生きてるつもりでも、この世に痕跡は少なからず残る。
あの味を、忘れられない
夢かと思ったのだ
上野を歩いていて、Rの奥さんに出会った。
髪はすべて白髪だったが、間違いなかった。
年を換算しても、ずいぶん老けてるように見えた。
声かけた
奥さんにあの味を絶賛して、電話番号を交換し、レシピをもらうことが出来た。
奥さんはあれからいろいろあって、二度ほど自殺を図っているのだそうだ。
死のうとしても死ねないのよ、と三本指のなくなった右手を口にあてて笑う
わたし、奥さんのポークソティー食べたくて死ぬほど願ってた
「少なくともわたしは、死んでほしくなかったですから」
「何度も何度もまた食べたいって、強く強く願ってたんです」
うちの母が、クリスチャンだ。
「いのる」は大事なんだとよく教わった。
海外の言い伝え。
あるお嬢さんが教会で
「あなたの未来の伴侶になる人のために毎日祈りなさい」
といわれて、出会ってもないのに毎日「元気でしあわせに」と祈ってたそうだ
お嬢さんが大きくなって結婚して、その話をご主人にしたら
ご主人は涙を流して、捕虜だった過去を告白した。
毎日仲間がひとりずつ処刑されていく。
一日、一日、明日は自分かと恐れていたが、いまこうしていられるのは
君の祈りのおかげだったんだね と
わたしはクリスチャンでもないし、
奥さんの人生も背負えないのに「生きていて」なんて言うのはムシが良すぎる
だけど「ポークソティー」が奥さんを死なせなかったんだとわたしは思う。
奥さんは自分のポークソティーが宇宙一おいしいことを知らない
なにか自分にしかできないことをするのさ
奥さんのポークソティーは最高さ

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