語り継ぐ いいおか津波ー被災者聞き取り調査記録集 飯岡津波 復興への歩み
記録集発刊の案内について
3月に発刊の予定であったが編集の遅れもあって5月の11日に発行することになった。当日は聞き取りに協力頂いた被災者の方67名、発行に協力頂いた方など約100名の方に招待の案内を届けた。
記録集はA5版、250ページ、500部印刷、招待者、協力者、図書館、学校、などへ無料で配付することになった。
発行に到ったり理由は聞き取りに応じていただいた被災者の方がいたこと、もう一つはこの発行資金が復興どんぶりからの支援金で賄うことが出来たことである。
従って、関係者には無料で配り後世に伝えていただきたいこと、もう一つは復興どんぶり店で販売し、販売を通じて支援金がもう一度、回る仕組みを考えている。
効率を優先すれば書店で販売する、こう言ったことは無駄なことに思える。しかし 効率からの疎外で衰退する地域社会の営みとして試みたい。
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3月に発刊の予定であったが編集の遅れもあって5月の11日に発行することになった。当日は聞き取りに協力頂いた被災者の方67名、発行に協力頂いた方など約100名の方に招待の案内を届けた。
記録集はA5版、250ページ、500部印刷、招待者、協力者、図書館、学校、などへ無料で配付することになった。
発行に到ったり理由は聞き取りに応じていただいた被災者の方がいたこと、もう一つはこの発行資金が復興どんぶりからの支援金で賄うことが出来たことである。
従って、関係者には無料で配り後世に伝えていただきたいこと、もう一つは復興どんぶり店で販売し、販売を通じて支援金がもう一度、回る仕組みを考えている。
効率を優先すれば書店で販売する、こう言ったことは無駄なことに思える。しかし 効率からの疎外で衰退する地域社会の営みとして試みたい。

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被災地旭市飯岡で見る金環日食と朝市 飯岡津波 復興への歩み
旭市観光写真ボランティアの活動
世紀のイベントなどと叫ばれている金環日食が近づいて来た。光と風キャンペーン実行委員会のメンバーが今年の3月に観光写真ボランティア会を設立した。市のまちづくり事業の認定団体へ申請、旭市の観光にとって市民自らがボランティアとして立ち上がった訳である。
その第一歩目の活動開始が金環日食となった。5月21日朝5時から刑部岬展望館でイベントを実施する。
当施設でもこれに呼応してイベントに参加、鑑賞撮影会付きの特別宿泊プランを計画している。日本の朝日・夕陽100選の眺望であるデッキで朝食を食べながらの鑑賞会である。
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世紀のイベントなどと叫ばれている金環日食が近づいて来た。光と風キャンペーン実行委員会のメンバーが今年の3月に観光写真ボランティア会を設立した。市のまちづくり事業の認定団体へ申請、旭市の観光にとって市民自らがボランティアとして立ち上がった訳である。
その第一歩目の活動開始が金環日食となった。5月21日朝5時から刑部岬展望館でイベントを実施する。
当施設でもこれに呼応してイベントに参加、鑑賞撮影会付きの特別宿泊プランを計画している。日本の朝日・夕陽100選の眺望であるデッキで朝食を食べながらの鑑賞会である。


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いいおか津波 復興プロジェクト 飯岡津波 復興への歩み
復興かわら版第9号
震災から1年を経て被災者の方もそれぞれの道を歩み始めた。元の場所に住む家を改築、或いは新築する人も出始めている。月初めにかわら版を仮設住宅に配っているが空室が目立つようになって来た。この先どうなっていくのか!仮設住宅に身を寄せるいる人も、被災地で生活を営んでいるいる人も不安を抱いている。
復興かわら版はやはり前を向いて歩いて行きたい。今月から実行委員会は千葉県の「地域課題解決モデル事業」の展開を始めた。聞き取り調査、防災教育、語り継ぐ会、かわら版の発行など被災地ならではの道を歩いて来た。
被災者の皆さんと復興まちづくりを目指してかわら版の発行を重ねて行きたいと思っている。
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震災から1年を経て被災者の方もそれぞれの道を歩み始めた。元の場所に住む家を改築、或いは新築する人も出始めている。月初めにかわら版を仮設住宅に配っているが空室が目立つようになって来た。この先どうなっていくのか!仮設住宅に身を寄せるいる人も、被災地で生活を営んでいるいる人も不安を抱いている。
復興かわら版はやはり前を向いて歩いて行きたい。今月から実行委員会は千葉県の「地域課題解決モデル事業」の展開を始めた。聞き取り調査、防災教育、語り継ぐ会、かわら版の発行など被災地ならではの道を歩いて来た。
被災者の皆さんと復興まちづくりを目指してかわら版の発行を重ねて行きたいと思っている。


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いいおか津波復興プロジェクト考−1 飯岡津波 復興への歩み
旧国民宿舎 飯岡荘の行方−1
平成17年、1市3町が合併するまで「国民宿舎 飯岡壮」海と大地を活かす飯岡町の象徴的存在であった。合併によって飯岡地区の相対的地位が下がり国民宿舎もその在り様が変化してきた。建物や集客体制に3億円もの資金を導入したが改善することが無かった。
3.11の震災後、時を経ず市当局は再建の断念を表明した。今に思えばいち早く国民宿舎の従業員、或いは担当者が再建の意思を示し復旧への道筋を画いていれば事態は変っていたと思える。
その後、市当局はその在りかたについては第3者に再建を委ねたり、撤回したり変節を重ねてにきた。復興計画案では<公園>という抽象的に留めているが「いいおか津波の復興」にとってハード・ソフト面で飯岡荘の行方はキーポイントになる。
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平成17年、1市3町が合併するまで「国民宿舎 飯岡壮」海と大地を活かす飯岡町の象徴的存在であった。合併によって飯岡地区の相対的地位が下がり国民宿舎もその在り様が変化してきた。建物や集客体制に3億円もの資金を導入したが改善することが無かった。
3.11の震災後、時を経ず市当局は再建の断念を表明した。今に思えばいち早く国民宿舎の従業員、或いは担当者が再建の意思を示し復旧への道筋を画いていれば事態は変っていたと思える。
その後、市当局はその在りかたについては第3者に再建を委ねたり、撤回したり変節を重ねてにきた。復興計画案では<公園>という抽象的に留めているが「いいおか津波の復興」にとってハード・ソフト面で飯岡荘の行方はキーポイントになる。

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震災後のまちづくりー2 飯岡津波 復興への歩み
まちづくり固有な課題ー通連洞とは
屏風ヶ浦の古い地図などを見ると飯岡町と銚子市の境に「通連洞」という名勝が載っている。侵食によって出来た洞を指している。昭和30年代前半、消滅する以前に撮影された貴重な写真である。
古くから物語を生み出す場所として知られて来た。例えばあの「安部の清明」が登場するなど特異な時空間の場所であった。史実は伏せているが自然が織り成す侵食の営みを背景と化すと思える。
震災による大きな被害が無かった地区であるが「侵食」をキーワードにするまちづくりにとって想像力を試す場所にしたい。
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屏風ヶ浦の古い地図などを見ると飯岡町と銚子市の境に「通連洞」という名勝が載っている。侵食によって出来た洞を指している。昭和30年代前半、消滅する以前に撮影された貴重な写真である。
古くから物語を生み出す場所として知られて来た。例えばあの「安部の清明」が登場するなど特異な時空間の場所であった。史実は伏せているが自然が織り成す侵食の営みを背景と化すと思える。
震災による大きな被害が無かった地区であるが「侵食」をキーワードにするまちづくりにとって想像力を試す場所にしたい。

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