土曜日や日曜日などにバイトをしていて思うことがある。
小学生やら中学生やら高校生には「部活」や「クラブ」といった活動があって、学校が休みの日にも練習があったりする。
それは、わたしが学生だった時代とまったく変わりがない。
変わったのは、その際に持参する「お弁当」や「朝ご飯」の事情。
寝坊してご飯を食べる暇がなくて、すきっ腹で慌てて部活に出かける・・・そんなことを学生時代はよくやったものだ。
そんなときでも母はきちんとお弁当を作って持たせてくれて、「歩きながら食べなさい」なんて言いながら大きなおにぎりを一つ渡されたりとかもした。
今はなんだか、↑がないような気がする。
わたしが勤務しているのは、ちょうどみんなが部活なんかに出かける時間帯。
コンビニの駐車場はけっこう広いから、大会や練習試合にでかけるときに集合場所になったりする。
そんなときによく見る光景がある。
母子でやってきて、大慌てでおにぎりやサンドイッチや飲み物を選び、急いで会計をして出て行く。
その際、
「お昼ご飯これで足りるの?」
とか、
「朝ご飯も何か食べなさいよ」
なんていう母の言葉が、子供に向かって投げかけられる。
わたし的には、もうびっくり。
朝ご飯も用意しないの?
お弁当も作ってやらないの?
な〜んて思ってしまう。
ま、朝ご飯に関してはさ。
子供のほうが寝坊したかなんかで食べる時間がなくて・・・ってことも考えられるけど。
お弁当はそういうわけはないでしょ?
親がちょっと早起きすれば、できることじゃない?
わたしが学生だった時代には24時間営業のコンビニなんて近くになくて、親が作らざるを得なかった、っていうのはある。
そりゃ時代が違うもの。
という意見もごもっとも。
・・・けどさ。
やっぱりどんなに時代が変わっても「変わらないもの」ってあると思うんだよね。
なんてーの?
やっぱりすべてが「稀薄」になってるのかな?
親子の愛情もしかり。
忙しいから。
休みの日くらいゆっくりしたいから。
コンビニで買えばいいじゃない。
・・・とかなんとか、色々理由はあるとは思う。
でもね。
子供(じゃなくても誰にでも)に「愛情をかける」って、実はこういうことなんじゃないかな? とわたしは思うわけ。
子供のために寸暇を惜しんでご飯やお弁当を作る。
自分が疲れていようが何しようが、そういうことに手を抜かないのが「愛情」じゃないのかな?
でも、「完璧」じゃなくてもいいんだよ。
人間は誰も「完璧」にはなれないから。
たまには親だって寝坊する。体調を崩す。
だから作れなかった。
そんなときだってある。
だからこそ、子供は「お母さん(お父さん)も大変なんだな」って身をもって分かる。
たまにテレビとかで
「自分で作っても子供は食べてくれない。出来合いのもののほうがよく食べるから」
なんていってる親を見ると、「なにそれ?」と思ってしまう。
「作っても食べてくれない」
ってさ。
「子供がおいしいと思ってない」
ってことだと思うんだよね。
ということは、裏を返せば
「おいしいものを作れば子供は喜んで食べる」
ってワケだよ。
つまりこういうこと。
「食べてもらいたい」
と思うのであれば、
「おいしいもの」
を作らないといけない。
ただ漫然とテキトウに作ってたんじゃ、「おいしいもの」はできないよ。
「おいしいもの」を作るのは、それなりに「努力」や「工夫」がいる。
そこには、「発想の転換」も必要になってくる。
「作っても食べてくれない」
から、
「どうしたら食べてくれるんだろう?」
というふうに。
そう考えると、自然に「努力」する素地が生まれるし、「工夫」も色々とするようになる。
今のこの状況を鑑みると。
どうも、「時代が違う」だけでは済まされないような気がするんだよね。
子供を持ってる親御さんからしてみれば、わたしの考えなんて「机上の空論」なんて一蹴されるかもしれないけどね。
大変さを知らないだろう!!
ってさ(苦笑)

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