今日はお休みの予定だったけど、早朝呼び出しを喰らって臨時のバイトをこなしてきた。
母と顔を合わせるのが嫌だったので、普段ならぶーたれているところだが、今日はこの話に一も二もなく飛びついた。
しかも「出来るだけ早く来て欲しい」と言われたので、いつもの出勤時間より30分早く出向いた。
家にいたくないわたしとしては、まさに「渡りに船」状態だったのだから。
とりあえず仕事をこなして、帰宅。
今日は物凄くいい天気なので洗濯をしよう・・・そう思っていた。
ある程度は母がやってるだろう、そうも思っていた。
しかし・・・。
朝ごはんを食べた後のお皿やコップや食べ残しもそのまま、もちろん台所にも昨日の晩に使った皿が山積み。
洗ってもいない洗濯物が洗面所に置き去りにされていて、おまけに台所のマットやソファカバーや足ふきマットもぐちゃくちゃに放ってあった・・・。
いったい何をやっているんだ!!
さすがに腹が立ってくる。
せめて「洗濯しておいて」と置手紙の一つでもあれば、心落ち着くものなのに・・・。
さも「お前の仕事だからやっておけよ」と言わんばかりのこのありさまを見ると、どうしてもイライラしてしまう。
しかし、やらないでほったらかしにしておけば余計に怒られることは明らか。
だからしぶしぶながらも洗濯に取り掛かる。
結局洗濯機を4回かけ、物干し場いっぱいに洗濯物を干し、台所もキレイに片付けて・・・おまけにお昼の用意もして、母が昼食をとりに仕事からいったん戻ってくるのを出迎えた。
パケット代のことは、今日はあまり言われなかった。
母には今日もっと気になること(わたしのことではない)があって、そっちで頭がいっぱいになっていたのだ。
こういうときには、移り気な母の性格もありがたいものである。
そして再び仕事に出かける母を笑顔で送り出す。
午後洗濯物を取り込んでたたみ、一人分ずつ分けて積み上げておき、晩の支度に取り掛かる。
糖尿を持つ母には、鶏のささ身をメインにした料理をだした。
いつもどおり、野菜はかなり多め。
しかし、庭仕事にいそしむ母はいつまで経っても食卓へ現れない。
わたしがほぼ食べ終わり、せっかく温かかった料理も冷め始めた頃にようやくひょっこり現れる。
すぐ食べるのかと思いきや、そのままお風呂へ直行してしまった。
・・・とまぁ、母のことに関して色々と書いているわけだけれども。
だからと言って、決して母を「恨む」とか「憎い」という気持ちがあるわけではない。
そりゃまぁ、嫌になることはしょっちゅうあるけれどね(爆)
わたしの出生や様々な出来事に対する母との軋轢は前に書いたとおりで、それは決して覆すことのできない「事実」だけれどさ。
でもね。
こんな母でも、わたしをこの世に生み出してくれた唯一の人ですから。
それに、病気になってまともに働けなくていつまでもスネをかじり続けているわたしを決して見捨てることもなく庇護してくれている人ですから。
身内に対してなかなか「感謝」って出来ないけどさ。
恥ずかしかったり、色々な感情が邪魔して。
だけとやっぱり何があろうと、わたしの心の奥底にはいつも「感謝」という言葉があります。
それは、元夫に対してもです。
傍から見れば「あんな酷いヤツいないよ!!」なんて罵る人もたくさんいるでしょう。
最初はわたしも、恨んではいなかったですけれど、やっぱり責める心がありました。
元夫と出会わなければ、もちろん統合失調症なんていう病気にはならなかったでしょうし、リストカットやオーバードーズして周囲の人たちを心配させることもなかったでしょう。
しかし、それら他の人から見たら「負の部分」とも思えるものがなければ、ネットにも足を踏み入れていなかったでしょう。あの人とも出会わなかったでしょう。
シンセサイズ中部も、こころらじおも・・・わたしの大切な仲間や物事全てが起こらなかったわけです。
そういう面では、わたしは元夫にとても「感謝」しています。
元夫の周囲の人々(お姑さんなど)には大変迷惑や心配をかけましたから、今わたしが元気で暮らしているということが一番の「恩返し」だと思っています。
もちろんこのとこを何らかの形で知らせることは出来ますし、したこともあります。
そのときは大変喜んでいただけて、本当に嬉しかったことを覚えています。
そして、感謝しているからこそ、元夫やその周囲の人たち全員もれなく幸せになってもらいたいのです。
元夫は、わたしが聞いた限りでは、その当時大変苦労・苦悩している様子で、とても幸せとは言える状況ではありませんでした。
それは、わたしとの結婚生活やそれ以前に元夫がやってしまった「罪」への「報い」だと思っています。
その報いを甘んじて受け入れ、どん底まで叩き落されたとしても・・・。
何とかそこから這い上がって幸せをつかんで欲しいと思っています。
それこそが、元夫を人間として成長させるのだと信じています。
ある方へのメールにも書きましたが、
「恨みを恨みで返しても、結局恨みしか生まない」
のです。
つまり、「目には目を、歯には歯を」と報復の応酬をしていたのでは「恨みのスパイラル」から抜け出すことは出来ません。
どこかで誰かが、相手を「赦す」ことがなければ、未来永劫恨みは続いてしまうのです。
とは言ってもやはり「人間」ですから、なかなか「赦す」という気持ちにはなれないものです。
わたしは初めから元夫のことを恨んではいませんでしたが、だからと言って初めから感謝できたわけではありません。
自分の運の悪さを嘆いたり、全てを元夫のせいにしたり・・・心のどこかで「報復」をしていたのだと思います。
離婚して一歩身を引いてじっくり考えてみて、初めてそのスパイラルから抜け出すことができました。
わたしがもし母や元夫と縁がなければ、本当にどうしようもなくちっぽけな人間に成り下がっていたでしょう。
人間として成長し続けられるのは、ともすれば「過酷」とも思える「試練」の類なのだと思います。
順風満帆に事が運んだら、それはそれで喜ばしいことなのでしょう。
けれど、果たして人間としてそれで成長できたのか?
と問われると、かなり疑問符が付きまといます。
インターネットもこころらじおもシンセサイズ中部も何もかも、決して順風満帆ではありません。
それが嫌になるときだってあります。
けれども、そうやって「障害」ともとれる事柄が、わたしや仲間を成長させてくれるのです。
わたしはそう信じています。

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