★連載NO.345
“孑孑に月がさすなり手水鉢”虚子
アミジャー〈孑孑・ぼうふら〉がわく頃になった。かつて、ほとんどの家のシム〈下。台所〉の横外には、雨水を溜める荒焼き土器のハンドゥーがあった。直径1メートルほどの椀状で底がややある皿状のそれを普通ハンドゥーと言い、水瓶形のものをハンドゥーガーミと称して重宝していた。前者に「半胴」後者に「半胴瓶」の漢字名を見ることがある。
家屋のアマダイ〈雨垂れ。軒先〉にティー〈桶。とい〉と設け、屋根に降る雨をハンドゥー、ハンドゥーガーミに溜めて、お茶を入れて飲む[水]にした。井戸水は硬水のためお茶や白湯には軟水のティンシー〈天水。雨水〉を使用したのである。もちろん、生のそれは飲まず、沸騰させてからのお茶、白湯だから衛生上の問題はない。

梅雨明けの2,3日後、ハンドゥーやハンドゥーガーミの中を童謡「めだかの学校」よろしく[そっとのぞいて見てごらん]。いつの間にかガジャン〈蚊〉の卵が孵化し、アミジャーになって蠢いている。彼らも気温の高い日はさすがに疲れるらしく、水面でジッとしているが、ドアのノックの要領で器を叩いたり触れたりするだけで、中の水面には振動が作る波紋が広がり、アミジャーたちは器用に頭と尾をS字にくねらせて底へ逃げる。それでも、しばらくすると水面に現れ、元のジッとした体勢に戻る。きっと、酸素を補給してガジャンになり、飛び立つ日を待っているのだろう。ボクは研究心旺盛だったのか、そのハンドゥーやハンドゥーガーミをのぞいては、水面を指で突っつきアミジャーたちのユーモラスな反応を2時間も3時間も観察していた。

少年とアミジャーとのつき合いは、それだけではない。悪童ども相語らいターイユ〈田魚。鮒。フナ〉釣りに行く段になるとまず、井戸のまわりの小石を裏返し、そこにひそんでいるミミジャー〈蚯蚓。ミミズ〉採りから始める。エサである。次に親父や兄に作ってもらった釣竿を取り出す。昭和25年ごろのことだから釣り糸は米軍のパラシュートのそれ。釣針は電線製。ウキやオモリも手製。それで十分だったし、またそれ以外に術はなかった。竿、糸、針、ウキ、オモリなぞ売っている店があろうはずもない時代。子どもの遊具は、たいてい子ども自身か父兄の手作りだった。
さて。準備が整い最後になすべきことは、ハンドゥーやハンドゥーガーミ、それに水が溜まったまま放置されているドラム缶などに生まれたアミジャーたちをすくうことだ。蚊帳布やいまでは虫除け窓に使用している目の細かい金網を用いこれまた手作りの掬い網でアミジャーを捕獲して空缶に入れる。これで準備は万端。あとは釣果を期待して、すでに見つけておいた[鮒の棲む川]へ出かける。現場に着くと、竿に巻き付けておいた糸をほどき、エサのミミジャーを手早くつけてそれぞれのポイントに投げる。ゆるやかな流れの真ん中、流れが止まっている入り江の底にターイユはいる。それでも釣果の確実性を高めるためにターイユの好物のアミジャーを撒く。ターイユは思わぬ馳走に嬉々として寄ってくるという寸法だ。面白いように[釣れた]とは言い切れないが、少年たちが胸をときめかす時間は充実して経っていく。釣れるのはターイユだけではない。トウイユ〈闘魚〉、カーシェー〈川エビ〉、時にはカーミー〈亀〉も揚がる。釣ったらそれらを持ち帰って、大きめのビンや空缶やドラム缶に入れて飼っていたが5,6日もすると飽きてしまい、釣った川に還してやった。もっとも、そのときには大方はすでに白い腹を上にして動こうとはしなくなっていたが・・・・。
アミジャーから進化的変身を遂げたガジャン。
沖縄にはハマダラカ、オオカ、ヌムカ、チビカ、ヤブカ、イエカなど60種の蚊がいるそうな。これらカ科昆虫は吸血の害があるばかりでなく、マラリア、デング熱、日本脳炎などを媒介するため、衛生思想の向上とともに撲滅されつつある。しかし、そこいらの草むらには、ものすごい生命力と根性を発揮したガジャンが健全に飛行している。
かつてガジャンは若い恋人たち、殊に女性の[恋の言い訳]に一役かってくれた。
好きな人と夜の村はずれの松の下で恋を語らった娘。翌朝、首筋に赤アザがある。「どうしたの?」と親に問われた娘はどぎまぎした。思い当たることがあるからだ。昨夜の激しい愛の嵐の中、彼の唇が首筋に埋まったことを鮮やかに覚えている。その愛の証のアザなのだ。ことの真実を包み隠さず親に告白する勇気はない。娘は答えた。
「昨夜、ガジャンに刺されたのよ」
因みに、蚊に刺された跡の赤ぶくれを沖縄口では「刺す」ではなく「喰う」を用い「ガジャンぬ喰ぇ=くぇー」と言う。
夜遊びが好きだった私も、若いころはよくガジャンに喰われたものだが、近ごろは彼らはとんと寄りつかなくなってしまった。前期高齢者の血は[旨味]が抜けたのだろうか。
“草抜けばよるべなき蚊のさしにけり”虚子
次号は2008年6月26日発刊です!
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