★連載NO.347
沖縄は長い夏である。
季節だけではない。日本と米国が行った戦争犯罪の真相をまた、1から語り直さなければならない季節なのだ。その[1からの語り直し]は、63回を数える。日米戦争は1度だが、それに巻き込まれた人々にはその数だけの[戦争]があった。昭和20年6月23日、沖縄における地上戦は終結。この日を沖縄戦全戦没者の御霊を鎮魂するため「慰霊の日」と制定した。それに合わせ沖縄県及び沖縄県平和祈念資料館は、今年も児童、生徒の平和メッセージ作文募集をした。中学校の部の優秀賞、八重山は竹富町立西表中学校3年生松山忠明君の作文を紹介しよう。この少年一家にも確かな形で戦争は実在している。
『祖父からのメッセージ』
僕の家には防空壕があります。誰が見てもすぐに分かるほど口が大きく開いた壕が二つとふさがれているものが一つ、計三つの壕があります。これは実際、沖縄戦に使われたものです。たくさんの人が入れる大きさにするため「一生懸命掘ったんだろうなぁ。ああ、この中ですし詰めになって、息をひそめながら戦闘機が通り過ぎるのを待っていたんだろうなぁ。嫌だなぁ」。防空壕は六十三年という時を簡単に飛び越え、僕にいろんな事を想像させます。特に壁についているツルハシの跡は「よいしょ、よいしょ」という掘っていた人の息遣いまでも連想させます。
祖母の話によると僕の叔父さんは、この壕の中で生まれたそうです。だから祖母は「アメリカに見つかるから静かにさせろ。もう一回泣いたら殺すぞ」とおどされ、何度も何度も必死に謝ったそうです。
また先日、防空壕の上の草かりをしていた時、僕はぽっかり大きく開いた穴を見つけました。嫌な感じを抱きながら、祖母にそのわけを聞きました。すると予想は的中し「弾痕さ」という答えが返ってきました。僕はくらくらしました。若い頃の祖母たちの悲鳴や泣き叫ぶ声が聞こえた気がしたからです。六十三年も前の現実が僕の目の前で起きているような、そんな錯覚に陥りました。そして、僕は祖父のことを思いだしました。
僕の父は今年で六十一歳になります。戦争が終わった翌年に生まれたので、戦争を知りません。もちろん母もです。唯一知っているのは祖母だけです。祖母は今年で九十二歳になります。そんな祖母は、祖父と一緒に戦争時代を生き抜いてきました。祖父は僕が生まれる二年前に亡くなりました。だから、会ったことも話したこともありません。でも、祖母が祖父のことを語ってくれます。それは、祖父のことを教えようとしているのか、戦争のことを伝えようとしているのか、祖母の真意は分かりません。けれど、祖父のことを聞くたびに、僕は複雑な気持ちになります。
戦時中、祖父は兵隊で満州などに行って戦っていたそうです。詳しいことは祖母も語らないので、祖父が話さなかったのだと思います。それでも、戦争が終わって帰ってきてからの祖父の様子から、戦地のすさまじさが分かります。祖父は、毎晩うめき声を上げ、うなされていたそうです。きっと戦場を夢で見て、うなされていたのでしょう。五体満足な姿で帰ってきても、精神に傷を負って帰ってきていたのです。その後祖父は、兵隊を育成する青年学校の教官になりました。僕は話を聞いて、人を殺す兵隊を育てていたのが祖父と知り、少しショックを受けました。
また、祖父は「勲章」をもらっています。これは、戦争で活躍した人に国がご褒美としてくれるものだそうです。要するに、僕の祖父は戦場で多くの人を殺したのです。しかし、しかたなったのです。そうしないと自分の命が無くなるから。「勲章」をもらえることは名誉なことかもしれません。でも、その内容を考えると、とても残念でなりません。僕の祖父は「戦争で人の命を奪った」。そう思うと祖父の苦しみは祖父だけではなく、僕の世代にまで受け継がれているような気がします。
戦争はきれいなものを簡単に黒く塗りつぶしてしまいます。僕は会ったことのない祖父のことを良い話の中で思い続けたいです。漁が上手だったという祖父。まじめで厳しかったという祖父。それなのに戦争のことを思うと祖父の顔が苦しみでいっぱいになります。僕は戦争がにくいです。
修学旅行でもチビチリガマとシムクガマでの話を聞き、複雑な気持ちになったことがあります。どちらも住民が避難していた壕です。けれど、チビチリガマにはアメリカ人と会話できる人がいず、シムクガマにはハワイ帰りの二人がいました。英語が話せないチビチリガマにいた千人は、アメリカ人を恐れ、捕まって殺されるくらいならと集団自決をはかりました。シムクガマの千人は「アメリカ人は怖くないよ。大丈夫だよ」と言われ、捕りょとなり助かりました。英語が話せるか話せないか、ただそれだけの違いに命がかけられるなんて・・・・。
シムクガマ
チビチリガマ
戦争。いろんなものを壊していくもの。いろんなものを踏みにじっていくもの。僕は戦争を経験していません。けれど、祖母の話や家にある壕などからから追体験させられたことだけで十分です。もう戦争はしたくありません。それなのに、今も世界から戦いの音が消えることはありません。アメリカとの戦いで治安が悪くなったイラクや核兵器の標準を日本に向けている北朝鮮。日本でも憲法九条を変えようとしています。どうすれば、私たち人類は戦いをせずに平和に暮らすことができるのでしょう。
それには画期的な方法はなく「みんなが平和でいて欲しい」と願い、そこに向かって歩むことが一番だとおもいます。「イチャリバチョーデー」の言葉が存在するこの沖縄から平和のパワーを全世界に届けたいものです。
忠明君へ。
キミが言うように、ごく普通に生きていた人を不幸にしてしまうのが戦争です。キミのお祖父さんを責めることは誰にもできません。人々をそこまで陥れた、あるいは再び陥れるかも知れない国体の在り方は、しっかり見ておかなければなりません。ボクも自分のできることで平和を希求していきます。ボクはキミの島の歌「でんさ節」が得意だよ。いつか一緒に歌いたいね。お祖母さん、そしてご両親によろしく。上原直彦より。
次号は2008年7月10日発刊です!
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