25歳女性。3人姉妹の第2子。姉は小学校6年生頃より自宅へ閉居。本人も中学校一年生頃から自宅へ引きこもるようになる。姉とともに趣味はアニメ、ゲーム、マンガ、ライトノベルなど。15歳頃に父親が胃がんにて死去。21歳頃、「父親を殺してしまった」「鬼が夢に出てくる」等を主訴に来院する。幻覚妄想状態、幻聴、見当識障害(現実と夢の区別ができない)、連合弛緩、解体思考あり。同居する祖母より、日常的に「父親が死んだのはお前たちが学校に行かないので、ストレスで胃がんになってしまったからだ」と言われてきたという。外来にて抗精神病薬にて治療開始。薬剤が著効し1〜2週間で現実見当識を回復、病識も持て、以後は週一回の外来通院で加療継続していた。
治療2年目から、姉とともにデイケアに通うようになり、次第に対人交流もでき、特に姉に比べて対人交流が積極的で、長い引きこもりから他者との久しぶりの交流を喜んでいるように見えた。この間も何度か、急性精神病状態になることがあったが、だいたい1ヶ月ぐらいで小康状態になり、安定してゆくこと繰り返していた。3年目からは作業所にも通うようになり、将来的な社会復帰を目標に治療を行うようになる。治療の継続とともに、好きなアニメやゲームなども同時に楽しんでおり、近所のゲームショップで、中古のゲームを安い値段で買って、クリアするのが趣味であった。
治療開始4年目、突然の緊張病様症状にて当院受診。内的緊張高く、会話は断片的で要領を得ず、疎通困難、思考も解体様であった。幻聴を伺わせる対話的独語あり、また幻視を伺わせる奇妙なゼスチャーがあった。
当院入院後、精神運動興奮状態となったため、保護室へ隔離となり治療を開始、愛護的な環境で安心させるとともに、薬物による興奮状態の鎮静を行っていった。1〜2週間で比較的速やかに症状は軽快し、興奮は治まり現実的な会話が可能となっていった。隔離中は意味不明な発語と興奮があったものの、鎮静が効いてくると精神病症状は殆ど消失し、症状再燃前の健康な状態に戻っているのが特徴的であった。異常体験のさなかのことは殆ど覚えておらず、まるで夢から覚めるように現実見当識を回復しているのが特徴であった。またその時には自我障害もまとまりを有しており、その解体している状態とのギャップも印象的であった。
しかし、改善した状態となり、いざ一般病室へ移床しようとすると、突然状態が崩れ、再び入院時の状態へ戻ってしまう様子が見られた。突然奇声を上げ、廊下を疾走したり、時には自分の目を傷つけようとするような自傷行為が出現した。自傷行為が次第にエスカレートするため拘束を要することもあった。
治療的には入院時と同じ関わりを心がけ、若干の安定を促進するような薬物療法を行ったりもしつつ、治療を継続した。するとまた数週間で安定し、現実見当を取り戻し、会話疎通も可能となる。しかし、しばらくすると再び症状再燃、興奮状態となり、異常体験の世界へ逆戻りしてゆく。以前同様の自傷行為も出現する。
何度も繰り返される軽快〜再燃の繰り返しに治療者側も困惑し、無力感を感じるのみであった。また、治療スタッフからは患者の現実見当識は実は格好保たれていて、敢えて自分から悪くしているように見える、という印象も伝えられた。
患者(以下Pt)「許してください、許してください」
主治医(以下Th)「あなたはなにも悪いことをしていない。大丈夫」
Pt「お父さん、、、、○×△(聴取不能)」
「ボーグ戦争、、、○×△、、、」
Th「判らない、はっきり話せる?」
Pt「
4423、、、」
「
ひぐらしのなく頃に、、、私の家、、、」
「
誰が殺したクックロビン、、、はいっ!、、、」
「○○病院、、、」
「、、、○×△(聴取不能)、、、」
「最近の、、、がん治療、、、どうなってますか、、、、○×△、、、」
Th「お父さん亡くなったこと後悔してるの」
Pt「殺してください、殺してください」
「
時をかける少女!、、、」
「
王家の紋章見たことがありますか!、、、」
おもむろに自分の目を指でくり抜こうとする。
Th「もしかして、お父さんを生き返らそうとしているの」
Pt「はい!」
「フェニックス様!!!、、、」
Th「時間を遡ってお父さんを助けるつもりなの」
Pt「はい!」
再び目をくり抜こうとする自傷行為行う。
Th「自分を傷つけたら、タイムスリップできると思うのですね」
Pt「タイムリープ、タイムリープ」
Th「お父さんを助けたい気持ちはわかるけど、、、でもそうするとあなた自身が壊れてしまうよ」
Pt「お父さんが助かるのなら、自分の命なんてどうなっても構わない。」
彼女は自我が崩壊した、急性精神病状態の混乱のなかで、その意識状態が時間も空間もないカオスへの直結した回路であることを直感し、その回路のなかから、過去に戻り、自分の父親を助けようと試みていたのであろうことが理解された。彼女にとって、その日常のリアリティーを超越した変性意識状態は、アニメ、電脳コイルの電脳世界へジャックインした意識状態にそっくりであったし、時をかける少女のなかで、タイムスリップのために主人公の少女が命がけのダイビングをするように、自傷行為を続けていた。それは生と死のぎりぎりの綱渡り、父親を助けるための命がけの賭けだったのだろう。
対象関係論では、急性精神病状態は、新生児の生まれたばかりの意識の状態に限りなく近いのではないかと予想されている。子宮からこの世に生まれでたばかりの赤ん坊は、未だ制度化されていない存在であり、本質的に未分化のカオス状態の意識の名残のなかでこの世に放り出されている。ただいままで彼らを満たしていた暖かい羊水の世界はすでになく、圧倒的な現実の脅威にさらされている。彼らが出来ることはただ、外部から彼らを脅かす恐怖に対して大声を上げて泣き叫び、母親の愛護を期待するだけである。
カオスは未明の意識の中で一であると同時に全であり、そのもの自体として存在し、ある揺るものの可能性の萌芽であり、その何者でもないなにかとして存在する/しない。それは既に存在ですらなく生ではないものすべてをさす言葉でしかない。カオスからの分離が生、子宮内でこの世界へと繋がり光の中へ産み落とされる。
彼女は精神病状態の狂気のさなか、自分自身の過去の傷つき、そして2度と帰ってこない父親を取り戻すための方法を発見したと感じたのではないか。狂気、そしてその先へ飛び込む行為こそが、時間と空間を超越し、死者さえも再生できる秘密だと本能的、直感的に感じたのではないだろうか。
しかし、それはこの世において可能なのであろうか。それは結局死、そのものへの衝動なのでなはいか。決してこの世では成就されず、彼女の死によってこの世では終焉してしまう何か。魂の永遠性によって観念のなかではのみ担保される何か。
力動的理解であれば、彼女は父親の死にたいして諦めることができず、またそのために強い罪業感、罪責感を感じていた。自傷行為は罪責感のためであり、彼女の出生0〜1年頃の母子関係の不安定さが精神病の原因の一端になっている、と理解されるかもしれない。
我々にできることはそっと彼女を抱きとめて、その行為を止めさせること。安心させ、そして父親の再生をあきらめるように働きかけることしかない。そのための道具は、薬と、拘束帯と、言葉しかない。
彼女の多重可能性宇宙のなかの一つくらいは、父親を助けることに成功したのだろうか。