先月末をもって今の病院を退職した。
かれこれこの病院には9年間勤務したことになる。
短いような長いような9年間だった。
研修医を終わったばかり、まだ精神科医としては駆け出しで、理論だけは人一倍頭でっかちで、自意識過剰で生意気な若者だったと思う。
その頃俺は結婚や出産、そして社会への参加という度重なるイニシエーションの連続で、精神的にも相当混乱していた時期だった。自分に生じている事態に混乱し、その意味も充分わからないままに新しく赴任してきた病院。しかしこの病院の中で様々な人との関わりの中で、人との交わりを学び、その中で受け入れられ成長してゆく事ができたように思う。
この世界に入ってくる人達はどこか自分自身に問題を抱えている人達が殆どだ。医療の中でもとりわけデリケートで社会的にも認知されにくいこの精神医療という現場。そこに参加してくる人達は皆それなりの必然性を持っている。
我々が患者さんへ援助する行為を通して自分自身も癒されているのだ。それは人間にとって他人に必要とされること、依存されることはその人の自尊心を見たし、役に立てたという実感を通して自信を得ることができるからだ。
また患者さんを理解するために学ぶ様々な理論を通じて、自分自身の理解を深め、そして患者ー援助者は互いに自分たちの思いを投影し合い、互いの心を通わせながらお互いのこころを満たしてゆくのだ。
そしてまたスタッフ同士も互いに助け合う。くるしいとき、自分自身の思いを抱えきれないとき、スタッフ同士が互いに話合う。またそのことが治療に反映されてゆく。
そんな治療環境作りを理想としてこの9年間試みてきたように思う。これは俺自身の独善的な想いを押しつけているだけなのか、皆の利益につながることなのか常に自問自答する毎日だった。時には余裕が無くなり怒ることもったし、わがままから周囲を巻き込んで迷惑をかけたこともあっただろう。
また何人かの患者さんも失った。その人達のことは一生胸の中に残り続けるだろう。
特にこの数年は、精神科急性期治療病棟という救急病棟の立ち上げに全力をつぎ込んできた。上に書いたような治療環境理論をさらに推し進め、患者と治療者が一体となって治療を考えてゆく治療共同体という思想。その70年代に挫折したような試みの現代版にチャレンジしてきたように思う。
このプロジェクトには本当に多くのスタッフの強力を得ることができた。皆の一丸となったエネルギーが旧態然とした古い病院を変化させ、新しい活力に満ちた病棟を作り上げることができた。そしてその影響は今病院全体に波及しようとしている。
なんだか自画自賛のようになってしまった。世界は結局主観の世界から眺めるしかなく、それをどこまで相対化できるかで理想は現実化する。しかしわれわれはひとりじゃないんだ。こうやってそんなひとりひとりが繋がり、想いを交換し、影響し合い時には傷つけあって大きなうねりを作り上げてゆく。
あなたたちに出会えて本当に幸せでした。君たち仲間は俺の宝だ。また時間がたてばそれぞれの生活に戻ってゆき、新しい何かが始まり、俺たちの仕事も思い出に変わってゆくだろう。それでいいんだ。幸あれ。
7月31日送別会。皆来てくれてありがとう。なんだか現実感が無くて、そして気恥ずかしくてあんまりみんなとまた話せなかったような気がする。どうしていいか判らなかったんだ。ただとても嬉しかった。まだ寂しさを感じることが怖いんだ多分。でもみんなありがとう。愛しています。
そしてさようなら。
また会う日まで。

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