2017/6/22  9:45

8才の子ども  50年後編(その6)  8才の子ども



8才の子ども  50年後編(その6)
【表現したいこと】【4】


《隠れなければいけないセルフはいない》
つづき)



ゆうきくんには隠さなければいけない自分はいない。
隠れなければいけないセルフはいない。


私が生きている間ずっと「ふつう学級」を手放さなかったのはなぜか。
私は自分の病気とゆうきくんの病気を通して確信している。


親が障害のある子どもの居場所を守ることのできる「ふつう学級」は、子どもが自分を隠す必要のない場所になる。

そこに「いること」で、存在の承認と絆と安心を得る場所。

隠れなければいけないセルフ(自分そのもの)はいないと、全身で感じる場所。



ただの「ふつう学級」ではない。
親がセルフ(自分そのもの)を守ることのできる「ふつう学級」が肝心なのだ。


セルフ(自分そのもの)が隠れないでいること。隠さないでいられること。
それを支えてくれる親や友だち。
承認してくれる仲間。
応援してくれるひとの存在。


一人の子どもを通してその絆は、周りの子にとっても目に見えるものになる。

だから、小学生も中学生も高校生も、「うらやましい」と私に話しかける子がいたのだった。



セルフ(自分そのもの)で堂々と生きる。

人の言いなりに「合わせる」必要はない。

「自分はイヤ」「今はイヤ」「わからない」「できない」

「でも、自分でやる」「やりたい」

そういう、自信と好奇心に満ちた「セルフ」を認められていることが、「見える」子どもがいて、だから「うらやましい」と感じる子どもがいたのだった。


大事にしなければいけないのは、「育成したり発展させたりする必要のない」子どものセルフ(そのままの自分)。


だから、障害の有無に関係なく、どの子にも、「隠さなければいけないセルフはいない」と伝えるためにも、子どもを誰も分けてはいけないのだ。






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