2009/10/17  23:45

悪の道 (*^^)v  ワニなつ

悪の道 (*^^)v


ブログの紹介です(o|o)
『たこの木クラブへようこそ』の
10月16日分と、
岩ちゃんと私のコメントです。

普通学級、普通高校…、その先の、
普通の大人の生活についてです。



《何を親に求める?》  【たこの木クラブへようこそ】


長年自立生活を営む重度知的当事者を
支援しているたこの木だが、
順風満帆・理路整然と支援しているわけではない。
時にマスコミを賑わすぐらいの騒動もあったりもする。

私自身どんなに困難な状況や、理解不能な状況であっても、
それが障がいの故に生まれるものであれば、
本人と様々な人とで担っていかなければならないと思っている。

未成年の人ならいざ知らず、
二十歳をとうに過ぎた知的当事者の自立生活について、
事が起こればすぐさま
「親はこの事をどう考えているのか?」
と言う疑問が周囲から出される。

意思決定に困難さを抱える人たちの自立生活と言うのは、
まだまだ事例が少なく、
実は未だ解決していない事柄がたくさんある。
(それ以上に何が課題かも見えていなかったりする)

特に「責任問題」と言う話になった時、
親の意見を求める人たちが多い。

たこの木周辺の当事者はまだまだ若く、
親も親で近くで生活しているので、
親の意見を求めようとする想いは強い。

私自身も親と言う立場でいろいろ話してもらいたいと思う。
しかし、それはわが子を一人の人間として認め、
親元を送り出した人としての話であり、
私たちの側が日々支援する上での、
長年子どもと付き合ってきた人としての
「参考意見」としてはいろいろ伺いたいとも思う。

それは、あくまでも一人の人間として生きている人と、
その人を取り巻く人々がいかにかかわりあっていくかであって、
子どもの生活支援に親が関わることでもまして
事が起こったときの責任者としてでもない。

「子どもが大変なのに親はどうしているのか?どう考えるのか?」
と至極もっともらしく問いを投げかけてくる。

その問いに「親が出てきたら何を求めるのか?」と問い返せば、
法律的な事・後見的な事をあれこれ言う。

しかし、とどのつまりは
「親が近くにいてなぜ本人を支援しないのか?」
「行政も支援も大変な想いをしているのだから、
親も責任を果たせ」と言う事を言いたいだけ。

そして、それを面と向かって親に言えば、
当然の如く親としてはわがこの事を想い支援するだろう。

そして、その支援はいつしか親がみる事で、
事が回っているのだからと、
あたかも課題が解決したかのように処理をする。

しかし、それは、親に課題を投げ出しただけで
決して周囲が課題を課題として解決していく方向へは進まない、
と思うのは、私の経験上の話。

「もし親が来て、そんなに困難な状況ならば
施設に入れますといったらどうするのか?」
と聞いたらどう答えるのだろうか?

「親が納得しているんだから、施設でも良いでしょう」
と自分たちの至らなさを棚に上げ、
自らの責任を問わずに、
「親が決めた」と言う一点で丸く納めようと言うのだろうか?

過去において普通学級へ通う子ども達の親が、
付き添いを求められ、やむにやまれず付き添うと、
その次に待っているのは特殊学級や養護学校への転籍。

目の前にいるわが子の困難さは、
たとえその原因が周囲にあったとしても、
実際目にしてしまうといたたまれなくなってしまうのが親。

いたたまれなくなってしまう親が悪いのではない。

意図してかしなくてかは別にして、
そのような状況を生み出してしまう周囲の問題だと思う。

親は子を育てる。
しかし子育ては、決して一生続けれるものではない。

子どもが成人すれば、後は本人と支援の課題。

親に意見を求める人の意図の中身は
一概には言えないとも思う。

しかし、これまでみてきた現実から意固地になって
「親ではなく」と言う自分がいる。

逆に親と考えるのではなく、
当事者と懸命に向き合う中で様々な課題を与えられ
一つ一つ解決してきた事柄もたくさんある。

今日、行政マン二人と私とで、
2時間に渡るやり取りがあって、
少々疲れながらそんなことを思った。



《コメント1・ yo》

お疲れさまでした。
いつもより熱いと思ったら、最後の二行で分かりました。
熱いのではなく、疲労による熱だったのですね(・_・;)

私の方は、昨日、「親」の話で
久しぶりにめまいがしました。
「子どもが電車に乗って、遠くに行ってしまう。
夜中に○○の駅で降りて、国道を歩いているから、
迎えに行くしかなくて…、ノイローゼ」だと。

「なんで場所が分かるの?」

「携帯のGPSで」

「いくつになったんだっけ?」

「三十……」

「なんで行くの?????
三十過ぎの息子が、仕事を終って、
夜中に他県の国道を歩いているだけで、
なんで親が迎えに行かなきゃいけないの(-_-メ)」

「子どもが成人すれば、後は本人と支援の課題」

テレビの「アナログ」という表示の下に、
この文字が出るようにしたいね〜(-。-)y-゜゜゜ 


《コメント2・ iwa》

本当に疲れました〜。
例えば、交通事故を起こしたら…
当然の如く当事者どうしで解決しますよね。

事実関係を確認するために警察が記録するとか、
実際の賠償については、保険業者が入るとかはありますが、
それらはあくまでも当事者どうしの解決のための支援。

でも、交通事故を起こしたらすぐさま
「お母さんを呼んでください」と言っているような感じ。

単純に考えれば、それっておかしいと思うけど、
それが事、障がい当事者のことになると、
なぜか「親」となってしまう。

当たり前のことを説明することの大変さに本当に疲れました。


PS:
私の知り合いの当事者もある日突然いなくなり、
遠くへ出かけてしまいます。

そして、交番に駆け込み家族へ連絡。

そのことで迎えに来てもらうという確信犯。

親は必死にいなくならないための網をかけている。
でも、「行きたいだけ行かせたら」、
その上で「迎えは親ではなくガイヘルを!」とセールス。

それを親にではなく、本人に伝える私。
するとなぜかそれ以降、
無断で出かけることがなくなってしまった。

「ねぇ〜。いつになったら、
突然どこかへ出かけていくの?」

「いつでも迎えに行くから大丈夫だよ」

「できるだけ遠くが良いな〜」

「九州とかはどうだろう?」
と悪の道に誘う私。

でも、本人は私の言葉に、
いつもニコニコ顔で黙っています。



《コメント3・ yo》

あれから、私もずっと「悪の道」をどうやって
彼に伝えようかと考えています(>_<)

今度、「彼」に会えたら、
こう言って教えてあげます。

「遠くに出かけるときは、自分の乗る電車の
反対ホームの電車の網棚に、携帯を置くこと。」

そしたら、お母さんは、GPSで、
反対側の終点にお迎えにいくんだろうな。
(-。-)y-゜゜゜

その時は、電話がかかってきても、
「それは、大変だったね〜〜」と、
私も心からうなずいてあげられるかも。

「大変で、大変で、もう迎えにはいけないから、
自分でなんとかしなさい」って、
三十過ぎの息子に言おうねって。


《コメント4・ iwa》

「YOさんも悪よの〜〜〜」

親が困ることをするのが、自立の第一歩だから、
たとえ30過ぎでもまずはそこからですよね!!





おまけ
≪今日の名言≫


子どもが成人すれば、後は本人と支援の課題。

親が困ることをするのが、自立の第一歩。




22



2009/10/19  13:54

投稿者:yo


コメントありがとうございます。

「たこの木」では、こういう中身に
コメントはこないかな〜と思い、
こっちに植え代えてみました。

でも、実際のところ、
こっちでもコメントまではないかな〜
と思っていました。

それがすぐに3つも入っててビックリでした。
(>_<)

悪代官と越後屋の魅力が分かる人がいてくれて
安心しました。

まあ、一つは悪代官本人のコメントですが(-_-;)


普通学級でみんなと一緒に学校生活を送り、
友達を作り、社会性を身につけ、
自分の生き方をみつけてほしいと、
子どもに願うなら、
親も、子どもを委ねる友達を作り、
子どもを委ねる社会性を身につけ、
自分の生き方をみつけなきゃね。

……長くなりそうなので、
つづき、本文に書きま〜す。


それにしても、拍手19っていったい(>_<)


2009/10/18  12:42

投稿者:やすハハ


素敵な名言ありがとうございます。

ヤッチには里親?ブリーダー?がたくさんいて、
安心して大型犬に育てられます。

この表現もわかるかな〜、
わかんね〜だろうな〜。
古っ!!



2009/10/18  12:40

投稿者:ai


aiです。

この「名言」を壁に貼って毎日眺めます。

あぁ、本当にありがとうございます。



2009/10/18  10:35

投稿者:岩ちゃん

過分な取り上げ方に感謝です。
空気を吸うようにあたりまえのことを言葉で説明しなければならないことほど大変なことはないですよね〜。
でも、そんな私の言葉を認めていただけることはとてもうれしいです。

障がいを持つ普通の子の「障害を持つ」という言葉を取り除くことの大変さ。
その作業を日々親や家族が担っていたことを、知的当事者の自立生活に関わり始めるとその大変さをどこか同じように経験できたりして…

「子どもが成人すれば、後は本人と支援の課題」という話。
実は、成人した瞬間から始まるのではなくて、
インクルとフルインクルの話の延長線上にあること。

「教師がこの職務を果たせない場合でも、
子どもたちはお互いに友だちになることができます」

私に言わせれば「支援がたとえまずくても、地域の人が助けてくれる」となるでしょうか?

 そのためには、子どものころから誰もが同じ空間と同じ時間と同じ出来事を共有することが必要。

 そして、親や家族は子どもたちの場に委ねていくことを幼いころから体験していく。

 でも、現実はまず存在を認めさせることに終わってしまっているのが悲しい。


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