2017/10/21

秋は大嫌い。  ひとりごと

前回の記事に拍手、ありがとうございます。うん、ありがとう。

暗い、暗い、10月。

泣けてくる、でもそれをぐっと我慢している10月。

だから。

秋なんか、大嫌いだー。

と、季節に八つ当たり。だって多分季節は文句言わないだろうから。

はぁ、物事が次々と、上手くいかないってことあるよね。一個じゃなくて、つづけて。一個なら頑張れるけど、続くと折れそうになる。いや、いっそ、折れてしまいたい。

でも、そこで、最大限に踏ん張って、折れるもんかって、歯を食いしばった、その先に、光があるのだと、信じているから、折れないで、もうちょっと、笑っていようと思う。光の中にいる人を心から祝いたいと思う。

だって。

ヒトはカナシミが多いほどヒトにはヤサシクできるのだから。

だから、行き場のない、想いを、秋のせいにする。いつだって、私は、そうしてきたから。そうして、乗り切ってきたから、おれることなく。大切なのは、忘れないこと、忘れようとしないこと。上手くいかなかったことから、学び、立ち上がること、折れない事。

でもそれはとても大変なので、秋のせいにする。本当は、自分のせいで、わかっているから、秋のせいにする。

で、また、頑張れる。だって、秋は、いずれ去っていくから。


ごめんね、秋、でも、ありがとう。


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2017/10/6

心の病って、何?  ひとりごと

前回の記事に拍手、ありがとうございます。こんなこと書いちゃっていいかな?とドキドキしながら正直に書きました。これからも自分の気持ちに嘘つくことなく正直に書いていきます。

今日は、というのはこの記事が更新された日のことなんだけれども、私が親友と言える、あるいは言えた人の誕生日だ。彼女のことは以前に書いている。興味があったら読んでみて欲しい。2010年4月13日、親友という間柄、という記事で、心が不安定になった親友に気を使い対等でなくなってしまった自分自身のこと、だから、彼女のことを、想い出にすることを決めた、事なんかが書かれている。今読み返すと、出会いの経緯とか、ロマンの丘とか泣けてくる。l

そんな彼女とはもうずっと連絡を取っていないけれど、毎年この日には彼女を思い出す。

今、幸せでいるだろうかと。

最後に会ったのは、母が亡くなった直後だから、もう10年以上になる。お葬式などが全て終わって、ボロボロの私にお母さんと焼香にきてくれた。まともなことがいえなかったことしか覚えていない。彼女がどうしているのかも、聞いたのか、きたけど覚えていないのか、覚えていない。

父から、彼女の近況を聞いたのは、数年前のことだ。

彼女は離婚して、実家で暮らしていた。でもお母さんが癌になって、治療中にある日突然、なくなった。その後しばらくして、どうにもならなくなって、入院した、と。

父はもっといろんなことを知っていると思う。でも、教えてくれたのはそれだけ。父はそういう人だ。飼っていた猫や、ましては、私のおばさん、つまりは父の妹が亡くなったことも、私がつらい思いをするから、と、内緒にしてた。私がおばさんに、ハガキを送るまで。それほど、母をなくした時の私は、あかんかったんやろうか?そうかもしれない。私にしてみれば、母をなくした時の父の方があかんかったと思うけど。やっぱり、私たちは、にたもの同士で、母がいたからよかったのかもしれない。

だけど。

心の病って、何??

なんなん?

入院しなくてはならないほどの、あるいは、薬を飲まなくては、ならないほどの、
それって、何なのか?


義理姉と、義母が、鬱だそうだ。通院し、薬を飲んでいる。彼女たちの心は、薬の力を借りなければならないほど、ダメージを受けてしまったのだろうか。薬を飲まなければ、義理父のような、投げやりな生き方しかできないのだろうか。

私たちは、苦しみや、困難から、自ら立ち直る、という術をなくしてしまった、あるいは、その術を、持たないのだろうか?。母をなくした、私の、あの喪失感、罪悪感は、大したことじゃなかったのだろうか?だって、私は、医療機関に頼らなかったから?それとも、私はまだ、立ち直っていないのだろうか?



心ってなんだ。


心の病って、何だ。


って、思う、想い出の人の誕生日。


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2017/9/30

私は、逃げたかったのです。  ひとりごと

先日、魂を込めて書き綴っていた記事を誤って消しちゃってしばらく呆然とした、ので、ちょっと間があいた。凹むよね、記事消えると。だって、もう二度と同じ文章を同じテンションで書けない気がするから。

だから、別の視点から、書いてみようと思う。

私は、逃げたかったのです。

日本社会から。

だって、私は、はみ出していたんだもの、子供の頃から。

それを理解してか、両親は、皆と同じじゃなくていい、と育ててくれた。でも、やっぱり、皆と同じじゃなくちゃいけない時もあって、そういうときは母がそっと、こうするんだよ、と教えてくれた。

一番の苦痛は、親戚の集まりだった。しきたりというか、妙に堅苦しかった。母が末っ子だったというのもあるかもしれないし、外孫だというのもあったかもしれないが、とにかく、端っこで小さくなって、粗相をしないようにだけしていた。おじさんやおばさんのなかには好きな人もいたから、きっとあの集まりの空気が嫌いだったのだと思う。

会社では、女子社員は、女子社員らしくと、お茶入れ、掃除、電話とり、コピーや、文書作成をし、上司のタバコを買いに行ったり、処女だからと宝くじを買いに行かされたこともあった。

両親のことは大好きだったけど、このまま日本にいたら、私は腐ってしまうと思ったから、逃げようと決めた。

だから、私は、愛のために英国にきたんじゃない。逃げたかったから、愛を求めたのだ。

そうして、日本社会のしがらみから逃れ、束縛や、ステレオタイプ的なものから逃れ、自由を手にした。これほど、言論と行動の自由を感じた事はなく、英国でも、日本人ってことでははに出しているけれど、人としては受け入れられているように思え嬉しかった。

Mr.Bのことは、今も昔も大好きで、そこに嘘は無いけれど、それでも私の中には微量の罪悪感がある。嘘はなくても計算はあったんじゃないかと。このひとすきだし、日本社会から逃げることも出来て、都合いいじゃないかって。

卑怯かもしれない、いろんな人に迷惑かけたかもしれない。

でも私は後悔していないし、こうして英国で暮らす今、私は私の選んだ道は、わたしにとって、間違いなくよかったのだと思っている。たとえ、つらいことがその選択のせいであったとしても、そのおかげで今の私がある。

腐っていない、私が。
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