2021/11/1

自惚れ〜その2  

1997年9月末
自惚れ野郎への報酬は「クビ」という最悪な形となった。

えっ、なんでクビになったのかって?
それは自惚れの絶頂にいたオイラの慢心以外の何物でもなく、若気の至りと言って片付けられるような歳でもなく(当時35歳)、天国から地獄へ、奈落の底へ落とされた時でありました。あまりにも抽象的すぎてよくわからないと思いますが、ちょっとココにはかけない内容なので、どうしても知りたいという方はDM下さい。教えないと思いますが…😅

当時の上司の計らいで解雇(クビ)ではなく依願退職という形になったため、それなりの退職金を頂きましたが、その大半は10月の1ヶ月間で使ってしまいました🍻

オイラにとって大きな大きな人生の転機でした。
自惚れから生まれた、自分自身への天罰でもあり、裏を返せば大きなチャンスでもありました。

1997年11月
1ヶ月のプータロー期間を経て、静岡の小さなスイミングに入社しました。
正社員だと思って入ったら、テイのいい契約社員だってことに入って1ヶ月後に気がつきました。◯トマン時代に比べ年収で✌️00万円ほど減りました。

しかしながら、結構自由が効いたので…
およそ1年後の1998年秋、オイラは自分でもビックリの大胆行動に出ました。

それこそ、今思えばこの行動も「自惚れ」の極みでした。



1998年9月

およそ2週間の休みをいただき、オーストラリア🇦🇺に水泳の勉強をしに単身で渡りました。
とはいえ、向こうに知り合いがいるわけでも英語が堪能なわけでもないので、🇦🇺と太いパイプを持つ知人にお願いして、最初の1週間のみ一緒に行ってもらいました。

そこで最初にお会いしたのが

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この方(ラウリーローレンス氏)です。
※この写真は2016年に再渡豪した時に撮ったものです。

ラウリーの口利きで、当時オーストラリアの、いや世界のトップコーチとも言えるデニス・コテレル氏の練習を見学&アシストさせていただく機会を頂きました。
とにかく毎日が「目から鱗」状態でした。当時はスマホもタブレットもなく、パソコンすら持っていってなかった(持っていなかった笑)ので、全ては「手書きノート」へ。そのノートが今でもオイラのバイブルの一つであることは言うまでもありません。

2週間で一旦帰国。
スイミングの仕事の他に、夜間の道路工事やコンビニのバイトをしてお金を貯め、1ヶ月後には(今度こそ正真正銘の単身で)再渡豪。毎日が充実していて楽しくて楽しくて仕方なかった。

そして、11月末に帰国した際に、ある方から連絡が入ったのです。




(まだ)つづく

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