2008/7/30

オーロラの下で(’90)  その他

先月放映の録画、見かけて中断していた日ソ合作の後藤俊夫監督作品。原作は戸川幸夫の同名小説、ロシア革命の頃のシベリア舞台、実話を元にした、伝染病で苦しむ人々の元へ、大氷原を走り血清を届けた人間とオオカミ犬との絆の物語。

主演の役所さんはシベリアシーンはロシア語、海外作品は幾つかあっても、実際外国舞台で外国語で外人俳優と渡り合う、というのは初めて見た。日本に残した、家のため不自由な身の恋人(桜田淳子)を救う資金のため、自分の腕を頼りに孤独な密猟生活を送る姿、やはり知る中では、寡黙ながら先日の「シルク」での密売商人のようなワイルドテイストの役。この作品で初めての日本アカデミー優秀主演男優賞だった、と。

シベリアの雪の大地、空にはタイトルのオーロラ、という雄大な自然舞台、オオカミや犬達等、動物同士の弱肉強食の様子が、自然ドキュメンタリー作品よりシビアに描かれていたり、大氷原の犬頼りのソリでの厳しい旅は、「植村直己物語」のシーンのようでも。

日本シーンに登場の桜田淳子は「お引越し」以来か、歌手として懐メロ系番組にも出ないし、久方の姿、やはり反射的に思い出すのは「ニューヨーク恋物語」だけれど、思えば今回舞台の秋田出身なのだった。

オオカミ犬ブランと、役所さん演じる猟師やロシア人猟師(アムドレイ・ボルトネフ)との絆、はそう深く斬り込んだ描写でなく、猟の腕、ブランへの敬意と愛着が縁で友好を結んだ彼らや、役所さんと子連れの未亡人(マリーナ・ズージナ)との国境を越えた心の交流、スケール感ある映像の方が印象的だった。(http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%

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2008/7/28

SONGS 五輪コンビネーション  音楽

先週の「SONGS」は、五輪テーマソング特集で、平原綾香「誓い」、ゆず「栄光の架橋」、今回の北京五輪のMr.children「GIFT」。

NHKの五輪テーマ曲最初は、初のオールカラー放映でもあった札幌オリンピックの時の、トワ・エ・モワの「虹と雪のバラード」だったそうで、70m級で笠谷選手ら日本選手がメダルを独占、日本のジャンプ選手が「日の丸飛行隊」と呼ばれるようになったり、フィギュアのジャネット・リンが転んでも笑顔の映像等、微かな記憶。

トワ・エ・モワは子供心に好んだデュオで、シングルや2枚組ライブ盤を買って、「Yesterday」等は多分この時に馴染んだのだった。「ロミオとジュリエット」のニーノ・ロータのテーマ曲、「七つの水仙」等も歌っていた。思えばチェリッシュ等より純愛テイストのデュオ、長野五輪で「虹と雪・・」を歌い、活動再開しているそうだけれど、マイベストは「誰もいない海」「愛の泉」「空よ」「季節はずれの海」等横一線。やはり心洗われる白鳥ボイス。

近頃五輪を真剣に見ていないせいもあり、五輪ソングも余り馴染みなく、似たような曲の印象。一番最近の五輪の印象深いシーンは、今回、走る前にhitomiの「LOVE2000」を聞いてリラックス、の映像もあったけれど、高橋尚子選手のシドニーでの無心の快走、

でも脳裏にインパクト残っているのは長野での、原田雅彦選手の、以前リメハンメルでの大失敗、という想像を絶する孤独なプレッシャーを抱えて、の団体戦でジャンプ成功、その後船木選手がジャンプを決めた時のクシャクシャの顔が、何とも生のドラマ、だった。

でも今回「誓い」のサビの所は覚えがあり、これはトリノの時の曲で、バックに荒川選手のイナヴァウアー映像。平原綾香はやはりスケール感ある曲が似合う。それと’02年ソルトレークの時のMISIAの「果てなく続くストーリー」、余り応援ソングらしくないしっとりしたバラードだけれど、9.11直後の平和の祈りのニュアンスも、とのことで少し流れたサビが耳に残った。「SONGS」は次回8月末の徳永英明まで休みのよう。録画「オーロラの下で」の途中。(http://www.nhk.or.jp/songs/archive/index.htmlSONGS 秋川雅史・平原綾香 

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2008/7/26

雪の女王<新訳版>/鉛の兵隊(’57)  ヨーロッパ

先日新作DVDリリースのレフ・アタマーノフ監督作品。作品誕生50年記念として、昨年日本でオリジナル版初公開、雪の女王に連れ去られた少年を、幼なじみの少女が探しに旅に出る物語のロシアのアニメ。原作アンゼルセン童話との事でも気になっており、先日「人魚姫」モチーフの「崖の上のポニョ」を見た折もあったので。

何度か映像化されたらしいけれど、この原作は未読、アンゼルセン原作作品は、4年程前にアニメフェスティバルで見た渡辺和彦人形アニメ作品、「みにくいあひるの子」「マッチ売りの少女」以来。「・・ポニョ」に続き、やはりCGにはない手描きの温かいタッチ、鮮やか、ではないけれど柔らかい色彩、背景等そう精密、という訳ではないけれど、余り50年前、という古さは感じなかった。

冒頭淡いオレンジ屋根の隣り合う家の、窓と窓に渡された橋、その上で仲良く花を育てる少年と少女の姿、のファンタジックな素朴さ、魔法で邪悪な心にされても、連れ去られた少年を一途に思う少女の冒険が展開、美しさや喜び等全て忘れた冷たい心が幸福、という雪の魔女に対して、

少女が出合う、花園に住む善良な魔女、また少女に大抵は好意的、またはその一途な健気さに協力するようになる人々や動物、という対比、ラストは少女の勇気が打ち勝つ構図で、「太陽の子と氷の魔女」という童話等もあったのを思い出したりも。

また昨年同時上映の「鉛の兵隊」も収録、これは子供時代に読んで、おぼろげに、一歩足の鉛の兵隊人形が下水道のような所を流れていく所等、覚えがあったけれど、バレリーナ人形との悲恋物語だった、というのは忘れていた。バレリーナが兵隊の落ちた暖炉に、踊るように身を躍らせるシーンが印象的。

これはジプリ関連DVDで、特典映像に宮崎監督の「想いをつらぬく」というタイトルの、昨年夏のインタビューがあり、この「雪の女王」は自分がアニメーターになって良かった、と思えた作品で、人物の目の優しい描き方等にも驚嘆、影響を受けたそうで、劇中物語の舞台回しの老人の鼻の周りのシワ等が、宮崎作品の老人に似ていた感もしたり、

少女の道中、川が差し出された靴の代わりに彼女を船で運んだり、アニメーションの元はアニミズムからきている、と思い、そういう神話的なものを童話に取り入れた事は凄い、等のコメント。

それとやはり、この少女に、山賊の娘が本来持っていた素の心を動かされたり、ヒロインが少年を救おうとする一途な健気さ、が琴線に触れたそうで、庵珍清姫の物語の清姫のように、大蛇になって火を噴きながら後のことは顧みず追いかけるような、と例え、丁度今、ポニョ、という、周りに迷惑をかけながら自分の思いを貫いていくヒロインの作品、を作っているのだけれど、と述べていたけれど、

庵珍清姫由来の道成寺は私の故郷の隣町で、遠足等で馴染みだった事もあり、最近ではそれが題材の牧瀬里穂主演の「娘道成寺〜蛇炎の恋」を見に行ったり、先日「・・ポニョ」を見て、少年に会うため海上を疾走する姿は、幼いながら清姫のような、とも思ったのだけれど、ルーツ的な部分はやはりそういう激しさもあったのだった、と。それとやはり、パターン的とも言われつつ「・・ナウシカ」「もののけ姫」等の、救おう、守ろうとするカリスマヒロイン、また宮崎アニメ自体のルーツ、という興味もあった作品だった。(http://www.ghibli-museum.jp/snowqueen/「崖の上のポニョ」プロフェッショナル 宮崎駿スペシャル

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2008/7/22

ミネハハ 秘密の森の少女たち(’05)  ヨーロッパ

日本では未公開のイタリア・イギリス合作のジョン・アーヴィン監督作品。「エコール」のリメイク、という訳ではないようだけれど、未読だけれど原作が同じドイツの劇作家フランク・ヴェデキントの小説「ミネハハ」。再映画化作品とのことで、「エコール」と共に目にはついた、同じ様な緑の森と白い服の少女のDVDパッケージデザイン、似たムードで違う切り口、を期待はしたけれど、内容はかなり違っていた。

やはり舞台は森の中の洋館の女学校、でも最初の子供の学校への登場の仕方からして、馬車でゆりかごで運ばれて、と現実的。主人公の少女達は10代後半らしく、「エコール」の6〜12才という少女達も背景的に見かけたけれど、上の年代。白い制服、バレエのレッスン、厳しい規律等同様のシチュエーションでもあり、前半美しい森の背景で、女子高生達のような他愛ないムードもあったりしたけれど、

幼女のように無垢に日々を過ごすには多感な年代、学校の不穏さを怪しみ行動を起こす好奇心、同性愛的関係もあったり、割と生々しい思春期の描写。後半になって、彼女達への扱いが、何ともシビア、オカルト色も漂うサスペンスタッチで、

学校から逃れようとする少女を襲う番犬の群、同性愛から思い余っての悲劇、後援者に見初められる時の、ダイレクトな性的視線、また、「エコール」では”選ばれた”=自由への道、という暗示だったけれど、この作品では選ばれたゆえ容赦なく欲望のはけ口にされる悲運、等。

イレーネという少女役の女優が透明感ありキュート、と思ったけれど、ジャクリーン・ビセットが「エコール」では前面に出なかった校長で重々しい監視役、またその運命も悲劇的。「エコール」序盤シーンにもあった、水が滝のように溢れる小川で「ミネハハ」とは「笑う水」の意味、と少女が言っていたけれど、この作品の方が、原作には忠実、と見かけ、それなら「エコール」は、少女の世界、としてファンタジックなエキスを中心に、シビアさは密かな危険な香り、に留めて、かなりソフトな描き方をした作品だったとは。

またオブラートに包まれていた、少女、が持つ生々しい魅力、内面の激しさ、注意深く彼女らへの視線、に留まっていた欲望が、ここでは露骨に描かれていたようで、夜の森の映像等も、「エコール」でのように神秘性も、というより濃い不安や人間の暗部、の表われのようで、好みにもよると思うけれど、「エコール」が淡い白日夢、だとしたらこちらは余り目覚めがよくない悪夢、的で、後味重い作品だった。(http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%83%8F%E3%83%エコール(’04)

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2008/7/20

ミューズの晩餐 杏里  音楽

昨夜の「ミューズの晩餐」は杏里、一部オンタイム、一部録画で。昨年の「Mラバ」「SONGS」以来で、司会の川井郁子が、イルカや海の映像がバックのコンサートに行ったことがあり、切ない詞に合う声質、でも悲しいだけじゃなく優しさもあって慰められているよう、とかイルカのような癒しの力が、等の話。随分ご無沙汰だけれど、季節的にはやはり夏、の人。本人も色んな意味での自然(体)がすごく好き、とコメント。

音楽人生スタートは、小学生の頃ポールモーリアオーケストラの影響で、色んなアーティストの曲を知った、と。司会の寺脇康文が学校の給食の時間に「エーゲ海の真珠」がかかっていた、というような話、ポール・モーリアは一昨年訃報があったけれど、郷愁。

「オリビアを聴きながら」は17才でのあえてバラードで、というデビュー曲で、ジワジワとヒットしたけれど、最初は売れなかった、というのはやや意外。人生で一番大切な曲は、オリビア・ニュートン・ジョン「そよ風の誘惑」とのことで、「オリビア・・」提供者尾崎亜美版も好きだけれど、曲を作る前、杏里がオリビアファン、と聞いて作った、というエピソード、

「オリビア」は0.N.ジョンの事、というのは聞いた覚えあったけれど、そういう話は多分初耳、ある意味血の通った幸せなヒット曲だったのだった。オリビアが来日の際、カラオケの打ち上げに合流、本人の前で「オリビア・・」を歌い、「そよ風・・」も歌ったらサビをハモってくれて感激、というような話も。ユーミンへのフランソワーズ・アルディのような関係かも。

O.N.ジョンは特に癖のない爽やかなボーカル、浮かぶのは「ジョリーン」「フィジカル」等、耳に残っているのはやはり「そよ風・・」「カントリー・ロード」。今回アコースティックバージョンで歌い、ピアノは先日「世界はときどき・・」のクレジットにもあったフェビアン・レザ・パネ、やはりメロディは懐かしく、杏里の声質に似合っている感で一時心洗われるような。先週「SONGS 元ちとせ」は再放送共録画し損ね、今回火曜の再放送もなさそうで、今夜「みゅーじん」に登場でそれはチェック予定。一昨夜「時空の旅人」録画。(http://www.tv-tokyo.co.jp/bansan/backnumberMラバ 杏里SONGS 杏里ポール・モーリア

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2008/7/20

エコール(’04)  ヨーロッパ

日本では一昨年公開のフランス・ベルギー合作のルシール・アザリロヴィック監督作品。原作は19世紀ドイツの短編、深い森の中の、外界から閉鎖された女学校、エコールで暮す幼い少女達の姿を描いたミステリアスドラマ。マリオン・コティヤールが出演、ファンタジックなDVDパッケージでも気になっていた作品。

小さな棺での眠りから覚めて、学校に迎え入れられたヒロインの少女、その夢の続きのような物語。原題「INNOCENCE」(無垢)の象徴のような、少女達の白い制服やタイツ姿と、森の濃い緑とのコントラストが印象的。春に見た「非現実の王国で・・」が思い浮かび、異色画家ヘンリー・ダーガーの描いた少女達の世界の一部実写映像版、のような感触もしたり。

バレエのレッスン、野外での縄跳び、フラフープ(大きな輪を腰で回す遊戯)、側転等、躍動する姿、でもそこで求められるのは、時が来て外の世界に送り出されるまで、まさに無垢であること、で、自分の好奇心で外へ出ようとする少女は、破滅の道を辿ってしまう世界。

彼女達の間の、友情、というより無邪気な思慕や、ふと垣間見える幼いゆえの残酷さ、少女期の不可思議で不安定な内面の心象のような、夜の森の小道に並ぶ仄かな街路、そこを行く少女の謎の行動、それに対するヒロインの好奇心、その好奇心に向けられる嫌悪感、等。実際のドラマ、というより寓話的ムード。

マリオンは、そこでのバレエ教師役で、「エディット・ピアフ 愛の賛歌」でのようなドラマティックさも「プロヴァンスの贈りもの」のような躍動感も抑え、エレーヌ・ドゥ・フジュロールと共に、その世界に根付いて少女達を管理する、彼女達と対照的な、成熟した肢体のクールな大人の女性像、また違う一面を見たようでもあった。

この作品の呼び声、ロリコン耽美芸術、と一言で言うのも、だけれど、箱庭的な世界での無垢な少女達の成長を味わいたい、という密かな視線、それを、それぞれ感受性を持つ少女側目線を交えて、ファンタジックに映像化したという感で、やはりある時期の少女だけが持つ甘酸っぱいエッセンスが散りばめられた、幻想的な白日夢、のような後味だった。(http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%http://www.cinematopics.com/cinema/works/「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」

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2008/7/18

崖の上のポニョ(’08) AOLブログトークスレッド  日本

「崖の上のポニョ」

 スレッドマスター:- BLOG
アクセス数:8416
投稿日時 2008/7/18 11:00:13
更新日時 2008/10/26 10:00:12

明日(19日(土))公開の「崖の上のポニョ」(←関連サイトです)は、「ハウルの動く城」以来4年ぶりの宮崎駿監督アニメ新作で、いずれ見てきたいと思います。

昨年の春NHKの「プロフェッショナル 宮崎駿スペシャル」という番組で、その製作風景取材を見ましたが、今回CGを用いず、原点に戻っての手描きでのアニメ、今までで一番多い、17万枚にも及んだ、という作画枚数での作品。

真っ赤な魚の子ポニョと5才の少年との物語、またその母親や妹といった、ポニョを中心とする女性達を描いた作品でもあり、前作「ハウル・・」は、やや解釈が難解な部分もありましたが、今回は比較的素朴でシンプルな愛と冒険のストーリー、童話「人魚姫」がモチーフですが、自然界の生物と人間を同列に描くアプローチ、とのことで、やはり単なる子供向けファンタジー、以上のニュアンスも、とは思いますが、

宮崎アニメでは、背景に登場することはあっても、海が中心舞台、というのは初めてで、その手描きでの海中、魚達、波等の描写も楽しみです。声優はポニョ役が奈良柚莉愛、少年宗介役土井洋輝、母が山口智子、父長嶋一茂、その他所天海祐希、吉行和子、奈良岡朋子、所ジョージ、矢野顕子等。

ご覧になった方の率直な感想、批評、コメントある方等、自由にどうぞ!(投稿でもメールでも結構です)



15 >9,11 「プロフェッショナル」再放送

投稿者:- 投稿日時 2008/10/26 10:00:12
更新日時 2008/10/26 17:00:20

先々週金曜(17日)夜、この番組が再放送され、先日チェックしました。放映時間が予定より押して、タイマー録画で最後10分程再度切れてしまったのが残念ですが、録画ミスが悔やまれていたので、見ることが出来、本当に良かったです。

昨日ダイアリーに書いたのですが、私が新たに見て印象的だったのは、宮崎監督の病弱で漫画好き、劣等感が大きかった少年期、アニメで自分の居場所が見つかった、という経緯、人を喜ばせないと自分の存在価値がない、という根本的思い、また亡きお母さんへの気持ちの強さか作品によく登場していた投影キャラクター達、等でしたが、この再放送ででも、ご覧になった方の感想、コメント等あればどうぞ!



14 トラックバックについて(お礼、通知機能等)

投稿者:- 投稿日時 2008/9/21 9:50:09
更新日時 2008/9/22 16:00:13

17日(木)当スレッドにTB下さった、「日々 是 変化ナリ〜DAYS OF STRUGGLE〜」ブログの管理者さん、TBお返ししようとしたのですが、gooブログには相性の関係で今までもこちらからTBが効かず、今回も機能していないようです。そういう場合してきたように、先日URL欄に当スレッド分を入れて、その旨コメント欄に投稿したのですが、それも反映がなく、何かの加減で機能していないかもしれないので、ご覧になるか判りませんが、この場で謝意はお伝えを、と。円滑でなく残念ですが、TB有難うございました。

また、この機会に、以前も一度書いたのですが、このAOLスレッドはTB受信通知機能がなく不便で、最近立てたスレッドについては気を付けているのですが、作成後時間が経った作品スレッドは、なかなか目が届かず、結構時間経ってからTB受信に気付く事もあり、昨日も偶然2面にあるスレッドの2週間前の受信に気付きました。特にそういう作品のTB送信時は、宜しかったらご面倒でも一言「TB送った」旨コメント付けて頂ければ、確実に判り、受信したまま放置の失礼、不本意もないので、有難いです。



13 スタジオジブリレイアウト展

投稿者:- 投稿日時 2008/9/17 10:00:29
更新日時 2008/9/17 10:00:29

先日東京都現代美術館で今月28日(日)まで開催中の、同展示会に行ってきて、感想は昨日ダイアリーの方に。同美術館は、昨年秋のやはりジブリ関連「ジブリの絵職人 男鹿和雄展」以来でした。

今回宮崎・高畑監督作品のレイアウト約1300点の展示、鉛筆画に淡い色鉛筆で着色、折に指示の走り書きがあったり、絵画作品として見ればあっさり気味で地味ですが、アニメ製作のコツコツと膨大な作業の土台を見た、という趣、用語解説コーナー、レイアウトと実際の完成シーンの比較、両監督のレイアウトに関するインタビュー映像、撮影コーナー等も。

最新の「・・ポニョ」のレイアウトもあり、やはり一番記憶に新しく、各シーン蘇り、まだ先月ですけれど、懐かしくもありました。



12 >10

投稿者:Autumn 投稿日時 2008/8/7 11:00:13
更新日時 2008/8/7 11:00:13

runarunaさん、投稿有難うございます。今回今一つ、の感想でいらっしゃったのですね。ご指摘の内「宗介のモデルが吾郎氏で、そうしたのは、『二度と吾郎みたいな子をつくらないために』という想いをこめて(!?)」という事は私もサイト等で見かけ(http://ponyoonacliff.info/7_3.php>)、「ゲド戦記」にも込められていた自分への複雑な気持ち、というのは宮崎監督も痛感され、作品にそういう思いもあったかと思うのですが、

主流はポニョと宗介の物語で、父の存在、あの家庭のあり方、というのはポイントというより背景的、な感で、確かに船乗りである父不在の家庭、でしたが、私は、本当に冷めてしまった家庭なら、まず有り得ない、ランプでの船と家とのやり取りに、あの親子3人なり、夫婦なりの絆、を感じ、宗介は、そうして遠方からメッセージを送る父の気持ちを受け止めて、

母を「リサ」と呼ぶのは、活発な母と同等な親しみ感覚、と感じていて、自分が彼女を守ろう、という気持ち、というのは拝見してなるほどと思ったのですが、いずれにしても、特に屈折を抱え無理に、という感のしない明るく均衡取れた少年、のキャラクターだったかと思いました。

それは、監督ご自身も、自分なりに、あの父のように、家族にシグナルは送っていた、という気持ち、また、実際そういうものは伝わらなかったかもしれないけれど、自分の歩んだ道を辿って映画監督になった吾郎氏に、よく自分不在でも、成長してくれた、という気持ち、

または、上記サイトにもあったように、父不在でもああいう少年でいてもらいたい、という理想の息子像、として描かれていた感で、この作品に対する吾郎氏の感想、は好意的か、苦笑い的か、どうなのだろう、と思うのですが、そういう監督の様々な思いの結晶の少年像、として、元気な金魚姫と歩むストーリーに、自然にフィットしているように思えたのでした。



11 >9

投稿者:Autumn 投稿日時 2008/8/7 10:56:14
更新日時 2008/8/7 10:56:14

一昨夜放映、チェックしたのですが、私は録画不備で残念ながら、最初の約30分分しか見られませんでした。その記録はダイアリーの方に書いたのですが、番組を見て、感想、コメントある方等いらっしゃったらどうぞ!



10 実は私も…

投稿者:runaruna 投稿日時 2008/8/6 23:51:21
更新日時 2008/8/6 23:51:21

監督の大ファンなのですが、申し訳ないのですが、私も今ひとつ…と思ってしまいました、感想を書かせてください。

宗介君は監督の息子さんの吾郎さんがモデルで「仕事にかまけすぎて吾郎に父親らしいことを何もしてやれなかった。だからあの『ゲド戦記』を作ったのは自分への反抗だ。二度と吾郎みたいな子を作ってはいけない」という気持ちで、監督はこの映画を作り始められたそうなのです。

そう思って見てみますと、あんなに礼儀正しい宗介君が、母親を「リサ」と呼ぶのも、「リサ泣かないで…」と母を(父の代わりに)守ろうとするいう、「頑張って(無理して)大人になろうとしている子ども」という立場が理解できます。
しかし、その「父親不在がちな家庭と、それに影響される子ども」をきちんと描かなかったがために、宗介くんの内面に迫れず、だから自由奔放なポニョに彼が惹かれた理由も分かりづらく、また両親のすれ違いも物語にあまりからんでこず、あちこちで破綻が見られたように思います。

私は監督の大ファンで、今まで沢山素敵な映画を見せていただいたから、
『ポニョ』が今ひとつでもいいんです。
でも、傷ついた子ども時代を送られた吾郎さんのために、もっと頑張ってほしかったなあ、と思ってしまいました。



9 「プロフェッショナル」で再び宮崎特集

投稿者:Autumn 投稿日時 2008/8/5 10:00:28
更新日時 2008/8/5 10:00:28

今日PM10時〜11時半のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で再び宮崎監督特集、これは上記の昨年春に放映の、「・・ポニョ」構想段階の同番組ドキュメント以降、さらに2年半に及ぶ密着取材で、「・・ポニョ」が仕上がって誕生する様子、

また、これまでの作品の秘話、同監督の幼少期から過去の苦悩や挫折にも焦点を当てた内容、とのことで、前回以上に、緊迫した製作現場の空気がありそうですが、今回も見てみたいと思います。

http://www.nhk.or.jp/professional/



8 >7

投稿者:Autumn 投稿日時 2008/8/1 11:00:02
更新日時 2008/8/1 11:00:02

いいえ、船と家のランプの点滅でのやり取り等は私も微笑ましく、「BAKA BAKA・・」と送るリサの意地っぱりぶり含め、父が沖を通る船の船乗りでない通常の家庭ではまず考えられないような、日常の中のある種さり気ないファンタジー、に思えたり、

周囲の合意の下でポニョを引き受ける流れになった宗介の5才なりの男気、というか、は特に不自然な流れにも感じられなかったのですけれど、ファンタジーと(それが生きるための)現実の描写バランス、は微妙で、捉え方はそれぞれかと思います。

挙げだすと、活発でサバサバした性質を表わすにしても、リサのラフすぎな運転ぶり等、突っ込み所もあるかと思うのですが、全体の後味的には、悲恋に終った原作の切ない人魚姫に対して、明るいトーンのポニョの前向きな未来のニュアンス、というハッピーエンドが一服の清涼剤的和みに思えました。



7 これで最後にしますので…

投稿者:21 投稿日時 2008/8/1 0:45:44
更新日時 2008/8/1 0:45:44

なんか、少し意地になってる自分がいて申し訳ないです。そうですよ。ようは楽しめたらいいんです。確かに今の時代、刺激的な出来事や映画にばかりとらわれてるのかもですね…だからあえて崖の上のポニョで中途半端なところなく夢物語で終始終えてほしかったかもです。引き戻されるのですよところどころ現実社会に…。宗助のお父さんが帰れず愛してる的に船のランプを一斉に点滅させるシーン、ウチは惚れましたが、リサは全くの無反応。やけ酒あおるし…旦那が帰れなくて久々のラブラブタイムがなくなるから???って一気にコッチの社会に帰ってきました。最後宗助はポニョの保護者をポニョの父親から頼まれるのは、ポニョが金魚という宗助のペット的立ち位置から人身売買とまで言いませんが、なんだか重い。これが人魚姫の王子様なら結婚という男と女の責任ある結末でハッピーエンドですが、ポニョの親は5歳の娘を手放すし、宗助はいきなり5歳から保護者という重い責任を負わされるし…何度も現実社会に戻ってくるキーワードが入ってるのです。リサがポニョの父親を除草剤まかないで!って罵倒するシーンもしかり、リサが車の運転で宗助のシートベルトは気にするのになぜあそこまで荒い運転シーンが最初いるのか…???とか気にしなければいいんですが、う〜ん水さすようでほんとごめんなさい。



6 >5

投稿者:Autumn 投稿日時 2008/7/31 23:00:55
更新日時 2008/7/31 23:00:55

いいえ、作品感想は今一つでいらしたにしても投稿下さって嬉しいです。1ファンとして思うには、宮崎監督はご指摘のような乗り物、兵器等にもこだわりぶりが見えたりしますが、あえて書くと鼻白む感ですけれどルーツ的に「一途、純粋なもの」の表現としてのアニメ、人(子供)がシビアな現実を離れて大らかになれるようなファンタジー、を描く事自体がお好き、かと。そういう部分が、今の混沌とした時代に、マンネリとも言われながらも心の拠り所的に浸透して、その結果ジブリという組織、の現状になったかとは思います。

先日ローソンで「・・ポニョ」グッズ通販パンフを見かけて持ち帰ったりして、そういう提携等広告戦術については、見方も色々かと思うのですが、私自身は、ファンという贔屓目をなるべく省いて見ても、同様に大規模で宣伝されるものに、子供のみならず大人の心にも、闇雲に刺激の強い作品が余りに多すぎ、と感じ、そういう作品群へのアンチテーゼ的にも、特にジブリの姿勢に不穏さは感じられないのです。



5 続き

投稿者:21 投稿日時 2008/7/31 9:48:14
更新日時 2008/7/31 9:48:14

申し訳ないです。映画を観てかなりがっかりだった感が強かったので、誰かにその思いを伝えたくてココに書き込ませて頂きました。私も子供のイラストを描いてまして、だからなおさらポニョの仕草や行動で『可愛さ』を狙ってるところがわかりすぎて変にヒネクレタ解釈にとったのかもしれません。と、いいますのも、ここ何年かの宮崎監督というよりスタジオジブリのスタンスが広告的戦術に長けすぎ、もうそこらへんで大人の汚さといいますか、強かさが前面に出てるのに内容が『子供に向けて作った映画』とか『精神病の世の中に』みたいな事を映画でうたわれても、なんだか興ざめしてしまいますよ。誰かや、何かの為に作るのではなく自分が戦闘機が好きとかそういう自分の我侭で作られた映画を宮崎監督が作られる方が私は共感できるような気がします。



4 >3 

投稿者:Autumn 投稿日時 2008/7/29 10:00:09
更新日時 2008/7/29 10:00:09

21さん、投稿有難うございます。2人の接近は、21さんは台詞まかせに感じられたですか、私はポニョからすれば宗介の、浜辺での命の恩人、的な始まり、宗介からすれば、本来無表情な小さかな、が見せる意外な喜怒哀楽、というユニークさに愛着がわいて、5才なりに保護心が生まれてきた、という所は伝わってきた気がしました。

ポニョの「可愛らしさ」というのは、キモ可愛い、ともよく言われてますが、感じ方は色々のようですね。。両親を名前で呼ぶのは、敬意の欠如、同等な友人的親しみ感、と両面で、一緒にポニョを見守る、的感覚もあったかもしれないですが、思えば特にこの物語では、あえて「リサ」でなく「母さん」でも、とは感じました。母と施設の関係は、災害の中車で見に行ったり、絆的な部分はあったのでしょうけれど、具体的な交流の描写は、時間的にカットされた感でしょうか。

大津波以降、パニックぶりが一切見えず穏やかな様子は、現実感的には奇妙で、以前の宮崎作品ではそこら辺もう少しリアルな部分も、と思いましたが、その災害がポニョが人間になろうとしたため、という背景もあり、人々がそれを見守る、というニュアンスもあって、結びに向けてのファンタジー世界に突入していたのかと解釈しています。



3 昨日観ました

投稿者:21 投稿日時 2008/7/29 1:47:42
更新日時 2008/7/29 1:47:42

今までの宮崎監督の作品からすると、なんだかストーリーが荒すぎて、多くを台詞に任せている印象でした。ポニョがなぜ宗介を好きなのか…、宗介がなぜポニョを守ると心から思えるのか?ポニョ以前の作品では「好き」とかそういう心情を台詞ではなく、ストーリーや表情、行動でコチラに伝わってきたのに…。あと、「可愛らしさ」の仕草がいちいち技とらしくこれ見よがしなのが残念です。お母さんを「リサ」と呼ばせる家庭の背景も今時なのかなぁ…とは思いますが、母親に対する尊敬とかそういう感情が観ているコチラに伝わりずらいし、また母親とひまわり施設の利用者との間柄ももう少し暖かいやりとりなどあればなぁ、と思いました。あの海の上のボートで漂流中の若夫婦のくだりは何だったのか?本来なら津波とは悲惨な状況なのにポジティブすぎるぐらいの勢いでストーリーが展開されるので頭の中でついていけませんでした。



2 >1 続き

投稿者:Autumn 投稿日時 2008/7/25 11:00:15
更新日時 2008/7/25 11:00:15

基本的には母リサに見守られほのぼのした交流、冒険ですが、宗介少年への一途な思いで会いに行く様子は、健気でもあり、特に荒れた海の上を走る姿は、幼いながら、女心としては、思い込んだら、という庵珍清姫風執念、さえ漂うような疾走シーン。

背後のメッセージ的には、5才の宗介少年の、魚だった事も含めポニョを受け入れるか、という姿勢が、世界の危機回避の分岐点に繋がっていた事等で、自然界をないがしろにする人間の心のあり方への警告、とも思えたりしましたが、海中、海辺の街の風景と共に、ほぼ期待通りには味わって楽しめた、宮崎新作ファンタジーでした。(修正再々投稿)



1 アクティブ金魚姫の冒険ファンタジー

投稿者:Autumn 投稿日時 2008/7/25 10:55:30
更新日時 2008/7/25 10:55:30

昨日見てきましたが、冒頭の、多くのクラゲが泳ぐ海中シーンから、CGではない柔らかい手触り的タッチ、また、初めて海が舞台の宮崎アニメでしたが、以前「プロフェッショナル」の特集の中で、1つ1つ目がある波が集まった抑えた色合いの海、その上にポニョが立っている絵コンテがあって、その時は、ややグロテスクな感もしたのですが、

実際、動く作品になったのを見て、海自体が、部分的に自在にうねる柔らかい生き物のようで、今まで余り覚えがないユニークなアニメでの海、の感触。陸上の建物等の風景も、余り宮崎アニメで覚えがないパステルタッチもあり、やはり手描きの積み重ね、という手作り感が伝わってきたようでもありました。

それと、通常の宮崎アニメ的な周囲の大人の両親、老人達の中、ポニョの母は優美な少女コミックヒロイン的で、その登場シーンは異質タッチという感も。

ヒロインポニョは、改めて動く絵を見て、大橋のぞみ嬢の素朴なテーマ曲と重なって、何とも愛嬌漂う幼児体形子さかな、というか、正統的美人、キュートでない顔のつくり、何故かハムが好きだったり、気に障る人に水を吹きかける仕草等、どこか親しみ感、

人間の子供になる過程の、アヒルのような手足がややグロテスクに思えたり、子供のポニョは宮崎アニメヒロイン風、ではありましたが、さかな時代の方が印象的、また小型ポニョ体形の妹達の群、も視覚的インパクト。

お話的には、やはり「人魚姫」ベースで、ポニョが人間界にいるうちに、魔法を使う力が萎えてしまう様子等、人間の姿になったため声を失った人魚姫、が重なるようでもあり、思いを抱いた相手のため、自分とは違う世界にやってきて、そのため本来の力を失っていく悲哀というか、切なさ等もあったりしましたが、

人魚姫が王子への叶わない思いに苦悩していたのに対して、この物語はポニョのキャラクター的にも、ポジティブなアレンジ、人魚姫は、王子の血で海で帰れるにもかかわらず、愛する王子を殺したり出来ず消えていきましたが、そういう相手の人間の”血”が、ポニョは宗介少年の傷口の血を舐めることで、傷を治すと同時に、その血のお陰で人間に変化、という前向きな設定だったり、
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2008/7/16

世界はときどき美しい(’06)  日本

昨年公開の御法川修監督作品。何気ない日常を生きる5人が主人公の、5短編のオムニバス。新作DVDリリース時に見ようとしたけれど、忙しなく未見のまま返却していた作品の1つ。シネポエム(映画詩)、という呼び声に気になった作品。

各短編が、それぞれの主人公のモノローグ形式で進むけれど、俳優よりも、周りのさり気ない日用品、風景の表情、美しさが目に残った作品。雑草、花弁、葉、グラス、氷、夜の川に揺れる街の灯、インドの石像、路面電車、自動販売機、森の草に埋もれた線路、川面でそよぐ木の葉、等。8mmカメラで撮ったという、印象派のような、光を捉えた映像。

そういうものの中で、日々暮し漂っている人間、その内面の思いが淡々と語られ、その手探り状態的な葛藤、孤独、疑問、幸福等が、垣間見えはしても、深く切り込む生々しさはなく、心象風景的に周囲に溶けていくようで、まさに”詩”のような作品。

一番印象的だったのは、冒頭の熟年ヌードモデル役松田美由紀のパート。道端の雑草、そのそれぞれに名があることに興味引かれたり、「・・厄介なことを一杯抱えこんでいるけれど、生きてきた、ということなんだと思う」というようなつぶやきが、ときどきは、美しくも見える世界(日常生活)の中で、生身の自分の生、というものを、声高に叫ぶ訳ではないけれど、肯定的に捉えていくしなやかさ、を思った。

少し異質だったのは2話目の、まさにバーで入りびたりの人、の意味の「バーフライ」、柄本明が夜の街を飲み歩き、さ迷うモノクロパート。折に黒地に白字の独白が入ったり、ノスタルジックでもあり、舞台の大阪の雰囲気、というより何処ともつかない無国籍な空間、随分と夜の飲み屋街なんて行ってないけれど、そういう場所が一面、やるせなさを包み優しく詩的というか、ファンタジックに見えた、珍しい作品、でも。

その他、5話の木野花と市川実日子母娘の、何気ない会話が良かったり、4話で天文台の研究者役で少し登場、懐かしい名、あがた森魚、の姿。音楽は、オペラ歌手鈴木慶江の伸びやかなソプラノが、作品の透明感にフィット、クレジットに大貫妙子とセッションしていたピアニストフェビアン・レザ・パネ、の名も。5話目で画面が暗かった部分、流れがややたどたどしく思えた所等もあったけれど、やはり先日の「シルク」のように感覚的には心地よく味わえた作品、だった。(http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AF%http://www.sekaihatokidoki.com/

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2008/7/14

ミラクルバナナ(’05)  日本

一昨年公開の錦織良成監督作品。前に見た錦織作品「白い船」同様角松敏生が音楽担当、とのことでも気になっていたのだった作品。大使館派遣員としてカリブの国ハイチに赴任したヒロインが、バナナの木から紙を作る、というプロジェクトに打ち込むヒューマンドラマ。

実際名古屋の大学院教授を中心に、熱帯の国で、バナナの廃棄物から紙を作る、というプロジェクトはあって、それを元にした企画作品のようで、

小山田サユリ演じるヒロインが、南国タヒチと間違えて赴任先希望をハイチに、そこでの楽観的若い女性目線で、現地の人々と馴染みつつ、西半球で一番貧しい国、という現状にカルチャーショックを受けていた所、実家から送られてきたドラマのビデオの中に、たまたまある教授がバナナぺーパーについて語っているシーンがあって刺激され、行動開始、というさり気なさ、

当初子供のスリに遭ったり、移動中街の暴動に遭い、車に載せていた防弾チョッキを着る、というものものしさ等あったけれど、周りの人々も、ややクールで現実的な書記官(津田寛治)以外は、皆好意的、現地の子供達も人懐こく彼女に馴染む様子。

そう大きな障害、苦悩がある訳でなく、周囲の人に協力してもらいながら、計画が進んでいく、御伽噺的甘目な部分も多いと思うけれど、それがこの作品の後味の良さ、ではある感で、小山田サユリは「眉山」「トニー滝谷」等にも出ていたらしいけれど、意識したのは初めて。

微妙な感情表現とか、余り感じられなかったけれど、大らかで前向きな現代っ子女性、というキャラクターには似合っていたような。ハイチがフランス語圏、という実情に合わせて、この作品では、現地の日本人が仏語も話し、彼女も科白の半分位は、割と滑らかな仏語でこなしていた。

ハイチと対照的な、鄙びた岐阜県美濃の田舎で、一心に和紙をすく昔気質の職人役緒形拳も渋い味、科白があるまでは気難しそうな物腰、でも穏やかな笑顔、人格が、最初「地球の裏側なんて・・」と言っていた一見無鉄砲にも思える企画、を温かく包んでいたような感触。

後でサイトを見ると、ハイチは政局不安のため、主に隣国のドミニカで撮影したそうだけれど、街の雑然とした熱気は、インフラも整備されていなくて街の中まで電気も届いていない、という様子、緒方拳が「(日本の)戦後の闇市のようだ」とつぶやいていたり、アフリカの街の風景が重なったり、それでも、多少カメラ意識もあるかもしれないけれど、概してくったくなく明るい子供達の様子は、数年前見たドキュメンタリー「ABCアフリカ」のウガンダの子供達の姿と同じ、とも。

院生役山本耕史が、森林伐採の原因は割り箸のため、と報道されたけれど、実際は、森林を切って原料にするしかない、という貧困のため、等と話したり、プロジェクト化すれば紙生産の半分がバナナの木でまかなえる、というくだり等もあったけれど、

効率化の波で、消えていく日本の伝統技術が、バナナで環境保護+発展途上国の経済発展援助につながっている、という意外なプラス面。コスト面とか、問題もありそうだけれど、現実的にも好ましい企画、とは思った。やはり大作感はなくそう話題作、でもなかったようだけれど、ほのぼのユニーク作、という後味。エンドロールで角松敏生とデュエットのシンガーは誰だろうか、と思ったら千秋だった。(http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%http://www.miracle-banana.comみゅーじん 角松敏生http://www.news.janjan.jp/culture/ハート・オブ・ザ・シー(’03)白い船(’02)

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2008/7/10

アジアンタムブルー(’06)  日本

一昨年公開の藤田明二監督作品。原作は未読だけれど大崎善生の小説。雑誌編集者と若い女性カメラマンとの恋、難病に冒された彼女と支える彼が南仏ニースに旅立って時を過ごすラブストーリー。「シルク」を見て、これもフランス舞台で日本人が、と気になっていたのを思い出した作品。

何というか、男女どちら側からしても、非日常の一種の夢の願望、的な美しいファンタジー。モチーフとなる観葉植物、細かい葉が柔らかく茂るアジアンタムがヒロイン松下奈緒の化身のようで、淀んだ日常を送る主人公(阿部寛)のオアシスとなって、という展開ではあるけれど、

真顔で地図のNice(ニース)を「ナイス」と読んだり、言動が余りに純なヒロイン像+アダルト雑誌の仕事に馴染みきれない編集者、という、阿部寛+松下奈緒でのキャラクター、気さくな小島聖の撮影シーンでのSM女王ぶり、不倫相手の高島礼子等も含め、余りドラマティックというより、微笑ましいパターン的コミック、を読み進んでいるような前半。

「水溜りに映った世界の方が現実より綺麗」、と水溜りの写真ばかり撮る彼女、その写真が2人の糸口にもなり、実際活躍中の女性カメラマンの作品らしいけれど、アジアンタムと共に瑞々しい小道具ではあった。

重病の彼女が普通の旅行者のようにニースへ旅立ち、散策したり、というのも白日夢のようで、非現実的な感ではあるけれど、「水溜りのように可愛い海」と表現したニースの風景は、海を見下ろす丘、オレンジ系の小振りな家と石畳等、さすがにどのシーンをとっても美しく心和むものが。この海岸は昨年「輝ける女たち」で目にして以来だった。

2人で教会のような所でコクトーの壁画を見て、港を歩きながらコクトーは34才の時20才の恋人を亡くした、等と話すシーンもあり、後でサイトを見ると実際コクトーが好んで滞在したという町もロケ地だった、と。

阿部寛は「バブルへGO・・」以来、思えば真っ向からのラブストーリー、というのは余り覚えなく、今回やや硬い気もしたり、松下奈緒は見たのは初めて、当時音大生で、劇中ピアノもこの人が弾いたらしいけれど、ラブシーン含めてぎこちなくも体当たり演技、という感。

そう話題作、という訳でもなかったようで、「大人版セカチュー」という呼び声は見かけたけれど、悲しさや切なさが、綺麗な風景に溶かされていくような、ファンタジックラブストーリー、という後味だった。昨夜「SONGS 絢香」録画。(http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/adiantumblue/

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2008/7/9

銀の街から(’08、7月)  分類なし

昨日の朝日新聞第2火曜の沢木映画コラムは「純喫茶磯辺」、この欄での邦画は初めて見た。たまに、麻生久美子がレトロなウエイトレス姿で登場したりする予告を見かけていて、緩い笑いのテイスト作品の印象だった。

沢木さんは、「かもめ食堂」を連想する人もいるかもしれないが、全く似ていない、とのことで、舞台がヘルシンキVS東京近郊の商店街、インテリアや料理まで独特の「好み」を持つ女主人VSそういう定見を持たない主人と店名からしてのダサさ、という具合。

確かに「かもめ・・」の一種お伽話的ソフトな世界とは対極、客の来ない店の救いの女神となったウエイトレスを、流れ者のガンマンの主人公に重ねて、「遥かなる山の呼び声」「タンポポ」のように「シェーン」の流れを汲む、と指摘しているけれど、庶民的日常の暮らしの中の飲食店、という部分は「タンポポ」等に通じる空気が漂っていそうな。

最近見た中飲食店舞台の作品は「かもめ・・」「レミーのおいしいレストラン」「UDON」、「マイ・ブルーベリー・ナイツ」のジュード・ロウのカフェも印象的、「つぐみ」('90)でJR高円寺駅前の4丁目カフェという店がロケで使われていたり、やはり最もインパクト残っているのはいまだに「コーリング・ユー」のテーマ曲との砂漠の中の「バグダッド・カフェ」(’87)かもしれない。DVD「アジアンタムブルー」の途中。(http://www.isobe-movie.com/かもめ食堂(’05)http://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%83%

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2008/7/7

芸術都市パリの100年展  文化・芸術

東京都美術館で昨日までの、気になっていたこの展示に母と。最終日だけれど混雑ぶりはそこそこ。幕末の条約以来日仏の交流150周年記念、とのことで、1830年代〜1930年代の、パリをテーマにした絵画、彫刻、版画、写真等、5章に分けて150点の展示。

都市構築中の様子が絵の風景に表れていたり、エッフェル塔の仕上がっていく過程のセピアの写真、また写真コーナー解説に、1840年代にセーヌ河は200円位で水浴出来、芋の子を洗うような混雑になったので、人々が海に出かけるようになってリゾートブームが始まった、旨のくだり、ガンジス河ではないけれど、セーヌ河で水浴、というのはイメージ的にやや意外だった。

一番インパクトはルノワールの「ボニエール夫人の肖像」、光沢あるブルーのドレスと穏やかな表情、この絵だけでも何とか来た甲斐があったような。カードも買ったけれど、背景の赤の色が実物より濃すぎで残念。デュフィの作品等も久方に見かけたけれど、やはりカードには手が出ず。

その他ユトリロの「コタン小路」、これはもしかしたら見た事があり買っているかと思ったけれど、似た小路のカードはあったけれど違っていた。あとモネの淡い緑の「テュイルリー」、先日の「シルク」の風景が一部重なるようでも。アンリ・ルソー「粉引き小屋」等7枚。

それと目に付いた、金のエッフェル塔の刺繍入りのピンクの小型ハンドタオル。帰りに駅近くの店で、私は「冷やしゃぶごまだれサラダうどん」母は「冷し梅五目うどん」を食べて帰り、コシのある細めんタイプ、辛みたれもまあ美味しかった。先週土曜夜「ミューズの晩餐 南佳孝」録画。(http://www.tbs.co.jp/event/paris.html

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2008/7/6

シルク(’07)  その他

先日新作DVDリリースのカナダ・イタリア・日本合作のフランソワ・ジラール監督作品。原作はアレッサンドロ・バリッコの小説、19世紀のフランス、蚕の卵を求めて日本に旅する男、そこで出会った少女との無言の交流、美しい妻との夫婦愛等を描く大河ロマン。

やはり先日のトーク番組での紹介のように、旅のシーンが多く、主人公マイケル・ピットがフランス〜日本を3往復、でもロードムービーというより、馬車、列車、キャラバン、船、馬等での移動自体が、坂本氏の音楽にのせて、草原、氷原、海、雪山と美しい風景の中を行く映像美の連なり、という感。

物語も特に起伏、というより、蚕を求めての旅、という筋と並行して、秘めた想いの切なさ漂う感、日本での和服姿のマイケルと、科白が一切なく、仕草や視線で微妙な心情を表わす芦名星、短い文が渡されたり、2人の間の無言の空気は、「ラストサムライ」のトム・クルーズと小雪との雰囲気が思い出され、それをやや艶かしくしたような、という印象が。

芦名星は初めて見た女優、目線や唇等独特の芳香、役所さん演じる夫への忠誠の仕草、野外の温泉場での湯に身を沈ませるシーン等、存在自体がやや抽象的で、西洋人男性からの一時代前の、神秘的”日本”への憧れの象徴的女神像、という感も。

役所さんは今まで見た中、一番豪放な役、だったかもしれない。「SAYURI」に続き、舞台は日本でも英語を話せる役。「ラストサムライ」を重ねれば、渡辺謙がトム・クルーズと渡り合ったように、キャラクター的、ということもあるけれど、マイケルに押されてはいなかった、というか、余り馴染みなかったけれど、彼が日本人俳優にもフィットするソフトさだった、という感。

彼と接触した少年は、本郷君だったのだったけれど、彼とも割と自然な呼吸だったような。中谷美紀は「ホテルビーナス」で韓国語、はあったけれど、英語の科白を聞いたのは初めて。フランス舞台シーンが仏語、でなく英語なのが思えばやや違和感も。彼女が訳す日本からの手紙、それに秘められていた意外な苦しい想い、が1つのキーだった。

キーラ・ナイトレイは「プライドと偏見」以来、やはり緑と花の美しい背景での夫婦愛、彼女のためにマイケルが作った、西洋の庭園らしく左右対称のデザインのユリの庭が、何ともファンタジック、でも彼女の運命や、その語られなかった心の内、を思えば切ない美しさ、にも感じられたり。

また短いシーンだけれど、2人が出かけた海岸の、女性の腰から広がるドレスや日傘、日除けのテント等、舞台の19世紀の頃の好きな印象派、特にブーダンの海の絵のような、と少し感慨が。

またモチーフの日本の蚕は、千年の歴史があり、病気の心配もない優れもの、というような科白があり、ちょっと検索してみると、中国から技術が伝わって、奈良時代から養蚕が普及したようで、マイケルが蚕を求めて密貿易船で忍んで行く様子、酒田に着き最上川を上り、山形の山を越えて、という道程、また会話に陸奥、と言っていたし、東北の小さい村、という設定のようだけれど、多分それは江戸時代の鎖国中で、

終盤、公に日本が蚕の貿易の許可、というシーンがあって、それは開国時のようで、その後生糸が輸出の主力品として、日本の経済の発展に大きく貢献、と書いてあるサイトがあり、歴史の教科書でも載っているような当時の日本の輸出品、というモチーフが、ちょっと興味深かったりも。

内容的に、秘めた想いの趣が、取り方によっては薄味、またこれは女性向き作品、という感もするけれど、私には映像+音楽がほぼ心地よく見られ、割と好み的にはフィットの作品だった。(http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF-%E3%82%B9%E3%http://www.silk-movie.com/坂本龍一×役所広司〜世界が求める日本のカタチ〜

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2008/7/5

ミリキタニの猫(’06)  アメリカ

日本では昨年公開のリンダ・ハッテンドーフ監督作品。今日赤坂区民センターホールで、秋の東京国際映画祭のプレイベントでこの作品上映会、招待券が来ており、丁度見て来られた。NYの路上画家、日系人ジミー・ミリキタニの姿を追ったドキュメンタリー。一昨年同祭の日本映画・ある視点部門賞で最優秀賞だったそうで、公開時やや気になった作品。

当初、ラフな画風的にはそう好みではない、と思ったけれど、見ていく内に、ミリキタニ氏のキャラクターに馴染む、というか慣れてくるにつれて、絵にも味わいを感じてきた。路上のテーブルで製作、悠々と日々を過ごす中、9.11テロが起こり、さすがに路上にいられず、ハッテンドーフ監督宅に身を寄せることになり、

TVで事件を静かに眺める眼差し、描いたWTCの絵に、故郷の広島の原爆ドームの絵と同じような真っ赤な色、立ち込める黒い輪郭の煙。テロ自体については語られることがなかったけれど、NYでの彼の路上生活の中の出来事として、「その日」の喧騒も、まさにドキュメンタリーで映し出されていたのが、印象的。

居候生活、ではあるけれど、同監督が遅く帰宅すると、女性のする事じゃない、と説教したり等、という飄々とした憎めない物腰に、たまに笑いが起こったり。モチーフによく猫を描いていてタイトルにもなったようだけれど、同監督宅の猫もよく画面に登場していた。

一筋縄でいかない反骨精神、絵は5才から独学で始め、170人に絵を売った、と胸を張り、画家としてのプライドを持つこの人物と、同監督の、アーティスト同士、という部分でも、程好いバランスの人間関係的な部分が、そのまま作品になった肌身の温かさ、のような感触も。

また戦時中の日系人収容所での経験が、かなりしこりになってか、絵にも描かれていたけれど、言葉の端々にアメリカ、という国への反感、反動的に日本への愛着、鼻歌も日本の歌ばかりだった。

当時の収容所は「ヒマラヤ杉に降る雪」で描かれていたり、チャップリンの秘書だった高野虎市紹介番組等で触れられていたけれど、同氏はそこで姉と生き別れたまま、またその後、料理人という職を得ながらも、雇用主が死亡して結局路上生活に、という経緯も、当時の日系人の波乱の状況の断片が伺えたりも。終盤収容所の慰霊ツアーで想いのしがらみが溶けていく様子、エンドロールでの短くさり気ない、姉との再会シーンも目に残った。

’01年撮影当時80才、昨年70年ぶりに日本に帰省したり、いまだ元気なようで、赤いベレー帽に髭の風貌、波乱の人生を秘めて、陽気に淡々と過ごす、最近見た中では「胡同(フートン)の理髪師」の90才の老人等もいたけれど、朗々とした活力ぶりも。異色画家にスポットの作品、ではあるけれど、予想よりは、彼の周囲の人々含め、ほっこりとした人間味の余韻の味わいだった。(http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%82%http://www.uplink.co.jp/thecatsofmirikitani/

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2008/7/4

坂本龍一×役所広司 〜世界が求める日本のカタチ〜   分類なし・音楽

新作DVDの「シルク」を見ている途中、これの前に、今年初旬、作品に出演の役所さんと音楽担当の坂本龍一のトーク番組を録画したままだったので、それをチェック。坂本龍一は昨年「プレミアム10 YMOからHASへ」以来。

2人の海外での活動の中、やはり特にフランス等では、映画を文化、芸術として大切に扱っている、ハリウッドでの、関わる人の多彩さや多さ、徹底した作業の細分化、とか、システムの違い、坂本氏が自分はヨーロッパや日本型の少人数スタッフでの方がやり易い、等コメント。

「ラストエンペラー」「Shall we ダンス?」の話も出て、坂本氏がアカデミー授賞式で、映像に出ないカメラ、演出家、フロアの人々も、男性は全員タキシードだったり、進行はジョークまで書かれた台本通り読んでいく、完全に計算された世界、というのが面白かった、でもやはり呼ばれた時はひざがガクガクしたり頭が白くなって、一種の権威は感じ、普通にイーストウッドとかがいて、自分がここにいていいのかな、という現実的じゃない感じはあった、等回想。こういう話は多分初耳。

「Shall we・・」は、これをアメリカで見た坂本氏談交え、アメリカ人はパーティ好きでダンスは慣れていそうでも、意外と習慣なので仕方なく、で、主人公のようなシャイな人も多く、弱者が最後に勇気を持っていく、という展開が受ける要素もあって、海外で一般人の共感も得たのでは、等の話。

これは大貫妙子テーマ曲共に愛着あった作品、当時この作品がアメリカで展開していく本も読んだりしたけれど、リメイクもされる程に、というアメリカでの受け、というのはそういう日常背景も、と改めて。

坂本氏が、小津作品も、「東京物語」等の親子関係が判るのかな?と思うけど、意外と家族関係の共通感、というか、見て泣いたりするアメリカ人がいる等コメント、2人が西洋の観客の方が、作品を好意的に楽しもうとして来ていて、反応もダイレクト、日本人にはそういうフランクさがなくなってきて少し残念、とも。

それはお国柄とか、どの国でも発散タイプ、じっくり感動を溜めるタイプとか、個人差もあってのこと、とは思うけれど、見せる側、からすればダイレクト反応の方が、判り易い、のではあるのだろうけれど。

また、「バベル」のイリャニトゥ監督が、映画祭で来日の時、渋谷のコギャルを見て、映画に撮りたいと思ったらしい、とか、東京が海外から注目の場所だったり、ソフィア・コッポラが中野のある店がいい、と知ってたり、日本の事にかなり詳しい外国人も多く、言語が流暢等、という以前に、日本人として日本(の文化)を理解していないと価値がないし、かえってローカルであることの方が新鮮で、それが今の新たな国際水準では、等の話。

この2人の接点として、「バベル」の音楽担当が坂本氏だったそうで、それは知らずDVDで見たのだったけれど、ラストシーンの曲「Bibo no Aozora」を演奏。役所さんが、監督がこの曲を聞きながらシーンを撮っていて、俳優もテストの時この曲を聞き雰囲気を追いながら演じて、シーンにどんなイメージを持っているか、言葉よりもダイレクトに入ってくるので助かった、等コメント。

記憶ややおぼろげだけれど、ややメランコリックな曲バックに、科白も少ない微妙なシーン、演じる側にすれば心理的に、そういう音楽影響の要素も大きいかも、と。

「シルク」のフランソワ・ジラール作品は未見だけれど、結構音楽作品を扱ってきた監督らしく、今回フランスと日本舞台、ということでも、西洋東洋音楽を扱う坂本氏を希望、坂本氏は同監督と以前セッション、ピアノも割りと上手く、映画での音楽の使い方も、映像と音楽が深く関わっている、と。役所さんはミステリアスなムード漂わす、キーとなる日本人役。

この作品は、旅がテーマ、旅の時間を音楽で表わしていて、全編が旅(を回想)しているような作品、言葉が少なく詩的、物語の筋を追うのでなく、観客が感じていくような作品、とのことで、今回このテーマ曲も演奏。まだ見ている途中だけれど、確かにフランス〜日本間を、蚕を求めて主人公マイケル・ピットが行き来する展開。(http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B100022000プレミアム10 YMOからHASへバベル(’06)http://www.silk-movie.com/

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