2008/7/16

世界はときどき美しい(’06)  日本

昨年公開の御法川修監督作品。何気ない日常を生きる5人が主人公の、5短編のオムニバス。新作DVDリリース時に見ようとしたけれど、忙しなく未見のまま返却していた作品の1つ。シネポエム(映画詩)、という呼び声に気になった作品。

各短編が、それぞれの主人公のモノローグ形式で進むけれど、俳優よりも、周りのさり気ない日用品、風景の表情、美しさが目に残った作品。雑草、花弁、葉、グラス、氷、夜の川に揺れる街の灯、インドの石像、路面電車、自動販売機、森の草に埋もれた線路、川面でそよぐ木の葉、等。8mmカメラで撮ったという、印象派のような、光を捉えた映像。

そういうものの中で、日々暮し漂っている人間、その内面の思いが淡々と語られ、その手探り状態的な葛藤、孤独、疑問、幸福等が、垣間見えはしても、深く切り込む生々しさはなく、心象風景的に周囲に溶けていくようで、まさに”詩”のような作品。

一番印象的だったのは、冒頭の熟年ヌードモデル役松田美由紀のパート。道端の雑草、そのそれぞれに名があることに興味引かれたり、「・・厄介なことを一杯抱えこんでいるけれど、生きてきた、ということなんだと思う」というようなつぶやきが、ときどきは、美しくも見える世界(日常生活)の中で、生身の自分の生、というものを、声高に叫ぶ訳ではないけれど、肯定的に捉えていくしなやかさ、を思った。

少し異質だったのは2話目の、まさにバーで入りびたりの人、の意味の「バーフライ」、柄本明が夜の街を飲み歩き、さ迷うモノクロパート。折に黒地に白字の独白が入ったり、ノスタルジックでもあり、舞台の大阪の雰囲気、というより何処ともつかない無国籍な空間、随分と夜の飲み屋街なんて行ってないけれど、そういう場所が一面、やるせなさを包み優しく詩的というか、ファンタジックに見えた、珍しい作品、でも。

その他、5話の木野花と市川実日子母娘の、何気ない会話が良かったり、4話で天文台の研究者役で少し登場、懐かしい名、あがた森魚、の姿。音楽は、オペラ歌手鈴木慶江の伸びやかなソプラノが、作品の透明感にフィット、クレジットに大貫妙子とセッションしていたピアニストフェビアン・レザ・パネ、の名も。5話目で画面が暗かった部分、流れがややたどたどしく思えた所等もあったけれど、やはり先日の「シルク」のように感覚的には心地よく味わえた作品、だった。(http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AF%http://www.sekaihatokidoki.com/

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