2008/10/30

あおげば尊し(’05)−追悼・市川準監督ー  日本

元教師の父の在宅看護をする主人公の教師、その家族、生徒達の姿を描いた市川作品。原作は未読だけれど重松清の同名小説。この人は、やはり末期患者、家族の物語らしい大林新作「その日のまえに」原作者でもあったのだった。

末期医療題材だった市川作品「病院で死ぬということ」の群像劇的な患者達から、一人に焦点を絞って、その元教師、という背景、また自分もその職に就いている主人公を軸に、「病院で・・」よりは一つのドラマを掘り下げたという感が。

折にフェイドアウトして場面転換したり、ふと外界の風景が入ったり、というのも似ていたけれど、転換の間隔は長く、風景も「病院・・」での四季の美しさや生き生きした人々の様子、というより、冬の楚々とした木や植物、青空や満月といった静物画的なイメージ、が多かった。唯一学校の風景は、傘置き場の色とりどりの傘、運動場の子供達の遠景とか何気ないショットが生命感、を漂わしてるようだった。

市川作品での低学年の子供達、は初めて、やや純朴過ぎな小学生達、という気もしたけれど、インターネット授業を機に流行りだした死体サイト閲覧、それに対する言葉はせいぜいもどかしくも「死ではなく、生に興味を持て」としか、という所で、劇中教師が言っていたように、子供故の好奇心に、道徳やモラルを盾にした歯止め、も難しく、

現実的に、核家族化もあって祖父や祖母、またその死に目を体験する子供が減っていて、その上テレビゲーム、一部映画、番組、インターネット上等でのバーチャル感覚で、人の命、感情、存在そのものを実感出来ず、記号や数字等、でしか捉えられない、という子供(→大人)の傾向、を危惧する声は折に聞いたり見かけたり、日常実際感じる所ではあるけれど、

劇中では、希望者に自分の在宅看護中の父を世話させる、という異例の課外授業、それでも、それが心に訴えたという反応を見せたのは、伊藤大翔君演じる、幼い時父の死を体験しややトラウマになっている、多感な少年だけ。老いた病人の姿、その手を握り、その温もりに、閉じた心を開いていくくだり、元教師の老人の”最後の授業”、言葉よりも体感、というシーンには理屈抜きにじんわりしたけれど、

それでも、クラスの中、一人でも、というのが救いにも、一人だけ、というのが市川作品らしくも思えたりして、この作品に、特に道徳的な意図はなかったのかもしれないけれど、

子供に大々的にアピール、というには渋く地味な作品、ではあるけれど、少なくともこれを見た子供の中に、何らかの形の命の温み、というものを感じこそすれ、死体への興味をエスカレートさせ、無機的な犯罪へ走ったり、劇中、妻役薬師丸ひろ子が、父の葬儀で母が挨拶をしている最中、笑っていた参列者がいて哀しくなった、等とこぼしていたけれど、そういうどうも薄ら寒い麻痺感覚、を養っていく種になる可能性は低いと思う。

顧みれば私自身今更ながら、劇中の子供ではないけれど、様々な状況の中、身近な家族の死、というものに真摯に向かい合ってきたか、これたか、整理は出来たかというと、そう言い切れるものでもないのだけれど、この作品は、個人差で、「病院で・・」同様、やはり淡くあっさり美しすぎ、という批評、感想もあるのだろうけれど、

私にとっては、映像や科白とか総合して、そう押し付けがましすぎず湿りすぎず、突き放しすぎず、適度な距離感、温度、柔らかさで、そういうものへの一種の間接的慰みというのか導入テキスト、という感もして、1本の作品を見るのが妙に長く感じ、労力がいるケースもあるけれど、やはり他のほとんどの市川作品同様、自然と引き入れられ長さは感じなかった。

また唯一の薬師丸ひろ子出演市川作品、ではあるけれど、数ある彼女の出演作品中、今まで見た中で最も、薬師丸、ではなく単に劇中の一登場人物(テリー伊藤の教師の妻)として見た、という感がして、それは、テリー伊藤のオーラ、加藤武、麻生美代子らベテラン陣との脇役共演、という事もあったかもしれないけれど、市川マジック、というのか俳優<作品という図式を感じたりもした。

テリー伊藤の教師、というのは、ラフで不器用さもあり熱血すぎず、予想より意外に違和感なかったけれど、映画出演はこれだけかと思ったら、「花とアリス」に医師役で出演していたそうだけれど、今の所どうも登場シーンが思い出せない。

テーマ曲でありモチーフの「あおげば尊し」の曲は、さすがにやや古めかしい、ラストこの曲流れる葬儀も劇中そこだけ何だか大仰すぎ、という気もしたけれど、人柄を前面に出す訳でなく、エンドロールのモノクロの生徒の間を挨拶交わしながら行く後姿、で現したのみ、昔気質的な正道”教師”としての老父+その死を巡るドラマ、のニュアンスには、似合っている感だった。(http://www.aogeba.com/http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%8A%E3%81%92%E3%81%■追悼・市川準監督■BU・SU(’87)大阪物語(’99)東京マリーゴールド(’01)トキワ荘の青春(’96)会社物語(’88)東京夜曲(’97)東京兄妹(’95)竜馬の妻とその夫と愛人(’02)病院で死ぬということ(’93)たどんとちくわ(’98)「buy a suit スーツを買う」

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2008/10/28

東京国際映画祭で気になった作品  分類なし

東京国際映画祭が一昨日閉幕、今回の上映作で、見には行けなかったけれど、目に付いて気になった作品は、

「ザ・ムーン」:来年1月16日公開、NASAの世界初公開という月の蔵出し映像、が気になるドキュメンタリー。
「コトバのない冬」:渡部篤郎の初監督作品、高岡早紀主演+北海道の街舞台という興味。
「櫻の園ーさくらのそのー」:来月8日公開、割と好ましかった「櫻の園」('90)の中原監督によるセルフリメイク。
「少女ライダー」:遊園地の曲乗りオートバイライダーを目指す少女ヒロインのイラン作品。
「私のマーロンとブランド」:イスタンブールの少女がイラクの恋人に会いに行く、ロードムービーのトルコ作品。
「夏休みの宿題」:田舎町舞台、10才の少年の夏休みの様々な体験を描いたトルコ作品。
「親密」:印象的だった「ラヴソング」('96)の脚本家だったアイヴィ・ホー初監督作品、切ない社内恋愛の物語。
「WALL・E/ウォーリー」:12月5日公開、孤独なゴミ処理ロボット主人公の「ファインディング・ニモ」のスタントン監督新作。
「ブーリン家の姉妹」:先週末公開、ナタリー・ポートマンと姉妹役でスカーレット・ヨハンソン出演の歴史もの。
「モーツァルトの街」:音楽ものではなさそうだけれど、ソウル舞台に、様々な背景の人生が交差する物語。
「その日のまえに」:来月1日公開、大林宣彦監督新作、峰岸徹さん遺作ともなり、余命を宣告された妻、その夫の物語。

すでに公開中、公開予定・未定のものもあるけれど、折に触れチェック出来れば、と。最終日のデイリーニュース新聞の、コンペ部門の新聞社ジャーナリスト星取表では、「ダンフールのために歌え」「パブリックエナミー・ナンバー1(Part1&2)」が同数トップだったけれど、サクラグランプリはカザフスタン舞台の「トルパン」だった。先日新聞で指摘あったように、今回も余り興行成績に結びつく、という大衆にアピール的受賞作、ではなさそうだけれど、

大草原舞台で遊牧民の暮らしを描いている、とのモンゴル作品のイメージのような素朴なスケール感は少し興味引かれ、今の所公開情報は見かけないけれど、昨年受賞の「迷子の警察音楽隊」は沢木映画コラムで挙げていた事もあってDVDで見、割と好感だったのだったけれど、これはどうなのだろうか、とは。

10/29追記:昨日の朝日新聞文化面に、「同映画祭を振り返る/監督多彩 作品粒ぞろい」というタイトルの記事、それを読んで「buy a suit・・」スレッドに書いた分にも少し加え修正したけれど、「トルパン」についてはその他、ワールドプレミアでなく残念、という事や、主人公の若者が羊の出産を成功させる場面は、本物の迫力で強い感銘を与えた、等書いており、やはりモンゴルの「らくだの涙」等とイメージが重なったりするけれど、フィクション作品とはいえ、そういう日々自然と生きる遊牧民の、ドキュメンタリー的なテイストもありそうでも。(http://www.tiff-jp.net/report/daily.php?itemid=873http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=25迷子の警察音楽隊(’07)

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2008/10/27

ジョン・エヴァレット・ミレイ展  文化・芸術・映画

渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで昨日までのミレイ展に。やはり「オフィーリア」は見たかったので何とか行ったけれど、最終日だし思ったより混雑、入場まで半時間近く。日英修好通商条約調印150年記念のUK-Japan2008イベントの一環のようで、7章に分けて油彩、素描等約80点の展示。

やはりハイライトは実物「オフィーリア」で、緑の茂った草や藻、様々な種類の花に囲まれて水面に横たわる姿、その表情やポーズが、「ハムレット」のワンシーン、というファクターを超えて、何とも詩的。

ショップコーナー、解説パンフにそのシーンの福田恒存訳での「ハムレット」の一節と、絵のスミレ、ケシ、ヒナギク、ワスレナグサ、キンポウゲ、バラ、ノバラ、パンジー、ミソハギ、柳の指摘+各花言葉、漱石の「草枕」でのこの絵を語った画家の言葉、モデルのエリザベス・シダルのエピソード等。この絵はB4ポスターとカードを買った。これがミレイ22才の時に描かれた、というのも、晩年熟達での作品、という感がする訳でもないけれど、その若さにして、とやや意外だった。

”オフィーリア映画”で検索していたら、たまたま宮崎作品への影響のコメント記事を見かけ、先日特番を見たばかりでもあって少し感慨あったけれど、少し経ってから、昨年春の「プロフェッショナル」特番で、宮崎監督がロンドンで見て感銘を受けていたのが、この絵なのだった、と繋がって、改めて感慨が(http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyep/id128132_327529/)。「ハムレット」映画化はケネス・ブラナー版が見た最新、オフィーリア役はケイト・ウィンスレットだったのだったけれど、こういうエレガントな詩的映像は覚えなかった。

その他、ちょっとターナーのムードにも似たような、スコットランドの風景画群もあったけっれど、やはり肖像画が多く、特に第5章ファンシー・ピクチャーでの、自分の8人の子供達を描いた絵が印象的。

あどけなくキョトンとした表情の少女のグリーン系淡い色彩の「あひるの子」は、何度か見た覚え、と思ったら後で目録で、上野の国立西洋美術館所蔵なのだったと。この章でのカード入手は、少女が神妙に教会で話を聞いている「初めての説教」、その少女がうたた寝の「2度目の説教」。少女の赤いフード、タイツと黒い帽子がくすんだ背景に映えて、「初めて・・」の神妙な表情から、方向を変えて飽きて疲れた姿を描いた連作、ユニークでもあり視覚的にもインパクト。

その他カードはミレイの最も大判作品、でもある白いドレスの「ハントリー侯爵夫人」、やや中谷美紀似という感もある面差しの白いドレス姿。風景画で「露にぬれたハリエニシダ」

またカード、ポスター類はなかったけれど、その他印象に残ったのは、第2章物語と新しい風俗コーナーにあった「信じてほしい」という絵で、赤い上着の男性と、光沢ある茶色のドレスで後ろに紙を持っている女性が向かい合っているシーンが、色々なストーリーを想像させるようだった。後で、持ち帰った解説パンフでは、手紙を見せるよう父から言われている若い女性、の場面で、19世紀後半に、あいまいな物語性をもつ絵画として発達した「プログラム・ピクチャー」というジャンル、と。

「オフィーリア」だけが目当てのようなもので、これは好み的には、昨年上野でのダ・ヴィンチ「受胎告知」以上に、この一点だけでも価値が、という感だったけれど、この機に他の作品群も見られて良かった。和らぎの気分転換にも。でもやはりもう少し空いた平日に行っておけば、とは。

昨日は渋谷の街も東京国際映画祭の小幕が通りに並んでいた。昨日最終日でもあり、Bunkamuraの映画祭コーナーで、デイリーニュース新聞を初日分から通しで渡され持ち帰った。(ジョン・エヴァレット・ミレイ展プロフェッショナル 宮崎駿スペシャルプロフェッショナル 宮崎駿のすべて<1><2>

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2008/10/26

帽子〜老いた帽子職人と若き警備員の旅路(’08)  日本

先日録画した「風のガーデン 第3話」に、手違いで別の録画を重ねてしまい、残念ながら最後少ししか残っておらず、それは後日再放送かDVDで補って見るつもりだけれど、代わりに10日(金)夜放映の緒形拳追悼ドラマを録画したままだったので見た。

脚本は池端俊策氏で、「復讐するは我にあり」「楢山節考」等、緒形拳出演作を多く脚本担当、2本だけ監督、それが先日東京国際映画祭で話した映画ファンの人が、挙げていた緒形さん出演作の「あつもの」('99)と、「優駿 ORASION」('88)なのだった。「優駿・・」は3、4年程前何かの上映会で見に行き、ヒロイン斉藤由貴の覚えはあったけれど、確かめると緒形直人・拳親子が出ていたのだった。

広島の呉市が舞台、山本五十六も注文に来た、という父の代からの帽子屋を一人営む老いた主人公高山春平(緒形拳)、担当の警備会社の社員河原吾郎(玉山鉄二)、家の中で、仕事用のはさみがない、としょっちゅううろつく高山、あきれながらも面倒を見る河原、の2人のややコミカルな関係。そこに高山の幼馴染みだった女性、世津=河原の生き別れた母(田中裕子)が絡んでくる人情ドラマだった。

手作りの帽子屋、という、時代からは見放されていきつつある商売、でも主人公の仕事への一本気なプライド。また、東京に住む息子一家とは、夜の街で遊ぶ孫娘と携帯で短く話しただけ、会社勤めの息子が店を継いでくれる、と希望が、折に周囲への強気な言葉になってこぼれ落ちるものの、話に出るだけで登場もせず、その心身の空虚な距離感、というもの。

緒形さんはそういう機微を、渋くほのぼのと演じ、最新見た出演作「ミラクルバナナ」でも和紙職人役だったけれど、コツコツと帽子を作る職人姿も自然。母世津が余命わずかという知らせを受けても、わだかまりを持つ河原を、息子を跡継ぎの説得に行く付き添いに、という口実で、彼女もいる東京に連れて行く時の、やや強引、微妙な心境に立ち入りすぎ、という感もする振る舞いが、茶目っ気交え妙に憎めず、剛と柔の年輪、という印象。

玉山鉄二は見たのは「NANA2」以来、普通に熱演だったと思うけれど、母との対面は、オレンジの水面をバックに2人で歩くシルエットだけ、後で様子を新幹線内で高山に告げていたけれど、サラリとしすぎのようでもあり、母の警備員の仕事への好意の言葉から、気持ちが通じた事は感じられ、それはそれで良かったかも、とも。

世津が広島原爆の時、胎児だった体内被爆者で、身体的な影響や、結婚時受ける周囲の偏見、も背景にあり、そういう戦争の影も描かれていたけれど、少年少女時の高山が彼女をいたわり、彼女が彼に寄せる思慕、という自然な形の愛情が芽生える様子、

それはやはり昭和の時代の穏やかでノスタルジックな空気で、帽子屋自体がそういう風情、その40年後、時代の波に押されながらも一人で店を守る老人、という静かな反骨の姿、のようなニュアンスも。

学校でよく体調を崩す彼女を迎えに行き、背負って、桜の散る石段を何気ない会話をしながら降りていくシーンが、微笑ましく目に残った。

それは、高山が渡した練習に作った白い帽子と共に、ずっと世津の心に刻まれていた時間だった、というのが、時を経て、東京の小さな公園で、老いた2人が確かめ合う純愛の続き、という姿も美しく出来すぎかもしれないけれど、人の心の中の、空間や時間の距離に負けず、褪せずに刻まれた思い出、という温みがあった。

家庭に色々あったにしても、河原が実の父(岸田一徳)との会話で、ずっと敬語なのはやや違和感があったり、世津が余命数ヶ月、という状況、本人は気丈に普段通り振舞っているとしても、それを知っている現家族が、彼女がクリーニングの配達に自転車で一人で出かけるのを、止めたり心配する様子もなかったり、というのが不自然な気もしたり、

帽子廃止論で揉めた学校も、乗り込んで談判した高山の勢いに押されて、というのもあってか、存続の方向になっていたり、他の学校の注文話もあって、帽子屋も安泰、という現実的にはやや上手く行き過ぎ的、ではあったけれど、そういう所は、大量生産製品にはない、手作りの丹精込めた職人芸が、製品として正当に価値を認められ、生きながらえる希望、という後味的には良かった。(http://www.nhk.or.jp/hiroshima/eighty/boushi/ミラクルバナナ(’05)

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2008/10/25

プロフェッショナル 宮崎駿のすべて<2>  分類なし

8月に放映分が不手際で最初の30分だけ録画だった特集、先週金曜に再放送があったのでチェック、でも放映時間がTV欄より15分程ずれていて、タイマーでやはり最後の10分位は再び切れてしまったけれど、再放送あったのは良かった。前回書いた分の続きで。

やはり自分の病弱さ、母の病もあって、家にこもって手塚治の漫画を読んだり、自分で描く事に没頭、高3の時見た日本の初カラーアニメ「白蛇伝」に感銘、大学卒業後そのスタジオに就職して、想像力溢れる絵で頭角を現し、劣等感の塊だった自分の居場所がようやく出来た、と実感。

高畑勲監督との「アルプスの少女ハイジ」で、カメラを低く構えて子供の目線を大事にして、アルプスの起伏を生かし、躍動感溢れる画面を創り上げた、等の解説。どうもこのアニメ版「・・ハイジ」は記憶おぼろげだけれど、「口笛はなぜ・・」の主題歌はやはり馴染みあった。

「カリオストロの城」で映画デビューするものの、SFブームの波の中、企画を持ち込んでも取り上げられず、行き詰っていた中、アニメ雑誌編集者だった鈴木敏夫氏が漫画を連載しないかと誘い、それが「風の谷のナウシカ」で、1年後映画化、これが宮崎アニメブレイクに繋がっていったようで、プロデューサー鈴木氏との出会いが、そういう状況だったのだったと。

その時点で既に「となりのトトロ」「もののけ姫」等の企画が出来ていて、「・・トトロ」は13年お蔵入り、だったという状況、も改めて、で、怒りもあり辛かったけれど、企画を取り上げられないという恨みを抱いていても、つまらない人生になるし、さっさとしまっておいて、その間に風景シーンが引き出しに溜まっていって、13年後に創った方が内容豊富になっている、と。

やはり、その矢先に亡くなったお母さんの面影、というのが、宮崎作品に結構多く現れている、というのもこの特集で改めて、で、「天空の城ラピュタ」のド−ラ、「・・トトロ」の母、「ハウルの動く城」のソフィー、そして「崖の上のポニョ」のトキおばあさん等、でも写真での優しそうな面差し、ずっと病気だった、というイメージに合うのは「・・トトロ」の母位で、

その他は元気で男勝り、やや辛辣、というキャラクターなのが意外ではあるけれど、実際はそういう人だった、という思い出や、元気だった頃のお母さんへの思慕から、という感も。録画は「・・ポニョ」の製作追い込み中、宮崎監督が、宗介とトキばあさんとのやり取りを苦心して描いている所で切れた。

宮崎監督とって映画を創るというのは、どういう経験、どういう事なのか、という茂木氏の質問に、人を楽しませられなければ、自分の存在価値がない、というコメントで、そういう負からの視点の部分は幼少期の影響もありそうで、そういうスタンスもナイーブに作品に滲み出て訴える部分も、と。

机に向かう時間は昔の3分の1に減った、とマッサージを受けながら、の製作風景、「・・ポニョ」が最後の長編、とは前回も仄めかしていたけれど、再度、なるべく長い活躍を願いたくは思う。木曜夜「風のガーデン」録画。(http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080805/index.htmlプロフェッショナル 宮崎駿スペシャル「崖の上のポニョ」プロフェッショナル 宮崎駿のすべて<1>

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2008/10/25

SONGS 美輪明宏  音楽

先週と今週の「SONGS」は2回シリーズで美輪明宏、特に好き嫌いない人、でもやや苦手意識だった。歌ったのは「砂漠の青春」「ヨイトマケの歌」「花」「ミロール」「ボン・ボヤージュ」「愛の賛歌」。

余り歌手、という印象はなく、どうも歌声を聞いた覚えもなかったけれど、シンガーソングライターの草分け、でもあったそうで、昭和30年代にしてアンニュイなワルツの「砂漠・・」が印象的、「東京野郎と女ども」という映画のシーンが出て、ユニセックスファッションと呼ばれたらしい、ピーターのイメージが重なる、麗人風のクールな容貌。

そういう元祖ビジュアル系から、貧しい友人の母の姿に感銘して作った「ヨイトマケの歌」への180度転換。「父ちゃんのためならエンヤコラ・・」の部分は覚えあったけれど、この人の歌だったとは初耳だった。槙原敬之や桑田佳祐もカバーしている、と。

長崎での原爆体験もあり、母が子供を守るように覆いかぶさって亡くなっている親子の姿等の思い出、そこから感じた無償の愛、という事を語っていた。今回この人の「花」は、今まで聞いた他歌手バージョンの中でもしみじみ。

シャンソンで彼が表現するのも、恋愛を突き抜けた、究極の愛、無償の愛、とのことで、エディット・ピアフの「ミロール」「愛の賛歌」美輪版。ピアフは昨年「エディット・ピアフ 愛の賛歌」を気に具体的に知ったのだったけれど、折に忘れた頃に出てくる名。先日も「buy a suit・・」の劇中、妹の何かの問いかけに、兄が「それはエディット・ピアフになぜシャンソンを歌うのかと聞くようなものだ」等と答えるシーンがあったりした。

お人好しの娼婦が疲れた男性を必死に励ます「ミロール」、ヤクザな相手に恋したため身を落とした上流階級の娘の思いを語り+歌で、搾り出すような「ボン・ボヤージュ」、は短時間でも、やや切ない女心の一人芝居、を見ているような感覚。「愛の賛歌」は色々調べても、これ程の無償の愛、の歌はない、と。

俳優としては近年「ハウルの動く城」の荒れ地の魔女の声、が記憶に新しく、今回シーンが出て、宮崎アニメでは「もののけ姫」での山犬の長もそうなのだった、と。余りアーティストとしての馴染みなかった人だったけれど、幅広さや独自の豊かさを垣間見たようでも。先日、録画し損ねたけれど出演していた寺山修司の「書を捨てて街へ出よう」放映があったのだった。(http://www.nhk.or.jp/songs/archive/081015.htmlhttp://www.nhk.or.jp/songs/archive/index.html「エディット・ピアフ 愛の讃歌」

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2008/10/24

ハムーンとダーリャ(’08)  イラン

昨日東京国際映画祭で、気になっていたイラン作品を見てきた。公開情報は見かけないので一応ここに。全席指定、インターネット予約で大まかに前方ブロックを選び、割り当てだったのが前から2列目中央、通常視力の関係もあって大体5列目中央辺りに座るけれど、今回先日の「buy a suit・・」の時より広い会場、大き目スクリーンで、やや前すぎな感、でも席の変更が出来るか聞きにロビーに降りるのも億劫で、結局その席で。ティーチインの時は間近で見られて良かった。

ある村の少年ハムーンと少女ダーリャの仄かな恋、いとこ同士らしかったけれど、少女の兄がその恋を嫌悪、頑として認めず、少年との接触に激怒され、せっかんされたり、というのも伝統的なイラン女性の不自由さ、が感じられ、やや遠くで楽器を弾く少年に、光のシグナルを送った小さな鏡、が無残にも、踏み潰されてしまった様が、この恋の困難な行く末の暗示のようでも。

少年の老婆と暮らす家の貧しさが、周囲の反対の原因のようでもあったけれど、少年がドタール、という琵琶のような楽器の弾き手であるのも一因のようで、兄とその仲間に暴行されたりの苦境、叔父の村に出稼ぎに行くことに。

前半、その村での、バラ水を作る元になる、ピンクのバラの花がついた木々や花弁の山、冒頭、少女が摘んで密かに少年に渡そうとする赤い果実、また、絨毯の元になる、色とりどりに染められた紐の束が風になびく様子、少女が母と織る複雑な模様の絨毯等は、「風の絨毯」('02)を思い出したり、女性達のまとう様々な色・柄のブルガと共に、エスニックな色彩の潤い。

紹介画面のバラの花弁の籠を抱えた少女は、ダーリャでなく、その村で少年に恋心を抱き、花占いなどしていたものの、少年の心はダーリャにあるので、報われない少女の方、だった。

後半、ダーリャが不治の病に冒され、占い師だか予言師だか、の老婆の、遠くの湖の黒い魚を生きたまま食べさせれば治る、という忠告に、少年や兄と仲間達が、徒歩やらくだで険しい道のりの旅に出る辺りから、寓話というか、おとぎ話色が強くなっていき、

途中サソリ、蛇、盗賊に出くわしながらの旅、荒涼とした砂漠のチャコール、少年や兄達の白いターバンや質素な身なりでの、索漠とした映像が続き、結局少年と兄だけが残り、兄が渇きから、苦労して手に入れた魚を入れた水まで飲んでしまうのに対して、これは彼女の命だ、と頑として自分の魚は守ろうとする少年の姿に、兄も心情的についに彼を認めた、と思うけれど、

娘も無事回復、でも少年は、結局自分は理解されず陰口を言われるだけ、と村を去っていく、というラスト。これにはやや違和感もあったけれど、ティーチインで最後に質問した女性が、原作もあると聞き、寓話によくあるようにハッピーエンドでないけれど、あえてこの結末にしたのは?と尋ね、エブラヒム・フルゼシュ監督は、「原作はハッピーエンドだったけれど、この少年はもっと戦わなければならない、と思い、この結末にした」、との答えだった。

また、何点か尋ねた人の質問の中に、音楽をする少年、という芸術家と周囲の摩擦、という意味があるのか?というようなニュアンスの問いもあり、その答えは、他の質問への答えと混じって、「7つの海の冒険の話のように、7つの試練を一つ一つ解決していく話を想定した」、のような内容で、通訳を通しての表現の難しさもあるのか、やや曖昧だったけれど、

それは私も引っかかった所で、少年のドタールが兄一味に壊され焼かれてしまったシーンが、音楽をする芸術的な純粋さ、と周囲との摩擦の象徴、にも思えた。

主演の少年役のメヘラン・ゴルモハンマドザーデ君も、フルゼシュ監督と共にティーチインに登場、撮影当時16才、今17才らしく、スクリーンでよりも長身の感がしたけれど、目元すっきりの楚々とした少年で、折にはにかむような笑顔、司会の女性によると、舞台裏でも、お水はどうですか、等と女性に気を使う優しさが、と。

フルゼシュ監督が冒頭、キアロスタミ監督やジャリリ監督の名を挙げ、イラン作品のリアリズムに則って、今回も舞台のアフガンとの国境の町で、メヘラン君を見初めて起用、ミュージシャンでもあるそうで、全くの素人、というのではないかもしれないけれど、少なくとも演技は初めてのようだった。

今回の来日が初の海外体験で、渋谷に行ったそうで、感想を聞かれ、美しい街で、全く違う世界に来たと思った、等とコメント。イラン映画の俳優を直に見たのは4年程前のイラン映画祭のシンポジウムで、「ふたりのミナ」の主演女優ファタメ・モタメダリア位で、少年は初めてだったけれど、

スクリーンでの質素な民族衣装で後半土や砂にもまみれたり、の姿から、目の前のV字首のTシャツとズボン姿、髪型もオールバック風に整えて、の姿に、見る側も、異次元から空間移動してきた、というような気も。8才から歌を歌い、今回ドタールも自分で演奏した、と。

監督によると、彼が撮影が進むにつれて成長していき、実は相手役の少女に少し本気で恋していたので、病気を心配するシーン等は真剣だった、等のエピソードも。そう言えば「風の絨毯」の少年も、相手役の柳生美結に恋してしまい、文通していた等と聞いた覚え。後日談は聞かないけれど。

イラン人監督を直に見たのも、3年前東京フィルメックスでトークイベントでのジャリリ、ナデリ両監督位で、フルゼシュ監督は淡い口ひげがあり、穏やかそうな物腰ながら、毅然とした眼光というか、眼差しの人、という印象。日本では余り知られていないけれど、海外では寡作ながら評価されているベテラン、とのことで。

作品について、純粋さが真の愛情を生むと思うし、エロティックなシーンは入れないようにした、とのコメントだったけれど、多くを語り合わない(環境的に語り合えない)故の、余分な混じりもののない純愛の印象、でもあり、イスラムという文化風土の背景、もあって、純粋さと周囲との摩擦、それを超えるための苦難、という皮肉、とまでいかなくても、ある生き方をする人生の戦い、の象徴のようでもあり、

寓話的で筋的に最新劇場で見たイラン映画、ジャリリ作品「ハーフェズ ペルシャの詩」と重なるような部分もあったけれど、イラン版ロミオとジュリエット、との呼び声にしては何だか抽象的だった「ハーフェズ・・」よりは、こちらの方がそういう感もあって、

前半のイラン風物のカラフルな映像美+音楽や果実で気持ちを伝えあったり、いざとなったら相手のため危険を顧みない邪心のカケラもない恋心、巷の駆け引き劇には辟易、だと新鮮さも、という味わいのエスニックおとぎ話、という余韻だった。

アジアの風部門でイランの「少女ライダー」('07)もあったけれど、都合も厳しく、まあこの「ハムーン・・」の方が興味あって見られて良かった。昨日の映画祭デイリーニュース新聞の、コンペ部門の5新聞のジャーナリストによる星取表では、上映あった6作品中、「アンナと過ごした4日間」が一番星が多く、「コトバのない冬」「がんばればいいこともある」と続いていた。「がんばれば・・」は「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」の監督作だったのだった。デイリーニュース新聞はバックナンバー在庫切れの初日18日分以外は持ち帰った。(http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=9http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works105ハーフェズ ペルシャの詩http://www.stereosound.co.jp/hivi/detail

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2008/10/22

東京国際映画祭で会った映画ファン  分類なし

一昨日東京国際映画祭に「buy a suit スーツを買う」を見に行き、インターネットで当日券予約はしていたけれど、会場での自動発券器でチケット購入、という手続きもあったし、早めに出、会場を間違えたりしつつ、TOHOシネマズ六本木ヒルズで無事チケット入手、一息ついてアイスコーヒーを買ってロビー脇に座り、会場にあった映画祭デイリーニュース新聞を見ていた。

開場まで40分程あるし、「クライマーズ・ハイ」も持っては来ていたけれど、隣に座っていた、(舛添要一+デーブ大久保)÷2という感の40〜50代位らしき男性が「何かいいのありますか?」と話しかけてきたので、「buy a suit・・」を見に来たんですけれど、と答え、それを機に、映画の話が続き、

結構エスニックな作品はじめ、幅広くご覧になっているようで、映画祭のパンフを持って、作品に○、△、×等つけ、今回の一押しは、コンペ部門のインドネシア作品「アンダー・ザ・ツリー」で、そのガリン・ヌグロフ監督は、私は初耳だったけれど、本来コンペ部門に出る自体おかしい、等と熱心に言っていた。

「buy a suit・・」は余り興味がなさそうで、市川作品は「BU・SU」が、今娘持ちだけど当時富田靖子のポスターも貼っていたし、良かった、「さびしんぼう」はもう少し出番が多ければ、と。気になっていたイラン作品(「ハムーンとダーリャ」)はどうですか?と聞いたら、年をとった監督だけど、映像は綺麗なのは確かだと思う、等。このエブラヒム・フルゼシュ監督も初耳、後で検索したら、キアロスタミ監督より1才上で69才、同監督と映画スタジオを創設した盟友だった、と。

イラン映画では「桜桃の味」がお気に入りらしく、「友だちのうちはどこ?」等は知らなかったようで、一応お勧めはしておいた。デイリーニュース新聞に載っていた「コトバのない冬」は、高岡早紀はお好きなようで、作品自体は意外と良さそうだ、と。

最近見た新作では「パコと魔法の絵本」が面白かった、旧作では「愛のコリーダ」的だけれど杉本彩の「定の愛」が映像も魅惑的で良かった、等。黒沢清作品が好みのようで、「崖の上のポニョ」は、聞かれたので見たし良かったと思う、と言ったらそうでしょうね、と言われ、作品については賛否半々でまあ好意的、という感だった。

途中、今「櫻の園」の監督が通った、と言われ、昨夜「櫻の園ーさくらのそのー」上映の関係か中原俊監督が来ていたようで、「櫻の園」「苺の破片」は見たけれど、本人はTVでも画像でも見かけた覚えなく、見逃してしまった。「桜の園」は割と好きな作品、先日夜放映があったけれど「プロフェッショナル 宮崎駿」再放送と重なり保存録画出来なかった。

少し緒形拳さんの話になり、その人は「風のガーデン」は見てないようだけれど、「あつもの」が良かった、と言い、初耳だったけれど、菊の花が結構出てくる話のようで、後でチェックしたら「厚物」という菊の種類があり、それを咲かそうとする老人が主人公の話のようで、菊と言えばどうも「犬神家・・」のおどろおどろしさが思い浮かぶけれど、こういう作品もあったのだった。

そういう話をしている内に「buy a suit・・」開場時間になり、またもし見かけたら声かけて下さい、と言われ有難うございました、と別れたのだったけれど、私はごくたまに、友人と電話で映画の話になったり、一緒に見に行ったらその後食事しながら作品の話したりはするものの、そう日常に見ている映画好きの友人、知人は身近におらず、ああいう風に映画ファンと直に四方山話、というのは、思えばかなり珍しい事だった。

その人は、初日から毎日来て、インド映画等は見た、と言っていたけれど、映画祭ではこういう風にブラブラして人と話すのも好き、と。そう趣味が一致、という訳でもなかったけれど、通常の上映の劇場だったら、ちょっとありにくいケース、私にとっては久方に出かけた、映画祭ならでは、というムードも手伝って、という一期一会のちょっとした遭遇だった。

「コトバ・・」は渡部篤郎が初監督、という事ではそう気にならないけれど、高岡早紀と北海道舞台、での興味、渡部+高岡というのは、それで知り合ったかどうか不明だけれど、以前ストーカーのドラマ(「ストーカー 逃げきれぬ愛」('97)だった)で共演していた覚え。公開未定だそうで、後日DVD化確定でもないし、今日上映、気にはなりつつやや忙しなさもあり見送った。北海道と言えば松山千春の自伝映画化「旅立ち 足寄より」が明後日、好きな曲はあるけれど、人物的に興味今一つ。ずっと見ていないイラン映画の機会、「ハムーンとダーリャ」は明日か明後日だけれど、考慮中。(http://www.tiff-jp.net/ja/http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works9http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works5

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2008/10/19

風のガーデン(’08)〜第2話エゾエンゴサク  日本

引き続き先日の2話目録画で。やはり札幌に学会で来た医師白鳥貞美(中井貴一)と、富良野の祖父と子供達それぞれの進行。冒頭白鳥と北海道に来て、別ホテルの豪華な部屋を取ってもらった歌手の茜(平原綾香)、相手の生活や事情を察している風でもなく、どうも恋人とも言いきれにくそうな微妙な距離、そういうキャラクターなのか、媚というのでもないけれど、初回の方がナチュラルだったという感も。

白鳥と済界の曲者らしき二神達也(奥田瑛二)が、共に同じすい臓がん、と病名が判り進行具合も4Bという用語では同じようで、白鳥が横たわる二神に自分を重ねてしまう、という様子もあったけれど、片や折に痛みはあっても医師として日常生活を送り、片や再びひどい症状で病院に運び込まれ、というのが、個人差もあるのかもしれないけれど不可思議さも。

祖父の緒形さんは、今回ビニールハウスのそばでガッツ石松と話している時は、やや儚げな風情だったけれど、愛犬の蛍が死に、ショックを受けてなきがらを抱き沈む岳(神木君)に、暖炉の前で命について切々、朗々と語るシーンには、内からの静かな力強さというか魂を感じたりした。

毎回テーマの花に祖父が作る独自の花言葉、今回のエゾエンゴサクという青い花には「妖精達の秘密の舞踏会」、前回のスノードロップは「去年の恋の名残りの涙」、ロマンチック路線だけれどこれもちょっとした楽しみ。

白鳥が札幌の友人の医師(布施博)の病院で検査されている時、過去の亡き妻とのトラブルらしき回想の断片が浮かび、それが祖父と子供達との溝のようで。病気の影もあり、そういう亀裂も徐々に埋まっていく筋かとは思うけれど、家族の問題に、二神(や経済界の影)が絡むとしたらどうくるのだろうかとも引き続き思ったりも。金曜夜「プロフェッショナル宮崎駿」再放送、「SONGS 美輪明宏」再放送録画。(http://wwwz.fujitv.co.jp/garden/index.html風のガーデン(’08)〜第1話スノードロップ

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2008/10/17

たどんとちくわ(’98)ー追悼・市川準監督ー  日本

原作は椎名誠の短編小説、タクシー運転手と売れない小説家のフラストレーションを、2部構成で描いたブラック・コメディ。運転手役は役所広司、小説家役真田広之の「つぐみ」以外の市川作品出演、との事でも注目の作品。

前半、役所広司運転のタクシーが、色んな客が乗り込みそれぞれ好き勝手な話をしながら、東京の街を走って行き、流れていく都会の景色の移ろいで、ちょっと詩情もあるような雰囲気。でも淡々と運転していた彼が、客の横柄な言葉が癪に触り始め、

根津甚八演じる客に、ガラスの外の風景や帰って見るTV等、景色が流れていって、自分が取り残されているようで、というような心情、酒が飲めない故の世間での不利の愚痴等をこぼし、その辺はまだ日常の中の、自分という存在の希薄さ、倦怠感のような感もして、役所さんは基本的に人が良く誠実な故に、自分への客の空虚、邪険な扱いに苛立ちが溜まっていく運転手、という風情には似合っていた感。

こういう仕事をしていると、よく客にからかわれる、(客が語るように)本当に”たどん屋”をしているなら、たどんを作ってみろ、と泥場で車に積んでいた拳銃を手に詰め寄り、デ・ニーロの「タクシー・ドライバー」のパロディでもないとは思うけれど、彼がキレだしてから、見てきた市川作品、とは全く異質な流れ。

後半、真田広之の作家は、どうも最初から低気圧気味、古本屋での奇行、自分の小説の一部らしいモノローグがずっと流れ、「世の中なんてはじめっからみっともないおとぎ話なんだ」というようなくだりまでは、まだ鬱屈した芸術家の断片、のような感じもあったけれど、

ちくわを置いていないおでん屋の屋台での、下ネタ交じりの暴挙、馴染みの料理屋では、現実と幻想が入り混じっていき、「ない袖は振れない、身動きが取れない、自分を偽らなくては」等というモノローグが流れる中、徐々にキレて客や店員を襲い、脈絡のない展開に突入していったのは、「TAKESHIS'」等を思い出すようでもあった。

脈絡ないなりに、修羅場の映像にしても、スローモーション、散乱する血が赤でなく様々なパステルタッチの色のペイントだったり、市川テイストなのか割と端正な暴走シーン、などという感触もしたけれど、「TAKESHIS'」はどうも感覚的に合わなかったし、この作品も、日常中の市井の人、自分の世界を理解されない芸術家、のフラストレーション(の爆発)、という筋的背景はあるけれど、後味は今一つ。真田広之はこういう役柄で使いうらぶれた味を引き出す、のも才気かもしれないけれど、どうせなら叙情的市川作品での姿だったら、とは。

でもやはり序盤の様々な街の風景の趣や、雑踏をバックに「波よせて」というラップ混じりの曲が流れたのが、これもちょっとしたプロモーションビデオ風で印象良かったり、

この作品で一番驚いたのは、丁度役所さんがキレ始める辺りに、カーラジオでの「キューポラの街」に被さって始まり、吉田美奈子の「愛は思うまま」が流れたこと。最近ご無沙汰、コンサートに行ったのも随分前だけれど、愛聴シンガーで「愛は・・」も馴染みある曲の一つ。でもユーミンや大貫妙子等と違い、映画で使われたのは初耳、流れる都会の夜景に似合い、役所さん+吉田美奈子、というミスマッチ感も意外だけれど改めてさり気ないアンテナの幅広さ、には感慨が。

”たどん”は昔の火を起こす元の炭のような、とは薄っすら思い、身近にあった覚えもなく具体的に浮かばなかったけれど、木炭の粉を練った団子状の黒い燃料、だった。某サイトに、豆炭の事、とあり、そう言えば丸くはなかったけれど、寝る時足元に置いたあんかに入れていたのだった、と。

やはり作風イメージを覆す、模索の実験作的、かもしれないけれど、タイトルからしても、市川テイストの奇作、という感触だった。(http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9F%E3%81%A9%E3%82%93%E3%■追悼・市川準監督■BU・SU(’87)大阪物語(’99)東京マリーゴールド(’01)トキワ荘の青春(’96)会社物語(’88)東京夜曲(’97)東京兄妹(’95)竜馬の妻とその夫と愛人(’02)病院で死ぬということ(’93)

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2008/10/16

銀の街から(’08、10月)/東京国際映画祭  分類なし

今回朝日新聞第2火曜の沢木映画コラムは、火曜が休刊で昨日、上映中の「初恋の想い出」。中国版、生き残ってしまったロミオとジュリエットの「その後」の物語とも。’70〜80年の中国舞台、幼馴染みの少年と少女が、自然と愛を育むものの、2人の父同士の過去の確執、悲劇があり、少年の母は交際を認めようとせず、少年は一途な少女と母との板挟みになってしまう、という展開のようで、

沢木さんは同じフォ・ジェンチイ作品「故郷の香り」に似た設定、と指摘、でもこれは形的には故郷を去った男と残った女が別々の家庭を持つ、という筋で、この「初恋・・」では、2人それぞれの「肉親」が介在し、異性への「愛」と肉親への「情」がせめぎ合うので、「故郷・・」のような単純な展開にはなっていかない、と。

「故郷・・」は一昨年DVDで見て、離れてしまった互いと現配偶者の間の心の揺れ動き、はありつつ、そこに肉親の絡み等はなかったけれど、やはりジェンチイ作「山の郵便配達」('99)は素朴な父と息子の山間の郵便配達、という職を通した絆を描いていた印象に残る作品で、そういう肉親の情、というテーマがジェンチイ作品に絡むのも自然な感も。

ラストは記事では曖昧だけれど、観客の側の「愛」と「情」への考え方をあぶり出す、試験紙のようなものが含まれているように思える、と締めていた。「ロミオ・・」と言えば、その原点という「トリスタンとイゾルテ」映画化版が少し気にはなりつつ未見だったのだった。(http://www.hatsukoimovie.jp/故郷の香り(’03)、ションヤンの酒家(’02)

また今回コラムの隣に、今週末開催の「東京国際映画祭」の記事、カンヌ、ベネチア、ベルリンと並んで「4大映画祭」になれるか、という見出しで、そうなるには、力のある外国人ディレクターの必要、他の映画祭で上映済みの作品が多い10月という不利な時期、それを逆手にとって、リスクはあっても翌年の話題作の先物買いをすれば、等のベネチア映画祭ディレクターの提案。

また、今年就任の依田チェアマン談で、東京は広すぎて、他の海外映画祭のように街を挙げて歓待、という空気が出にくい、コンペのグランプリが興行に結びついていない、等の指摘。街の空気については、確かに余りメジャー感というより一定層向けイベントの中の一つ、というイメージ。

また「いろんな部門に手を広げ過ぎず、コンペ中心に本数を絞り内容本位にすべき」というような提案も載っていたけれど、多彩、ではあるかもしれないけれど現状の規模にしてはやや部門が多すぎ、という感も。

私はこの映画祭では一昨年「リトル・ミス・サンシャイン」等数作見て以来、今回当面目に付いて気になるのは18日の大林新作「その日のまえに」、20日の市川監督遺作「buy a suitスーツを買う」等だけれど、「その日・・」は無理そうで、「buy・・」は公開は来年5月らしいけれど、丁度追悼で市川作品を追っている折でもあるし、今の所都合は付きそうで、前売券は完売、当日券しかないそうだけれど出来れば見に行こうかと。(http://www.tiff-jp.net/ja/http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=143

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2008/10/15

地球街道 マダガスカル<2>  分類なし

先週土曜の「地球街道」は、水野美紀マダガスカルの旅の後半、最初少し欠けたけれど録画で。未舗装の所も入れて長いドライブ、広がる夕焼け空、疲労困憊で宿に。

そこは海の民ヴェズ族のムルンダヴァという村で、オレンジのクリーム状のものを顔に塗っている母達、それはタバキという植物の幹をすり潰した”日焼け止め”らしく、朝顔に塗って夜洗い流すそうだけれど、堂々と野外に出、外観は全く気にせずの美容法。野球選手が折に反射止めに目の下を黒く塗っているの等が重なったり。

わらぶきの質素な家、水野美紀が入った家は、そう広い、とも思えない空間に11人が暮らし、広いベッドと、夜はろうそくかも、との事で、電灯はないようだけれど、何故かステレオセット。

モザンピーク海峡を挟んで、沖合いにアフリカ大陸、という位置で、アニメでも海、動物達が辿り着いた海岸等綺麗だったけれど、大木から削りだす、シンプル、でも削り方等コツが入りそうな舟を作る男達、そのカヌーのような舟が、昔最初の住民が東南アジアからやって来た、という証拠、と。

終盤、やっと目的のバオバブの並木道、やはり改めて、トルコのカッパドキア等に劣らない神秘空間、な眺め。紹介あった「星の王子様」の、小さい星を囲んでいた大木の挿絵は薄っすら覚えがあったけれど、バオバブだったのだった。白い実は美味しくなさそうだったけれど、木自体は丈夫でロープや家の建材になったり、意外に生活に根付いてもいる、とも。

バオバブの若木は、途中に枝もある普通の木の様子で、年月が経つにつれて上の方にだけ枝をつけるようになる、というのも、余分なものをそぎ落としながら成長して老いて独自の形に、という感もするけれど、不思議なメカ。ラストの並木道の夕暮れ景色は壮大、宇宙と交信しているような、というナレーションもあったけれど、何処かSF的眺め。(http://www.tv-tokyo.co.jp/chikyukaidouhttp://www.tv-tokyo.co.jp/chikyukaidou/drivehttp://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%82%地球街道 マダガスカル<1>

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2008/10/15

SONGS スガシカオ  音楽

先週の「SONGS」はスガシカオ、歌ったのは「Progress」「19才」「黄金の月」「夜空ノムコウ」「コノユビトマレ」。好き嫌いというよりひたすら「夜空ノムコウ」の人、というインプット、異色SMAP曲、作曲の川村結花版(「夜空ノムコウ」)、杏里、東儀秀樹版等も聞いたけれど、今回浪人時代を過ごした御茶ノ水の予備校辺りを散策、看板では駿台予備校だったようで、「夜空・・」はその近くの小さな公園が舞台、

その頃の先の見えない迷い、屈折から「夜空・・」「19才」等の詞が生まれた、と。「夜空・・」は何か漠然と閉塞したナイーブさが良かったけれど、本人が言うにはそういうイケてない時代、がルーツだったのだと。尾崎豊等よりは、したたかでもあるというのか今風のやるせなさの表し方、という感じも。

サラリーマン生活を経て、貯金の百万円で機材を買って曲作りに篭り、ご飯に胃薬をかけて!空腹をしのいだ事も、とかで30才で遅咲きデビュー。その後「黄金の月」は、ポジティブなニュアンスを込めていて、是非世に出したかった曲、でも歌詞が難解すぎる、とシングルで出すのは大反対を受けたそうで、確かにストレートではないけれど何処か文学的香りもしたりして、今回割と気に入った曲。もう少し若いと思っていたら42才だったのだった。(http://www.nhk.or.jp/songs/archive/index.html

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2008/10/13

病院で死ぬということ(’93)ー追悼・市川準監督ー  日本

ある病院での入院患者、家族、医師と看護婦の様子を描いた市川作品。原作はホスピス医山崎章朗氏の小説。他作品と共にレンタルしていたものの、タイトルからして、また訃報続きの時期的にやや見るのが重い気分ではあった。でも実際見てみると、末期医療というテーマながら、市川マジックというのか、結構淡いタッチの瑞々しさもある作品で、見てきた中では双璧の「BU・SU」「つぐみ」に続く、市川作品マイベスト3にランクしても、と。

様々な患者、家族の群像劇の様相でもあり、主に6人部屋の向かい3ベッドや個室病室ベッドを固定カメラで捉え、患者達と医師役岸部一徳、家族、看護婦達との何気ないやり取り、終盤患者達が、不安から周囲に当り取り乱す姿も少しはあったけれど、大方は淡々と、穏やかな空気。

その病院の描写に、折にストーリーとは関連のない、外界の四季折々の、都会の街、下町の一角、行楽地、仕事場、そこで過ごす人々の姿、花火、花や緑の自然、等の映像がシンプルなピアノ等のメロディをバックに何度か、暫く流れたのがインパクトで、この作品の好感の元の一つ。

冒頭に市川監督の言葉で、「この映画のドキュメンタリー部分に映っている、多くの今を生きる方々に、心から感謝します」という旨のテロップが出たのだったけれど、

何気ない風景の数々が、病院、という空間と対比して、通常の作品より何だか瑞々しく鮮やかに見え”人生、生活(の喜び)って”、等という感慨のようなものが浮かんだりもして、スパイスとして効いていた、という感じ。

患者達では、最初に登場の、ツイン病室、というのか、老夫婦(山内明、橋本妙)が同じ病室でベッドを並べ、夫が妻に謎々を出したり微笑ましい風情。治療の関係で、妻が別の病院に移り、寂しがる夫と家族の意向で医師に相談、夫を妻に会わす事になり、病室No.と患者名がマジックで書かれた透明の栄養剤入りの袋、が街を走る映像が、何だか人情的温かみが漂う感で、印象的シーンだった。

人物のアップ等もなく、岸部一徳の医師が主、折に看護婦、終盤告知を受けた元サラリーマンの患者(塩野谷正幸)、の状況や心情のモノローグ、彼らの交流もおっとりとその患者の背景に触れたり、先日の「風のガーデン」での病院等のような、実質的な手術や病状のシビアさはほとんどなく、

岸部一徳の、病院は死ぬための場所でなく、良く生きるための場所であってほしい、という理想的モノローグもあったけれど、先日「SONGS」で知って本人は実際京都出身、劇中でもそういう設定、サラリーマン患者に訛からそれを当てられ、余り京都弁、というのは気付かなかったけれど、家族のために少しでも長く生きられるよう努めたい、という心境になった患者に、「なら、そうしまひょうか」等と対応していたのが最後のやり取りだった。

病院は、それぞれの患者の人生に立ちはだかってしまう物、という気がしてしまう、旨のモノローグもあり、怪我や回復を見越した病気で数ヶ月入院、という、考え方によっては人生の休憩場、とはニュアンスが違い、サラリーマン患者や、気丈そうな中年女性患者が、末期の段階で”家に帰りたい”と表す心情は、記憶的にもやはりしみじみした。

現実的にはどうなのか、行き倒れの身寄りない末期病人の男性(田村廣)が、治療を受け、看護婦のモノローグでは身奇麗になり、病室の人と写真を取り合ったりという交流をして、ある日空いたベッド、遺骸はケースワーカーが引き取った、というくだりがあり、”患者”という人格は持って扱われていたのもさり気なく市川作品らしさ、だろうかとも。

また「会社物語」とは趣が違うけれど、構成的に、やはり一貫した、というより、ドキュメンタリー部分の挿入含め、各シーンの積み重ね、で出来た作品、という感で、場面転換が多く、重くなりそうな展開が、ふっとフェイドアウトして小刻みに別シーンに逸れる、見方によっては浅い、綺麗に作りすぎ、なのかもしれないけれど、私にとってはテーマの重苦しさが軽減されて見やすかった、という後味。

良く知る俳優は岸部一徳位で、他は余り馴染みない俳優陣だったのも、この作品では良かった感。淡く、大げさに描かれる訳ではないけれど、絶望を超える、生を受けた事自体への感謝、それぞれの距離感での人の優しさ、普段の生活の中の何気ない美しさやありがたさ、のような余韻がしんみり残る、タイトルの物々しさ、よりは意外な異色の珠玉作だった。(http://www.amazon.co.jp/%E7%97%85%E9%99%A2%E3%81%A7%E6%AD%BB%E3%■追悼・市川準監督■BU・SU(’87)大阪物語(’99)東京マリーゴールド(’01)トキワ荘の青春(’96)会社物語(’88)東京夜曲(’97)東京兄妹(’95)竜馬の妻とその夫と愛人(’02)

★10/14追記:AOL表紙で知った、またもや訃報、峰岸徹さんが肺がんにて、享年65才、と。一癖ある渋さを持つ幅広い脇役ぶり、印象的だったのは、ドラマ「ニューヨーク恋物語」で田村正和のライバルで敵役の商社マン役、落ちぶれた正和さんを言葉でいたぶる時のニヒルな嫌らしさ、「高校教師」での桜井幸子の破滅型の父役等。

それとドラマで共演したアイドル岡田有希子の死に関係が、と噂が立った時の当惑ぶり。岡田有希子、の名も久方、1冊当時のエッセイ+イラスト本が手元に。吉川晃司と同期、正隆氏プロデュースもあったのだった。峰岸徹さんは市川作品出演はなかったけれど、「廃市」「さびしんぼう」等大林作品常連でもあったのだった。遺作も11月公開の大林新作「その日のまえに」に。ご冥福を祈ります。(http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2008/10/13/06.html

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2008/10/12

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