2008/10/4

東京夜曲(’97)−追悼・市川準監督ー  日本

東京の片隅にある「上宿商店街」に暮らす人々の姿、過去にさかのぼる大人の恋を描いた市川作品。近所の人々がたむろする「喫茶大沢」の女主人桃井かおり、その向かいの「浜中電気」の息子役長塚京三、その妻役倍賞美津子、彼女に密かに思いを寄せる上川隆也等出演。

桃井かおりは「トキワ荘・・」でも母役で少し出ていたけれど、主演で見たのは久方、特に好き嫌いない人、でもこういう市井のラフに年輪を重ねた女っぷり的役は、癖ある役より好感。長塚京三も久方、多くを語る訳でない、三角、四角関係的色々あった恋のもつれ、が重ねた年月で、フラットな人間関係になって、でもふと滲み出る思いの余韻、の雰囲気が出ていた。

舞台の下町の、小さな店の庶民的な街並み、折々の何気ない風景を捉えたショット、でもやはり夜のブルーに広がる空間に散らばる白いライトの点々、雲間に見え隠れする月、川面に浮かぶ街の灯り、狭い川沿いの道等、静かな夜景の味わいが目に残った作品だった。

「喫茶大沢」も本当に下町の喫茶店、という鄙びたムード、人々が碁をさしていたり、世間話をしたり、という溜まり場。夫亡き後、そこを経営してきた桃井かおり演じるたみが、終盤長塚京三演じる浜中に「たまねぎを切ったり、コーヒーをいれたり、という暮らしの中で意味を探しても、見つかるのはガラクタのようなもの、でもそのガラクタが、幸せな時があった」という旨の事を呟いていたのが、印象的。改めて、市川作品は日常の”ガラクタ”に温もり感を持ち何処かスタイリッシュに取り上げる、という味が、とも思う。

そのシーン含む、両親がいる岡山へ旅立つ前夜、一瞬2人のよりが戻ってしまったのは、本来生理的には、向かいが自分の家、の距離感でもあるし心情的にも嫌悪感、の所、過去のしがらみ含め、放蕩してきた夫に誠意、一定の理解を示して、たみとも友好を持つ妻が、そこまで包み込み許容するはずはないし、特になくても良かったシーン、とも思うけれど、何処か自然な流れ的でもあり、余りそういう違和感が起こらなかった。

桃井かおりが田舎で自転車に乗っているラスト〜エンドロールに、歌声は「タカダワタル的ゼロ」以来、高田渡の「さびしいといま」が流れた。高田氏の「生活の柄」は目下心のペース的テーマ曲の一つなので偶然でも少し感慨も。

長塚京三が歩いていた背後で、新橋の”ゆりかもめ”掲示が見え、その頃もうあったのだったかと思ったら、丁度この作品の頃の’95年開通だったのだった。舞台の「上宿商店街」は、葛飾区に実在のようで、そこがロケ地だったのかは不明だけれど、どこにでもある町の一角、日常の中の人生に丁寧に向けた視線、の味わい、という和みの感触。(http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%9C%E6%■追悼・市川準監督■BU・SU(’87)大阪物語(’99)東京マリーゴールド(’01)トキワ荘の青春(’96)会社物語(’88)「タカダワタル的ゼロ」

クリックすると元のサイズで表示します
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ