2008/10/17

たどんとちくわ(’98)ー追悼・市川準監督ー  日本

原作は椎名誠の短編小説、タクシー運転手と売れない小説家のフラストレーションを、2部構成で描いたブラック・コメディ。運転手役は役所広司、小説家役真田広之の「つぐみ」以外の市川作品出演、との事でも注目の作品。

前半、役所広司運転のタクシーが、色んな客が乗り込みそれぞれ好き勝手な話をしながら、東京の街を走って行き、流れていく都会の景色の移ろいで、ちょっと詩情もあるような雰囲気。でも淡々と運転していた彼が、客の横柄な言葉が癪に触り始め、

根津甚八演じる客に、ガラスの外の風景や帰って見るTV等、景色が流れていって、自分が取り残されているようで、というような心情、酒が飲めない故の世間での不利の愚痴等をこぼし、その辺はまだ日常の中の、自分という存在の希薄さ、倦怠感のような感もして、役所さんは基本的に人が良く誠実な故に、自分への客の空虚、邪険な扱いに苛立ちが溜まっていく運転手、という風情には似合っていた感。

こういう仕事をしていると、よく客にからかわれる、(客が語るように)本当に”たどん屋”をしているなら、たどんを作ってみろ、と泥場で車に積んでいた拳銃を手に詰め寄り、デ・ニーロの「タクシー・ドライバー」のパロディでもないとは思うけれど、彼がキレだしてから、見てきた市川作品、とは全く異質な流れ。

後半、真田広之の作家は、どうも最初から低気圧気味、古本屋での奇行、自分の小説の一部らしいモノローグがずっと流れ、「世の中なんてはじめっからみっともないおとぎ話なんだ」というようなくだりまでは、まだ鬱屈した芸術家の断片、のような感じもあったけれど、

ちくわを置いていないおでん屋の屋台での、下ネタ交じりの暴挙、馴染みの料理屋では、現実と幻想が入り混じっていき、「ない袖は振れない、身動きが取れない、自分を偽らなくては」等というモノローグが流れる中、徐々にキレて客や店員を襲い、脈絡のない展開に突入していったのは、「TAKESHIS'」等を思い出すようでもあった。

脈絡ないなりに、修羅場の映像にしても、スローモーション、散乱する血が赤でなく様々なパステルタッチの色のペイントだったり、市川テイストなのか割と端正な暴走シーン、などという感触もしたけれど、「TAKESHIS'」はどうも感覚的に合わなかったし、この作品も、日常中の市井の人、自分の世界を理解されない芸術家、のフラストレーション(の爆発)、という筋的背景はあるけれど、後味は今一つ。真田広之はこういう役柄で使いうらぶれた味を引き出す、のも才気かもしれないけれど、どうせなら叙情的市川作品での姿だったら、とは。

でもやはり序盤の様々な街の風景の趣や、雑踏をバックに「波よせて」というラップ混じりの曲が流れたのが、これもちょっとしたプロモーションビデオ風で印象良かったり、

この作品で一番驚いたのは、丁度役所さんがキレ始める辺りに、カーラジオでの「キューポラの街」に被さって始まり、吉田美奈子の「愛は思うまま」が流れたこと。最近ご無沙汰、コンサートに行ったのも随分前だけれど、愛聴シンガーで「愛は・・」も馴染みある曲の一つ。でもユーミンや大貫妙子等と違い、映画で使われたのは初耳、流れる都会の夜景に似合い、役所さん+吉田美奈子、というミスマッチ感も意外だけれど改めてさり気ないアンテナの幅広さ、には感慨が。

”たどん”は昔の火を起こす元の炭のような、とは薄っすら思い、身近にあった覚えもなく具体的に浮かばなかったけれど、木炭の粉を練った団子状の黒い燃料、だった。某サイトに、豆炭の事、とあり、そう言えば丸くはなかったけれど、寝る時足元に置いたあんかに入れていたのだった、と。

やはり作風イメージを覆す、模索の実験作的、かもしれないけれど、タイトルからしても、市川テイストの奇作、という感触だった。(http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9F%E3%81%A9%E3%82%93%E3%■追悼・市川準監督■BU・SU(’87)大阪物語(’99)東京マリーゴールド(’01)トキワ荘の青春(’96)会社物語(’88)東京夜曲(’97)東京兄妹(’95)竜馬の妻とその夫と愛人(’02)病院で死ぬということ(’93)

クリックすると元のサイズで表示します
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ