2008/10/26

帽子〜老いた帽子職人と若き警備員の旅路(’08)  日本

先日録画した「風のガーデン 第3話」に、手違いで別の録画を重ねてしまい、残念ながら最後少ししか残っておらず、それは後日再放送かDVDで補って見るつもりだけれど、代わりに10日(金)夜放映の緒形拳追悼ドラマを録画したままだったので見た。

脚本は池端俊策氏で、「復讐するは我にあり」「楢山節考」等、緒形拳出演作を多く脚本担当、2本だけ監督、それが先日東京国際映画祭で話した映画ファンの人が、挙げていた緒形さん出演作の「あつもの」('99)と、「優駿 ORASION」('88)なのだった。「優駿・・」は3、4年程前何かの上映会で見に行き、ヒロイン斉藤由貴の覚えはあったけれど、確かめると緒形直人・拳親子が出ていたのだった。

広島の呉市が舞台、山本五十六も注文に来た、という父の代からの帽子屋を一人営む老いた主人公高山春平(緒形拳)、担当の警備会社の社員河原吾郎(玉山鉄二)、家の中で、仕事用のはさみがない、としょっちゅううろつく高山、あきれながらも面倒を見る河原、の2人のややコミカルな関係。そこに高山の幼馴染みだった女性、世津=河原の生き別れた母(田中裕子)が絡んでくる人情ドラマだった。

手作りの帽子屋、という、時代からは見放されていきつつある商売、でも主人公の仕事への一本気なプライド。また、東京に住む息子一家とは、夜の街で遊ぶ孫娘と携帯で短く話しただけ、会社勤めの息子が店を継いでくれる、と希望が、折に周囲への強気な言葉になってこぼれ落ちるものの、話に出るだけで登場もせず、その心身の空虚な距離感、というもの。

緒形さんはそういう機微を、渋くほのぼのと演じ、最新見た出演作「ミラクルバナナ」でも和紙職人役だったけれど、コツコツと帽子を作る職人姿も自然。母世津が余命わずかという知らせを受けても、わだかまりを持つ河原を、息子を跡継ぎの説得に行く付き添いに、という口実で、彼女もいる東京に連れて行く時の、やや強引、微妙な心境に立ち入りすぎ、という感もする振る舞いが、茶目っ気交え妙に憎めず、剛と柔の年輪、という印象。

玉山鉄二は見たのは「NANA2」以来、普通に熱演だったと思うけれど、母との対面は、オレンジの水面をバックに2人で歩くシルエットだけ、後で様子を新幹線内で高山に告げていたけれど、サラリとしすぎのようでもあり、母の警備員の仕事への好意の言葉から、気持ちが通じた事は感じられ、それはそれで良かったかも、とも。

世津が広島原爆の時、胎児だった体内被爆者で、身体的な影響や、結婚時受ける周囲の偏見、も背景にあり、そういう戦争の影も描かれていたけれど、少年少女時の高山が彼女をいたわり、彼女が彼に寄せる思慕、という自然な形の愛情が芽生える様子、

それはやはり昭和の時代の穏やかでノスタルジックな空気で、帽子屋自体がそういう風情、その40年後、時代の波に押されながらも一人で店を守る老人、という静かな反骨の姿、のようなニュアンスも。

学校でよく体調を崩す彼女を迎えに行き、背負って、桜の散る石段を何気ない会話をしながら降りていくシーンが、微笑ましく目に残った。

それは、高山が渡した練習に作った白い帽子と共に、ずっと世津の心に刻まれていた時間だった、というのが、時を経て、東京の小さな公園で、老いた2人が確かめ合う純愛の続き、という姿も美しく出来すぎかもしれないけれど、人の心の中の、空間や時間の距離に負けず、褪せずに刻まれた思い出、という温みがあった。

家庭に色々あったにしても、河原が実の父(岸田一徳)との会話で、ずっと敬語なのはやや違和感があったり、世津が余命数ヶ月、という状況、本人は気丈に普段通り振舞っているとしても、それを知っている現家族が、彼女がクリーニングの配達に自転車で一人で出かけるのを、止めたり心配する様子もなかったり、というのが不自然な気もしたり、

帽子廃止論で揉めた学校も、乗り込んで談判した高山の勢いに押されて、というのもあってか、存続の方向になっていたり、他の学校の注文話もあって、帽子屋も安泰、という現実的にはやや上手く行き過ぎ的、ではあったけれど、そういう所は、大量生産製品にはない、手作りの丹精込めた職人芸が、製品として正当に価値を認められ、生きながらえる希望、という後味的には良かった。(http://www.nhk.or.jp/hiroshima/eighty/boushi/ミラクルバナナ(’05)

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