2008/11/30

いちご白書(’70)  アメリカ

先週水曜放映録画を見たスチュアート・ハグマン監督作品。子供の頃シングル盤を買った「「いちご白書」をもう一度」以来、ずっと気にはなりつつ未見だった作品。この曲での「いちご白書」という映画のイメージ、がある種神聖で、見るのを無意識に避けていた、という面もあった。遅まきながら、ではあるけれど、この放映を機にやっと。

原作はジェームス・クネンの体験記、’68年アメリカのコロンビア大学での学園紛争、その渦中にいたボート部の学生サイモン(ブルース・デイヴィソン)と女子大生リンダ(キム・ダービー)との恋愛、学生運動の高揚を描いた青春物語。

冒頭と最後に流れたバフィ・セント・メリーの「サークル・ゲーム」はいつか聞いて知っていた。ジョニ・ミッチェルの作った曲で、本人バージョンもあったのだった。この明るいテンポにのせて、無常な時の流れを歌う曲が、微妙な切なさ的に、絶妙にマッチ。その他挿入曲も、女性シンガーでの「天国への扉」、その他曲名は浮かばないけれど聞き覚えが、というメロディがちらほらと。

作品もコロンビア大学かと思ったら、サンフランシスコ舞台だったのが意外、後でサイトで大学はカリフォルニア大学のバークレー校がロケ地、と見かけた。コロンビア大学は以前N.Y.の旅で立ち寄って、作品は未見でも、ここが「いちご白書」の舞台、という感慨もあったのだった。撮影許可が下りなかったそうだけれど、映画の舞台、ではなかったのがやや残念。SFも別の時行ったけれど、バークレーまでは足を伸ばさなかった。

大学当局が、近所の公園に予備将校訓練ビルを建てようとした事が発端の、学生達のストライキ。学校に立て篭もり、熱く語る学生達、壁にはチェ・ゲバラの大きなポスターが何枚も。折に起こる警官達との衝突。最初は見かけたリンダの方が気になり、興味半分で参加したサイモン、2人の間に生まれる淡い恋、運動に対しても、大学の腐敗、アメリカ自体の状況を憂えていながらも、破壊活動への嫌気も示し、距離を置いた態度。

でも友人が暴行を受けたり、という体験の中、警察は戦争屋じゃなく、平和を叫ぶ市民を暴行している、等と憤り、次第に理不尽さへの意識が高まっていく変化。でも彼らの活動自体、高揚を楽しんでもいるような、一種の若さの中のお祭り、それでも純粋な正義感という筋を内に持つ健気な行動、という印象があったけれど、

終盤、学生達が講堂で幾つもの輪を作って座り込み、床を叩きながらジョン・レノンの「Give Peace a chance」を歌うシーンは、何だか最近の「アクロス・ザ・ユニバース」での「Let It Be」等よりも、臨場感あってインパクト残り、深く響いてきた。

乱入してきた警官が放つ白い催涙ガス、殴られ、棒で叩かれながら引き立てられていく学生達、容赦ない、露骨な”夢”の終わり、血に染まったリンダの顔、そして警官を振り解いて階段から飛ぶサイモン、のストップモーション。このラストは、「いちご白書をもういちど」('76)という本で、知ってはいたのだけれど、久方に何か、熱っぽく込み上げて来るものがあった。実際こういう作品だったのだ、と。

ドキュメンタリータッチでもあり、キム・ダービーの無邪気な瑞々しさ、メガネのブルース・デイヴィソンの、はにかんだような笑顔と若い一途さ。やはり日本でも学生運動を体験した世代だと、この作品に、何処かリアルな感慨あるようで、私はその後の世代だけれど、前から、そういう時代に生まれ、傍観するのではなく学生運動に加わってみたかった、等と思ったりする。

そういう中で、もしかしたら、挫折もあったとしても、もっと違う自分になれたのではないか、とか、もっと真剣な恋愛も、出来たんじゃないか、とも。それは結局蜃気楼を追うようなもの、かも知れないけれど、青春の中で価値がない、とも思えない、何だかそういう苦め甘酸っぱさも残った作品だった。

単行本「いちご白書をもういちど」は、曲の提供者ユーミンと歌ったバンバン編著の、曲と同じ頃の本で、いまだに手元にあり、レコードはもうないけれど、曲自体、やはり改めて懐かしく、「学生集会」とか「雨に破れかけた街角のポスター」とか、ある時代のある層の青春(の風景)、をユーミン的に斬った名曲の一つだった、と。

今回、ばんばひろふみの大人しい印象の相方の名が何だったろうと、検索していて、今井ひろし、と判ったけれど、この曲のブレイク前、高山厳もバンバンのメンバーだった、とは初耳だった。「いちご・・」の一発ヒット、だったけれど、次の「霧雨の朝突然に」も買い、サビのフレーズが、あるクラシックの曲に似ていた覚え。あとシングルはさだまさしの「縁切寺」もあったのだった。また検索中、全く内容は関係なさそうだけれど、同名「いちご白書」という小田茜、安室奈美恵等が出ていたドラマがあった、と見かけたり。

本は、おそらくユーミンが書いたらしき短編小説、後は筆者名が出ているのは東京キッドブラザーズ東由多加のみ、その他バンバンの2人以外にも複数筆者はいるようだけれど、そこら辺は不明、色々と「いちご白書」もたまに絡んで、60〜70年代の頃をラフに回顧しているエッセイ集。

あとがきで、「いちご白書」再映を見たユーミンが、「当時としては、ずいぶんソフトだと感じていたものの、やはりニューシネマの雰囲気が色濃く漂い、今となっては”あせた”という感はまぬがれず、内心心配でした。でも、ラストシーンになった時、私はしばらく忘れていた本当の感激を、本当の涙を取り戻せた気がしました。」等とコメントしていた。

本の中に、「「いちご白書」をもう一度」という映画を作りたい、という文章があって、主役は泉谷しげる、相手役女の子は「同棲時代」で脱ぐ前の由美かおる、監督は黒木和雄さんか藤田敏八さんで、68〜70年代の青春を!ということだけれど、

冒頭の(多分)ユーミンの小説は、昔の知り合いの男女が大学で先輩後輩として再会、カップルになり、歌の通り、授業を抜け出して「真夜中のカウボーイ/いちご白書」を見に行き、ラストで涙ぐむ彼女、正月に急に冬の海が見たい、と言い出し、2人で始発で茅ヶ崎に行ったり、等のくだりが印象的な純愛モードで、彼の方の就職活動もあったり、自然に離れていくのだけれど、別れ際の駅での切ない描写とか、少し読み返してみたけれど、やはり結構好ましい珠玉作、の感触。

小説も知る限りこの1編だけ、本人は小田さんや桑田佳祐のように映画を作る、という意志はなさそうだけれど、昭和回帰ブームの今日、曲自体の色は霞んでいたけれど「22才の別れ」映画化もあったりしたし、先日のこの「いちご白書」放映を機に、誰かが触発され、(出来ればこのユーミン小説を原作に)映画化企画、とか持ち上がらないだろうか、等とふと思ったり、ひっそり深夜放映でもあったし、まず有り得ないだろうけれど。でも一応配役を考えてみたりして、どうも誰もしっくりこず、あてがうなら誰かイメージの真っ白な新人カップルで、と。

そういう曲や本の絡みもあって、何かと思った作品ではあるけれど、タイトルの「いちご白書」は、学生運動に対して大学当局が、それはいちご(”赤”の共産主義色のニュアンスも)を欲しがるようなものだ、という声明から、という事を、劇中の科白で今更かもしれないけれど知ったのだった。そう言えば「アクロス・・」で「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」が流れ、絵の具や苺の赤が散乱したりして、ベトナム戦争の悲惨さを現すシーンだったけれど、そういう含みもあったのだろうか、等と今になって思い返したりもした。木曜「風のガーデン 第8話」昨夜「美の巨人たち ドガ」等録画。(http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD754/アメリカの旅<5>いちご白書をもう一度(’75)

★12/5追記:この原作はどんなものか読んでみたい、と思い、角川文庫になっているようで、余り本は増やしたくないし、図書館で数日で取り寄せが出来て今日手元に。当面「ホームレス中学生」があり「クライマーズ・ハイ」も途中のままなのだけれど。コロンビア大学の学生だったジェームス・クネンが19才の時に書き、その後の著作はないようだけれど、当時若者のカリスマ的存在になった、と。背表紙に写真と短い紹介があり、’48年生まれで、今60才位のはず。

本文の後に、作品中、現時点から見れば差別的で不適切と思われる語彙・表記があるけれど、作品が書かれた時代背景や作品の持つ文学性を考慮し、原文のままとした、と但し書き。昨夜「風のガーデン 第9話」録画。(http://www.amazon.co.jp/%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%94%E7%99%BD%E6%9B%B8%

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2008/11/27

春、バーニーズで(’06)ー追悼・市川準監督ー  日本

昨日「つぐみ」で追記したように、ネットレンタルDMMで発見、見た市川作品。WOWOWで放映ドラマで、原作は吉田修一の短編集。子連れの相手と結婚したサラリーマンの、他愛なく幸せな日常、その中でふと別の世界に足を踏み入れてしまう物語。

妻の瞳役寺島しのぶは市川作品で初めて、やはり本来の線太な女優の香、はあったけれど、市川マジックでの寺島、というのか、ふとした表情等、この人が何だかリリカルにも見えた珍しい作品。主人公筒井役西島秀俊は市川作品では「トニー滝谷」でナレーション、その時主人公が、原作のイメージ的には、イッセー尾形でなくこの人だった方が、とか思って書いたけれど、今回、飄々とした日常の中にふと惑いを見せる30代の男、のムードは出ていた気がした。

舞台は、一家の最寄りが聖蹟桜ヶ丘、の駅名が見えたけれど、そこから京王線で西新宿のオフィス街に通う、という筒井の日常。新宿駅からビル街へ続く地下道等、たまに歩いても、いまだにどうも私は馴染めない風景。やはり「buy a suit・・」でも触れていたけれど、私自身の東京への都会的風景への違和感、具体的に言葉にし難いけれど、今回も、それを何処か身近に馴染め易く繋いでくれるような映像、という感触がした。

女性として完成、傍にいて疲れない妻、自分に懐いている幼い義理の息子、どうも入り婿のようだけれど、サバサバ接する義母に囲まれ、穏やかな日常の中、冒頭のシーン、そして回顧からその時点に戻る構成で、買い物に行った「バーニーズ」で、自分が昔世話になったオカマ(田口トモロヲ)との再会を起点に、少しずつ現れる非日常、への意識。

目に見える疎外感は、月一回の息子が実の父に会う、という決まり事、位で、後は会社での口喧しい上司、等特にストレスの高まりが描かれる訳ではないけれど、瞳のふとした遊び心で2人でした”衝撃的な嘘のつきあい”の中の、相手の不穏な過去の匂い、とか、そういう感覚の種はちらほらとあったり、

14,5年前高校の修学旅行で、日光東照宮へ行った時、その一角の石の下に置き忘れてきた腕時計、の想い出話、それがもし今もあるとしたら、瞳の妹の画家(栗山千明)が「もう一つの時間が流れているかも知れない」等と言ったのが伏線で、ある朝、ふと会社の前まで来て引き返し、日光行きの電車に。もし時計があれば、このまま何処かへ消えてしまおう、とモノローグ。

で、日光東照宮がもう一つの舞台、時計は、あるメンタル的逃避先、の抽象的モチーフ、ではあったとは思うけれど、あの一角なら、十何年前の置き去りにした時計がそのまま、というようなファンタジー的な出来事が、実際人目につく場所でもなく、もしかして有り得るような、という森閑とした空気。

日光は何年か前初めて旅したのだったけれど、劇中と同じく浅草から東武線で行ったのだった。「buy a suit・・」の隅田川の橋辺りのシーンも少し。市川映像での東照宮の石畳、赤い門、建物、彫刻等、風景が少しではあったけれど、懐かしかった。駅前のバス停で筒井が座ったベンチに「ゆばアイス」の旗が立っていて、もう味は覚えていないけれど、旅の帰途駅前の店で「ゆば」を食べたのを思い出したりした。

妻からすれば夫の、何気ない日常からの突然の逸脱、と言えば「幻の光」('95)等思い出し、この「春、・・」の主人公はあのように、そういう誘惑に駆られはしても、消えたきり、にはならなかったし、そういう本当の危うい深みや痛みの描写、というには、淡く軽い、とも思えるけれど、

西島秀俊が特典映像で、この作品について、生きていて、色んなことに誠実であろうとする程、色んなものを背負い込むけれど、そういう背負い込んだもののお陰で救われる事もあると思う、等と言ってたのが印象的。律儀に誠実なゆえ損したり、嫌な思いをしたり、この主人公のようにある種繊細で悩んだり、軽く合理的な方が現代人としては過ごしやすいのだろうけれど、程度を越すと、そのため人として失くしているものも多い、とも改めて思う。

日常と思っているものの合間に潜む、自分自身の過去、身近な相手の自分が知らない過去、ふとした倦怠、からも、ある感性の人間にとっては、別の日常が、有り得るのではないか、と信憑性帯びる思い、というパンドラの箱、を覗き開けかけた危うさ、を斬った物語、というような感触だった。

市川監督は、30代の特に都会に住む男性の共感、を描けるか、またそういう時代を背負って行く人達を「頑張れよ」と応援したい気持ちもあった、とのことで、そういう意味では、様々な惑いがあり、日常の隙間、にもふと陥ってしまったりするのが人間ではあるのだけれど、自分の芯を大事にしながら日々歩んで欲しい、という応援的ニュアンスかとも。

筒井の息子文樹役の渋谷武尊君、が素直さが嫌味でないナチュラルさ、義理の母役の倍賞美津子もさばけていて、こちらはさり気なく”日常”に根をおろした風格、を漂わせていた。この作品で本当に当面、未見の市川作品、再度書いておくと「ノーライフキング」('89)「ご挨拶」('91)「クレープ」('93)「きっとくるさ」('93)「晴れた家」('05)は見当たらず、追悼鑑賞も最後に。

当面締めのこの作品は、西島+寺島演じる夫婦が日常を生きる東京、非日常へと逸脱する日光、という舞台への馴染みと違和感が入り混じったようでもあったり、やはり淡さの中に肌温かい感触残った市川作品、だった。エンドロールがラップ曲にのせて、画面下半分左から右に流れていたのが、今まで余り覚えなかった。昨夜「いちご白書」「SONGS あみん」録画。(http://www.amazon.co.jp/%E6%98%A5%E3%80%81%E3%83%90%http://www.wowow.co.jp/dramaw/barneys/■追悼・市川準監督■日光の旅BU・SU(’87)大阪物語(’99)東京マリーゴールド(’01)トキワ荘の青春(’96)会社物語(’88)東京夜曲(’97)東京兄妹(’95)竜馬の妻とその夫と愛人(’02)病院で死ぬということ(’93)たどんとちくわ(’98)「buy a suit スーツを買う」あおげば尊し(’05)東京日常劇場<憂愁編>(’91)東京日常劇場<哀愁編>(’91)つぐみ(’90)

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2008/11/25

風のガーデン(’08)〜第7話サポナリア  日本

先週の第7話録画で。前回、父白鳥(中井貴一)との突然の再会で逃げ出したルイ(黒木メイサ)、でもやはり気になって自らキャンピングカーを訪れ、森を歩きながら話し、わだかまりは雪解けの方向。やはり自分も不倫の恋と別れ、という経験、イギリス留学していたり、という現代娘的ドライさ、という設定の背景もあってか、この2人は意外とあっさり和解ムードになった。

森の中、初めて川の景色、そう広くはないけれど、底が透けて見える澄んだ水流で、HPでドラマMAPを覗くと空知川、という川のようで。今回ルイと岳(神木君)のガーデンでのシーンも割りと長め、ここも後にドラマ名所になるのだろうけれど、劇中、修(西野勇樹)が熊が出る、と恐る恐るだった、この森の辺りはどうなのだろうと。

白鳥が、夜かかってきた電話かメールに応じず、その後で携帯を買い替え、店で情報の入った古い携帯は自分で処理を、と言われ、森にそれを埋めるシーンがあり、その行為で切ろうとしたのは、どうも茜(平原綾香)のようで、新たな携帯番号を、再会していた昔の恋人エリカ(石田えり)に早速知らせに行ったり、現地生活の実際的必要もあるかもしれないけれど、都合の良いシフトぶり、にも見えなくもなく、

そういう風に、切ろうとして切れてしまう、今時だからこその携帯だけで繋がっている希薄、手軽な関係、それを承知で付き合っていた相手も、お互い様で、病身故の相手との距離という判断もあるかもしれないけれど、

旅立つ前、携帯での連絡は問題ない、と応じていたし、それなりに積み重ねてきたらしき信頼関係に対して、筋を通さず、そういう便利さに乗じて、短絡に切ろうとするのが、若者でもなく医師として働いてきた40代半ばの人間、としても、卑小、軽率にも感じたりした。

後で東京で荷物の整理中、彼女関連の楽譜を見て、一瞬未練というのか物思うシーンもあったり、話の流れで今後またどうなるのか、ではあるけれど、恋人(というには色んな意味で、どうも微妙な気もしたけれど)という設定であっても、そもそも相手の命に関わる重病を知らず、

思えばそれを知るのは(元)愛人、白鳥の友人でもあるその夫、医師の友人、勤めていた病院の院長、同病だった患者二神(奥田瑛二)だけで、亀裂ある北海道の父や子供はともかく、同じ東京に住んでいるらしい実の姉(木内みどり)、というのも、折に家は訪ね、昔妻の事件の時も、呼びに来て叱咤したり、それなりの密接さはあるようだけれど、やはり病気については全く知らず、というのもどうも不自然な気もするけれど、

親族だから、といって人の重要事を把握しているとは限らない、親族だからこその確執での距離、という部分もあるかもしれないけれど、現代の家族関係の希薄さ、現代人の孤独さ、というような背景も構成上あるのかと思ったりした。

それと対照的だったのが、富良野の在宅治療していた老人の臨終のシーンで、医師(緒形拳)の促しで、孫達が床の老人の手を握り、まさに亡くなった時、本当に良く頑張った、という医師から家族、また妻から患者への静かな労いの言葉、涙ぐむ妻から始めた、家族や看護士のささやかな拍手。

そういう臨終での周囲の行動を見たのは映画、ドラマでも初めてだったけれど、そう芝居がかってもいず自然な感じで、見守る緒形さんの慈悲の感触漂う眼差し、表情もあって、印象的シーンだった。ほのぼのというには厳粛で、語弊があるし、美しすぎかもしれないけれど、多少なりとも患者に愛情を持つ家族達にとっても、ある意味理想的な、その瞬間、の過ごし方の一つ、という感もする光景だった。

今回の花言葉は「大天使ガブリエルの飼い猫」「どうせあたいは田舎者、街の女にゃなれないの」「しのぶ恋ほどばれやすい」。白鳥をガブリエルと思い込む岳、いずれ真実を知るにしても、この夏位はそれに合わせて自分も大天使でいたい、ルイもそれに合わせてあげる、という弟の(障害故もあるけれど)純真さへの気遣いを父と姉が打ち合わす、という初めて白鳥が加わった仄かに家族らしい、というシーンもあった。先日カード整理中、以前の北海道旅での「幻想の丘」という美瑛の前田真三の写真、然別湖の風景カード各セットが見つかった。(http://wwwz.fujitv.co.jp/garden/index.html風のガーデン(’08)〜第1話スノードロップ風のガーデン(’08)〜第2話エゾエンゴサク風のガーデン(’08)〜第4話ゲルニウム風のガーデン(’08)〜第5話カンパニュラ風のガーデン(’08)〜第6話デルフィニウム風のガーデン 感動の後半突入SP

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2008/11/24

平山みき/小泉今日子  音楽・映画

先々週土曜の「ミューズの晩餐」は平山みき、冒頭歌った「真夏の出来事」は昔家にシングル盤があって懐かしい曲。子供心に、独特の鼻にかかった声での大人の夏の恋、海の情景も広がって、ポップだけれどやや甘酸っぱいイメージ。

姿は久方、近年ばんばひろふみとは離婚していたのだった。子供の頃から歌手志望、日本音楽学院で白鳥英美子と同級で、共に銀座の音楽喫茶「メイツ」で歌うようになり、音楽監督をしていた世良譲と出会ってジャズを教えられ、近年世良氏が他界する前に再会、共演した時歌った、という「恋の気分で」が今日の1曲だった。

独特の声がコンプレックスでメイツも辞めた時、デビュー話が来て、作曲筒美京平+作詞橋本淳コンビがその個性を評価、「真夏の・・」で魅力を引き出したのだった、と。筒美氏曰く郷ひろみと同じ声質、とのことで、そう言えば、という所。

筒美作品一覧もあったけれど、平山みきが、筒美氏について、まず持ち歌を聴いてその歌手のいい所を把握して曲を作る、等述べていて、やはりヒットメーカーとして、阿久悠作曲家版、のようなスタンスも改めて。

この1曲がインパクト、だけれど、ラフな「フレンズ」とかもあったのだった。一昨日たまたま「ソロモン流」でも見かけ、やはりラッキーカラー、だという黄色をいつも身に付け、今京都在住、友人兵藤ゆきを市場、和菓子店、料理店に案内したり、銀座で「メイツ」のあった場所を訪ねて回顧したり、写真、仏像彫り、美味しそうなフェイクケーキ作り、クリスマスグッズコレクションで楽しんでいる一面等、元気そうではあった。(http://www.tv-tokyo.co.jp/bansan/backnumber/http://www.tv-tokyo.co.jp/solomon/back/

また昨夜「Mラバ」に小泉今日子、歌う姿は久方、やはりバツイチではあるけれど少なくとも離婚後歌番組では覚えなかった。歌ったのは「夜明けのMEW」「優しい雨」「samida-rain」。「夜明け・・」はやはり筒美作品だったのだった。

親友の観月ありさがゲスト、小泉今日子について、パーティ等苦手でいつも隅にいてすぐ帰ってしまう、とか互いに「無精」「色気がない」等のコメント、質問コーナーで、歌手になっていなかったら?には「主婦」。家は装飾少なくおばあちゃんの住まいのようで、出るのもたくあんや煎餅、等、地味さ加減というのが何処となく判る気も。

一昨年DVDで出演作「空中庭園」('05)を見た時書いていたけれど、マイベストは横一線で「夜明け・・」「Fade Out」「木枯らしに抱かれて」等。女優として主演クラスで最新見かけたのはやはり一昨年「雪に願うこと」('05)、それと今年冬追悼での市川崑作品の入ったオムニバス「ユメ十夜」('07)の一話目の実相寺作品で。やはり「風花」('01)での浅野忠信との切なさ秘めたラフなムードが見た中では一番好印象。大島弓子原作の「グーグーだって猫である」等DVD待ちだけれど、淡い脱力系加減が似合っていそうな感もする。(http://www.ntv.co.jp/mlovers/broadcast/ユメ十夜('07)空中庭園(’05)雪に願うこと(’05)

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2008/11/23

美の巨人たち 上村松園  文化・芸術

先々週土曜の「美の巨人たち」は上村松園の「青眉」、孫の画家上村敦之氏、髷結師の女性等のコメントを挟んで。好きな画家の一人で、手元に’99年の没後50年記念だった東武美術館での展示会図録、カード21枚、以前小さな出版社での海外向け紹介記事で触れた愛着も。息子の画家上村松篁の花の絵のカード2枚。

今回は、当時の世間の声にもめげず、京都で茶屋を営みながら女手一つで松園と姉を育て、娘の絵の製作を支えた続けた母との絆にスポット。少女期から着物や髪型に興味を持ち、浮世絵の美人画の影響もあり当初から女性題材、母の支援、愛情に守られてもいた若い頃、上流階級の風俗を描いていていて、無垢な表情の娘達、その中の「舞仕度」等好きな作品。

やはりたおやかなライン、表情の美人画の数々、でも後年、能題材作品の中、法学生との恋の破綻、そして師でもあり愛人、松篁の父とも言われる鈴木松年の死の時期に描かれた、源氏物語の六条御息所の、情念漂う「焔」も、好みではないけれど、松園作品中異色なインパクトがあった。

宮尾登美子の、松園の生涯題材の小説原作の映画化「序の舞」('84)は、劇場でだったかビデオでだったか、絵(「序の舞」)の印象も一緒にあり、ヒロイン名取裕子、佐藤慶が鈴木松年役、風間杜夫が竹内栖鳳役、明治〜大正時代、女流画家としては生き難い時代、絵への没頭と庇護が絡んだ恋愛沙汰、シングルマザーとなり、波乱の生涯、という斬り口だった。

59才の時母の死を転機に、市井の女性達を描くようになり、「青眉」はその最初の作品だった、と。結婚後眉を剃る風習に則っていた女性達、やはりどこかそれまで描いていた娘達よりは、静かではあっても毅然とした貫禄というものも加わったような表情になり、それ以降のでは「牡丹雪」等も、画面下半分に傘と女性の構図とかもユニークで好み。

その変化の素は、自分のため生涯尽くしてくれた母への思慕で、でもそれを写実的、でなく江戸時代の女性に準えて表現した才覚、という敦之氏の指摘も。当時の着物の着付けにも詳しい髷結師の女性の、今の着物と違って、当時は腰の上辺りで締める太い帯、という紹介があり、改めて久し振りに図録やカードを見ると、そういう帯のゆったり加減、存在感も魅力のような感もした。木曜「風のガーデン 第7話」昨夜「美の巨人たち 並河靖之」等録画。(http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/081115/

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2008/11/21

つぐみ(’90)ー追悼・市川準監督ー  日本

よしもとばななの小説「TUGUMI」('89)原作の市川作品。「BU・SU」と同様以前掘り出し物ビデオ店舗で買っていたので見直し。西伊豆の小さな海沿いの町舞台、旅館の娘で生まれつき病弱で短命宣言され、わがままに育った少女つぐみ、その周囲の人々の物語。

久方に見て、記憶薄れていた所もあるし、改めてこういう瑞々しさの作品だったのだった、という部分も割と。つぐみの従姉妹まりあ(中嶋朋子)が引っ越して大学生活を送る東京の街も、少しは舞台ではあっても、海沿いの町がメイン舞台の唯一の市川作品。冒頭、まりあの故郷を懐かしむモノローグと共に映る東京のビル街風景は、「BU・SU」でヒロイン麦子がやはり海辺の町からやってきた東京、と重なる気も。

終盤、まりあがバイトする店として、高円寺駅前の今も健在のYonchome Cafeが登場でやはりちょっと感慨、行ったのは大分前だけれど、劇中だとレストラン風の食事メニューもあるようで、こういうシックなムードだったか、と。今回店に母が渡しに来たつぐみからの手紙の宛先で、まりあの住所が阿佐ヶ谷(実存しない阿佐ヶ谷西)、と気付いたり。

舞台だった西伊豆の松崎という町、まりあが沼津とのフェリーで行き来のシーンもあったけれど、以前見た時より、こじんまりした町の印象、湘南の賑やかさとか、よりは市川作品に似合ってもいそうでも。折に夜の水際等ブルートーン、精霊流しの仄かな灯りが水面に漂ったり、つぐみの家の小さな旅館、つぐみ姉妹とまりあが浴衣で歩く祭りの夜店の並び、とか郷愁的な風景の数々。

やはり当時の牧瀬里穂が、エキセントリックでわがままでかなり皮肉屋、繊細さも秘めた多感で扱いにくいヒロインにはまり役で、浜辺で不良達から守ってくれた青年恭一(真田広之)へのぎこちなくストレートな興味、恋心。牧瀬里穂はこの同年公開だった「東京上空いらっしゃいませ」('90)で「帰れない二人」を歌っていたのも印象的だったけれど、この作品でも、掃除中の風呂場でウクレレを抱えて歌うシーン、があったのだった。恋愛絡みで不良達に愛犬を殺された時見せた、わが身を省みない、激しい復讐に向けた、でも現実的には機能しなさそうな行為。

彼女に振り回されつつ、そういうどこか軌道のずれた一途さを見守る周囲の人々が、その姿に感じる切なさ、のような感情。原作を読んだのも大分前、やはり市川作品的に、多くを登場人物に語らせる訳ではない、やや密度の薄さ、もあるかもしれないけれど、ばなな原作森田作品「キッチン」のように、そういう原作の空気、はうまく汲み取っているのでは、という感が改めて。「キッチン」と言えば、日本・香港合作版のヒロインが富田靖子だったのだった。ラストのやや意表の締め方、も、微妙に市川テイストらしい、というのか。

ブレイク前だった真田広之も、何処か流れ人風で、つぐみが無骨に投げかけた想い、感性を受け止めていく、淡々とした風貌。小さな美術館職員、という職種だったのだったけれど、やはり同じ頃の「ニューヨーク恋物語」での、NYに住む日本人学校の教師役同様、まだ野性味秘めた静かな精悍さ、という味。

中嶋朋子が、実はつぐみ役の方を熱望、という話は聞いたことがあったけれど、「ふたり」での石田ひかりの姉役とか、やはりこの人は個性、クセのある相手を適度な距離で見守り包む度量で”受け”が上手い、と改めて。以前どこかでも触れていたけれど、この作品でレアな水着姿、も。

周囲の大人達の脇役陣も、多くを語る訳ではないけれど、医者の故下絛正巳がおっとりいい味、娘つぐみへの言葉にならない困惑、苛立ち、愛情漂わす安田伸、渡辺美佐子、まりあの父役あがた森魚のムードは、以前より原作の人物の大らかな洒脱さに意外に近い気がしたり、 恭一の兄役で、さり気なく財津和夫が出ていた、というのも、改めて。

当面市川監督追悼としては、これで締めにしようと。訃報を聞いて以来、映画祭での新作「buy a suit・・」、双璧のマイベスト市川作品で手元にビデオがあった「BU・SU」とこの作品以外は、未見で近隣店舗にあった作品を追ってきたけれど、「春、バーニーズで」('06)はTSUTAYADISCUSで見かけたものの貸し出し不能状態、その他「ノーライフキング」('89)「ご挨拶」('91)「クレープ」('93)「きっとくるさ」('93)「晴れた家」('05)は見当たらず、今後入手したらその時に。

結局DVDで見たのは、「東京マリーゴールド」「たどんとちくわ」「あおげば尊し」のみ。この「つぐみ」「BU・SU]「大阪物語」「東京夜曲」「・・兄妹」等さえもDVD化されていないのは意外だった。

★11/26追記:先日本置き場で上村松園の記事の雑誌を探していたら「TUGUMI」単行本発見、手にしたのは久し振り、山本容子の装丁も懐かしい。アップ確認で休み明け連絡した出版社は、以前の中央公論社が、中央公論新社になっていた。この頃まだ「吉本」、ひらがなになったのは5年前だったのだった、と。

またネットレンタルのDMMで「春、バーニーズで」を見かけ、貸し出し可状態のようで、今までTSUTAYADISCUSだけだったけれど、入会して申し込んだら先日到着。1枚単位のスポットレンタル料TSUTAYA・・\525だけれどこちらは\480。見たけれど、感想はもう一度見てからに。(http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A4%E3%81%90%E3%81%BF■追悼・市川準監督■http://www.yonchome.com/cafeキッチン(’89)kitchen キッチン(’97)よしもとばななアルゼンチンババア(’07)BU・SU(’87)大阪物語(’99)東京マリーゴールド(’01)トキワ荘の青春(’96)会社物語(’88)東京夜曲(’97)東京兄妹(’95)竜馬の妻とその夫と愛人(’02)病院で死ぬということ(’93)たどんとちくわ(’98)「buy a suit スーツを買う」あおげば尊し(’05)東京日常劇場<憂愁編>(’91)東京日常劇場<哀愁編>(’91)

(C)中央公論新社
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2008/11/20

SONGS 工藤静香  音楽

先週の「SONGS」は工藤静香、特に好き嫌いない人、この番組では昨年春にも。歌ったのは「黄砂に吹かれて」「空と君のあいだに」「宙船」「慟哭」「雪傘」。

今回全て中島みゆき作品で、中島作品カバーアルバム「MY PRECIOUS」('08)もリリースしたようで、その中から「空と君のあいだに」「宙船」も。「空と君・・」は安達祐実の「家なき子」主題歌だった、と。

中島作品カバー、というと、意外と浮かばず、薬師丸ひろ子の「時代」、最近の徳永英明の「わかれうた」「時代」位。他の人が先にカバーアルバムを出したりしたら後悔すると思って、とのことで、やや軽くサラリとしすぎな気もするけれど、工藤調中島、で、「お前が消えて喜ぶ者に お前のオールを任せるな」の歌詞への共感を語っていた「宙船」等は、この人なりの肝の据わり方、が出ている気がした。

アルバムの曲名を見ると、浅野ゆう子+柳葉敏郎で中島さんも医者役で出ていたドラマ「親愛なる者へ」の主題歌だった「浅い眠り」、増田恵子が歌っていた「すずめ」、等懐かしい。「浅い・・」も映像だと割りと工藤節的に似合っている感も。

やはり元々中島ファン、中島作品の提供の一番多いシンガーだけあって、すごく憧れ、素敵だと思う、多くの言葉を持ち、それが色のように溢れる、等とその敬愛ぶりを語り、中島さんからも、オールナイトニッポンでのくだけた口調で、工藤静香の写真を初めて見た時感じた、人間離れした根性、等とエールのメッセージ。

昔から絵も描いていて、ピカソの画風ではないけれど、よく行くという国立新美術館で、今開催中のピカソ展を見ながら、「泣く女」の絵が気に入っているようで、その前で、(ピカソには)この女性の泣き顔がキュートに見えたのだろう、自分も感情が出易く泣き虫でアニメ等を見てふと泣いたりして、子供に笑われる、とか、微笑んで語る様子が、やや年をとったとは思うけれど、やはり何か無意識にしろ女的バイタリティ、吸引力オーラ感じる人。

この展示会と連携開催らしいサントリー美術館の方のピカソ展は招待券があり、行こうとは思っているのだったけれど、この国立新・・の方も、出来ればとは。泣き関連で、一番ヒットした「慟哭」は、詞を読んで凄く悲しくて嫌だ、と思って、悲しい顔をして歌う歌ではない、と思った、等のエピソード。

久方に中島さんの映像も少し。アルバム「あ・り・が・と・う」位までは結構聞いたし、やはり某雑誌での等特別な思い出あるシンガーで、今回ステージでギターを抱えての「地上の星」熱唱の姿、等は以前よりも、凄み、を感じたり。メインは工藤ボーカルを通して、ではあったけれど、何処か根底からそれぞれの孤独を激励、カツ入れ、という感が一時でも改めて。

工藤静香が自分へのコメントに「夜会」で忙しいのに、と言っていたけれど、「夜会」に行ったのも随分前、その後は「紅白」で見かけたり、その原作だった映画化「2/2」を昨年DVDで見たのだった。先週金曜「恋うた2008秋冬ラブソング特集」昨夜「SONGS 槙原敬之」録画。(http://www.nhk.or.jp/songs/archive/index.htmlSONGS 工藤静香2/2(’05)

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2008/11/19

風のガーデン 感動の後半突入SP  分類なし

先週土曜放映録画を見た番組。前半6話のダイジェストと、出演者や倉本聰氏のコメントの内容。杖をついて歩く姿もあった倉本氏、この作品に込めた思いは、人間が命があと何ケ月と言われた時、どういう行動をとるか、何処ににいたいか(帰っていきたいか)、という事で、

今回苦心したのは、医学、ガーデニング、養蜂、ファンド等調べる事が多く、取材に時間がかかり、俳優さん達にも現場に行って勉強してもらった、と。俳優達も本物になる努力を惜しまなかった、とナレーションで、医者の服装で中井貴一が医療現場で説明を受けていたり、黒木メイサが踊りの稽古をしているシーンもあり、

ダイジェストの中で再度見た、札幌の「よさこいソーラン祭り」のシーンは、実際の催しに黒木メイサが参加して踊るのを撮影、数ヶ月前から折に北海道に行って、練習していた、と前にサイトで見かけ、あの大掛かりな場面だけはドキュメンタリー、だったのだった。

番組冒頭、撮影中闘病中である事は一切明かさず俳優として生き抜き、これが遺作になった緒形拳さんの思いとは、とのナレーションで、ご本人のコメントが流れ、なかなか歯ごたえあり、ヘビーだった、倉本ドラマはそういうのが多いけれど、孤独って何だろう、とか、内容的にも役柄的にも結構苦労した、等。

ダイジェストは途中飛ばしたりもしたけれど、改めて最初の方の回での、白鳥のキャグというのか、仏語の歌を歌っていた茜(平原綾香)への、仏語で「百姓」=モンペトクワ(もんぺと鍬)、とか、内山(伊藤蘭)に、天国に行ったら大天使ガブリエルが最初に言う言葉は、「あのよ〜」だとか、の軽口等、やはり劇中でアクセントのような浮いているような微妙な味わい。

録画を消してしまい未見だった第3話での、白鳥(中井貴一)の妻が自殺、父(緒形拳)に親子の縁切りを言い渡されるシーンがあり、断絶の具体的な部分を初めて見たけれど、

家族の問題からずっと逃げていた、人の痛みを除いてやるのが、麻酔科医の仕事ではないか、母の死の時も、耐えられない、と向きあわず、やはり女の所にいた、ただの臆病な弱虫だ、お前のような人格破綻者にそもそも医者である資格も、親である資格も、自分の息子である資格もない、二度と富良野に足を踏み入れるな!等と、涙ぐむ息子に言い渡す姿は、緒形さんのこの作品での一番激しく毅然とした姿勢、また中井貴一の、一言も返せない、一番弱々しい姿だった。

その妻の事件の時も、会っていたのが内山(伊藤蘭)のようで、6年位経っているようとはいえ、2人の今のやり取りの様子よりは、思ったよりも因縁深い過去、のようではあるけれど。

番組最後の出演者のコメントは、黒木メイサは、死に対して前向きに向き合っている作品、神木君は、人それぞれの中で家族の存在が凄く大きい、と思える作品、緒形さんは、じっくり中井貴一をご覧下さい、それと、孫の黒木さん、神木さんがなかなかいいので、ご覧下さい、中井貴一は、これは倉本さんとの勝負、だと思っていて、必ず記録や記憶に残るドラマになる、と思って演じている、旨。

連ドラを追うのも久方、もう後半に、と早い気もしたけれど、思えば放映開始から1ヶ月半、3ヶ月クルーの半分過ぎたのだった。視聴率は当初の20%から、最近は13%位のよう。後半舞台は前半以上に北海道中心かとは思うけれど、やはり一家の成り行きと共に、各回のモチーフの花と花言葉も気になる所。(http://wwwz.fujitv.co.jp/b_hp/081115gardenhttp://wwwz.fujitv.co.jp/garden/index.html風のガーデン(’08)〜第1話スノードロップ風のガーデン(’08)〜第2話エゾエンゴサク風のガーデン(’08)〜第4話ゲルニウム風のガーデン(’08)〜第5話カンパニュラ風のガーデン(’08)〜第6話デルフィニウム

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2008/11/18

風のガーデン(’08)〜第6話デルフィニウム  日本

先週の第6話録画で。二神(奥田瑛二)から送られた治療設備付キャンピングカーと共に、富良野にやってきていた白鳥(中井貴一)。輸送したのか、自分で運転してきたとしたら、病身で大変だったろうと。「風のガーデン」で息子岳(神木君)に出会い、「大天使ガブリエル」として接近、岳の「乙女の祈り」のピアノ演奏を聞いて感涙したり、自分のチェロと合奏するシーンも。

映像だとピアノの指運びの速い部分等、本人なのか、やや微妙な気もしたけれど、中井貴一のチェロ、神木君のピアノは、番組HPだとそれぞれ初めての楽器で、練習に励んでいるとのことで、2人とも実際、そう高度ではないにしても、たしなみある、というレベルはこなすようだった。

富良野の散髪屋を営むエリカ(石田えり)が新たに登場、高校時代白鳥と恋愛沙汰があったようで、その後の白鳥の過去も知る2バツの女性。石田えりは「サッド・ヴァケイション」以来、あの時も底知れぬ愛情を持つ訳ありの母を怪演、の印象だったけれど、サバサバとした中にも過去のこだわりを白鳥に仄めかす、ケレン味ない女っぷり。

倉本作品久方だけれど、2人が昔別れた時、白鳥が見たという失意のエリカの草むらでの行為や、前回の、在宅看護の老人が、五月みどり似の看護士の世話を「カマキリさんの芋掘り」等と言っていたり、真面目な主題の劇中ふと漂う俗っぽさ、というか下世話さというのも味、だったろうかと。

二神(や経済界の影)が物語にどう絡むのか、とも思っていたけれど、今回で病死、結局白鳥の運命の投影、だったのだろうか、とも。

白鳥と岳は、父の顔を知らず、障害のため無垢な心の息子故、出来た接近で、岳はその「大天使ガブリエル」との出会いを祖父(緒形拳)に話してしまい、秘密を漏らしたのでもう会えない、と心配する孫に、大天使は今頃寝ているから大丈夫、等と言って聞かす、この2人のやり取りは、毎回何処か浮世離れしたほのぼの感。

やはり娘ルイ(黒木メイサ)との接触は避けていたけれど、合奏していたラストでついに顔合わせ。亀裂が出来ていた家族が、顔を合わせていく流れになるようで。今回モチーフの花は紫の楚々としたデルフィニウム、花言葉は「大天使ガブリエルの蒼いマント」。岳が「大天使・・」と思う白鳥との出会いの内容からか、他の花言葉も「大天使・・の贖罪」「大天使・・の飼い猫」だった。(http://wwwz.fujitv.co.jp/garden/index.html風のガーデン(’08)〜第1話スノードロップ風のガーデン(’08)〜第2話エゾエンゴサク風のガーデン(’08)〜第4話ゲルニウム風のガーデン(’08)〜第5話カンパニュラ

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2008/11/17

美の巨人たち ラウル・デュフィ  文化・芸術

先々週の「美の巨人たち」はラウル・デュフィの「電気の精」、録画で。この2回前のフェルメールはチェックし損ね残念。「電気・・」は’37年のパリ万博でパビリオン「光の館」のため依頼された、縦10メートル横60メートルの大作で、パリ市近代美術館にあり、その巨大さ故U字型で展示。

デュフィは、海や花や音楽の題材、青、ピンク、赤等のラフで明るい画風が割と好きな方の画家で、手元にカード12枚。最近では一昨年展示会に行っていた。一番気に入っているのは双璧で、やはりパリ近代美術館展、と印がある「30歳あるいはバラ色の人生」と、「La Baie des Anges」という海の絵。

以前海の風景とか少しデュフィタッチの絵を描く知人がいた。この「電気の精」(縮小の別作品)については、以前にも取り上げた番組を見た覚えも。同万博に展示された、ピカソの「ゲルニカ」が、人々に背を向けられたのに対して、この作品は多くの人が吸い寄せられた、という華のある作品。

若い頃、技巧に走り過ぎるため、あえて利き手でない左手で描くようになった、というのも才能の余裕、だけれど、古典の模写には興味なく、マティス、キュービズム、セザンヌやルノワールの印象派等、様々な影響を受け、挿絵や布のデザイン等も手掛けたり、

今回印象的だったのは、ある日、港で赤い服を着た少女が目の前を走り去った後も、その赤い残像が目に残った、というデュフィにとっては衝撃的出来事が、独特の、色が輪郭をはみ出す作風、の始まりだったのだった、というエピソード。

また「電気の精」は油絵だけれど、パステルのような淡さで、”光”を現そうと、マロジェという科学者が考案したメディウムという用材を混ぜた絵の具を使ったり、そういう探究心もあり、ローラースケートに乗って創作していたり、温和でウイットに富んだ画家だった、と。やはり印象派のソフトさの方が好みではあるけれど、人生の喜びを色で表現、というのが好ましい。青、赤、緑等色の残像、というと関連ないかもしれないけれど、映画だとウォン・カーウァイ的テイストな気も。

「電気・・」は下方に多くの科学者、上方に発電所やネオンライト等、電気に関する近代建築、また神々の姿も、という、ちょっとシャガールのような自由な構成の壮大な作品で、関節炎になりながらも、投影機を使いながら1年程で仕上げたのだった。

大作ではオランジュリー美術館のモネの「睡蓮」等、生きている内に一度位見てみたい、とは思うけれど、この「電気・・」も、前に立てば圧巻なものだろう、とは。先週水曜「SONGS 工藤静香」木曜「風のガーデン 第6話」、土曜「風の・・SP」「美の巨人たち 上村松園」「ミューズの晩餐 平山みき」等録画。(http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/081108/ラウル・デュフィ展

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2008/11/13

銀の街から(’08、11月)  分類なし

一昨日の朝日新聞第2火曜の沢木映画コラムは今週末公開らしい「BOY A」、イギリスインディーズ作品で、主人公は、ある施設から保護観察つきで保釈された若者ジャック。その過去は謎のまま、仕事、友人、恋人と新たな生活を送るものの、秘密を抱えている事に苦しくなり、見る側も疑問を抱きながらもその秘密の露見を恐れるようになる、と。

ジャック役はアンドリュー・ガーフィールドで、沢木さんは、小動物のような脅え、汚れを知らない天上人の清らかさ、世界で一番深い穴を見てしまったような虚無を、見事に瞬時に演じ分けている、と賞賛しているけれど、この俳優は、「大いなる陰謀」でレッドフォードと議論していた学生、だったのだった。授業で疑問を投げかけたり、矛盾を突く、多感さを含んだシャープさというか、割と印象に残ったけれど、あれがデビュー作で、レッドフォードが「大変な掘り出し物」と言っている、とも見かけた。

この原作は若手作家ジョナサン・トリゲルの小説らしいけれど、この内容に、今年冬頃読んだ、沢木小説「血の味」も重なったりした。唯一のフィクション作で、殺人事件を犯した少年側からの経緯を描いていたのだった。沢木さんは、このタイトルが日本で起きた事件報道の一つに触発されたものと知り、一挙にジャックという少年が遠い国の存在ではなくなり、「尋常でない」ことをした者は、永遠に追われ続けなければいけないのかと、考えざるを得なくなる、と、締めているけれど、

その「少年A」として神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇少年、が浮かび、また、「血の味」を読んだ時も、あの事件が浮かんで、書いていたけれど、この本は現代の事件の影響はあったにしても、カミュの「異邦人」のように古典的、との評も見かけたけれど、実際の少年の内面は、もっとずっと無機的だったのではないかと思えた。

そういう意味では、全く因果のない他人の将来を無謀に奪った、その人物の周囲の人々の人生にも、消えない傷を負わした、という罪には、若年故に極刑は逃れても、生き長らえている以上は、永遠に追われて、当然では、と思えるし、そういう他人の存在への意識自体薄まっている不気味な時代、という流れもあるとは思うし、

このタイトルの触発になったというのが、必ずしもあの事件とは限らないし、そうであったとしても多分、原作なり作品なりが、あの事件自体をモチーフ、という訳ではないのだろうけれど、それが”無垢”という鎧を持っていたとしても、ただそうしてみたかった、という動機のみの、無機的な殺人を叙情、娯楽的に扱ったもの、というのは個人的には芸術性がどうであれ辟易、というか積極的な鑑賞は敬遠で、正直、あの事件題材作品は出来たとして見たくはないと思う。

殺人という行為の正当化、に筋も何も、と言ってしまえばそれまでだけれど、この「BOY A」も、「血の味」とも相まって、興味は引かれたのだけれど、フィクションにせよ何らかの、主人公をそういう袋小路に追い詰めた、周囲(の人間)の罪、というものも、あるとすれば同等に説得力を持って描かれたものであれば、と願い、思えたりはした。(http://www.boy-a.jp/「大いなる陰謀」血の味(’00)

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2008/11/12

久石譲in武道館〜宮崎アニメと共に歩んだ25年間〜  音楽・映画

先週金曜放映の録画を見た、8月の久石譲武道館ライブ、音楽を手がけた宮崎アニメ全9作品を初めて一挙に演奏、200人のオーケストラ、800人の混声合唱、160人のマーチングバンドでの世界最大級の演奏者数での伝説の催しだった、と。

テーマ曲、挿入曲、イメージソング等の演奏作品は「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「魔女の宅急便」「崖の上のポニョ」「天空の城ラピュタ」「紅の豚」「千と千尋の神隠し」「となりのトトロ」。

折に久石氏の製作の思い出、宮崎監督について等のコメント、スクリーンでの同監督の久石氏へのコメントを挟んで。同監督と鈴木敏夫氏も会場に来ていて、最後に同監督がステージに歩み寄って花束を渡すシーンも。阿佐ヶ谷のスタジオで出会いの時、机に飛び乗らんばかりの勢いで、壁に貼った絵の説明をする同監督に圧倒された、等のエピソードや、宮崎作品を手がけ続けるにあたって、自分も成長していなければ出来ない、今回の武道館で出せたのは半分位、本物の音楽家になりたい、旨等のコメント。

曲の演奏に合わせて、ステージバックの大スクリーンに作品映像が写され、冒頭の「風の・・」でナウシカが黄色い綿毛に包まれたり、「魔女の・・」のキキの飛行シーンやバックのファンタジックな街並み等、視覚的にも懐かしいものが。

今回インパクトあったのは、やはりマイベスト宮崎ソング「ハウルの動く城」のワルツ曲、久石氏がピアノを弾いていた「人生のメリーゴーラウンド」、「天空・・」の「君をのせて」、やはり何とも言えず、オリエンタルな哀愁というか、切なさ漂う旋律。それと、記憶に新しい「崖の上・・」のイメージアルバムからの「ひまわりの家の輪舞曲」

「ひまわり・・」を歌ったのが、麻衣という久石氏の娘さん、姿は初めてだったけれど、手嶌葵系のクセのない透明感ボイス。これは「プロフェッショナル」の特集で、宮崎監督がCDを聞きながらトキばあさんと宗介のイメージボードを描いていた時の曲だったと思うけれど、老いた心境から若かった頃への郷愁を歌う、穏やかでノスタルジックな珠玉曲、と今回改めて。

今回シンガーは、他に「崖の上・・」でソプラノ歌手林正子、藤岡藤巻と大橋のぞみちゃん、「千と千尋・・」で久石氏の友人、という平原綾香等、でこの顔ぶれだけでも、多彩さ、というものも。宮崎アニメの人の心に寄り添うような地道な魅力の裏方にスポット、でもあった一時和みの番組だった。久石氏の姿は昨年冬にNHK特番、「みゅーじん」に出ていたのを見たり以来。(http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/k/20081107/001/21-0145.html「崖の上のポニョ」カルテット(’01)4MOVEMENT(’01)草刈民代・久石譲アジアの風に吹かれて〜久石譲の世界

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2008/11/10

東京日常劇場<哀愁編>('91)−追悼・市川準監督ー  日本

市川短編ドラマのオムニバスもう1本の方。<憂愁編>と同じく2話ずつセットが3組と単独4編、ほとんど2人芝居、「社員食堂」だけが、主演岸田一徳と他の社員達の絡み。

やはり検索での情報が出てこないので、メモしたタイトルと出演者記録しておくと、

「家出娘の父」「伯父さんのアトリエ」/高品格、立原ちえみ、下元勉、鳥越マリ
「夜店」「フリーウェイ兄妹」/ビートきよし、川上麻衣子、小島三児、天衣織女
「マネージャー」/沢田研二、田中律子
「兄貴」「深夜の恋人」/白龍、大場明之、大鶴義丹、中嶋朋子
「社員食堂」/岸部一徳
「だめなヒモ」/勝俣州和、羽田美智子
「放浪癖の妹」/田中裕子、つみきみほ

の10編、<憂愁編>でもあった、2話が並行するペアの組み合わせは、空気感の似たものを選んではいて、見る側に変化を持たせる、という意図なのか、1作品と見て、不思議とそう違和感ない構成。

やはりスタジオセット、具体的な地名は「フリーウェイ兄妹」で、運転する妹に兄が新宿で降りるだろう、等と言っていた記憶位で、やはり特に東京舞台、という色濃くはなかったけれど、冒頭の、家出してピンク映画に出ている娘に会いに来た父の会話の「家出娘の父」、駆け出しの歌手とそのマネージャーの、仕事を掴みあぐねている「マネージャー」の芸能界の一面等やや一時代前の東京、の雰囲気という感も。

「フリーウェイ・・」は、近年余り正統ドラマでの覚えないけれど、動かない車の運転席と助手席の兄と妹を撮影、妹がハンドルをきる仕草、ライト、角度の変化、騒音等で走っている様子に仕立て、ゲームセンターでのドライブゲームのような、妙にレトロ感な映像だった。

印象的だったのは、「兄貴」「深夜の恋人」で、「深夜・・」は終電に乗り損ねたらしい同じバイト先の男女の公園での会話。大鶴義丹と中嶋朋子が、太宰治について話していて、短編「トカトントン」の虚無感のような事が中心、また互いの好きな短編で「ヴィヨンの妻」「きりぎりす」の名を挙げていて、

「ヴィヨンの妻」は、市川監督が次回作として準備していた、とのことだったけれど、先日雑誌で根岸吉太郎監督作品として、浅野忠信、松たか子主演で来年秋公開、と見かけ、そういう流れになったのかと思ったのだった。村上春樹作品からもあえて短編「トニー滝谷」を選んでいたけれど、そういう興味の片鱗が、この時点で、とも。「ヴィヨン・・」は未読、市川作品が実現していたらキャストもどうだったか判らないけれど、太宰作品の斬り方、また市川作品での松たか子、というのもあったとすればどういうものか見てみたかった気が。

今回この作品とか特に、余り生粋の俳優任せのアドリブ劇、には思えなかったのだけれど、終盤大鶴義丹が酔っ払いに殴られてしまう悲哀もあったけれど、2人の間のそっと通い合う共感、のようなムードが自然で好感だった。

大鶴義丹は以前著作小説も幾つか読んで、俳優としては、何か脇役で出演ドラマを見た気もするけれど、一時期追っていた「湾岸ミッドナイト」シリーズの記憶が大半、余り繊細な芸風、という印象は少なかったけれど、今回初めてやや文学青年風、ではあった。中嶋朋子はやはり上手い、と思ったけれど、若い頃の川上麻衣子、羽田美智子らの姿も。また「大阪物語」の前に、すでに沢田、田中夫婦も市川作品に出ていたのだった。

「深夜・・」とペアの「兄貴」で、ラーメン屋台を営み地道に暮らす元ヤクザだった男、そこへ食べにやってきた元弟分、の白龍と大場明之の間の、道が離れた男同士の人生の狭間での朴訥なエール、というのもじんわりするものがあった。

どの作品も、<憂愁編>と同じくやや訳あり風、日常を送っている人々に、何処となく漂うやるせない”哀愁”、それが一番感じられたのは「社員食堂」で、食堂で皆に瓶詰の「うに」を分けたり元GSメンバーだった、と話題の中心になった岸部一徳、実際のタイガース、という設定だったり、だけど、上司と先輩がその席にやってくると、単純な仕事の指示をされ、その威厳はたちまちに消え、その空気の変化への抵抗の「うに」を勧める微妙なやり取り、でも静かに上司に挨拶して去っていく姿、がそこはかとなく印象的ではあった。(http://www.cdjournal.com/main/dvd/disc.php?dno=2191080099■追悼・市川準監督■東京日常劇場<憂愁編>(’91)BU・SU(’87)大阪物語(’99)東京マリーゴールド(’01)トキワ荘の青春(’96)会社物語(’88)東京夜曲(’97)東京兄妹(’95)竜馬の妻とその夫と愛人(’02)病院で死ぬということ(’93)たどんとちくわ(’98)「buy a suit スーツを買う」あおげば尊し(’05)

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2008/11/9

SONGS 矢野顕子/福山雅治  音楽

先々週「SONGS」は福山雅治、特に好き嫌いない人。歌ったのは「想 〜new love new world〜」「HIGHER STAGE」「明日の☆SHOW」。

スウェーデン旅行で北極圏からの水を飲んで以来、水にこだわりをもっているらしく、富士山の雪解け水を求めて御殿場へ。小川で湧いている自然水を味わったり、そこで出来た各種ブランデーを自分でブレンドしたり、凝り性的な一面も。富士山伏流水、と言えば、以前ビュフェ美術館目当てで小旅行した時、沼津の街中で流れていた小川の綺麗な水、を思い出した。カメラマンの一面もあり、北京オリンピック等でアスリート達を写した写真紹介も。

俳優、シンガーとしても均衡取れたラフな2枚目というか、特に余りこれといって思い入れない人だけれど、浮かぶのは常盤貴子とのドラマ「めぐり逢い」。記憶薄れているけれど、アパートで隣同士だった、ダンサー志望のヒロインと青年との、紆余曲折のラブストーリーで、やや朴訥な青年のキャラクターが似合っていた覚え。曲ではやはり「桜坂」。一時期内田有紀と噂があったけれど、余りスキャンダルも聞かない。今回故郷の話もしていて、長崎出身だったのだった。

映画デビュー作「ほんの5g」('88)は富田靖子と共演で未見、「BU・SU」の翌年公開だったのだった。再来年の大河ドラマ「龍馬伝」で坂本龍馬役に抜擢、と見かけた。http://www.nhk.or.jp/songs/archive/081029.htmlhttp://news.aol.co.jp/story/news.date=20081107164813

先週は矢野顕子。歌ったのは「春咲小紅」「ひとつだけ」、大貫妙子とセッションで「いつも通り」、「変わるし」。ゲストは糸井重里、「春咲・・」や、30曲程詞を提供だったのだった。ピアノだけで全国各地に出向く「出前コンサート」発案も。最初、彼女と横尾忠則は夢に出そうで、嫌だ、と思った、というエピソード。

その変化自在な濃い存在感と曲、Charaにも通じるような軟体さ、最初「電話線」等面白いと思った覚えだけれど、アルバム「いろはにこんぺいとう」('77)の中の「家路」という曲が、割と正統バラード、日本の田園風景の夕暮れの、ユーミン曲「晩夏(ひとりの季節)」に通じる、何とも言えない叙情感、で別格のマイベスト。

大貫妙子とは坂本龍一絡み的にも余り仲がいい、という印象はなかったけれど、70年代デビューの珍しかった女性シンガーソングライター同士、30年来の音楽仲間、という紹介でセッション。矢野音楽の魅力について、ピアノ弾き語りは、自分のリズムで歌を載せられるし、歌とピアノが一体、というのは説得力がある、というような大貫談。

今回「いつも通り」は矢野顕子が選曲したそうで、マイベスト大貫曲だし、感慨が。2番の矢野ボーカルが、この曲の自由な広がりに合っていて、大貫:硬質な透明さVS矢野:柔軟な奔放さ、というコントラストが並べられた気もしたセッションだった。これまでも度々セッションはあったようで、You tubeにやはり好きな大貫曲の2人での「横顔」があったりした。

昔坂本一家が高円寺に住んでいた、そうで、坂本龍一が、商店街の中の文具店によく来ていた、とか聞いたり、何年か前、矢野顕子が小さな惣菜屋等を訪ねて、そこの奥さん達と思い出話しているような番組があった。

数週間前「ミューズの晩餐」で、つじあやのが「戦場のメリークリスマス」に文語調の歌詞をつけて歌っていて、歌詞付き「戦メリ」は初耳だった。矢野顕子は思えば「崖の上のポニョ」でポニョの妹達の声、だったのだった。スクリーンでの姿はゴールデンカップスの「ワンモアタイム」でインタビューを受けていたのが見た最新。金曜夜「ミッドY 久石譲in武道館」昨夜「美の巨人たち デュフィ」録画。

11/11追記:今日の新聞にゴールデンカップスのリーダー、ボーカルのデイブ平尾氏の訃報、心不全で享年63才、「ワンモア・・」の前年に再結成されていて、今月末に1年ぶりの単独公演も控えていたとのことだった。(http://www.nhk.or.jp/songs/archive/index.html「ワンモアタイム」SONGS 大貫妙子http://www.sanspo.com/geino/news/081110/gnj0811101911031

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2008/11/8

風のガーデン(’08)〜第5話カンパニュラ  日本

一昨夜の第5話録画で。「風のガーデン」にやってきて、ルイ(黒木メイサ)に蜂蜜の瓶をプレゼントしたり、接近を図る養蜂業者石山(ガッツ石松)の息子修。このハイテンションな修役は、富良野塾出身の東野勇樹と言う新人、だと。

なかなか相手にされず、弟岳(神木君)にも敬遠されていたけれど、ガーデンの花の名を次々挙げる岳を賞賛、無邪気な対抗意識からか、飛んでいた蜂が自分の所で飼っているもので、それぞれ名前がついている、顔の特徴で判る、「ジュリア」「ナンシー」等と次々外人女性名を挙げて、岳がすごい、と敬意を払ったり、というような微笑ましいシーンも。

在宅看護の家で、患者、その妻と娘の意向に反して、都会から戻った長男が、父を病院に運ぶべきだ、と悶着が起こって、担当してきた訪問医(緒形拳)がそれをさとすくだり。病院勤めの経験から、末期治療にあたって、確かに病院では設備は整っているけれど、何かしら治療はしなければいけない、だから患者の家族は何も出来ず、それが悔いになって残ったりするし、患者も苦しいだけで、それは同じで、残された時間を家族と過ごせない、等と、緒形さんの強引ではないけれど、切々とした語り。

生き長らえても植物状態、という複雑なケースもあるかもしれないけれど、現実的に、たとえわずかでも正常に回復の見込み、という可能性があるならば、やはり家族にしても、出来るのであれば病院で科学的な治療、という道の方が、苦痛を含む患者自身の意向、はさておくとして、傍にいる者としては後で結果はともかく自身納得は出来るのでは、とは思うけれど、

病院に、回復の方向は見放されてしまっている、と言う状況では、帰れる”家”があるならば、心情的にはやはり家で最期を迎えたい、迎えさせてあげたい、というのも、それで実質最期の時が早まったにしても、それはそれぞれの患者、また家族の意志で、過ごすべきかとは、改めて。でも家族内にしても、意見の違いで摩擦も、というデリケートな問題、というシーンではあった。

東京の病院では、投げやりだった二神(奥田瑛二)が、前回の医師白鳥(中井貴一)の同病であるという告白に、何か心動かされ、悟りのような変化が、というくだりはあったけれど、前回一度そう思い始めると、というのか、やはり医師自身末期の病の苦痛にのたうちながらの勤務、治療、はどうも生理的に何だか、とは。でもどうやら、病院を離れる方向のようで、来週から富良野に行くのか、茜(平原綾香)に出張だと告げに会いに行ったり、平原綾香も2週間ぶりに登場だった。

これからレコーディング、という曲の譜面を読んだりしていて、白鳥がチェロを弾く、というのは初めて知ったようだけれど、前回思った、白鳥にとって気晴らしや癒しとして、に加えて、そう言えば音楽面での興味もあって近付いた関係のニュアンスも、とも。

また、病気を知り彼を訪ねてきた親友が内山、で、内山妙子(伊藤蘭)はその妻だった、という、夫が気付いていなさそうな、過去の不倫関係らしき背景が明るみに。病気の事を夫に話した彼女を「君も意外と口が軽いな」と軽くなじり、それに対し「それは亭主ですから。それに貴方の親友でしょう、あの人涙を浮かべていたわ。」等と、過去の詳細はまだ不明だけれど、そう割り切れるものかとは思うけれど、端的な対応。

今回のテーマの花はカンパニュラ、日本名蛍袋、で昔蛍を採った時入れていたものも、という袋状の形が特徴、今回茜がレコーディングする、と言っていたショパンのノクターン原曲らしい曲名も「カンパニュラの恋」。カンパニュラ・プンクタータ・チェリーベルという淡いピンクの花が印象的、花言葉は「花園の小人の禿かくしの帽子」。カンパニュラ・プンクタータ・ウェディングベル、という白い花も鈴蘭の大粒のようで、「孫娘を嫁に出す日」という花言葉がフィットな感だった。(http://wwwz.fujitv.co.jp/garden/index.html風のガーデン(’08)〜第1話スノードロップ風のガーデン(’08)〜第2話エゾエンゴサク風のガーデン(’08)〜第4話ゲルニウム

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