2008/11/13

銀の街から(’08、11月)  分類なし

一昨日の朝日新聞第2火曜の沢木映画コラムは今週末公開らしい「BOY A」、イギリスインディーズ作品で、主人公は、ある施設から保護観察つきで保釈された若者ジャック。その過去は謎のまま、仕事、友人、恋人と新たな生活を送るものの、秘密を抱えている事に苦しくなり、見る側も疑問を抱きながらもその秘密の露見を恐れるようになる、と。

ジャック役はアンドリュー・ガーフィールドで、沢木さんは、小動物のような脅え、汚れを知らない天上人の清らかさ、世界で一番深い穴を見てしまったような虚無を、見事に瞬時に演じ分けている、と賞賛しているけれど、この俳優は、「大いなる陰謀」でレッドフォードと議論していた学生、だったのだった。授業で疑問を投げかけたり、矛盾を突く、多感さを含んだシャープさというか、割と印象に残ったけれど、あれがデビュー作で、レッドフォードが「大変な掘り出し物」と言っている、とも見かけた。

この原作は若手作家ジョナサン・トリゲルの小説らしいけれど、この内容に、今年冬頃読んだ、沢木小説「血の味」も重なったりした。唯一のフィクション作で、殺人事件を犯した少年側からの経緯を描いていたのだった。沢木さんは、このタイトルが日本で起きた事件報道の一つに触発されたものと知り、一挙にジャックという少年が遠い国の存在ではなくなり、「尋常でない」ことをした者は、永遠に追われ続けなければいけないのかと、考えざるを得なくなる、と、締めているけれど、

その「少年A」として神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇少年、が浮かび、また、「血の味」を読んだ時も、あの事件が浮かんで、書いていたけれど、この本は現代の事件の影響はあったにしても、カミュの「異邦人」のように古典的、との評も見かけたけれど、実際の少年の内面は、もっとずっと無機的だったのではないかと思えた。

そういう意味では、全く因果のない他人の将来を無謀に奪った、その人物の周囲の人々の人生にも、消えない傷を負わした、という罪には、若年故に極刑は逃れても、生き長らえている以上は、永遠に追われて、当然では、と思えるし、そういう他人の存在への意識自体薄まっている不気味な時代、という流れもあるとは思うし、

このタイトルの触発になったというのが、必ずしもあの事件とは限らないし、そうであったとしても多分、原作なり作品なりが、あの事件自体をモチーフ、という訳ではないのだろうけれど、それが”無垢”という鎧を持っていたとしても、ただそうしてみたかった、という動機のみの、無機的な殺人を叙情、娯楽的に扱ったもの、というのは個人的には芸術性がどうであれ辟易、というか積極的な鑑賞は敬遠で、正直、あの事件題材作品は出来たとして見たくはないと思う。

殺人という行為の正当化、に筋も何も、と言ってしまえばそれまでだけれど、この「BOY A」も、「血の味」とも相まって、興味は引かれたのだけれど、フィクションにせよ何らかの、主人公をそういう袋小路に追い詰めた、周囲(の人間)の罪、というものも、あるとすれば同等に説得力を持って描かれたものであれば、と願い、思えたりはした。(http://www.boy-a.jp/「大いなる陰謀」血の味(’00)

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