2008/12/14

銀の街から(’08、12月)  分類なし

先日の朝日新聞第2火曜の沢木映画コラムは、今週末公開らしい「ラースと、その彼女」で、今回アカデミー脚本賞ノミネートのアメリカ作品。

アメリカ中西部の小さな町が舞台、生まれた時母が死に、気難しくなってしまった父との暮らし、というトラウマを抱え、孤立して暮らす若者ラースが、兄夫婦の元へ連れて来た”彼女”は、等身大の「ラブドール」、そこから流れていく「奇跡の物語」だと。ラース役は「きみに読む物語」のライアン・ゴズリング。

別コラムで、この物語が、フランソワ・オゾンの「まぼろし」('01)を思い出させる、と書いていたコメントも見かけ、これは夫が海岸で突然失踪、シャーロット・ランプリング演じるヒロインは、喪失、という現実をにわかには受け入れられず、その夫の幻影と共に過ごしていく、という割と印象に残っている作品、そこでは彼女一人だけの孤独な幻覚、だったけれど、

沢木さんは、この作品では、町の女医の「ラースと話を合わせなさい」という助言もあって、町の人々が、そのラブドールを恋人「ビアンカ」として認めようとする、「受容」の態度によって、不思議な流れが出来、心理学的テキストの枠に押し込めて、強引に物語を作っていこうとはせず、ラースの心のわだかまる何かがうっすらと消えかかるプロセスを優しく描いている、と。

そういう風に、自分の心を守るための幻影は、繊細な感受性の賜物、ではあっても、下手に現実に晒されると、ただ嘲笑され傷つくだけの極めて個人的な実体のないもので、「まぼろし」の幻影は、ヒロインだけの内面の密かな世界だったけれど、この作品では、周囲の人々がそれを知り認め、付き合って、ゆっくり見守る、というのは、忙しない現代社会の中のおとぎ話的、ではあるけれど人間味あるストーリー、とは思った。昨夜「ミューズの晩餐 中村あゆみ」録画。(http://lars-movie.com/

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