2008/12/19

ストレイト・ストーリー(’00)  本・映画

村上龍氏の書きおろした「ストレイト・ストーリー」が、図書館に在庫あり、先日劇場への往復の電車内、と昨日で読んだ。「いちご白書」が途中ではあるけれど、はまのゆかのラフなタッチのイラストも折々挟まれた絵本形式、でもあり、予想通り、同氏作品の中でも読みやすかった。

映画作品の原作、またその翻訳、でもなく、作品から小説化、村上氏の作家としての感想文、という感もするけれど、120年前埋葬されたアメリカの森林インディアンの霊魂、の視点から物語を語る内容。

展開は作品に忠実で、プラス、もう少し登場人物の背景や、各シーンでの心情を掘り下げた記述があったり、科白が加えられていたり、アメリカの社会や歴史、人生観等に触れていたり。後ろに英訳が載っており、かなり細かい字で、拡大コピーしておこうと。

劇中、冒頭ストレイト父娘の隣人の太った中年女性が、シェアしている庭のデッキチェアーに寝そべって、ピンクの果実のようなものを食べていたりした姿が、いかにもアメリカの田舎の日常の風景らしく、インパクトあったけれど、

小説もその風景から始まり、女性のドロシーという名は、「オズの魔法使い」を見て感動した両親がその名を付けた、とか40年代「オズ・・」のハリウッドでのプレミアショーから、舞台のアイオワ州ローレンスの田舎の映画館まで来るのに、当時5年かかった、等の内容が加わっており、

「オズ・・」は、小学生の頃愛読、作品もビデオも買って愛着あるし、当時のアメリカでそういう名付け方、もいかにもありそうで、村上龍と「オズ・・」自体は、余り結びつくイメージはなかったけれど、リンチ作品を通して、とやや意外な接点で少し感慨も。

その他、アルヴィンの娘のシシー・スペイセク演じるローズの話し方が、吹替えでも、ややたどたどしい印象だったけれど、小説では、吃る習性があったのだった、と。劇中、昔、彼女が地元の集会に出るため、息子を預けた知人宅が火事になって、息子は大火傷を負い、児童福祉事務所から、親として不適任、と引き離され、それっきり、という秘めた過去に少し触れていたけれど、

小説では、吃音はその過去と関係あり、当時、別れた夫が子を取り戻そうと裁判を起こし、彼女は負けてしまい、それ以降余り喋らなくなり、長い時間かけて明るさを取り戻したけれど、吃るようになってしまった、という、考えられるような背景の記述が。

最初の方、アルヴィンを連れて行った病院の待合室で、壁にあった鳥の絵を指し、そこにいた女性に、自分はブルーバードの巣箱を作っている、と話しかけ、売っている店を告げ、その女性が微笑ましげに応対して、今度覗きに行く、と答える、という何気ない会話があり、思えばややぎこちなくも思えたシーンだったけれど、

小説ではそのシーンに、ローズが、吃音がひどくなって以来、人に話しかけるのが億劫になり、大変なエネルギーがいるけれど、努めて自分から話しかけるようにしている、自分の中に閉じこもってしまうと、辛い思い出やコンプレックスが渦巻き、どこにも出て行かないので危険だから、というような、内面を掘り下げた、密かな孤独な闘いの描写等も印象的だった。

村上作品アメリカロードムービー小説、と言えば思えば手元にある「KYOKO」('95)以来、でもあったけれど、メインのアルヴィンの道中、折々の、自信の揺らぎや不安、これまでの人生の反省、等、一人旅でありそうな、心の揺れが書かれていたりしたのも、ローズと共に、村上氏が見た、劇中の各シーンの登場人物の語られていなかった心情の、作家としての洞察や解読、と思えば興味深い気もする。一昨夜「SONGS TOKIO」昨夜「風のガーデン 第11話」録画。(http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%ストレイト・ストーリー(’99)

(C)集英社
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2008/12/3

春、バーニーズで(’04)  本・映画

先日見た市川作品の原作、吉田修一の短編集。短編だし読みやすいかとも思い、図書館に在庫もあったので。あっさりした黒地に銀文字の装丁。「春、バーニーズで」「パパが電車を降りるころ」「夫婦の悪戯」「パーキングエリア」「楽園」の5編で、最後の「楽園」以外は作品と同じ登場人物で、流れや取り上げられていたエピソード内容もほぼ同じ。

違いは、ドラマで栗山千明が演じていた瞳の妹の画家紗江、はいなくて、代わりに筒井の以前の恋人の回想や、マクドナルドで筒井と息子文樹が同席する女性、が短く登場したり、「楽園」は作品では筒井と紗江の間の、自分の理想の楽園とは、という話題として折りいれられていたけれど、新宿に住むサラリーマンと別れた恋人、との間の会話、だった。

それと、逃避行的に日光東照宮に向かったのが、浅草から東武線ではなく、車で東北自動車道を通って、で、いつもの通勤でなく、川崎での仕事に向かう途中、衝動的にハンドルを切って、という出来事で、運転しながらの逡巡も描かれていたけれど、どちらかと言えばこの主人公のキャラクター的には、日常逸脱方法が、自分でハンドルを切って、というより、電車で運ばれて、の作品の方が、しっくり来た。

また、作品で日光で筒井がいたホテルが、クラシックな老舗、の風情ではあったけれど「日光金谷ホテル」だったのだった。そこがロケ地だったかは確かではないけれど、ロビーに座った筒井の傍にあった大きな振り子時計への思い、とか小道具の絡みも割と忠実で、そこら辺原作の雰囲気を汲み取ろうとしている感だった。

それと改めて、突然消えた夫から夜かかってきた電話に、妻瞳が「・・うん」と答えた後、第一声は作品だと「文樹がね、今晩ハンバーグを食べたいって」、小説だと「文樹がね、今日幼稚園できゅうり食べたって」だったけれど、内心の混乱さておき、複雑な瞬間にそういう風に対応できる妻だからこそ、その懐への甘えからふと失踪もしたくなり、失踪出来てしまったり、また、その元に帰れたり、ということもあって、

取り乱して泣き責め立てるストレートな相手だと、失踪もしなかったかもしれないけど、してしまったとして、果たしてすんなり戻れただろうか、というのも微妙で、今回の寺島しのぶはそういうバランス的にはやはり似合っていた感だった。

筒井家の設定も、同じ聖蹟桜ヶ丘に住み、京王線で通勤、郊外に住み都心に通うサラリーマン一家の生活、やはり、冒頭の筒井と遭遇した昔世話になったオカマとの過去も、詳細に語られ、先に作品を見たこともあり、夫婦役や義母、息子と共に、オカマ=田口トモロヲのイメージも、そう違和感なかった。

吉田作品は初めてだったけれど、文体は読みやすく、これはドラマでは登場しなかったけれど、文中、昔の写真がはさんであった本が「羊をめぐる冒険」下巻、だったりして村上春樹を好きでその系統の作家、という感触もして、そういう所から「トニー滝谷」系列で市川作品原作として目に留まったのかもしれない、とも。

本の感想の中に、「地方から東京に出てきたものの、都会の洗練さになじめきれなく、かといって地方の生活には戻れないような。それでも現実と折り合いを付けて、それなりに東京で生きている。地方出身の東京人が読むと妙な親近感を覚えてしまう」旨書いている人がいて、それはこの作品に関してのみ、というより、市川作品全般への私の感触に一部重なる部分があるとも思った。(http://www.amazon.co.jp/%E6%98%A5%E3%80%81%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%春、バーニーズで(’06)−追悼・市川準監督ー

昨日、AOLから、来年1月末でダイアリー、ブログトーク終了、という通知。ダイアリーの移行ブログ案内等もあったけれど、初めてAOL旧メッセージボードにスレッドを立ててからほぼ5年、とても、とっさに一言では言えない、色んな事があった。(http://diary.jp.aol.com/help/info/0901.html

(C)文藝春秋
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2008/9/25

家庭の秘密(’75)等  本・映画

昨日たまに寄る本屋の一角に、漫画家花村えい子著の「家庭の秘密」を見かけとっさに買った。これは子供時代「あの日にかえりたい」がテーマ曲だった秋吉久美子主演ドラマ原作、のようで、あとがきを読むと、元々週刊マーガレットに連載の「霧の中の少女」を、自分で小説化した作品、と。

ドラマは「あの日・・」絡みもあり何度か見ておぼろげに池上希実子も出ていた、等と思うけれど内容は全く覚えていない。本の帯に秋吉久美子と映っているのは岩城滉一にも見える。「あの日・・」は久方に見かけたグレイブルーの物憂げなジャケットも郷愁。

帯の紹介では北の国の純愛物語、らしく釧路舞台だったのだった。秋吉久美子ヒロイン+釧路と言えば愛読した原田康子原作の同じ頃の「挽歌」('76)もそうで、久我美子版のリメイク、桂木役は仲代達矢だったのだった。週刊マーガレットはよく読んで、花村えい子のコミック自体、エレガントな絵柄は知っていて読んだかもしれないけれど、年代がずれるのかそう馴染みなく、具体的に浮かばないけれど、これは読んでみようとは。

夏に整理しきれていないのもあり、余り本は増やしたくないけれど、近くに赤と緑カバー上下セットの「ノルウェイの森」も見かけて購入。これは以前持っていたけれど、貸したきりになったのだったか、見当たらず、特に当面読み返したいとも思えないけれど手元にはあった方が、という本。

やや前に映画化、という話題も聞いて、「トニー滝谷」に続く村上春樹原作作品、になりそうではあるけれど、何だか余り映像化は見たくないタイプ、という感が。本は今「クライマーズ・ハイ」が停滞中。「大阪物語」の途中。「SONGS 沢田研二 Part2」録画し損ね、再放送は4日(土)に。 (http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8E%http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8E%http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080731

(C)三笠書房
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2008/6/22

オリヲン座からの招待状(’97)  本・映画

「オリヲン座・・」の原作の浅田次郎の短編読み終え。浅田氏の原作作品は幾つか見たものの、小説自体は初めて。元々「鉄道員(ぽっぽや)」に収録らしいけれど、「現代の小説1998」で。

作品では余分な気がした、子供時代劇場に馴染んだ夫婦の現代の亀裂が、別居状態への経緯、わだかまり等、作品の半分位を占めて詳細に描かれて、むしろこちらの夫婦が主人公、という感じでやや意外。

劇場のことは、閉館の謝恩興行の様子、その過去は、会話の中の回想だけ、作品ではそのノスタルジーな部分を、結構膨らませて創ったのだな、と。やはり宮沢りえ、加瀬亮演じた劇場の二人に対する、大人の間のゴシップ、嫌悪、に対して、何故か子供達が集まるのはオリヲン座だった、という郷愁の部分は書いてあった。

こちらの方が京都弁のローカルでひなびた味、登場人物は3人だったけれど、劇場主人は原田良雄よりはもう少し柔和でくだけた印象。一番イメージと違和感なかったのは樋口可南子。興行で上映したのは、作品では「無法松の一生」だった覚えだけれど、「幕末太陽博」になっていた。初の浅田作品、短編だし何とも、だけれど、文体は特にクセなく読み易い後味だった。(http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/30648943/pg_from/rcmdオリヲン座からの招待状('07)

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2008/5/10

原作本等  本・映画

引き続き整理、読みかけのまま、またあえて途中で止めた原作本も。割と最近のでは「魔法使いハウルと火の悪魔」「冷静と情熱のあいだ」「昭和歌謡曲大全集」等。ただ本目的で買い、後で映画化、または映画もあると知った、というものも割と。今回庄治薫「白鳥の歌なんか聞こえない」文庫なんて発見、これと「赤頭巾ちゃん気をつけて」も映画化あるようで、でもこの赤青白シリーズ映像化は何故か、余り見たくない気がして、ビデオ等探しもしていなかった。原作を読み最も感動的映画化、というと今思い付くのは「オズの魔法使い」。

押入れはGW中着手出来ず徐々に、とポスターとテープ類。好きなマックナイトの絵が思ったより出てきて、ささやかな嬉しさ。場所をとっていた一番大判は、’97年のルーヴル美術館展の図録の表紙でもあった、ジャン=オノレ・フラゴナール「かんぬき」、また先日の同展で、どこかで見た、と思いつつカードを買った「ポンパドゥール夫人の肖像」もA3版位のものが出てきたけれど、どちらも入手を忘れていた。

テープで掘り出し物発掘は、郷ひろみ「HIROMIC WORLD」、これは筒美京平作曲+荒井由実作詞のアルバム、子供時代ひろみファンの友人が録音してくれて、音響は良くないけれど、少年と大人の狭間の青っぽい郷ひろみ、のバラエティに富んだ11曲。一応CD化されているようだけれど、幻の珠玉の1枚、という感。久方に聴いてみて、特に古い感はしなかった。あと三越から数年前コーナーが消えた、サラミッダの新品タオル発見等。昨夜「ミッドY徳永英明」「チューリップ最終ツアー」「ファム・ファタール」録画。

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2008/5/9

原作本等  本・映画

見たDVD、録画も少しあるけれど、先日長い間使いマットもほころびがきたベッドをついに買い替え、新品が届いたので、それまでベッド下に満杯の本棚代わりに押し込めていた、本その他を整理中、落ち着かない。これを機に、ある程度処分を、とは思ったけれど、いざとなると、捨てられないものがほとんど。

某つてで溜まっていた、ある時期の(小説)新潮、新潮45、芸術新潮を全て除けば、丁度新たなスペースに収まりつつある感じ、でも、なかなかじっくり読む折が、とは思っても、処分は思案中。その他、逐一感傷に浸っていても仕方ないけれど、普段思い出さない写真、郵便物、コンサートパンフレット、自分のノートの類とか出てきて眺めたり、いつもながらなかなか事務的には扱いにくいものも。でもこうして整理しながら、も必要とは。GWに手を着けた一環の作業半ば。発見で嬉しかったのは、もうすぐ終る展示会に行ければ、と思っている東山魁夷の小画集文庫3冊。

こんな本を買ったのだったか、と今回思った中で映画原作では、「アガサ愛の失踪事件」「ナタリーの朝」「1980アイコ十六歳」「メトレス愛人」原書「フォレスト・ガンプ」「卒業」等、原作ではないけれどアン・エドワーズ著の「ヴィヴィアン・リー」という伝記、これは何かの折に買ったまま手をつけずだった。最近、映画+原作のセット鑑賞も減った。

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2008/3/25

映画の昭和  本・映画

一昨日の朝日新聞読書欄に、昭和の時代の映画本、として4冊紹介、中野翠「小津ごのみ」、片岡義男「映画の中の昭和30年代」、野上照代「蜥蜴の尻っぽ」、香川京子「愛すればこそ」。

中野翠は割とエッセイや映画評本で馴染みで、小津作品のファッションやインテリアチェックから映画論、らしく、ユニークな小津作品切り口のようでもあるし、これはいずれは読んでみたい気が。小津作品、も思えばご無沙汰、ふと懐かしくも思えたり。また中野翠は同紙の文化面公開中の「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」の記事にもコメント寄せていた。この作品は、今見るにはやや気分が重い感。

片岡義男も馴染みではあるけれど、今回内容が、未見の成瀬已喜男作品論のようだった。「蜥蜴・・」は黒澤監督の裏方だった野上氏が、戦後映画黄金期を振り返るもの、「愛すれば・・」は多くの出演作で戦後の映画を辿る内容、と。沢木さんの本を図書館に返しに行かなければ。「「愛」という言葉・・」ともう一冊未読の「無名」もだけれど、これはまた改めてに。(http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E6%B4%A5%E3%81%94%E3%81%

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2008/3/14

「愛」という言葉を口にできなかった二人のために(’07)  本・映画

沢木さんが「暮らしの手帖」に掲載していた映画コラム集。自分の見た作品の記事は読んだ。エピローグでは、日本人に限定すれば、「愛」という言葉を口にしたことのない人の方が多いと思う、と。そしてその言葉を口に出来なかった者たちの物語、として、「ブロークバック・マウンテン」「ローマの休日」「紙屋悦子の青春」を挙げていた。

あの時「愛」という言葉を口に出していたら、という痛切な思いは、男女間のみでなく、親子間等でも、と書いてあり、映画ではそういう状況が美しい物語にされたりするけれど、「愛」のフレーズに限らず、あの時、ああ言っていれば、というシーンは今更ながら重大事〜些細な事まで、形にすれば膨大な山積み、だろう。また、聞き逃すべきでない、その場での重要な言葉を留めなかった、という事もおそらくは。

逆に、あんな事を言わなければ、というのも同様だけれど、やはりどうであれ、言って後悔、より言わずに後悔、の方がしこりが残る、とは。それは公私で、何故こんな、当然の事を、あえて言わなければならないのか、という事から、自分にとって覚悟がいるような内容まで様々、自分の状況でもある種労力がいったりする作業、でも人により伝わる、伝わらないはさておき、で。

見た作品のコラムはエピローグの3作品、「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」「黙秘」「父と暮せば」「フィールド・オブ・ドリームス」「きみに読む物語」「プリティ・ウーマン」「故郷の香り」「海を飛ぶ夢」等だった。(http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E6%84%9B%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%

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2007/5/10

アルゼンチンババア(’02)  本・映画

先週金曜上野で「レオナルド・ダ・ヴィンチ・・」展への待ち時間約40分程と、電車の中で、3月半ばからずっと図書館から借りていた「アルゼンチンババア」を読み終え、英訳付きながらとりあえず日本語だけでだけれど、久方に一冊読んだ。

ばなな題材らしくヒロインの家族の喪失、その癒しや心の拠り所としての人や場所、浮世離れしたひなびた”アルゼンチンビル”に住む”ババア”との触れ合いの物語で、ばなな作品自体久方だったけれど、やはりあっさり淡々と心情、情景を辿る文体の読みやすさ、聡明ながら理屈っぽくない、大上段から振りかざす胡散臭さのない平らな視線、と今回も思う。

亡き母が好きだったイルカの形の墓石を彫ったり、「このビルが、墓だ」という石彫り師の父の科白があったり、そういう心の”墓標”のような題材に、思い沈む部分もあったりしたのだけれど、一昨日、久方に大阪の同い年の不動産業を営む従兄弟から母と私に連絡が入り、6年前病死した私の父の喉仏の遺骨を、その数年前に他界した彼の父である叔父の遺骨と共に、近隣の納骨堂に納めたい意向、その費用等の確認で、昨日改めて話した。

8年前両親の熟年離婚、郷里和歌山から母が上京、様々な経緯、地理的な事情もあり、父の仏壇、喉仏の遺骨は大阪在住だった妹の死後彼が預かっていて、彼の母である叔母の病状等もあり、今の内に親戚同意を、と思い立ったとの事で、本当に久し振りに彼と、ずっと会っていない妹さんの従姉妹の事、上のお子さんが受験だとか近況等も話した。

父への今でも一言では言い表せない感情はさておき、私自身は宗教的な慣習には嫌な思い出もあり、特にこだわりはないけれど、何だか不思議な感もするタイミング、「アルゼンチン・・」読後の、郷里の墓等にも縁遠い感傷部分が、少し和らぐような進展、というか出来事。年頭にも書いていたけれど色々あっても日々帰らないのだから、と改めて思う。

久方の映画化ばなな作品、との事で読み、映画関連では「春の雪」と思っていたけれど「博士の愛した数式」以来、で作品自体劇場鑑賞は微妙、と思っていたけれど、近隣では先週で終わったようで、やはり後日DVDで静かに鑑賞、が似合うかもしれない。昨夜「SONGS」録画。(http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BC)、「よしもとばなな」

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2007/3/21

よしもとばなな  本・映画

昨日図書館から先月頃予約しておいた本が届いた旨連絡。最近離れているけれど好きな作家の一人よしもとばななの「アルゼンチンババア」(’02)。劇場鑑賞は微妙、後日DVDになるかもしれないけれど、久方の原作映画化を知って、読んでおきたくなったのだった。

今年から英語勉強再開もあり、最近読書時間自体持っていない。日常リフレッシュとしても、洋画が(内容に集中して意識は低いものの)多少ともリスニング練習兼ねられるし、やはり近年活字よりも映像の方を選び、折あれば読みたい本もありつつ、村上龍「半島を出よ」も何度目かの借り直し。同氏の「13歳のハローワーク」を優先しようかと思ったけれど、在庫がなかった。

新作映画と合わせての原作読書も、昨年は「ダ・ヴィンチ・・」「ナイロビの蜂」だけで、邦画は「博士の愛した数式」が最新かと。「アルゼンチンババア」はめくってみると英訳付きでもあり、せっかくだしなるべく並行して進めようかと。写真やイラストも挟まれ、とっつきやすそうではある。

以前の「キッチン」「TSUGUMI(つぐみ)」映画化作品は大作ではないけれどそれなりに彼女の世界の切り口として脳裏に残っていて、昨年夏頃DVDで日本版「キッチン」は見直し香港版「kitchen キッチン」は新たに見てここに書いていた。

買って手元にあるのは「アムリタ」まで、マイベスト作は「キッチン」に入っていた「ムーンライトシャドウ」。あっさりとした文体、心理的深みを手繰るのでなく、言葉での映像描写によって、哀しみや再生を、適度な距離から適度な温度で浮かび上がらせる達人、という感。

この人のエッセイの中にあった、「人生は自転車のカゴに入れた卵パックのように、幾つか割れてしまったとしても、残りがあるから、まあ、いいか、という感覚が肝心」のような一節が、勿論どんな状況にも添うわけではないけれど、時折ふと浮かぶフレーズ。

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2006/9/20

渡辺淳一<クイズ日本の顔>  本・映画

今夜NHKのクイズ番組で作家渡辺淳一を見かけ、この人の作品は文章的には読みやすく、以前いくつか読み映画化作品もいくつか見て、最新の劇場で見たのは黒木瞳と別所広司出演の「失楽園」(’97)、映像はそこそこ綺麗で、川島なおみ主演でのドラマも折々見たけれど、どうも安易な結末な感、でさして感慨が残らず。

この人の作品で最もインパクトが残っているのは「阿寒に果つ」。詳細は記憶薄れているものの北海道を舞台に、複数の関係者の証言で描かれている絵の才能ある早熟なヒロインの少女の奔放、清冽な物語。現中村雅俊夫人の当時五十嵐じゅん、三浦友和らで映画化もされており(「阿寒に果つ」(’75))、ビデオで見た気もしつつ、記憶は曖昧。結構、小説による視覚的な印象が残っている気も。余り今読み返したい、見直したい、とも思えないけれど、今日の放映で、前にも聞いたことかもしれないけれど、自分自身の初恋の思い出を元にしており、あのヒロインも実在のモデルがいた、と聞いて、古い記憶の本ながら改めて少し感慨も。

個人的には強く興味ひかれる作品、ではないけれど最新作「愛の流刑地」も「愛ルケ」として話題で、豊川悦司と寺島しのぶ等出演で映画化、来春公開予定、との話も。(http://www.nhk.or.jp/kao/onair.html

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2006/5/11

世界は「使われなかった人生」であふれてる(’02)  本・映画

図書館に行った折映画コーナーに未読の沢木耕太郎氏の本を発見、沢木さんはやはり「深夜特急」でハマり、本の虫だった亡き妹がかなりファンだった影響もあり、ありきたりな言い方ですが、人や事物に対する距離感を保ったあっさりした文体が好ましく、そこそこに読んでいましたが最近はご無沙汰。

最後に読んだのは文庫「勉強はそれからだー象が空を(3)」でしょうか。一度「オリンピア ナチスの森で」のサイン会でお会いし握手。広い手でした。

映画とペアで原作読書パターンも「春の雪」以来食指の動くものがなく、読書自体ご無沙汰でしたが、これは「暮しの手帳」に連載していたものらしく、1編7、8ページで30編の映画評の構成。

その中にイラン映画について述べた「貧しさと高貴さと」という文章があり、それから入りましたが、キアロスタミ作品「友だちのうちはどこ?」とマジッド・マジディ作品「運動靴と赤い金魚」を取り上げており、まあオーソドックスな選択かもしれませんが、冒頭前者について”ノート1冊でこれだけのサスペンスが・・という素朴な驚きから衝撃が発した”というのは私も同様だったので、改めて親しみが。

「運動靴・・」についても”貧しさが不幸を呼ぶとは限らず家族が家族として結びつけられる・・”旨のくだりなど的確な目線。その他ざっと見た所「偶然の旅行者」「バグダット・カフェ」「髪結いの亭主」「グレイスランド」「ダンス・ウイズ・ウルブズ」「ムトゥ踊るマハラジャ」「ペイ・フォワード」等の自分の鑑賞作品含め、多彩な作品が取りあげられているようでまあ1日1,2編読んでいこうかと。(http://pliocene.exblog.jp/i6

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