2007/10/31

こころ  

「テルーの唄」の歌詞は、少し盗作騒ぎにもなったようだけれど萩原朔太郎の詩「こころ」が着想の元で、何にしても手嶌葵の声もハマって印象に残る曲。作曲は谷山浩子だった。マイベストは「河のほとりに」(試聴上から3曲目)、一時期馴染んだ乙女チックで叙情的な曲の人で懐かしい名前。何かの文庫を買った覚え。谷山談では「彼女は決して声を張らないので、その歌い方が「テルーの唄」の孤独な詞と合っていたと思います。」と。谷山版「テルーの唄」(上から2曲目)もフルコーラス聞いてみたい。(http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_interviewゲド戦記(’06)

こころ  萩原朔太郎

こころをばなににたとえん
こころはあじさいの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。

こころはまた夕闇の園生(そのう)のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかいなしや
ああこのこころをばなににたとえん。

こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言うことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。

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2007/8/29

誕生日  

昨日は誕生日、やや多忙ではあったけれど合間に母と近所のレストランへ。後日友人からプレゼントが届くかもしれない。節目として思う所はあったものの、言葉で並べてもキリがないし、とにかく日々(母の決まり文句、なるべく朗らかに)今あるものを基に、良かれと思う事は自分なりの形・誠意で、いう所で。

サガンのインタビュー集で頭に残っているのが「今の時代少しでも感受性があると、そこら中傷ついてしまいます」という言葉。生き長らえるにはある程度図太さも当然必要で、そういうものもあるから生きてはいるのだけれど、筋を通す、という事と、(我儘でなく正当、と感じられる)心の痛みのような部分も、自身未熟ながら出来る範囲で汲んではいきたい、と。

このダイアリー含めAOLでの4年程の日々も思う。当初音楽MBで環境もあり日記的に気楽に書いていた。吐き出していただけ、という方が適切かもしれない。映画MBで、参加者と見た作品の感想を交わしていた、そういう時から、様相は変り、流れ、自分なりの意識・気持もあるけれど、思えば英検記録や折に仕事の事等も書いているのも不思議。でもプラス思考で、いきたい。

昨年の誕生日には、ユーミンがラジオで読んだリスナーからの詩を書いたりしていた。先日暑くて寝付けず一部本を整理していたら、今廃刊の月刊カドカワという雑誌が何冊か出てきて、中に、定期的に詩のコーナーに応募していて唯一、佳作で掲載された’94年2月号も。余り意味はないかも知れないけれど、今年はその詩でも書いておこうかと。

何だか気恥ずかしくて、友人達には見せも知らせもしなかった。唯一、仕事で知り合い、某写真家の方と旧知で組んで詩集を出したりしていた、ずっと会っていない作詞・詩人畑の友人には見せた覚えがある。ここも一応彼女のような感覚で。当時本の虫の妹にはあっさり「どこがいいのか不思議」と斬られた。帰省の長距離バスでの深夜の窓からの眺め、が発端だった気も。近年詩等書く、というのは無縁だった。


「二人」

果てなく
水銀灯の残像が
たなびくだけの
湾岸道路

もつれた恋の行方は
ライトの帯に紛れ
闇に溶けてしまう

無口なままの二人は
触れあえず
離れられず

別々の孤独の淵に
視線を投げかけながら
寄り添う

巡礼の夜に

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2007/1/6

白紙の散乱(’93)  

「クリスマスの約束」で小田さんが歌っていた尾崎豊、モチーフの「LOVE SONG」を見かけ他の作品と共にレンタルしたけれど、やや多忙もあり、まだ途中。先日本置き場で探し物をしていたら彼の写真+詩の文庫「白紙の散乱」を発見、久方にめくっていてごくたまに安らかなタッチのページがあり一息つく。

こういう写真詩画集は、銀色夏生が先駆者、の感で、売れる前の森高千里がモデルのもの等もあった。最近は遠ざかっているけれど「つれづれノート」というエッセイ集シリーズと共に結構入手していた。作詞家としての大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」は好きな曲。雑誌でやや下の年代だけれど尾崎豊との対談の覚えも。

それと、「アイ・ラヴ・ユー〜尾崎豊との激走345日」という、鬼頭明嗣という人著作の単行本も出てきた。彼と会社を作ったりした人で、葛藤や愛着を綴った内容。買った記憶は薄れているけれど興味があって入手、あえて読み返してはいない本が、結構ある。雑誌類含め折をみて整理しようとは思いつつずっと片隅に。(http://www.amazon.co.jp/%E7%99%BD%E7%B4%99%E3%81%AE%E6%95%A3%E4%B9%B1-%E5%B0%BE%E5%B4%8E-%E8%B1%8A/dp/4041867029LOVE SONG(’01)

(C)角川書店
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2006/11/28

千の風になって  

「千の風になって」(訳:新井 満)

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

あの大きな空を
吹きわたっています


I AM NOT THERE

Do not stand at my grave and weep
I am not there
I do not sleep

I am a thousand winds that blow
I am the diamond glints on snow
I am the sunlight on ripened grain
I am the gentle autumn's rain

When you awaken in the morning's hush・・・
I am the swift uplifting rush
of quiet birds in circled flight
I am the soft stars that shine at night

Do not stand at my grave and cry
I am not there
I did not die

(Author Unknown)

               朝日新聞 [天声人語] より転載

だれがつくったかわからない一編の短い詩が欧米や日本で静かに広がっている。愛する人を亡くした人が読んで涙し、また慰めを得る。そんな詩である。 

英国では95年、BBCが放送して大きな反響を呼んだ。アイルランド共和軍(IRA)のテロで亡くなった24歳の青年が「ぼくが死んだときに開封してください」と両親に託していた封筒に、その詩が残されていた。

米国では去年の9月11日、前年の同時多発テロで亡くなった父親をしのんで11歳の少女が朗読した。米紙によるとすでに77年、映画監督ハワード・ホークスの葬儀で俳優のジョン・ウェインが朗読したという。87年、女優マリリン・モンローの25回忌にも朗読されたらしい。

日本では、95年に「あとに残された人へ 1000の風」(三五館)として出版された。最近では、作家で作詞・作曲家の新井満さんが曲をつけて、自分で歌うCD「千の風になって」を制作した。
私家盤で、友人らに配っている。新井訳の1.2番を紹介する。

(省略)

作者をめぐっては、19世紀末、米国に渡った英国人、30年代の米国人、米国先住民の伝承など諸説ある。いつどこで生まれたのかわからない、風のような詩だ。

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2006/8/28

淋歌  

今日は特に感慨もないながら自分の誕生日で、記念ではないですが印象に残っていた詩を。かなり前ユーミンがラジオ番組で読んだリスナーからの作品。録音を書きおこし「りんか」という題に聞こえ、イメージで「淋歌」と当てはめた覚えが。


淋歌

朝の海辺を
白い自転車で走り回るのは
淋しいのかな
海は僕を見て波を押し寄せる
すばやく逃げる
ペダルを踏んで

暗い闇を抜けて夜明けの海へ
僕は一人で淋しさまぎらす

陽はすぐ昇り
輝く海の色よ
道路に浮かんだ霧のためかな
疲れた僕は風に抱かれて
コーラ飲みながら淋しさおさえる

暗い闇を抜けて夜明けの海へ
僕は一人で淋しさまぎらす

もう道路には
車の鈴なりで
怖がる僕は田舎者かな
電車と並んで競争してみる
哀しい想いを投げ捨てるように

暗い闇を抜けて夜明けの海へ
僕は一人で淋しさまぎらす

遠い夢を探し
果てない旅へ
今は一人で歩き続ける

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