2009/1/5

HERO(’07)  日本

一昨年公開、一昨夜放映を一部オンタイム一部録画で見た鈴木雅之監督作品。’01年放映の連続ドラマの劇場版。傷害致死事件を巡る巨大な陰謀劇に、主人公の検事、久利生公平(木村拓也)が立ち向かっていく物語。

ドラマ版は初回だけ見たのだったか、冒頭、久利生が通販のCMをテレビで見ていたり、玄関広間からそれぞれの検事の部屋へ、という事務所は記憶にあった。顔ぶれはキムタクと松たか子以外、余り覚えなかったけれど、検事役で阿部寛もいたり、「バブルでGO!・・」のような、余り肩が凝らないテンポ。

「武士の一分」以来のキムタクの、ラフな服装、正義感テイストの検事の、ややコミック的ヒーローぶり、が一時リフレッシュ感。ドラマ「ラブジェネレーション」以来の、事務官雨宮役の松たか子とのコンビも、「ラブジェネ」の時のように、保身でなくピュアな使命感で仕事に没頭するキムタクに、好意を寄せる松たか子、の感覚で、互いにツッパリながら、の応酬が、少し懐かしかった。

筋的には、大物議員花岡(タモリ)の贈収賄疑惑もみ消し工作で、その夜歯医者に行った、という偽アリバイを成立させるために、巻き込んだ歯医者のビルの警備員梅林(波岡一喜)が、同時刻、ビルにはいず、傷害致死事件を起こしていた、という因縁で絡み、それを久利生が少しずつ解していく流れ、だったけれど、

そういう大物からコナをかけられていて、それが同時に自分のアリバイにもなるのに、どうして梅林が、捕まった当初あっさり容疑を認めていたのか、それが、自分の罪悪感の後ろめたさからの供述だったとしたら、また何故法廷で、その証言を、強制されたからだった、と覆したのか、どうも不可思議さが。

また、その梅林が、その夜起こった、犯行現場近くの火事の現場にいた、という証拠が、その放火犯の携帯に写っていた写真で、それを、雨宮らが法廷に直接持ち込んで、梅林の弁護士蒲生(松本幸四郎)がそれを証拠として認める、というのも、漫画的、ではあったけれど、

そもそも携帯での写真が、確かに火事の赤っぽい映像ではあったけれど、その問題の場所での本人とも断定出来ないのに、等、大事な証拠の扱いにしては、何だか気にはなったりしたけれど、余りシリアスな深みというより、やはり勧善懲悪のヒーローもの、の後味だった。

梅林の処分した車を追って、久利生と雨宮の韓国シーンもあって、そこでイケメン検事、としてイ・ビョンボンの姿、DVDでの「夏物語」('06)以来、日本人俳優との絡みは初めてで、2人を取り持つキーとなった韓国語科白、もあったりした。

また、ドラマでのエピソードだったのか、今一つ成り行き不明だったけれど、久利生が過去に扱った事件の被疑者で親交あるらしい滝田役中井貴一が、たまたま先日の「風のガーデン」同様、人生を達観したような物腰の末期癌患者として登場したり、放火魔役古田新太、検事達行き付けらしい店のバーテンダー 田中要次ら、ユニーク個性。絡みは余りなかったけれど、松本・松の親子映画での共演は初かもしれない。

法廷劇としてキムタクVS松本の応酬も、緊迫した臨場感、というよりエンタメ的、ではあったけれど、脇役陣の顔ぶれが、ドラマでの常連+特別ゲストが混じっていたようで、社交ダンスシーンもあった小日向文世のいつもの緩い味、姉御肌的、阿部寛との不倫関係もさり気なく匂わしていた大塚寧々、らの周囲の検事達+花岡を追うエリート肌のニヒルな特捜検事黛役の香川照之、東京地検次席検事鍋島役の児島清ら、の存在感が渋く締めていた。(http://www.hero-movie.net/index.html夏物語(’06)武士の一分(’06)

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2008/12/25

初恋(’06)  日本

月曜夜放映の録画を見た塙幸成監督作品。原作は中原みすずの同名小説、日本犯罪史上最大のミステリー、と言われる’68年の3億円強奪事件の実行犯は、18才の女子高生だった、という設定、その視点から事件までの日々、実行、その後を描いたミステリー。

やはり実際の迷宮入り事件題材、そして宮崎あおいヒロイン、とのことで気になってはいた作品で、この機会に。この事件自体は、グリコ・森永事件と共に時効になった謎の大事件、という伝説、の感触、劇中もあった指名手配のモンタージュ写真の印象はおぼろげに残っている。

この主犯者である岸(小出恵介)が、’60年代の権力への抗いの空気の中、話を持ちかけたみすず(宮崎あおい)に、自分も権力を憎んでいる、石を投げても角材を振り回しても、権力は痛くも痒くもない、頭で勝負したい、等と語っていたのだけれど、

東大生で、溜まり場のジャズ喫茶Bで一人詩集を手にしているインテリ、父が政治家、という背景は伺えても、そこまでの大事件を起こすよう、駆り立てられるまでの経緯が、どうも唐突な感だった。事件後、共犯格のバイク屋の老人(藤村俊二)を亡き者にし、岸を世間から遠ざけたのは、政界の影のようだけれど、何かの手掛かりで嗅ぎつけたとしても、岸が大臣の息子だった、という理由だけで、事件を闇に葬ろうとしたのも、不可思議だった。

まだ納得出来たのは、現行犯を頼まれ、引き受けたヒロインみすずの心情。あえて描かなかったのか、父が死に、母が兄だけを連れて出て行き、身を寄せた叔父の家は一切登場せず、また学校の教室でもポツンと一人だけ。離れていた兄(宮崎将)が現れ、渡されていたマッチのジャズ喫茶Bを見かけ、仲間入りし、そこの若者以外とは、一切交わるシーンがなく、やさぐれた、違う世界に住む感の兄とも血の通った兄妹愛、という場面はほとんどなく、孤独な風情漂う少女。

彼女自身に、体制への反抗、大事件の意義、等の意識は皆無、無垢に見え、ただ普段自分を気にかけてくれる青年から、自分が必要とされている、という一点のみで、現行犯を引き受け、相手と共にする、ある種のお祭り的イベント、の感覚で、実行してしまう。

それゆえ罪悪感、というものも皆無で、事件後大学受験に合格、でも岸の世話したアパートで、戻らぬ岸を待つ孤独、岸の自分への想いが綴られたノートを目にして涙する、その大事件とは裏腹なピュアな”初恋”の切なさが残った物語。ラストのテーマ曲は元ちとせだった。この役のやや影ある宮崎あおいは、「害虫」での彼女が重なったりした。実兄でもある宮崎将は、余り馴染みなかったけれど「EURIKA(ユリイカ)」でも共演していたのだった。

実際、実行犯が無免許者、というのは有り得ても、女子高生、というのは、その声が、現金輸送車に乗っていた数人の内、誰かは若い女、と気付きそうではあるし、やはりファンタジー的仮想物語、とは思うけれど、

それが恋愛絡み、でなくても、ある人間、集団から自分の存在価値を認められる、という、他人からすれば単純な原点で、若者が世間でいう”犯行”に走るのは、感覚的に判る気がするし、この事件は、一切人を殺めなかったけれど、ふとオウム事件が過ぎったりもした。

昭和の時代を感じさせるモノクロ風景、人物写真、折に流れた「ブルー・シャトー」「スワンの涙」「白い色は恋人の色」等の曲、流行りだしたミニスカート、首都高開通、アポロの月面着陸、等のニュース、アームストロングの「この一歩は・・」のコメントに、みすずが部屋で寝そべって「月まで行っても、歩くのか・・」等と呟いたりしていたシーンもあったけれど、

溜まり場ジャズ喫茶Bの退廃的な何か閉塞感、ラストで語られた、それぞれの若者の、故郷で実家の商売を切り盛りしている、というユカ、以外は、皆夭逝、の末路。その一人から生まれた「3億円事件」、と思えば、これはタイトルからしても、この事件をモチーフにした純愛作品、のテイストかもしれないけれど、”時代”が生んだあの大事件、というコンセプトなら、やはりそこに密かに渦巻いていた個人レベルの憤り、がもっと描かれていれば、とは思った作品だった。(http://www.amazon.co.jp/%E5%88%9D%E6%81%8B-%E3%83%97%E3%83%AC%E3%http://www.hatsu-koi.jp/

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2008/12/22

風のガーデン(’08)〜最終話ナツユキカズラ  日本

先週の最終話録画で。冒頭内山(伊藤蘭)が白鳥(中井貴一)からの、最後の手紙を読んでいるシーン、その後富良野の貞三(緒形拳)の所へやってきて、何とか白鳥に会えないか、役に立てないか、と訴えた。

白鳥とは携帯も繋がらず、連絡が取れなくなった、と言っていたけれど、白鳥が前の携帯を地中に埋めた後、後片付けに上京した時、自宅で彼女に会っていたので、連絡を絶とうとしたのは、彼女でなく茜(平原綾香)の方だと思ったし、内山には薬等を送る時の気付に富良野のエリカ(石田えり)の理髪店の住所を渡していたり、その気になれば方法はあったはず、等とは思った。

白鳥の意志、そしてルイ(黒木メイサ)が世話をしており、これまでバラバラだったし、家族だけで、他の方の申し出はお受けしたくない、と穏やかに告げる貞三。

内山が以前の白鳥の妻の事件の背後の女性、という事は、貞三も知っていたと思うけれど、そういう、そもそも家族の亀裂の因縁、また、白鳥のためなら、病院の看護婦長の座はどうでもいい、と言ってはいたけれど、白鳥のために全てを投げ打ってきた、という訳でなく、現に友人の妻という立場、を思っても、家族が世話する白鳥の最期に立ち合う、というのは、このドラマでは、実現していたとして、どうも違和感あった気もする。

実家の元自分の部屋に戻った白鳥、ルイに偽装結婚は判っていた、もう芝居はやめよう、と告げ、芝居の報酬に修(西野勇樹)に、と、キャンピングカーの鍵を渡したけれど、あのキャンピングカーは、元々、二神(奥田瑛二)から、娘(国仲涼子)を通して、同病である事を告白した白鳥へ、無言で贈られたもので、それが、また死期迫った白鳥から修に、という男同士の、ある種のエールを伝えるバトンのようなものになった。

二神は前回同様、白鳥の夢枕に幻の形で登場、生前のキャラクターには余り似合わないけれど、あちらでは花畑が本当に綺麗だ、ナツユキカズラが満開で、突然枯れるし、早くしないと見れなくなってしまう、等と天国に誘っていた。

自室のベッドで、時折貞三やルイにギャグを呟きながら、痛みと戦う白鳥、思えばこの最終回で、初めて本当に病人らしい姿、ではあった。昔、自室にテレビを買ってもらい、一人でドリフターズを見て、一人でゲラゲラ笑いながら、ふと寂しくなって泣いた、思えばそれが、自分が家族を捨てた瞬間だった、等と、何か心に引っかかっていたのであろう思い出を語ったり、医師としての思いを、搾り出すように語ったりしていた。

貞三は、これからの白鳥の最期の戦いを見守ろう、とルイに告げていたけれど、その最期も、現実的な末期の姿は避け、ソフトな扱いで、旭川で花の世話をする岳(神木君)への、白鳥の呼びかけ、ナツユキカズラの花言葉を尋ねる空耳、のような形だった。

前回予告で、茜(平原綾香)もやってきて、白鳥と再会かと思ったら、白鳥の死後3ヶ月位に、札幌のチャペルコンサートに来ていた彼女に、ルイが連絡、喫茶店で、白鳥の死を告げ、頼まれていたカンパニュラの押し花が渡される、という流れだった。

茜も、携帯が繋がらなくなり、白鳥と連絡が取れなくなった、電話番号を変えたようで、と言っていたけれど、それは、どちらかと言えば、浅い関係の知人、友人の一人、的で、やはりHPの人物関係図に載ってる通り、”恋人”という立場であって、心の繋がりの積み重ねがあったなら、

何らかの理由で突然彼が去った、としても、平気な程には自立していた、かもしれないけれど、最後に会った時も普段通り、ではあったし、何か身に起きたのでは、という場合も考えられるし、その後、何かの形で手掛かりから彼を探そうとしたと思うのだけれど、そこら辺は語られていなかったけれど、”恋人”が突然消えても、マイペースで普段の生活を続ける位、だからこそ、大ブレイクのシンガー、になれたのかも、等と思えたりも。

富良野の街角で、大画面に映った歌う茜を見かけ、白鳥がしばらく眺めて微かに微笑んだり、というシーンもあったけれど、ルイと会った後のチャペルコンサートで、押し花を胸に、今日はダメなんです、大事な人が死んだもので、1曲だけで、と断わって「カンパニュラの恋」を歌い、冬の札幌の街の、何処となく東京等よりはソフトな感のイルミネーションの風景、に溶け込んで、

白鳥と家族が、それなりの形で、和解の時間を重ねたのに対して、やはり今時の、人間関係の希薄さを出しているのかもしれないけれど、現実的で生々しい、というよりやや浮世離れした儚い淡い恋模様の美しい終わり、の演出、という気がした。癒しのミューズ的シンガー、で平原綾香の女優デビュー役、と思えば、この位が無難だったかもしれない。

ラストは、ガーデンの近くに見つけた犬を、岳が追いかけ、ルイが続き、その先は、以前白鳥が植えていた、ルイが好きなエゾエンゴサクの紫の花が一面咲いていて、その光景の俯瞰、で終わった。エンドロールは今回「乙女の祈り」の旋律。

今回のモチーフ花はナツユキカズラ、花言葉は「今年の冬に降るはずの雪」。番組最後に「緒形拳さんありがとうございました 心よりご冥福をお祈り致します」というテロップが出た。緒形さんの訃報と重なって、という事情の話題もあって始まった番組だったけれど、何だか、ある期間の終了、でもある気がして一抹の淋しさも、感じたりする。

連ドラも久方だったけれど、やはり北海道舞台の倉本作品、ストーリーとは別に、特に後半四季の豊かな自然の風景や、思ったよりも多彩な、ガーデンの花々、そのナイーブ、ユニークな花言葉含めて、一時楽しみ、潤いにもなった、珍しいドラマではあった。(http://www.fujitv.co.jp/garden/index.html風のガーデン(’08)〜第1話スノードロップ風のガーデン(’08)〜第2話エゾエンゴサク風のガーデン(’08)〜第4話ゲルニウム風のガーデン(’08)〜第5話カンパニュラ風のガーデン(’08)〜第6話デルフィニウム風のガーデン 感動の後半突入SP風のガーデン〜第7話サボナリア風のガーデン〜第8話クロッカス風のガーデン〜第9話ラムズイヤー風のガーデン〜第10話ユーフォルヴィア

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2008/12/17

風のガーデン(’08)〜第10話ユーフォルビア  日本

先週の第10話録画で。白鳥(中井貴一)の夢の中で、天国へと誘う二神(奥田瑛二)が久方に登場。生前は富良野には縁がなかったけれど、ガーデンに微笑んで立っている姿も。

久方と言えば、歌だけだけれど、白鳥がエリカ(石田えり)の理髪店にいる時、ラジオから流れてきた、茜(平原綾香)の歌「カンパニュラの恋」、番組テーマ曲の「ノクターン」と同じメロディで、これは歌詞が英語だけれど、流れた曲は歌詞が日本語の部分が多そうだった。エリカも知っていて、いつのまにか、大ブレイクの歌手、になっていた。

この茜は、もう白鳥に絡むような登場はないかと思っていたら、「風の・・」は次回がもう最終回のようで、その予告では、彼女も登場、どうやら富良野にやってくるようだった。

富良野では、白鳥がルイ(黒木メイサ)の花嫁姿を見たい、という意向をくもうと、エリカが、ルイと修(西野勇樹)の偽装結婚式、を発案、修に説明、当初、「騙すなんて出来ない」と戸惑うルイ、「茶番だし、すぐ見抜かれる」と言っていた貞三(緒形拳)も結局同意、彼から白鳥にその旨が伝えられた。

でもやはり白鳥は、偽装だと気付いたけれど、皆の好意に合わせようとする様子。もし今気付かなかったとしても、結婚式は9月3日、その月半ばには、修は家の養蜂業の関係で富良野を離れる、という、偽装には好都合もあるにしても、白鳥の命は、今年一杯持つか、という所、という事だったけれど、冬まで、という期間の間には何かぼろが出そうな、という感もする計画、

式までに、ルイも本当に修に好意を抱くようになって、以前の冗談めかしたプロポーズを真面目に受ける、という流れになっていたら理想、とは思うけれど、それには時間がなさそうで。

貞三の判断で、岳(神木君)は、父の死、偽装でも姉の結婚、という彼にとって酷すぎる現実から遠ざけるため、年内旭川のファームに行く事に。ガーデンで、「大天使ガブリエル」として別れる事になった白鳥、自分も天国へ帰る、と伝え、岳が、祖母達に好きだった花を渡してほしい、と摘んでいるうちに精神不安定になり駆け出し、追いかけて「大丈夫」、と抱きしめてなだめていたのが、最後の父らしい姿、になるのだろうか。最後に「乙女の祈り」を弾いてほしい、と頼む白鳥。

その曲が流れる中、森の塀に座った白鳥と、旭川へ向かう車中の岳との、顔の両側で両手の指を動かしての合図、というのか、これっきりだとしたら、現実的に父娘として接触、和解した白鳥とルイ、に対して、何だかやはりちょっと切ない寓話的な、父子の再会、別れだった。

今回のモチーフの花はユーフォルビア、菜の花のような黄色の花、ガーデンでいつものように岳が花言葉を教えている時、白鳥が、(岳の)父が好きな花だ、と指していた花で、花言葉は曲タイトルと同じ「乙女の祈り」だった。

次回で終わるけれど、やはりテーマ的に主人公の末期の病魔、という背景もあるかもしれないけれど、後半特に優しい展開、登場人物同士が、障害を持つ岳、余命少ない白鳥、に対する気遣いで、余り現実的な生身の摩擦は避けていて、人間臭さ的に「北の国から」とはややテイストが違う、という感も改めてしたりする。(http://wwwz.fujitv.co.jp/garden/index.html風のガーデン(’08)〜第1話スノードロップ風のガーデン(’08)〜第2話エゾエンゴサク風のガーデン(’08)〜第4話ゲルニウム風のガーデン(’08)〜第5話カンパニュラ風のガーデン(’08)〜第6話デルフィニウム風のガーデン 感動の後半突入SP風のガーデン〜第7話サボナリア風のガーデン〜第8話クロッカス風のガーデン〜第9話ラムズイヤー


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2008/12/13

バッテリー(’07)  日本

先日「SONGS」でミスチルがテーマ曲担当とのことで、ドラマ版があったのを知り、8月に映画版放映を録画したままだった、と、見た滝田洋二郎監督作品。原作はあさのあつこの小説、剛速球を投げるピッチャーの少年が主人公の、スポーツ青春ドラマ。

幼い頃から黙々と自分を磨いてきた野球少年巧(林遣都 )。でもピッチャーとしての個人の力がありながら、小学時代のチームで、キャッチャーが自分の球を受けきれず、”振り逃げ”ルールのため、地方大会決勝で負けてしまったり、教える指導者もいなかったのか、変化球は知らず、ひたすら直球だけ、その性格も柔軟さはなく強気で強情。

両親がもっと強いチーム、彼を指導出来るコーチ、監督や、球を受けられるようなキャッチャーがいるチームを探すとか、中学も、野球の名門校への入学を探ったり、という熱意もなく、母は余り少年の野球を認めようとせず、病弱な弟青波(鎗田晟裕)のために一家で母の実家の岡山の田舎に引越したり、という家庭状況、そこで出会った、牧歌的のどかなムードの野球少年達。

その中、近付いてきた人懐っこい同級のキャッチャー豪(山田健太)も、能力的には、普段はなんとかついていって、という所。また、進学した地元の中学の野球部で、顧問の教師が巧の力を認めはしても、上級生の嫉妬から起きる暴行事件。

成り行きで対決した、中学全国大会準優勝校の4番バッターさえ三振させ、そういう全国トップクラスの腕を持ちながら埋もれている天才少年、というのもフィクションではあるけれど現実的に思えばやや不可思議、親の考え方や、弟の病気の事情、特に語られてはいなかったけれど、経済面もあって、という設定かもしれないけれど、

この作品ではそういう事が問題ではなく、彼が幼い頃から野球に打ち込んできたのは、弟に両親の関心が向けられていた孤独が原点で、孤高の少年、という鎧が、包み込むような大らかな性格の豪と出会い、徐々に解けていく心の過程、がテーマかと。

言ってみれば、豪も巧の本気の球にはついていけない現実、それでも、彼なりにプライドもあり、そのポジションゆえ、実質自分が捕れないのに、思い切って投げろ、と強気な姿勢を崩さないながらも、自分の能力故全力投球できない巧へのジレンマ。

過去の苦い経験もあり、そういう豪への巧が持つ不安とジレンマ、自分の球をちゃんと受けられてから言ってくれ、と言い放ってしまえばそれまで、とも思ったけれど、とにかく能力さておき、自分(の球)を全身で受け止めようとする鈍直なまでの姿に、開いていく頑なだった心。

野球が個人競技でなくチームプレイ、という性質、その核になる、ピッチャーとキャッチャーというバッテリー、というモチーフで描かれた思春期ならではの交流や、パターン的な気はしたけれど、病弱な弟の、無垢な野球への興味、それに打ち込む兄への思慕、というものが核になって、母の心も動かされていく過程、そうなるまでの、打ち込んできた好きなものを孤独でも諦めないでいる価値、というのもポイントなのだろうかと思った。

オーディションで選ばれたらしい林君は、野球歴もあってか安定した投球フォーム、本郷奏多君の眼光を鋭くしたような、久方にクールさが似合う少年俳優、を見た気がした。両親役の岸谷五郎、 天海祐希、「転校生 さよならあなた」以来の蓮佛美沙子等はやや存在感薄かったけれど、祖父役の、元甲子園監督、という過去を持つ菅原文太が温和な貫禄のいい味だった。(http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD10188/

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2008/12/10

風のガーデン(’08)〜第9話ラムズイヤー  日本

先週の第9話録画で。白鳥(中井貴一)の病気に気付いた父(緒形拳)が、札幌の友人医師(布施博)に確かめに行き、帰りに義姉(草笛光子)、さゆり(森上千絵)に自分の動揺、事実を打ち開け、ルイ(黒木メイサ)にも知らせ、そこから白鳥の幼馴染み達にも、と、徐々に周囲の人々が病気の事を知っていく様子。

草笛光子は(多分)初登場、旭川でさゆりと一緒に住んでいるようだった。たまに登場のさゆりは、親類のようではあったけれど、白鳥の姪なのだった。幼馴染み達が開いた生前葬は、やはりやや悪乗りでの企画、だったようで、その皮肉な偶然を知ってうろたえるエリカ(石田えり)達。

今回も岳(神木君)が、ガーデンで白鳥に色々花言葉を教え、白鳥が花の中でカンパニュラに目を留め、岳が、お好きなんですか?と摘んで渡していたけれど、あれは茜(平原綾香)との思い出ある花、で、最近登場も、回想すらしないけれど、結局恋人、と言っても何だか余り生身の実体のない、モチーフ的女性、で終わりそうなのだろうかとも。

枝葉的な所で、岳が修(西野勇樹)の影響で「ウーッス」のような返事が身に付いて、ルイに怒られたり、それはコミカルでもあったけれど、台風の前ルイから、ずっとやってなさい、と命じられたガーデンの装備を、夜暴風雨の中花言葉を唱えながら一人続けていた姿に、健気でピュアな切なさも。

賑やかし的キャラクターの修は、ルイにプロポーズした事で、父(ガッツ石松)に身の程知らず、と罵倒されていたけれど、別に、その事自体は微笑ましく、何か露骨に強引な嫌がられる行動に出たならまだしも、父子の遠慮ない間柄のコミカルシーン、といっても、血が出るほど殴られなければならない事でもないのに、とは思った。

後半、ついに父が会いに来て、キャンピングカー前で白鳥との再会、「よお」と声をかける緒形さんの笑顔で一瞬にして、確執の雪解けを物語っているようだった。ゆっくりと、医師という共通点から、地域医療の医師不足の現状、あれでは病気を診るだけで患者の人間まではとても診れない、とか医師達の哲学への憂いや、家に帰ってこないか、等と語り合う2人、背景のゆったりした森の緑が、改めて豊かに感じられた回だった。

今回のモチーフの花はラムズイヤーで、花言葉は「生まれたばかりの孫の耳たぶ」、まさにそのような柔らかな感触の葉っぱに見えた。今までに登場の花も折々登場、カンパニュラの花言葉は「孫娘を嫁に出す日」だったけれど、岳が白鳥に、最初祖父が「ルイを嫁に出す日」にしていたのを、ルイが猛反対した、と言っていたり、白鳥が、父から一番したい事、生きている間にやっておきたかった事は何か、と尋ねられ、この花言葉を出して、ルイが花嫁になった時バージンロードを腕を組んで歩きたかった、等と言っていた。(http://wwwz.fujitv.co.jp/garden/index.html風のガーデン(’08)〜第1話スノードロップ風のガーデン(’08)〜第2話エゾエンゴサク風のガーデン(’08)〜第4話ゲルニウム風のガーデン(’08)〜第5話カンパニュラ風のガーデン(’08)〜第6話デルフィニウム風のガーデン 感動の後半突入SP風のガーデン〜第7話サボナリア風のガーデン〜第8話クロッカス

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2008/12/8

最後の戦犯(’08)  日本

昨夜放映の一部録画、一部オンタイムで見たドラマ。近々見る予定の「私は貝になりたい」同様、戦犯に問われた青年の物語、との事でも目に付いて。終戦の直前、上官の命令でアメリカ人捕虜を処刑、3年半の逃亡生活の末、国内で最後の戦犯裁判にかけられた佐田修さんの手記を元にした物語。

「私は貝に・・」は、あらすじでは主人公が、同様に上官の命令で捕虜を処刑、でも銃剣が腕を掠めただけ、との事で、その場で何故それで済んだのか、という状況は、作品を見てみないと何とも、だけれど、この作品では、逡巡しながらも、断われば自分の命がない状況で、やむなく実際処刑、という行為を行った見習い士官の若者、という事実の重み。

その主人公吉村修(ARATA)が、敗戦で、一挙に戦犯に問われる立場となってしまい、母や妹達にも居場所を知らせず、岐阜多治見の陶器工場で偽名で職人修行をしながらの、逃亡、というより隠遁生活。その間にも真面目な人柄が周囲に認められ、出来ていく信頼関係、というのが、改めて、真摯な性質を持つ若者が、殺人に手を染めさせられる、戦争の異様さ、理不尽を浮き立たせているようでもあった。

でも内面、その殺人行為自体の身に染み付いた罪悪感、また、逃げたのは、死刑になるのが怖いからじゃなく、自分は間違った事はしていないのに、裁判にかけられるのが判らないからだ、という母宛の憤りのモノローグ、に見える揺れ動き、親しくなった先輩職人(村田雄治)が、戦場で仲間を裏切り見捨て逃亡してきた、という過去を知って、その気持ちをどうしても聞きたい、と激しく詰め寄る姿、等、

「上官に命じられ仕方なく」という、筋の通る口実、という保身に逃げず、というか、逃げられない自分の行為自体の罪を背負おうとする、当時にしてはまともに純粋な精神、の筋を感じる主人公ではあった。価値観麻痺状況の戦時中、そういう感性を持つ者は、周囲にも見下げられ、自分も苦しいだけ、という場面は戦争もので珍しくはないけれど、

改めて、やむない状況で殺人を犯させられ、それによって深い精神的な苦痛を強いられるだけでなく、自分の命も裁かれかねない戦時中の若者、に対して、現代の、身の危険のない平和で豊かな社会で、具体的な理由なく子供、人を殺す若者、とかの皮肉も思えたりした。

後半の法廷シーンでも、実際は指名されて処刑係になったのに、自ら志願したのだ、と告げ、殺人という罪を自ら認めようとする姿勢にも、そういう潔癖さが伺え、

ひたすら自分の保身に走る上官加藤大佐(石橋凌)の姿等は、ある意味人間の、卑小さというのか、死刑は免れたい、という正直な部分なのだろうけれど、最近見た中で同じ戦犯裁判題材だった「明日への遺言」も思い出したのだったけれど、対照的に、部下を庇って責任を背負おうとした実在した岡田中将(藤田まこと)の高潔さ、というものも改めて、思われたりした。

また当時、そのBC戦犯家族が世間で受ける逆風、というのは、特に「明日への・・」等ではそういう描写はなかったけれど、近所の冷たい目、警察での、病身の姉(原沙知絵)が水を浴びせられたり、の拷問に近いような弟の行方の尋問。戦時中での英雄、が一挙に罪人となる、価値観の180度転換、の怖さ、いびつさ。

取調べ室で、母(倍賞美津子)が毅然と、A級戦犯達は、巣鴨プリズン(戦犯が収容された拘置所)で結構な待遇を受けているというのに、何故戦犯でも犯罪者でもない私ら家族が、こんな酷い仕打ちを受けなければいけないのか?!と憤りを見せる、というシーン等も、当時の市井の人々への不条理の一面、という感で印象的。

結局死刑は免れ重労働5年の刑になり、釈放後母と縁側で光の眩しさを語り合ったりしている、それはやはり命あってこそ、の穏やかだったけれど、それは彼の置かれた状況、潔さ、精神等が認められた判決、というより、刑務所の同室の韓国人青年が、それで済んだのは、アメリカが朝鮮戦争で忙しいせいだ、釈放にはなっても、自分には行き場がないし、戦争は終わってない、等と語っていて、余り美談的な後味、でもなかった。

ARATAは主演クラスでは「ピンポン」以来だったけれど、今回こういう硬派作品の、主人公の潔癖さに似合って割と好感だった。倍賞美津子も「春、バーニーズで」で見かけていたのに続き母役、気丈な物腰、で締めていた。その他新井浩文が、空襲で家族を失った恨みで自ら捕虜の処刑役を志願、裁判では保身に走る上司への憤りを行動で示そうとするのを、主人公にいなされる直情型、生身の戦時中の青年らしさ、がARATAとは対照的に脳裏に残った。昨夜「みゅーじん 岩崎宏美」録画。(http://www.nhk.or.jp/nagoya/senpan/index.html明日への遺言(’08)私は貝になりたい

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2008/12/7

私は貝になりたい(’08) AOLブログトークスレッド  日本

アクセス数:666
投稿日時 2008/12/7 10:00:14
更新日時 2008/12/12 12:00:23

公開中の「私は貝になりたい」(←関連サイトです)は、私は特に劇場鑑賞の予定はなかったのですが、今年一杯使える東京テアトル系鑑賞券で見るつもりだった「WALL・E/ウォーリー」が、券が使えるキネカ大森では吹き替え版だけ、と判り、

やはり字幕版の方が見たいので、これは他館で見ることにして、他に券が使える近隣劇場上映中の中で、一番興味あるのがこの作品、という事もあり、いずれ見てきたいと。

原作加藤哲太郎・構成橋本忍の名作ドラマが、橋本氏監督で’59年主演フランキー堺で映画化、’94年再ドラマ化、今回リメイクで、戦地から高知の港町に戻り理髪業を営んでいた主人公が、従軍中上官にアメリカ兵捕虜の処刑を命じられ、銃剣が捕虜の腕をかすめた、というだけで、戦犯として逮捕され、死刑を言い渡される、という不条理を描いた人間ドラマ。

いずれの映画・ドラマ版も未見でしたが、このタイトルは、その内容と相まって、戦争時、人間性そのものが踏みにじられる渦中での、痛みの叫び、というような印象がありました。情報化時代で言葉が氾濫する今日、「貝になりたい」、という搾り出すような重み、も思ったりします。

今回、以前のものより家族愛、夫婦愛、といった要素を強めた、とのことですが、主演清水豊松役が中居正広、妻役仲間由紀恵、その他笑福亭鶴瓶、草なぎ剛、石坂浩二等、音楽担当が久石譲、中居正広とドラマ「白い影」「砂の器」等でタッグを組んできたTVディレクター福澤克雄の初監督作品、とのことで、

このコンビ作品も私は未見、役者としての中居君と言えば、常盤貴子とのドラマ「最後の恋」でのナイーブな医学生役、の印象が残っている位ですが、今回割と熱演とも聞き、それも注目の一つです。

ご覧になった方の率直な批評、感想、コメントある方等、自由にどうぞ!(投稿でもメールでも結構です)<訂・修正、TB送受信の度に更新に。ダイアリー表示ではコメント欄クリックで感想等投稿欄に。>



3 >2 続き

投稿者:Autumn 投稿日時 2008/12/11 11:00:14
更新日時 2008/12/11 11:00:14

ラストの処刑場シーンの、足の悪い豊松が、ゆっくりとその階段を上っていく場面、私はこの作品は、映画・ドラマ共内容詳細の記憶がなく、未見とばかり思っていたのですが、そのシーンの時、多分モノクロで、やはり階段を上っていき暗闇に消えていく男性の姿と、「私は貝になりたい」というフレーズが重なって、少なくともそのラストシーンだけは、かなり以前、脳裏にある感覚がしました。劇場ではなかったと思いますが、TVで見ていたかも知れません。

物語の舞台として、スタッフが日本中の海岸を探した、との事ですが、高知や隠岐諸島の西ノ島、がロケ地だったそうで、少し日本離れしたような、雄大な緑の崖の海岸沿いの景観、東京の街の荒涼とした戦禍の傷跡、妻房江(仲間由紀恵)が夫のため嘆願書を集めて歩き廻る時の、秋の紅葉や、雪景色、等の自然美の映像+久石譲氏のワルツの曲、

実際処刑に値する罪を何も犯していないのに、という「最後の戦犯」とは違った意味での憤り、理不尽さ、やっと築いた平和な暮らしが砕かれる、やるせない不条理のストーリーと相まって、所詮人間の儚さ、脆さ、というもの、それでも、なおこの世に存在する、夫婦や家族の絆とか、自然とかの、美しいもの、という哀愁的スケール感、の後味でした。(訂正再投稿)



2 不条理と絆と映像美

投稿者:Autumn 投稿日時 2008/12/11 9:55:29
更新日時 2008/12/11 9:55:29

昨日、キネカ大森で見てきましたが、ここは、「ラストサムライ」を見に来て以来の小劇場、観客層は若い人も高齢層も。この加藤哲太郎氏の原作は、事実に基づく訳ではないようですが、自身戦犯容疑で絞首刑判決を受け、かろうじて再審で免れたものの、どう転んでもおかしくなかった、という経験を元に書かれたもの、とのことでした。

先日見たドラマ「最後の戦犯」の主人公と違い、この作品の主人公の清水豊松は、従軍中捕虜の処刑を命令され、実際は銃剣でまともに刺せず、腕を掠っただけ、との事で、その場でそれで済んだ、というのが不可思議でしたが、

そういう成り行きで、上官にかなりの暴行は受けたものの、弱っていた捕虜はその処刑場で自然に息絶えていた、という状況だった、と判り、それにもかかわらず、BC級戦犯として捕えられ極刑を宣告された悲運の若者、と言えばそれまでなのですが、

それまでの、流れ着いた高知の小さな街で、苦労して妻と築いた小さな理髪店、子供も生まれ、ささやかな幸せの中、届いた徴集礼状、中居君が演じた豊松は、余り硬派な潔癖さ、というよりは人当たりのいいナイーブな青年、というキャラクターに感じられ、

処刑を命じられた時の動揺の大きさや、妻や子供への優しい物腰だけでなく、拘置所での同室の囚人や、元上官、見回るアメリカ兵とさえ、自然と友好的なムードを漂わす感。

一晩だけでしたが、草薙君演じる若者と同室になった時は、一瞬SMAPが、と思いましたが、草薙君もどこか達観したようなクールな物腰、次に同室になった笑福亭鶴瓶は、そのキャラクターが唯一作品でラフなムードを漂わしてました。

そしてそういう主人公だからこそ、てっきり減刑、とばかり自分も周囲も喜びいさんだ、収容場代えが、宣告通りの絞首刑執行、と判った時の、落差の衝撃、ショックの大きさ。呆然とした中居君の表情、と対比しての、独房のただ滴り落ちる蛇口からの水滴、が何とも言えず悲壮な虚無感、として目に残りました。



1 「最後の戦犯」

投稿者:Autumn 投稿日時 2008/12/9 11:47:56
更新日時 2008/12/9 11:47:56

一昨夜(7日(日))NHKで放映のドラマで、直接本作に関係ありませんが、同じ戦犯裁判にかけられた若者が主人公のストーリー、とのことでも気になり、一部録画、一部オンタイムで見て感想はダイアリーに書きました。

終戦の直前に、上官の命令でアメリカ人捕虜を処刑、国内で最後の戦犯裁判にかけられた、佐田修さんの手記を元に、鄭義信が脚本、作られた物語、主人公の見習仕官を演じたのはARATAで、

自分は従軍中の背けない命令に従わざるを得なかっただけなのに、という理不尽さへの憤り、でも実際犯してしまった殺人、という罪への罪悪感、で揺れ動く、当時の若者の、純粋な性質ゆえに追い詰められていく苦しい心情、家族との絆、当時の風潮での波乱・摩擦、が描かれていて、地味な作品ですが、私は割と見応えあったかと思いました。

このドラマも、ご覧になった方の感想、「私は貝に・・」との比較、コメント等あれば伺えれば嬉しいです、自由にどうぞ!(投稿、ダイアリーコメント、メールでも結構です)(修正再投稿)
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2008/12/4

風のガーデン(’08)〜第8話クロッカス  日本

先週の第8話録画で。冒頭、岳(神木君)に再会、球根掘りを教わる白鳥(中井貴一)、この2人の接触は今の所、実の父子というより、何処か寓話的な感じ。友人医師水木(布施博)から携帯が入り、神様からなのか、最近では天国でも携帯を使うのか、と訝しがる岳。

用事は、富良野の街で緊急患者、手が足りず白鳥に応援を頼む、という内容、白鳥の病状を知るプロの医師からの要請、ではあるけれど、やはりどうも、同レベルだった患者二神が先だって病死した状況で、まだ医療活動が差し障りなく出来るものなのか、気になったりも。

帰途運転中睡魔に襲われ、やややけくそ気味に、ラジオからの「ガッツだぜ!!」「リンダリンダ」を歌う中井貴一、というのもキャラクター的にはちょっと珍しかったシーン。

エリカ(石田えり)の呼びかけで、富良野の同窓生らが開いた白鳥の歓迎会は、寺での生前葬、で、皆末期の病気を知った上なら一応趣旨的には判り易いけれど、まだ誰も知らないはずで、考えられるのは、長年富良野を離れる事になった、過去の家庭の因縁に対する、親しい者達のやや皮肉を込めた形、だったのかとも。

”仏”にならされた白鳥、弔辞として各自が白鳥の少年期の女好きぶりエピソードを暴露、うろたえながらも、心置きなくあの世に行ける、と人情味に涙する姿。生前葬、実際にも劇中でも見た覚えはなかったけれど、何だか切な可笑しいイベントだった。

終盤、街の噂を聞いてルイ(黒木メイサ)に聞きただし、息子の帰郷を知る父(緒形拳)、やはり、勘当を言い渡した事に、毅然とした筋道はあっても、年月を経て、許さないでいる自分自身が辛くなって、という常道的な流れ。

和解しに、夜キャンピングカーを訪ね、点滴しながら眠る白鳥の姿、薬やレントゲン写真等で、病気を知った時の、仄かにさす外光、懐中電灯の光を受けた緒形さんの、無言の驚きと戸惑いが滲むような演技が印象的だった。

今回のモチーフの花は白の花弁に中央が紅色のフロッカス、花言葉は「妖精たちの新盆の迎え火」、その他ブルモナリア・ラズベリースプラッシュという赤い花弁の小振りの花が「小学生の淡い初恋」等。花言葉は、祖母が亡くなった寂しさから、祖父が作るようになった、等と岳が白鳥に説明していた。

北海道と言えば、先日「「いちご白書」をもういちど」をざっと読み返していて、拝啓 萩原健一様、という文中、書いた人が、評判はどうであれ「アフリカの光」が一番いい、旨書いていて、これは劇場でだったかビデオだったか見て、内容は思い出せないけれど、とにかく北の漁港、男のロマン、眩い光、的な断片が残っている作品だった、と思い出したのだった。昨夜「SONGS 稲垣潤一」録画。(http://wwwz.fujitv.co.jp/garden/index.html風のガーデン(’08)〜第1話スノードロップ風のガーデン(’08)〜第2話エゾエンゴサク風のガーデン(’08)〜第4話ゲルニウム風のガーデン(’08)〜第5話カンパニュラ風のガーデン(’08)〜第6話デルフィニウム風のガーデン 感動の後半突入SP風のガーデン〜第7話サボナリア

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2008/11/27

春、バーニーズで(’06)ー追悼・市川準監督ー  日本

昨日「つぐみ」で追記したように、ネットレンタルDMMで発見、見た市川作品。WOWOWで放映ドラマで、原作は吉田修一の短編集。子連れの相手と結婚したサラリーマンの、他愛なく幸せな日常、その中でふと別の世界に足を踏み入れてしまう物語。

妻の瞳役寺島しのぶは市川作品で初めて、やはり本来の線太な女優の香、はあったけれど、市川マジックでの寺島、というのか、ふとした表情等、この人が何だかリリカルにも見えた珍しい作品。主人公筒井役西島秀俊は市川作品では「トニー滝谷」でナレーション、その時主人公が、原作のイメージ的には、イッセー尾形でなくこの人だった方が、とか思って書いたけれど、今回、飄々とした日常の中にふと惑いを見せる30代の男、のムードは出ていた気がした。

舞台は、一家の最寄りが聖蹟桜ヶ丘、の駅名が見えたけれど、そこから京王線で西新宿のオフィス街に通う、という筒井の日常。新宿駅からビル街へ続く地下道等、たまに歩いても、いまだにどうも私は馴染めない風景。やはり「buy a suit・・」でも触れていたけれど、私自身の東京への都会的風景への違和感、具体的に言葉にし難いけれど、今回も、それを何処か身近に馴染め易く繋いでくれるような映像、という感触がした。

女性として完成、傍にいて疲れない妻、自分に懐いている幼い義理の息子、どうも入り婿のようだけれど、サバサバ接する義母に囲まれ、穏やかな日常の中、冒頭のシーン、そして回顧からその時点に戻る構成で、買い物に行った「バーニーズ」で、自分が昔世話になったオカマ(田口トモロヲ)との再会を起点に、少しずつ現れる非日常、への意識。

目に見える疎外感は、月一回の息子が実の父に会う、という決まり事、位で、後は会社での口喧しい上司、等特にストレスの高まりが描かれる訳ではないけれど、瞳のふとした遊び心で2人でした”衝撃的な嘘のつきあい”の中の、相手の不穏な過去の匂い、とか、そういう感覚の種はちらほらとあったり、

14,5年前高校の修学旅行で、日光東照宮へ行った時、その一角の石の下に置き忘れてきた腕時計、の想い出話、それがもし今もあるとしたら、瞳の妹の画家(栗山千明)が「もう一つの時間が流れているかも知れない」等と言ったのが伏線で、ある朝、ふと会社の前まで来て引き返し、日光行きの電車に。もし時計があれば、このまま何処かへ消えてしまおう、とモノローグ。

で、日光東照宮がもう一つの舞台、時計は、あるメンタル的逃避先、の抽象的モチーフ、ではあったとは思うけれど、あの一角なら、十何年前の置き去りにした時計がそのまま、というようなファンタジー的な出来事が、実際人目につく場所でもなく、もしかして有り得るような、という森閑とした空気。

日光は何年か前初めて旅したのだったけれど、劇中と同じく浅草から東武線で行ったのだった。「buy a suit・・」の隅田川の橋辺りのシーンも少し。市川映像での東照宮の石畳、赤い門、建物、彫刻等、風景が少しではあったけれど、懐かしかった。駅前のバス停で筒井が座ったベンチに「ゆばアイス」の旗が立っていて、もう味は覚えていないけれど、旅の帰途駅前の店で「ゆば」を食べたのを思い出したりした。

妻からすれば夫の、何気ない日常からの突然の逸脱、と言えば「幻の光」('95)等思い出し、この「春、・・」の主人公はあのように、そういう誘惑に駆られはしても、消えたきり、にはならなかったし、そういう本当の危うい深みや痛みの描写、というには、淡く軽い、とも思えるけれど、

西島秀俊が特典映像で、この作品について、生きていて、色んなことに誠実であろうとする程、色んなものを背負い込むけれど、そういう背負い込んだもののお陰で救われる事もあると思う、等と言ってたのが印象的。律儀に誠実なゆえ損したり、嫌な思いをしたり、この主人公のようにある種繊細で悩んだり、軽く合理的な方が現代人としては過ごしやすいのだろうけれど、程度を越すと、そのため人として失くしているものも多い、とも改めて思う。

日常と思っているものの合間に潜む、自分自身の過去、身近な相手の自分が知らない過去、ふとした倦怠、からも、ある感性の人間にとっては、別の日常が、有り得るのではないか、と信憑性帯びる思い、というパンドラの箱、を覗き開けかけた危うさ、を斬った物語、というような感触だった。

市川監督は、30代の特に都会に住む男性の共感、を描けるか、またそういう時代を背負って行く人達を「頑張れよ」と応援したい気持ちもあった、とのことで、そういう意味では、様々な惑いがあり、日常の隙間、にもふと陥ってしまったりするのが人間ではあるのだけれど、自分の芯を大事にしながら日々歩んで欲しい、という応援的ニュアンスかとも。

筒井の息子文樹役の渋谷武尊君、が素直さが嫌味でないナチュラルさ、義理の母役の倍賞美津子もさばけていて、こちらはさり気なく”日常”に根をおろした風格、を漂わせていた。この作品で本当に当面、未見の市川作品、再度書いておくと「ノーライフキング」('89)「ご挨拶」('91)「クレープ」('93)「きっとくるさ」('93)「晴れた家」('05)は見当たらず、追悼鑑賞も最後に。

当面締めのこの作品は、西島+寺島演じる夫婦が日常を生きる東京、非日常へと逸脱する日光、という舞台への馴染みと違和感が入り混じったようでもあったり、やはり淡さの中に肌温かい感触残った市川作品、だった。エンドロールがラップ曲にのせて、画面下半分左から右に流れていたのが、今まで余り覚えなかった。昨夜「いちご白書」「SONGS あみん」録画。(http://www.amazon.co.jp/%E6%98%A5%E3%80%81%E3%83%90%http://www.wowow.co.jp/dramaw/barneys/■追悼・市川準監督■日光の旅BU・SU(’87)大阪物語(’99)東京マリーゴールド(’01)トキワ荘の青春(’96)会社物語(’88)東京夜曲(’97)東京兄妹(’95)竜馬の妻とその夫と愛人(’02)病院で死ぬということ(’93)たどんとちくわ(’98)「buy a suit スーツを買う」あおげば尊し(’05)東京日常劇場<憂愁編>(’91)東京日常劇場<哀愁編>(’91)つぐみ(’90)

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2008/11/25

風のガーデン(’08)〜第7話サポナリア  日本

先週の第7話録画で。前回、父白鳥(中井貴一)との突然の再会で逃げ出したルイ(黒木メイサ)、でもやはり気になって自らキャンピングカーを訪れ、森を歩きながら話し、わだかまりは雪解けの方向。やはり自分も不倫の恋と別れ、という経験、イギリス留学していたり、という現代娘的ドライさ、という設定の背景もあってか、この2人は意外とあっさり和解ムードになった。

森の中、初めて川の景色、そう広くはないけれど、底が透けて見える澄んだ水流で、HPでドラマMAPを覗くと空知川、という川のようで。今回ルイと岳(神木君)のガーデンでのシーンも割りと長め、ここも後にドラマ名所になるのだろうけれど、劇中、修(西野勇樹)が熊が出る、と恐る恐るだった、この森の辺りはどうなのだろうと。

白鳥が、夜かかってきた電話かメールに応じず、その後で携帯を買い替え、店で情報の入った古い携帯は自分で処理を、と言われ、森にそれを埋めるシーンがあり、その行為で切ろうとしたのは、どうも茜(平原綾香)のようで、新たな携帯番号を、再会していた昔の恋人エリカ(石田えり)に早速知らせに行ったり、現地生活の実際的必要もあるかもしれないけれど、都合の良いシフトぶり、にも見えなくもなく、

そういう風に、切ろうとして切れてしまう、今時だからこその携帯だけで繋がっている希薄、手軽な関係、それを承知で付き合っていた相手も、お互い様で、病身故の相手との距離という判断もあるかもしれないけれど、

旅立つ前、携帯での連絡は問題ない、と応じていたし、それなりに積み重ねてきたらしき信頼関係に対して、筋を通さず、そういう便利さに乗じて、短絡に切ろうとするのが、若者でもなく医師として働いてきた40代半ばの人間、としても、卑小、軽率にも感じたりした。

後で東京で荷物の整理中、彼女関連の楽譜を見て、一瞬未練というのか物思うシーンもあったり、話の流れで今後またどうなるのか、ではあるけれど、恋人(というには色んな意味で、どうも微妙な気もしたけれど)という設定であっても、そもそも相手の命に関わる重病を知らず、

思えばそれを知るのは(元)愛人、白鳥の友人でもあるその夫、医師の友人、勤めていた病院の院長、同病だった患者二神(奥田瑛二)だけで、亀裂ある北海道の父や子供はともかく、同じ東京に住んでいるらしい実の姉(木内みどり)、というのも、折に家は訪ね、昔妻の事件の時も、呼びに来て叱咤したり、それなりの密接さはあるようだけれど、やはり病気については全く知らず、というのもどうも不自然な気もするけれど、

親族だから、といって人の重要事を把握しているとは限らない、親族だからこその確執での距離、という部分もあるかもしれないけれど、現代の家族関係の希薄さ、現代人の孤独さ、というような背景も構成上あるのかと思ったりした。

それと対照的だったのが、富良野の在宅治療していた老人の臨終のシーンで、医師(緒形拳)の促しで、孫達が床の老人の手を握り、まさに亡くなった時、本当に良く頑張った、という医師から家族、また妻から患者への静かな労いの言葉、涙ぐむ妻から始めた、家族や看護士のささやかな拍手。

そういう臨終での周囲の行動を見たのは映画、ドラマでも初めてだったけれど、そう芝居がかってもいず自然な感じで、見守る緒形さんの慈悲の感触漂う眼差し、表情もあって、印象的シーンだった。ほのぼのというには厳粛で、語弊があるし、美しすぎかもしれないけれど、多少なりとも患者に愛情を持つ家族達にとっても、ある意味理想的な、その瞬間、の過ごし方の一つ、という感もする光景だった。

今回の花言葉は「大天使ガブリエルの飼い猫」「どうせあたいは田舎者、街の女にゃなれないの」「しのぶ恋ほどばれやすい」。白鳥をガブリエルと思い込む岳、いずれ真実を知るにしても、この夏位はそれに合わせて自分も大天使でいたい、ルイもそれに合わせてあげる、という弟の(障害故もあるけれど)純真さへの気遣いを父と姉が打ち合わす、という初めて白鳥が加わった仄かに家族らしい、というシーンもあった。先日カード整理中、以前の北海道旅での「幻想の丘」という美瑛の前田真三の写真、然別湖の風景カード各セットが見つかった。(http://wwwz.fujitv.co.jp/garden/index.html風のガーデン(’08)〜第1話スノードロップ風のガーデン(’08)〜第2話エゾエンゴサク風のガーデン(’08)〜第4話ゲルニウム風のガーデン(’08)〜第5話カンパニュラ風のガーデン(’08)〜第6話デルフィニウム風のガーデン 感動の後半突入SP

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2008/11/21

つぐみ(’90)ー追悼・市川準監督ー  日本

よしもとばななの小説「TUGUMI」('89)原作の市川作品。「BU・SU」と同様以前掘り出し物ビデオ店舗で買っていたので見直し。西伊豆の小さな海沿いの町舞台、旅館の娘で生まれつき病弱で短命宣言され、わがままに育った少女つぐみ、その周囲の人々の物語。

久方に見て、記憶薄れていた所もあるし、改めてこういう瑞々しさの作品だったのだった、という部分も割と。つぐみの従姉妹まりあ(中嶋朋子)が引っ越して大学生活を送る東京の街も、少しは舞台ではあっても、海沿いの町がメイン舞台の唯一の市川作品。冒頭、まりあの故郷を懐かしむモノローグと共に映る東京のビル街風景は、「BU・SU」でヒロイン麦子がやはり海辺の町からやってきた東京、と重なる気も。

終盤、まりあがバイトする店として、高円寺駅前の今も健在のYonchome Cafeが登場でやはりちょっと感慨、行ったのは大分前だけれど、劇中だとレストラン風の食事メニューもあるようで、こういうシックなムードだったか、と。今回店に母が渡しに来たつぐみからの手紙の宛先で、まりあの住所が阿佐ヶ谷(実存しない阿佐ヶ谷西)、と気付いたり。

舞台だった西伊豆の松崎という町、まりあが沼津とのフェリーで行き来のシーンもあったけれど、以前見た時より、こじんまりした町の印象、湘南の賑やかさとか、よりは市川作品に似合ってもいそうでも。折に夜の水際等ブルートーン、精霊流しの仄かな灯りが水面に漂ったり、つぐみの家の小さな旅館、つぐみ姉妹とまりあが浴衣で歩く祭りの夜店の並び、とか郷愁的な風景の数々。

やはり当時の牧瀬里穂が、エキセントリックでわがままでかなり皮肉屋、繊細さも秘めた多感で扱いにくいヒロインにはまり役で、浜辺で不良達から守ってくれた青年恭一(真田広之)へのぎこちなくストレートな興味、恋心。牧瀬里穂はこの同年公開だった「東京上空いらっしゃいませ」('90)で「帰れない二人」を歌っていたのも印象的だったけれど、この作品でも、掃除中の風呂場でウクレレを抱えて歌うシーン、があったのだった。恋愛絡みで不良達に愛犬を殺された時見せた、わが身を省みない、激しい復讐に向けた、でも現実的には機能しなさそうな行為。

彼女に振り回されつつ、そういうどこか軌道のずれた一途さを見守る周囲の人々が、その姿に感じる切なさ、のような感情。原作を読んだのも大分前、やはり市川作品的に、多くを登場人物に語らせる訳ではない、やや密度の薄さ、もあるかもしれないけれど、ばなな原作森田作品「キッチン」のように、そういう原作の空気、はうまく汲み取っているのでは、という感が改めて。「キッチン」と言えば、日本・香港合作版のヒロインが富田靖子だったのだった。ラストのやや意表の締め方、も、微妙に市川テイストらしい、というのか。

ブレイク前だった真田広之も、何処か流れ人風で、つぐみが無骨に投げかけた想い、感性を受け止めていく、淡々とした風貌。小さな美術館職員、という職種だったのだったけれど、やはり同じ頃の「ニューヨーク恋物語」での、NYに住む日本人学校の教師役同様、まだ野性味秘めた静かな精悍さ、という味。

中嶋朋子が、実はつぐみ役の方を熱望、という話は聞いたことがあったけれど、「ふたり」での石田ひかりの姉役とか、やはりこの人は個性、クセのある相手を適度な距離で見守り包む度量で”受け”が上手い、と改めて。以前どこかでも触れていたけれど、この作品でレアな水着姿、も。

周囲の大人達の脇役陣も、多くを語る訳ではないけれど、医者の故下絛正巳がおっとりいい味、娘つぐみへの言葉にならない困惑、苛立ち、愛情漂わす安田伸、渡辺美佐子、まりあの父役あがた森魚のムードは、以前より原作の人物の大らかな洒脱さに意外に近い気がしたり、 恭一の兄役で、さり気なく財津和夫が出ていた、というのも、改めて。

当面市川監督追悼としては、これで締めにしようと。訃報を聞いて以来、映画祭での新作「buy a suit・・」、双璧のマイベスト市川作品で手元にビデオがあった「BU・SU」とこの作品以外は、未見で近隣店舗にあった作品を追ってきたけれど、「春、バーニーズで」('06)はTSUTAYADISCUSで見かけたものの貸し出し不能状態、その他「ノーライフキング」('89)「ご挨拶」('91)「クレープ」('93)「きっとくるさ」('93)「晴れた家」('05)は見当たらず、今後入手したらその時に。

結局DVDで見たのは、「東京マリーゴールド」「たどんとちくわ」「あおげば尊し」のみ。この「つぐみ」「BU・SU]「大阪物語」「東京夜曲」「・・兄妹」等さえもDVD化されていないのは意外だった。

★11/26追記:先日本置き場で上村松園の記事の雑誌を探していたら「TUGUMI」単行本発見、手にしたのは久し振り、山本容子の装丁も懐かしい。アップ確認で休み明け連絡した出版社は、以前の中央公論社が、中央公論新社になっていた。この頃まだ「吉本」、ひらがなになったのは5年前だったのだった、と。

またネットレンタルのDMMで「春、バーニーズで」を見かけ、貸し出し可状態のようで、今までTSUTAYADISCUSだけだったけれど、入会して申し込んだら先日到着。1枚単位のスポットレンタル料TSUTAYA・・\525だけれどこちらは\480。見たけれど、感想はもう一度見てからに。(http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A4%E3%81%90%E3%81%BF■追悼・市川準監督■http://www.yonchome.com/cafeキッチン(’89)kitchen キッチン(’97)よしもとばななアルゼンチンババア(’07)BU・SU(’87)大阪物語(’99)東京マリーゴールド(’01)トキワ荘の青春(’96)会社物語(’88)東京夜曲(’97)東京兄妹(’95)竜馬の妻とその夫と愛人(’02)病院で死ぬということ(’93)たどんとちくわ(’98)「buy a suit スーツを買う」あおげば尊し(’05)東京日常劇場<憂愁編>(’91)東京日常劇場<哀愁編>(’91)

(C)中央公論新社
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2008/11/18

風のガーデン(’08)〜第6話デルフィニウム  日本

先週の第6話録画で。二神(奥田瑛二)から送られた治療設備付キャンピングカーと共に、富良野にやってきていた白鳥(中井貴一)。輸送したのか、自分で運転してきたとしたら、病身で大変だったろうと。「風のガーデン」で息子岳(神木君)に出会い、「大天使ガブリエル」として接近、岳の「乙女の祈り」のピアノ演奏を聞いて感涙したり、自分のチェロと合奏するシーンも。

映像だとピアノの指運びの速い部分等、本人なのか、やや微妙な気もしたけれど、中井貴一のチェロ、神木君のピアノは、番組HPだとそれぞれ初めての楽器で、練習に励んでいるとのことで、2人とも実際、そう高度ではないにしても、たしなみある、というレベルはこなすようだった。

富良野の散髪屋を営むエリカ(石田えり)が新たに登場、高校時代白鳥と恋愛沙汰があったようで、その後の白鳥の過去も知る2バツの女性。石田えりは「サッド・ヴァケイション」以来、あの時も底知れぬ愛情を持つ訳ありの母を怪演、の印象だったけれど、サバサバとした中にも過去のこだわりを白鳥に仄めかす、ケレン味ない女っぷり。

倉本作品久方だけれど、2人が昔別れた時、白鳥が見たという失意のエリカの草むらでの行為や、前回の、在宅看護の老人が、五月みどり似の看護士の世話を「カマキリさんの芋掘り」等と言っていたり、真面目な主題の劇中ふと漂う俗っぽさ、というか下世話さというのも味、だったろうかと。

二神(や経済界の影)が物語にどう絡むのか、とも思っていたけれど、今回で病死、結局白鳥の運命の投影、だったのだろうか、とも。

白鳥と岳は、父の顔を知らず、障害のため無垢な心の息子故、出来た接近で、岳はその「大天使ガブリエル」との出会いを祖父(緒形拳)に話してしまい、秘密を漏らしたのでもう会えない、と心配する孫に、大天使は今頃寝ているから大丈夫、等と言って聞かす、この2人のやり取りは、毎回何処か浮世離れしたほのぼの感。

やはり娘ルイ(黒木メイサ)との接触は避けていたけれど、合奏していたラストでついに顔合わせ。亀裂が出来ていた家族が、顔を合わせていく流れになるようで。今回モチーフの花は紫の楚々としたデルフィニウム、花言葉は「大天使ガブリエルの蒼いマント」。岳が「大天使・・」と思う白鳥との出会いの内容からか、他の花言葉も「大天使・・の贖罪」「大天使・・の飼い猫」だった。(http://wwwz.fujitv.co.jp/garden/index.html風のガーデン(’08)〜第1話スノードロップ風のガーデン(’08)〜第2話エゾエンゴサク風のガーデン(’08)〜第4話ゲルニウム風のガーデン(’08)〜第5話カンパニュラ

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2008/11/10

東京日常劇場<哀愁編>('91)−追悼・市川準監督ー  日本

市川短編ドラマのオムニバスもう1本の方。<憂愁編>と同じく2話ずつセットが3組と単独4編、ほとんど2人芝居、「社員食堂」だけが、主演岸田一徳と他の社員達の絡み。

やはり検索での情報が出てこないので、メモしたタイトルと出演者記録しておくと、

「家出娘の父」「伯父さんのアトリエ」/高品格、立原ちえみ、下元勉、鳥越マリ
「夜店」「フリーウェイ兄妹」/ビートきよし、川上麻衣子、小島三児、天衣織女
「マネージャー」/沢田研二、田中律子
「兄貴」「深夜の恋人」/白龍、大場明之、大鶴義丹、中嶋朋子
「社員食堂」/岸部一徳
「だめなヒモ」/勝俣州和、羽田美智子
「放浪癖の妹」/田中裕子、つみきみほ

の10編、<憂愁編>でもあった、2話が並行するペアの組み合わせは、空気感の似たものを選んではいて、見る側に変化を持たせる、という意図なのか、1作品と見て、不思議とそう違和感ない構成。

やはりスタジオセット、具体的な地名は「フリーウェイ兄妹」で、運転する妹に兄が新宿で降りるだろう、等と言っていた記憶位で、やはり特に東京舞台、という色濃くはなかったけれど、冒頭の、家出してピンク映画に出ている娘に会いに来た父の会話の「家出娘の父」、駆け出しの歌手とそのマネージャーの、仕事を掴みあぐねている「マネージャー」の芸能界の一面等やや一時代前の東京、の雰囲気という感も。

「フリーウェイ・・」は、近年余り正統ドラマでの覚えないけれど、動かない車の運転席と助手席の兄と妹を撮影、妹がハンドルをきる仕草、ライト、角度の変化、騒音等で走っている様子に仕立て、ゲームセンターでのドライブゲームのような、妙にレトロ感な映像だった。

印象的だったのは、「兄貴」「深夜の恋人」で、「深夜・・」は終電に乗り損ねたらしい同じバイト先の男女の公園での会話。大鶴義丹と中嶋朋子が、太宰治について話していて、短編「トカトントン」の虚無感のような事が中心、また互いの好きな短編で「ヴィヨンの妻」「きりぎりす」の名を挙げていて、

「ヴィヨンの妻」は、市川監督が次回作として準備していた、とのことだったけれど、先日雑誌で根岸吉太郎監督作品として、浅野忠信、松たか子主演で来年秋公開、と見かけ、そういう流れになったのかと思ったのだった。村上春樹作品からもあえて短編「トニー滝谷」を選んでいたけれど、そういう興味の片鱗が、この時点で、とも。「ヴィヨン・・」は未読、市川作品が実現していたらキャストもどうだったか判らないけれど、太宰作品の斬り方、また市川作品での松たか子、というのもあったとすればどういうものか見てみたかった気が。

今回この作品とか特に、余り生粋の俳優任せのアドリブ劇、には思えなかったのだけれど、終盤大鶴義丹が酔っ払いに殴られてしまう悲哀もあったけれど、2人の間のそっと通い合う共感、のようなムードが自然で好感だった。

大鶴義丹は以前著作小説も幾つか読んで、俳優としては、何か脇役で出演ドラマを見た気もするけれど、一時期追っていた「湾岸ミッドナイト」シリーズの記憶が大半、余り繊細な芸風、という印象は少なかったけれど、今回初めてやや文学青年風、ではあった。中嶋朋子はやはり上手い、と思ったけれど、若い頃の川上麻衣子、羽田美智子らの姿も。また「大阪物語」の前に、すでに沢田、田中夫婦も市川作品に出ていたのだった。

「深夜・・」とペアの「兄貴」で、ラーメン屋台を営み地道に暮らす元ヤクザだった男、そこへ食べにやってきた元弟分、の白龍と大場明之の間の、道が離れた男同士の人生の狭間での朴訥なエール、というのもじんわりするものがあった。

どの作品も、<憂愁編>と同じくやや訳あり風、日常を送っている人々に、何処となく漂うやるせない”哀愁”、それが一番感じられたのは「社員食堂」で、食堂で皆に瓶詰の「うに」を分けたり元GSメンバーだった、と話題の中心になった岸部一徳、実際のタイガース、という設定だったり、だけど、上司と先輩がその席にやってくると、単純な仕事の指示をされ、その威厳はたちまちに消え、その空気の変化への抵抗の「うに」を勧める微妙なやり取り、でも静かに上司に挨拶して去っていく姿、がそこはかとなく印象的ではあった。(http://www.cdjournal.com/main/dvd/disc.php?dno=2191080099■追悼・市川準監督■東京日常劇場<憂愁編>(’91)BU・SU(’87)大阪物語(’99)東京マリーゴールド(’01)トキワ荘の青春(’96)会社物語(’88)東京夜曲(’97)東京兄妹(’95)竜馬の妻とその夫と愛人(’02)病院で死ぬということ(’93)たどんとちくわ(’98)「buy a suit スーツを買う」あおげば尊し(’05)

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2008/11/8

風のガーデン(’08)〜第5話カンパニュラ  日本

一昨夜の第5話録画で。「風のガーデン」にやってきて、ルイ(黒木メイサ)に蜂蜜の瓶をプレゼントしたり、接近を図る養蜂業者石山(ガッツ石松)の息子修。このハイテンションな修役は、富良野塾出身の東野勇樹と言う新人、だと。

なかなか相手にされず、弟岳(神木君)にも敬遠されていたけれど、ガーデンの花の名を次々挙げる岳を賞賛、無邪気な対抗意識からか、飛んでいた蜂が自分の所で飼っているもので、それぞれ名前がついている、顔の特徴で判る、「ジュリア」「ナンシー」等と次々外人女性名を挙げて、岳がすごい、と敬意を払ったり、というような微笑ましいシーンも。

在宅看護の家で、患者、その妻と娘の意向に反して、都会から戻った長男が、父を病院に運ぶべきだ、と悶着が起こって、担当してきた訪問医(緒形拳)がそれをさとすくだり。病院勤めの経験から、末期治療にあたって、確かに病院では設備は整っているけれど、何かしら治療はしなければいけない、だから患者の家族は何も出来ず、それが悔いになって残ったりするし、患者も苦しいだけで、それは同じで、残された時間を家族と過ごせない、等と、緒形さんの強引ではないけれど、切々とした語り。

生き長らえても植物状態、という複雑なケースもあるかもしれないけれど、現実的に、たとえわずかでも正常に回復の見込み、という可能性があるならば、やはり家族にしても、出来るのであれば病院で科学的な治療、という道の方が、苦痛を含む患者自身の意向、はさておくとして、傍にいる者としては後で結果はともかく自身納得は出来るのでは、とは思うけれど、

病院に、回復の方向は見放されてしまっている、と言う状況では、帰れる”家”があるならば、心情的にはやはり家で最期を迎えたい、迎えさせてあげたい、というのも、それで実質最期の時が早まったにしても、それはそれぞれの患者、また家族の意志で、過ごすべきかとは、改めて。でも家族内にしても、意見の違いで摩擦も、というデリケートな問題、というシーンではあった。

東京の病院では、投げやりだった二神(奥田瑛二)が、前回の医師白鳥(中井貴一)の同病であるという告白に、何か心動かされ、悟りのような変化が、というくだりはあったけれど、前回一度そう思い始めると、というのか、やはり医師自身末期の病の苦痛にのたうちながらの勤務、治療、はどうも生理的に何だか、とは。でもどうやら、病院を離れる方向のようで、来週から富良野に行くのか、茜(平原綾香)に出張だと告げに会いに行ったり、平原綾香も2週間ぶりに登場だった。

これからレコーディング、という曲の譜面を読んだりしていて、白鳥がチェロを弾く、というのは初めて知ったようだけれど、前回思った、白鳥にとって気晴らしや癒しとして、に加えて、そう言えば音楽面での興味もあって近付いた関係のニュアンスも、とも。

また、病気を知り彼を訪ねてきた親友が内山、で、内山妙子(伊藤蘭)はその妻だった、という、夫が気付いていなさそうな、過去の不倫関係らしき背景が明るみに。病気の事を夫に話した彼女を「君も意外と口が軽いな」と軽くなじり、それに対し「それは亭主ですから。それに貴方の親友でしょう、あの人涙を浮かべていたわ。」等と、過去の詳細はまだ不明だけれど、そう割り切れるものかとは思うけれど、端的な対応。

今回のテーマの花はカンパニュラ、日本名蛍袋、で昔蛍を採った時入れていたものも、という袋状の形が特徴、今回茜がレコーディングする、と言っていたショパンのノクターン原曲らしい曲名も「カンパニュラの恋」。カンパニュラ・プンクタータ・チェリーベルという淡いピンクの花が印象的、花言葉は「花園の小人の禿かくしの帽子」。カンパニュラ・プンクタータ・ウェディングベル、という白い花も鈴蘭の大粒のようで、「孫娘を嫁に出す日」という花言葉がフィットな感だった。(http://wwwz.fujitv.co.jp/garden/index.html風のガーデン(’08)〜第1話スノードロップ風のガーデン(’08)〜第2話エゾエンゴサク風のガーデン(’08)〜第4話ゲルニウム

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