2018/10/21

近作の解説(スケッチの備忘録)  

「もんてん小学校楽器大行進vol.10」で初演した楽曲について、備忘録として残します。
誰かに宛てた日記というより、完全に未来の自分が振り返るための材料的な日記で恐縮です(苦笑)。


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○読経の時 - Moments prière – op.145

仏具のおりんと木魚(ウッドブロックやスリットドラムも可)を使用する二重奏。
各演奏者がウッドブロックと小さなおりん1つを占有し、中〜大のおりん3つを共有する。
2010年代を振り返り、特に地震が多かったと感じる2つの年度の地震データをもとに作曲した。
1stは2016年度、2ndは2010年度に日本国内で発生した地震データを使用し、4月1日〜3月31日までの365日間のデータを「四分音符1つ=1日」「午前=表拍・午後=裏拍」として変換。震度3は木魚、震度4はおりん(小)、震度5はおりん(中)、震度6はおりん(中大 ※初演時はお釜)、震度7はおりん(大 ※初演時はキッチンボール)に変換している。
初演時は木魚ではなくウッドブロックを使用。またおりんの音色を際立たせるためにトライアングルビーターを使用したが、撥は使用する楽器に合わせて選択して欲しい。

僕は仏教徒だからという訳ではなく、シューベルト作曲の名曲『楽興の時』のタイトルを真似てこの曲名を付けた。また亡くなられた方のご冥福と一刻も早い復興・復旧を祈って、1音だけデータにない音を追加している。(チーンとかコーンってな音を鎮魂として…。)

大地が揺れた証である一音一音を聴いて、改めて畏れを。そして静かな祈りを。


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○The angel in the marble -ミケランジェロの言葉- op.146

ダビデ像やピエタなどの作品を残したルネサンスを代表する彫刻家・画家のミケランジェロ。
彼は沢山の名言を残している。

「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ。」
I saw the angel in the marble and carved until I set him free.

「時間の浪費ほど大きな害はない。」
There is no greater harm than that of time wasted.

「美は、余分なものの浄化である。」
Beauty is the purgation of superfluities.


楽曲はこの3つの言葉をテーマとして作られたクラベス三重奏である。

彫刻は立体(3D)だ。
そこで「Dialogue(対話)、Denial(否定)、Delay(遅延)」という3つの“D”を鍵として、演奏に対話的な仕掛けを施し、ミケランジェロの言葉を否定的に捉えて、クラベスの奏法も否定(変な奏法で演奏)して、“時間の浪費”や“余分なもの”を歓迎し、遅延を伴い大理石以外の場所に天使を探す楽曲とした。

彼の言葉を否定しても、天使の存在否定にはならない。
では天使はどこにいるのか

ミケランジェロは大理石の中に立体としての天使を発見し、彫刻を彫るに至った。
であるならば、音楽家は音楽の中に天使を感じ、演奏して来たのかも知れないと考えたとき、天使の居場所が定まった。

音楽と共にある「時間の中」に見つけられるのではないか。
「時間の中」の天使を、洞窟の影やイデアの概念、或いは存在の雰囲気だけでも描き出そうと考えたとき、時間を客観視できる4次元人に観測できる形を示したいと考えた。そこで4次元人には「天」という字を観測できるような仕掛けを施し、僕はこう訴えたのだ。
I saw the angel in the Time!


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○プニペポニャンコ op.148

子育てをしていると、子どもの成長に合わせて家に増えていくものが変わるような気がする。
そんなある意味“旬”な物を使って今しか作れない曲を作ってみようと思い、昨年は粉ミルクの空き缶を使った三重奏を作った。
そして今年は子供用玩具・おしゃべりどうぶつボールの二重奏を作曲した。

おもちゃ屋さんで一目ぼれして買った可愛いおもちゃ。子どもと遊びながら見つけた奏法の数々を使って難しいことは何も考えずに作曲しました。
曲名はプニっと凹み、ペっと舌を出し、ポニャンと転がる様から考えました。

演奏…、というより、遊んでください(但しなかなか難しいです。)


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○てとらII op.147

『てとら』は2015年に作曲し、初演をしていない「トーンチャイム四重奏」。そしてこの『てとらII』はその発展版のベルハーモニー三重奏である。

G&C、A&D、H&Eの3つのドミナント&トニックを各パートに割り振り、3者が異なるテンポで演奏しているように構成されている。
具体的には、1stと2ndのテンポ比を4:3、2ndと3rdのテンポ比を4:3、3rdと4thのテンポ比を4:3とし、それを同一テンポに指定した譜面上に再構築されてある。右足左足と踏み出される人の歩むテンポが各々異なっている雰囲気にも似て、共有するテンポが無いようにさえ感じられる音楽を目指した楽曲だ。

曲を作っていて2005年に開催された「愛知万博」の「大地の塔」に仕掛けられた音具の奏でていた音楽を思い出した。あの音具は風などの偶然性がトリガーとなって音楽が紡がれていた。

計算された、しかし偶然性にさえ感じられる連続性をトリガーとしたこの曲には、なので「架空のパビリオンのための」という副題を与えた。
指揮者を立てるか3rdプレイヤーが弾き振りで演奏できるが、お客様は目をつむってお聴きになることをオススメする。


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◯スタンディング・ウェーブ現象 op.149

スタンディング・ウェーブ現象とは自動車のタイヤに起こる現象で、必要な空気圧が確保されていない状況で高速運転をするとタイヤがバーストする現象だ。
演奏者は車を運転するような奏法や、バーストを想わせる激しい奏法などを駆使してオーシャンドラムを演奏する。

演奏者は座って演奏する。最終的に「えっ?」と立ち上がるのはお客さまかもしれない。


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以上、作曲をするにあたって考えていたことや作曲を終えて考えたことのまとめである。
メッチャ恥ずかしいけど、驚くべきことにこういうことは1年も経たないうちに全て忘れてしまうのだ。(僕の残念な記憶力では…。)

尚、全曲、準備が出来次第YouTubeに投稿する予定である。
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2018/10/3

「もんてん小学校楽器大行進vol.10」に思うこと  モブログ

この週末6日(土)に、両国門天ホールで『もんてん小学校楽器大行進vol.10』が開催されます。

第1回が開催されたのが2008年6月29日。
当初は、会場にマリンバなどの大型打楽器を用意することができない状況(費用面とかゴニョゴニョな理由で…)に絶望し、演奏者が楽器を持ち寄ることのできる範囲の小物打楽器曲を探したりもしていました。でもそんなマニアックな楽曲って、全然なかったのです。

そこから「ないものは作るしかない!」と腹を決め、小物打楽器二重奏を中心として沢山の曲を作って来ました。その数30曲以上!

アホな曲が多い傾向にありますが、どの曲もそのとき考えていたことなどを羅針盤にして書いて来ました。
また、様々な方に出演して頂き回を重ねることができ、昨今ではアホさがウケたのか?世間様に拙曲を知って頂けるようにもなった訳で、もんてん小が色んなキッカケになった訳で、本当にありがたく思っております。


あれから10年の月日が流れ、今年は10回記念の回となります。
というわけで(もないのですが…)、今回は特に気合を入れて打楽器チームの曲を作りました。

なんと演奏する曲全てが新作初演です!
こんなにたくさん曲を作っていると、以前にも使用した楽器で新しい曲を(例:またトライアングルの曲か…)、ということが当然起こります。
それは悪いことではないのですが、やはり「そんな楽器もありましたかっ!」という驚きや、「その楽器だけで演奏するってマジですか?」という所に斬り込んで行かねばと思いますし、自分がそもそも斬り込んで行きたい性分なのでしょうね。

今回も「は?」な楽器を使用した新曲をご用意しています。

全ては公演当日、簡単な楽曲の解説とその曲を書くに至り考えていたことなどをお話しさせて頂きながら、初演して行きたいと思っています。

14:30開場、15:00開演です。
ぜひお越しくださいませ!
(僕に連絡くださればチケット用意できます!)
http://www.monten.jp/20181006

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2018/9/28

最近グッときた音楽  

漠然とですが最近好んで聴いている楽曲について、今の試聴感を添えて紹介してみます。(ほぼ、未来の自分に向けたブログで恐縮ですが... 苦笑)

Javier Contreras EL MIRADOR DE LOS SOÑADORES


ハビエル・コントレラス(Javier Contreras)は1983年生まれの、つまり同世代のチリの作曲家・ギタリストです。「南米ギターの最先端」とも呼ばれる彼の音楽は、陰影があって美しいと思います。個人的にはm『8.Euclídica』がパッと聴いた感じとても好きです。
大好きな作曲家・坂野嘉彦さんの「舞踏詩」に収録され、後にマリンバ版の「里神楽」として発表された作品群と近い匂い(音楽的なベクトルとしては全く異なるけれど、深さや味わいの充実さについて勝手に類似点を感じているのです 汗)を感じている。

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久しぶりにアニメを見ていたこの夏。
「ルパン三世」を見ていたのですが、『ルパン三世のテーマ2018』にグッときました。


曲としては「ルパン三世 カリオストロの城」でも使用されていた『ルパン三世のテーマ'80』を下敷きにしているのですが、フランス風味なアレンジでヴィブラフォンに代わってアコーディオンがメロディーを演奏しているのが特徴的です。
個人的に今回のバージョンでグッときた所はBメロです。
それまでウォーキン・ベースだったと思ったのに、突然チョッパー奏法でフュージョン的になるんですよね。
CASIOPEA好きな僕としてはですね、「櫻井さーん!」と叫びたくなる案件ですw

※参考:CASIOPEA:Perfect LIVE
(幼稚園児代、登園バスの中で毎日鼻歌で歌っていた音楽ですw)


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今期のアニメからもう1曲。
『スリピス』を推したいです。


ピアノ、エレピ、ハプシーコードなど、充実の鍵盤楽器アンサンブル。
Hi-hatは8Beatで刻み、Bdはより細かい16Beatで動いていることで生まれる躍動感、レゲエやJazzなど様々な音楽のノリをつまみ食いしながらサビに到達して...。
とにかくこの危ういオーケストレーション、調整、音楽的(&歌詞)な遊びが絶妙で、不思議な中毒性があります。
僕、大好きです!

その意味では『ハレ晴レユカイ』がグッときた時代から一皮剥けて、より充実感のあるサウンドにアニソンも到達しているのではないかなと思っています。
(※ハレ腫れは名曲だよ!)


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久しぶりに「ハルヒ」というキーワードに辿り着いたので振り返ってみると、『Got Knows』は神曲だと思う。


...、ちゃんと細かく話すと、RocKとしての転調への向かい方、そしてCodaに向けて転調したことによる高揚感と快感は、アニソンの中でも素敵な楽曲の一つだと思うのである。

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アニソン(Op,Edテーマとして)脱帽したのは、「クビキリサイクル」のテーマ曲として採用されたKalafinaの『メルヒュン』。
残念ながら、この記事を書いている時点で活動休止が決まっている3声の女性ヴォーカルによるユニットの楽曲である。
かなりカッコいいハモり&5拍子を含む言葉のリズムに重力を持つ楽曲。
“音楽の重心”について、勝手ながら考えされる楽曲だった。


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今年はなぜかラヴェルのボレロに振れることが多かった。
今年はラヴェル・イヤーだったろうか?と首を傾げながら、様々なオケや2台
ピアノ版のボレロを聴いた年だった。

ある日、仕事を終えて帰宅して、何の気なしにYouTubeを開くとオススメにこんな曲があった。
坂本龍一:Blu


Sakamoto版ボレロだと思った。
でも、当たり前だけれど、ラヴェルらしさは感じられる「SAKAMOTO:だなと思った。
バルセロナ・オリンピックの入場行進曲でもあった坂本龍一氏の『EL MAR MEDITERRANI』に近い雰囲気を感じたのである。


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ここ数日、あれこれ考えながらたくさんの音楽を聴いた。
そして、今あれこれ考えている自分と、そんな自分に対して無限遠点にいる連続性を持たない自分の存在を、DNAの2重螺旋構造におけるAとT、GとC(=絶対に交わることのない無限遠点に存在する自分の意志)のように感じながら、無限遠点の自分の考えに触れたときにひらめくのかも知れない。つまり、「ひらめき」の正体はパラレルワールド、或いはDNAの二重螺旋のように並進する世界線上の僕との会話からもたらされるものなのかも知れないと思ったりしています。

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未同定という時間に縛られないサウンドを生み出すバンドがある。
「オッケーです」という曲が好きです。
オッケーです



今日、たまたま調べごとをしていたら、「再構築まだですか?」と僕ではないある人に向けられたメッセージを見る機会があった。

僕もそろそろ再構築したいと思っている所です。
虚構ですが...ね。
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2018/9/21

最近の頭の中  

久しぶりの日記です。
あまり小難しくならないようにとは思うのですが、最近あれこれ考えていた事をやっと多少客観的に考えられるようになったかなと、これ以上放置したら忘れ去ってしまうだろうなと思ったので、随分前からスマホで書いていたけれど投稿できなかった文章を、頑張って言語化してみます。

実際の時間より体感した時間が短く感じられたとき、その間に触れていた事象をポジティブに捉えていたと観測することができる場合、「時間の経過が短く感じられる事象は好意的に感じられる事象である」と仮定することはできないか。


いきなり言っている意味が分からないと思いますが(笑)、端的に言えば「楽しい!」とか「充実した時間を過ごした」と感じた際の時間の経過の感覚についてである。(といっても分かりにくい 苦笑)

かつてアインシュタインは言った。
「熱いストーブの上に1分間手を当ててみて下さい、まるで1時間位に感じられる。では可愛い女の子と一緒に1時間座っているとどうだろう、まるで1分間ぐらいにしか感じられない。(それが相対性です)」

熱いストーブの上に手を当てるというのは、一定期間に触れていた事象をネガティブに評価した際の時間経過の体感である。
対して可愛い女の子と一緒に過ごす時間をポジティブに評価した際の時間経過の体感だと言い表すことができる。

時間の経過をポジティブに評価できる状況を与えることが、時間の経過を実際より短く(速く)観測させる効果であると言えるならば、時間の経過を実際より短く(速く)感じされる事象は、観測者にポジティブな印象を与えるということになるのではないか。

とここ最近、考えていたのである。
(えっと、これで説明できたつもりに僕はなっていますが、大丈夫でしょうか?)


そうして改めて思うのです。
テンポを規定している「時間」とは何なのか。
音楽における時間とは何なのか。


僕は音楽が時間に縛られたものや縛られるべきものだとは思っていません。
ヒトの感覚がウェルカムならば、時の流れを忘れさせるような音楽があっていい。
というか、心を奪われるような芸術作品は大抵、時間という概念に縛られない魅力を持っているように思う。


時間。
時間とは何なのか。


今年は、特に「時間」というものについて様々な角度からアクセスを試みるような曲を書いている。

4次元人(縦・横・奥行・時間 を客観的に観測できる人)に向けた楽曲とか。
時間の流れる速さについて改めて考えた楽曲とか。

当然のことながら、時間は一定に流れていると思っています。
ただ僕が感じて(観測して)いる時間は筆圧が一定ではなくて濃淡があり、より濃い状態が良い状態とは思っておらず、その濃淡のバランスが大事だと思っています。

スゴく調子がいい日もあれば、悪い日だってある。
楽譜がスラスラ書ける日もあれば、一音も書けない日がある。
濃いと薄い、両方あるから具合がいい。

その濃淡を楽譜や音楽に表現できる技量はまだ僕にはないかも知れないけれど、今は時間について想いが濃くなっているので、この隙に時間について濃いめの何かを残せれば良いなと思って曲を書いています。

と同時に、濃淡の少ない音楽についても想いを巡らせてみたり。
作曲も考え事も濃淡のバランスかも知れません。
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2018/8/16

近況報告  モブログ

こんばんは。
非常に珍しく「この場を暫く動けない」「陽は暮れた」「腹が減った」という条件が整ったので、勇気を出しておひとりさま夕飯をしてみました。
(珍しいのは「おひとりさま」で外食したということなのですが… 笑)※写真参照

非常にバタバタとした毎日を送っておりまして、たまたま数年前の自分の仕事(作曲)について調べなきゃ!と思ったらこのブログしか資料がなくて(苦笑)、改めて自分にとってこのブログの意義(というと大袈裟だけど)を痛感している次第です。

また自分には折木奉太郎くん(とある作品の主人公)のような「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」という要領の良さもなく、「やらなくて良いことも大いにやる。やらなければならないことは頑張ってやる!」という感じでやっておりますが、これ以上やるといろんな意味で大変なことになりそうだ…、と思ったりもする30代後半戦を勤しんでおります。


近況報告といたしまして、10月に「もんてん小学校 vol.10」の開催が決定しました。(チラシ見てね!)ありがたいことに長く続き、問題作(!?)を多数発表させていただいております。
もう小学10年生=高校1年生ですからね。(その辺は関係ないんですがw)
現在は鋭意作曲中!という感じです。


息子が生まれてから、「曲を作らなきゃ!」と思わなくても、思いついたらスケッチを書いて曲を書くように心掛けていたのですが、不思議なものでそういう時に思い浮かぶ楽曲というのは、「いや、そんな編成の曲やる人いないって!」と思うような楽曲ばかりなので困ったものです。
それでもスケッチしたものの中からいくつかのアイデアは曲に仕上げて発表できればと思っています。

のちに振り返った時ように書きますが、今スケッチしている中で最も「!?」な曲は、マリンバ十六重奏です。
『流花 - Flowers Flow Through Leonardo of Pisa -』という仮称も付けてありますので、もし未来に脱稿するようなことがあれば2018年にはスケッチ書いてたんだ!と自分が気づきますように。


閑話休題。
作曲で最近思ったことは、「何かのデータを音楽に落とし込む」「何か特別なルールを自ら定めてそのルールの中で作る」ということに自分は向いてないなぁ、と感じたことです。
前者は「音からデータに逆変換できる可能性があるかも!」と盛り上がっていた時期もありましたが、少なくとも逆変換したくなるような魅力的な変換方法を見つけることに自分は向いてないなと感じた次第です。
変換系の音楽を否定する意味ではありません。そのような手法で書かれた楽曲で好きな曲はいくつもあります。単に自分にはその素質がない!と思い知ったというだけのことです。誤解のないように。(それでも始末の悪いことに書いたり、描こうともがいたりはし続けると思いますが。)
そう言いながら先日1曲書きました。詳細はまた改めてお伝え(ここに記録)できればと思っています。

後者は「あらかじめ定めたルールが、曲を書きすすめるうちに足枷になってくる」という現象があるためです。
ルール設定が甘いのか、ルールに縛られたくないという潜在意識があるのか、書いていてふと「邪魔だな」と思う瞬間が来た時に、「ルールを守る vs 破る」ということを検討している自分がいるのです。大事な検討ですが、曲を書くために考えたルールにどこまで従うのが問題は、あまり難しく考え過ぎずに対処していくのがいいのかな?というのが現時点での考えです。


作曲はそんな感じですね。子育ては楽しくやっております。息子が可愛くて仕方のない親バカをやっております。

その他の様々なことにも、影ながら関わらせていただいております。
拙曲を多くの方に演奏していただいたり、録音・録画・ステマネなどのお手伝いをさせていただいたり、エキストラでお手伝いをさせていただくこともありました。

今週末も毎年お世話になっているバッカス・マンドリーノさんのコンサートでお世話になります。
とても楽しみです。

さて、そろそろやることやらないとね。
それではまた。

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2018/8/12

音の手ざわり  モブログ

最近、漠然とだけれど「耳が悪くなったなー」と感じている。

別に難聴とかではないし(健康診断の聴力検査も余裕でクリアしています。実は子供の頃、耳が弱くてあんまり聞こえない時期があったこともあるのですが…)、単に「経年劣化(=老化)だな。」と受け入れられる範疇なのですが、そのこと自体をちゃんと受け入れられることは一つ大事なことかなぁと思ってもいます。

あ、コレ、気のせいかも知れないです。
先日、電気屋のハイレゾ対応プレイヤーで音を聴いてその艶やかさに圧倒されたりもしたので。


ただ、音を感じることについて、耳に頼りすぎないというか、音を聴いて匂いや色を感じるように他の感覚でも補っていくことで、より色んな味わいが持てるかなー?などと考えたりしています。

僕の場合、音に「手ざわり」のようなものを感じるので、そちらの感覚を鍛えようかしら?なんて考えています。


あ、HPを更新しましたのでよろしければ確認してみてくださいまし。
よりローテクなサイトにしてみました(苦笑)。
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2018/7/23

小さなまーるい古時計  モブログ

子供の頃、古くなった実家の増改築工事を経て、自分の部屋を手に入れたとき、親に買ってもらった掛け時計がある。
この時計は自分で選んだもので、小学生高学年〜中高生時代、さらには高校・浪人生時代まで僕に時を教えてくれた時計だ。

大学生になって一人暮らしをはじめるときも、当たり前のようにこの時計を新居に連れて行き、僕の生活の時を刻む役割を果たしてくれた。
よく友人が遊びに来る家だったので、我が家を訪れた人なら誰もが何気なくその時計を見たことだろう。

少なく見積もっても20年。長めに見積もれば25年。その時計は僕の生活と共にあった。3.11でも止まらずに、電波時計だけあって、いつも正確な時間を刻み続けていた。


何日か前、時計が止まっていることに気がついた。
電池が切れてしまったのだろう、そう思って電池を入れ替えて電波を受信し、また正確な時を刻んでくれていたのだ。


しかし今朝、彼は止まった。
電池を入れ替えても、電波を受信しようとしても、うんともすんとも言わない。寿命だろうか。
テスターがあれば回路のチェックができるのだが…。できたとして直せるのかは分からないけれど。


電波時計の寿命はあいにく存じ上げないのだが、『大きなのっぽの古時計』を時計の一生のうたと捉えて号泣したことがある自分にとって、長年連れ添った時計が止まるというのは、一つの時代が終わってしまうような、淋しい気持ちになってしまう。

もう少し直すことができないか色々やってみたいと思うが、寿命というのであれば受け入れたい、、、、と、思っている。

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2018/7/12

少し前に漠然と考えていたこと  モブログ

人類が作り出すもので、光子より細かく且つ遠くまで長く届くようなものはない。
にもかかわらず、m単位またはcm単位の体長を持つ人類がmm単位やnm単位のようなミクロな、或いはとてつもなく細やかな繊細さを常識にしようと追い求めているような、ふとそんな事を感じてしまった。

m→cm→mm→nm

もちろん微細な世界の研究が現代の科学技術の進歩や現代人の生活に不可欠であることは理解している。
例えば、集積回路の実装密度、ヒッグス粒子をはじめとした素粒子研究や重力波の観測など宇宙の仕組み及び神の数式に関する研究、原子時計やコンピュータ・トレードなど。

しかし、その繊細さの先には何があるんだろう。
良し悪しはさておき、追求することで新たな地平が見えたり新たな技術が開発されたりすることは確かにある。
一方で、コンピュータ・トレードが投資という概念(一回り大きな単位)の価値観を破壊しつつある(ように僕は感じているのですが…)ようにも感じてしまうのだ。
世界の仕組みが密かに確実にあまりにも細かすぎることを支柱に回り始めていることで、人類は苦しむことにはならないのだろうか。

「仕事中にジュースを飲むとは如何なものか」

そのような細か過ぎる(と僕は感じる)美意識から、無色透明なドリンク類の開発が現在盛んになっていると聞く。

無色なら何でも良いのか?とツッコミを入れたくなるところはグッと堪えつつ。
閑話休題。


つまり日常世界については、もっと大らかでも良いんじゃないっスか?と感じているんです。

nm→mm→cm→m→km→光年へ、

さらに言えば、自分は「cmな人」と感じる人は、「mな人」にcmの美意識や価値観を押し付けるべきじゃないと思うし、「mm」な人に押し付けられるべきじゃないと思うのだ。

むしろ紙ヤスリみたいに、その細かさに適した世界がある訳で、みんな異なる細かさだからこそ仕事は成し遂げられると思うのだ。

相互理解だってできない訳じゃない。だって1cmは10mmなのだから。
より細かな単位を知っていて、その大切さも理解した上で、身の丈に合った単位で生活していたいものだなー。そして、必要に迫られたらダイヤルを回して多少単位を変えて動けるくらいが良いかなー、と思ってみたり。



mmな人「俺的にはここは38mmだと思うんだよね。」
cmな人「なるほどー。4cmくらいっすか?」
mmな人「2mmデカイよ!」
cmな人「なら、4cmまでやっとくので、あとの2mmお願いできますか?」
mmな人「了解。」
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2018/5/26

Marimba effectors  モブログ

仕事と子育てに忙しくも充実した日々を過ごしておりますが、寝る前や早く目が覚めた朝などに誰に頼まれたわけでもなく楽譜を書いている。

今朝、新曲『Marimba effectors』を脱稿した。
どんなことを考えてどんな風に作曲したのか、例によって書いておこうと思う。

学生時代にWestlake作曲『Fabian Theory』を演奏して、それまでギタリストの専門分野と思っていた「エフェクター」について興味を持った。
よく自身で録音した音源を編集しているが、せいぜいEQやReverbなどを使用するだけで、その他のエフェクターは搭載していても使用することはなかったのである。

※参考:Fabian Theory
https://youtu.be/kY8BO5ql83w

一方で、倍音sのライブなどで“人力テクノ”(と呼んで差し支えがあったらゴメンナサイ)に接していたので、「エフェクター(的な効果)も人力で出来るんじゃね?」と漠然と思っていたことが下敷きにあった。

※参考:倍音s
https://youtu.be/9Ni7Wol_ar0
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まず、Delayはミニマル・ミュージック好きなだけあって直ぐに思いついた。そして音色の変化を味わう為にLoopも必然だと考えた。そこをスタート地点にイメージを膨らませていたら、音響卓のフェーダーをいじって鳴らしているような音楽を作ってみたくなってきて、Harmonics、Doubling、Pitchshifter、Echo、などのエフェクトと卓のフェーダーで音を抜き挿ししていく音楽をイメージして作曲をはじめた。

保育園の送り迎え、ベビーカーを押している時に鼻歌で歌ったものを楽譜にしていく感じ。
次のエフェクターに切り替わる時には音域を変えるなどの工夫を施したが、イマイチ変化に乏しい。また調性感がイメージと異なるのでは?と疑いはじめてもいた。

試しに唐突(強引)に転調してみたらしっくり来た(笑)。
調性感から自由になると、次に拍子感からも自由になった(笑笑)。

曲の終い方には悩まされたが、今書かれているフレーズは、複数のトラックの音色が混じり合ったものなのでは?(例:1〜3chの音が混じって、1stの旋律線が構成されている!)という考えから、フレーズを構成する音要素を間引きしていき、曲を閉じることにした。

右手でメインフェーダー(ベロシティ)を調整しながら、左手で各chに割り振られている音のフェーダーを落としていくイメージ。(って、伝わるかな 汗。)

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演奏者や聴き手にとっても、この“音響さん的な音の楽しみ”というかなりマニアックな視点は困惑するものかも知れない。

けれど未知なるモノに触れながら、或いは立ったことのない視点から“いつもの”何か、この曲においてはマリンバの音にもう一度出会ってみるのも、なかなかに面白いことなんじゃないかな?と思う今日この頃である。

(相変わらずの残念な語彙力でスミマセン。)

【DEMO】Marimba effectors
https://youtu.be/GgNGEx8U4cw
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2018/4/16

宮古島の旅行録  

お久しぶりです。
相変わらずお仕事と子育てと音楽とでとても大忙し充実した日々を送っております。

そんな4月の最初の週末。
友人の結婚式に参列する!ということに託つけて、沖縄県宮古島へ旅行しました。
もちろん家族(1才10ヶ月の息子も一緒!)で出かけました。
旅の記録も兼ねて、当たり障りのない範囲でここに書いてみようと思います。

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4月6日(金)
早朝(5時台)からなぜか元気いっぱいの息子を連れて羽田空港へ。
7時台の那覇行きの飛行機に乗りました。
乗り物好きで飛行機もビデオで見ていた息子くん。実物の飛行機に大興奮!
「お手伝いが必要なお客様」(幼児連れだといろいろとケアをしてくれるサービスがあるのです!)を活用して比較的負担なく搭乗を済ませ、機内も離陸もへっちゃらで、「大好きな乗り物に乗ってしまうと眠くなる」という親思いの特性が発動し(単に朝早かったから眠かったのだと思う)、飛行中はぐっすり。母もぐっすり。
飛行機好きの僕は興奮気味に窓の外を見ておりました(笑)。
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那覇で乗り継ぎ。
お目覚めの息子くんは半袖に着替えて出発ロビーを走り回っておりました(笑)。
父母は交代でランチを済ませたのですが、立ち食いそば的なところの無料の水が死ぬほど美味くて感動しました。(東京の水ってま○い...)

小さな飛行機で宮古島に降り立ち、レンタカーを借りて移動開始!
まずは西松屋へ行きました(笑)。
お茶とか砂遊びセットなど息子くんグッズを購入して、隣のスーパーで地元の食材(と酒)を物色。
鮮度抜群のカツオの刺身が安く売っていたので興奮して購入。
早いところチェックインして味見しようぜ!ということになりました。

お宿は宮古島東急ホテル&リゾーツ。リゾートホテルって初めてでしたが、メッチャ良いですね。お部屋もさることながら、サービスが行き届いているので小さな子供がいても心配ないし、設備的に素晴らしい!
お天気がいまいちでしたが、部屋でカツオを食べた後は息子を連れて館内探検して遊んでました 笑。
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夕飯は新婦さんのお誘いで市内の「うさぎや」さんへ。
車移動だったため、市内中心部の駐車場事情はネットで予め調べておいたのですが、ネットで見かけた「市役所に停められる」は夕飯時は通用しないようで、市内をぐるぐる回ってやっと見つけたパーキングに停めました。
お酒なしの居酒屋で三線や沖縄音楽に触れていたのですが、息子くんがご機嫌斜め。
「お外(をお散歩しろ)!」と泣いてきかないので、市内をうろうろしました。
個人的には建物とか夜の空気とか味わえてそれはそれで有意義な時間でした。
お店に戻ると大泣きするので、仕方なく中座。
一足先に宿に戻ってお風呂に入って眠りました。

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4月7日(土)
挙式当日。雨の予報だったけれどなんとか曇り(晴れ男の面目躍如?)。
しかし寒冷前線通過に伴い、メッチャ寒い&風強い!
そんな中、大変美しいことで知られる与那覇前浜ビーチでの挙式に参列しました。
「人前式」ということでしたが、寧ろ大自然に立ち会ってもらっての挙式のように感じました。
良い式でした。お幸せに!
(フラワーシャワーが風で一瞬で飛び散ったり、大事なシーンで風が強くなったり、そう言うのも良い思い出です。)
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式の後は、「島の駅みやこ」へ行きお土産を買ってランチを食べ、宮古島海中公園で海中の魚たちの様子を見て、雪塩製塩所で塩のお土産を買う&隣の貝ショップで法螺貝を吹き捲くり(ジョン・ケージ「Third Construction 法螺貝大会!」みたいになってました 笑)、海の向こうの島へ行こう!って池間島へ車で渡り、ハート岩を見て、島尻のマングローブを見てホテルに帰りました。
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一旦宿に戻ってから、結婚式の二次会(?)へ参加するため、市内の美琉太陽(みるてぃだ)へ。
雰囲気も良く、お料理もおいしいお店で、生演奏に適当に飛び入り参加させて頂いたりして楽しかったです。息子くんも楽しかったみたい☆
歌を歌っている方が「宮古島民謡集(記憶が曖昧ですが)」というのを譜面台に置いていたので、その本についてお話を伺うと・・・。

この本について質問を受けたのは初めてです!

とたいそう驚いておられました(ヘンな人でスミマセン 笑)。

言葉の意味もさることながら記譜についてお話を伺い、これはどこで手に入るんですか?と質問したら・・・。
「TSUTAYAです!」
というまさかの回答を得られて、非常に満足しました(笑)。
もちろん地図上でTSUTAYAの位置を確認しましたが、行くことはありませんでした。また行く機会があれば是非!


天気予報では、夜は晴れるかも...、となっていたのですが、あいにくの曇り空。
宮古の星空を見る夢は叶いませんでした。。。

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4月8日(日)
最終日。快晴!
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ウェットスーツを着て泳いでいる人が「寒い!」というくらいの陽気。
波も風も穏やかで、日向は少し暑いくらい。
こんな陽気なら、あと2日ここに居たいと思いました。
蝶が舞い、鳥の声がせわしく、波の音が穏やかで、光がきらきらで、どっちを向いても景色が美しく、息子くんも「キレイ!キレイ!」って連呼して楽しそうにしている。。。

ここは楽園だ!と思いました。

旅行や観光って、貧乏性なので下調べして効率的にいろいろ見てまわろうってしちゃうんです。
試しに公開してみますが、旅に出るときには毎度入念に調べてこんな地図を用意しているくらいなんです。



でもね、多分初めてです。
「とりあえず、この浜辺で飽きるまで遊んだりぼーっとしてても良いんじゃない?」と思ったのです。

理由は多分3つくらいあって、、、
@島がそれほど大きくないので、事前に入念にルートとかを決めなくても車で30分くらいでどこへでも行ける余裕。

A「あそこへは行きたい!」みたいな絶対的エースみたいな観光スポットが存在せず、というか島全体が観光スポットなので自分で居たい場所にいれば良い!みたいな雰囲気がある。

Bホテルで欲しいものの全て(食べ物、飲み物、冷たいもの、温かいもの、休める場所などなど)がいつでも手に入れられる状態にある。

ためだと分析しているのですが...。

時間はむなしく流れ、チェックアウトの時間を迎えました。
チェックアウト後は向かいの島・来間島にある竜宮城展望台へ。
「ここから見える海は、多分、東シナ海なんだよなー」と、日本海を見たことない僕は思ったのでした。
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旅の最後に、どうしても行きたかった漲水御嶽へ。
「御嶽」はその地に暮らす人さえ立ち入りを禁じられている場合もあるため、訪ねても問題のない場所を予め調べて伺いました。
逆に訪ねては行けない御嶽も調べていたので、車でその前を通過するときなど、心の中でハッとしながら旅をしていたのでしたが、この漲水御嶽は寧ろ旅行者は必ずご挨拶すべき御嶽という情報もあるくらい。

漲水御嶽の隣にある「宮古神社」に車を止め、まずはそちらを参拝。
御朱印も頂きました。
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そして「漲水石畳道」を通って旅の最後に「漲水御嶽」へ。
「宮古神社」の境内で走り回っていた息子くんも、なんとなくしんみりとした雰囲気で佇んでおり、かつて訪れたことのある「鳥や虫の声が聴こえなくなる」みたいなこともなく、空気がヒリヒリともピリピリともせず、ただそこにあって、だけれど確かにそこは特別な場所という雰囲気を持つ場所でした。
打楽器の師匠・有賀誠門が「行く!と決めたら行けば良い」とレッスンで言っていたことがありましたが、そんな決意も不要で「そこにいるんだから、それで良い」くらいの許容力を感じたし、だからこそ逆にそんな気持ちにさせる御嶽に神秘性を感じたりもしたのでした。

晴天のせいもあったのかもしれませんが、非常にさっぱりとした気持ちになりました。
「写真を撮らせて頂きたいと思ったけれど、やめておこうね」と夫婦で話して、ちょっと名残惜しい感じでその御嶽をあとにしました。


その後はレンタカーを返して空港へ。
僕と息子が飛行機の離発着を見るのみ夢中になって乗り遅れそうになったことは秘密です。
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実は今まで「僕は海より山派!」とか言っていたのですが、今回の旅で海も良いなと思いました。
そこにいる人々も時間的に(?)余裕がある感じで、挨拶を交わしたり言葉を交わしたりしましたし、開放的な雰囲気がとても良いんですよね。
旅を終えて自宅に帰ってから、「また行きたいね」というよりも「次はいつ行こうか?」的な気持ちになった場所というのは初めてです。

次に家族で旅に出るのがいつになるのかは分かりません。
それが海になるのか、山になるのか、温泉になるのかも分かりません。
「今年は越後妻有トリエンナーレだな...。」とか思いますが、現時点では全くの未定です。

でも、宮古島は絶対また行きたいなと思います。
まだ宮古で星空見れてないし、宮古で泡盛飲めてないし、上陸してない島もあるし、海で泳げてないから。


日々当たり前のように送っていた日常が少し違って見えるようになるくらい、自分の価値観が変化したとても良い旅でした。

「宮古島で結婚式するから、旅行ついでにおいでよ!」と誘ってくれたYさん、本当にありがとう。
そして何より、ご結婚おめでとうございます。お幸せに☆
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