2018/3/24

『虚構再構築』のその次  モブログ

昨日、3/23に日芸打楽器アンサンブルコンサートで拙曲『虚構再構築』が再演されました。
ご来場頂きましたお客様、演奏してくれた皆さん(後輩のみんな!ありがとう!)、ご指導頂いた今泉先生・菅原先生、改めましてありがとうございました。

再演して頂けると伺ってから、改めてこの曲はどういう曲だったのだろうか?と考える機会を得ることができました。
大抵の曲は、脱稿した時までのアイデアや考えの蓄積がある意味全てで、その時点で楽曲に込められた意図や意思など、問われれば応えられるのが理想なのかもしれませんが、この『虚構再構築』に関しては、僕自身にとってもあらゆる意味で挑戦的な楽曲であったため、作曲してから4年経った今あらためて感じることの多い曲となりました。

楽曲の構造としては「演奏者が楽譜通りに塩素しても、聴き手は同じテンポ・拍子には感じられない」という趣向が成された楽曲で、それは複雑なポリリズムを仕掛けることで作ることの出来る仕掛けです。
「聴き手と演奏者のテンポ感・リズム感の非共有」というのは作曲時に意図したことであり、もっと言うと「演奏者と指揮者(が繰り出すテンポ)の非符合性」的なことまで考えて作っていました。
で、4年経って今思うのは、「誰もが自分のテンポで進めば良いんだよ!」ということを書きたかったんだろうな、ということです。

説明は不得手なのですが例を出してみましょう。
地点Aから地点Bまで、例えば駅からラーメン屋さんまで、人々が歩いていくとします。
ラーメン屋に向かう方々はそれぞれの歩幅でそれぞれのテンポで歩いていきますが、結果ラーメン屋にたどり着きます。
そう言う音楽を作りたかったんだろうなと思うんです。
さらに正確性を持って表現すると、そう言う可能性を垣間見させるような音楽を作りたかったんだろうなと思うのです。

一般的な音楽は、各々の技量や音楽性を惜しげもなく差し出して、それを一点に集めて積み上げていくことで織り上げることで音楽を組み立てていくもののように感じます。
『虚構再構築』は、全く異なるプロセスで、(=各々が各々のテンポで進み、一つ一つ積み上げて行くというベクトルではない)同じような音楽の組み立て(=構築)を見せるものだったのかも知れないなと改めて考えました。


昨日の演奏を聴いた帰り道、曲を書いていたときに漠然と考えていたことを思い出しました。
「地球が2つあって、とても接近した二重星のように存在していた場合、干潮時は重力は約2倍になるだろう。
 では満潮時に重力が0に近づいたときに想いっきりジャンプしたら、僕はこれまで立っていた地球に着地するのか。
 それとも頭上にあるもう一つの地球の引力に引かれるのか。」
この、着地点が見えないジャンプっていうのに、僕は魅せられたんだろうなと分析しています。


ぶっちゃけちゃいますと、現在『虚構再構築II』を作曲中です。
前回とはコンセプトは若干異なりますが、ある意味、コンセプトを引き継いでるのかなと思われる部分もあります。
それは「地球が3つ以上あって...」というお話なのですが、それはまたの機会にお話することにいたしましょう。
『雑-Zatsu- (虚構再構築II)』を脱稿する日があれば、ぜひお話致します。
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2018/2/28

ミニマル音楽・考  

僕がミニマル・ミュージックにのめり込むきっかけとなったのは、Steve Reichの『Sextet』を生で聴いたからだ。




この音楽はどのように構築されているのか。
当時まだ高校生だった僕はReichのCDを買い漁り、耳コピーで楽曲の成り立ちを理解していった。
当時はそのシンプルさとカッコ良さに打ちのめされて、この曲が好きだった。



尚、Reichのミニマル・ミュージックの成功例(?)として個人的に打ちのめされている音楽がある。
『Three Tales』の3.Dollyの「machine」という言葉で構築されるシーン、或いは「コピー」という言葉が無尽蔵に生成されるかのような表現シーンである。



一方で、マニアとしては当然なのかもしれないが、Reichの楽曲については次の和音や展開が、まるで演歌のそれように把握できてしまうことは「サゲの分かった落語を聴くかの如く」で、必然的に耳が演奏のクウォリティに向かってしまうところに少々残念な部分があると思っている。

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Steve Reichとは全く異なるベクトルのミニマル・ミュージックに出会った。
シメオン・テン・ホルトの『Canto Ostinato』である。


僕はここにミニマル音楽の新しい可能性を見た気がした。

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2001年に浪人生になってパソコンを買い与えられてから、いろんな曲をパソコン(ショボいフリーのMIDI作曲ソフト)で作曲をしていたが、あるとき思い出したようにミニマル・ミュージックも試作的に作曲するようになった。

大学在学中に作曲した『樹々たちの祈り』という曲も、そうした試作的な作曲活動の中から生まれた楽曲の一つである。


実はこの頃からスケッチを書いているのに1小節も書いていないミニマル・ミュージックの構想がある。
時々スケッチを見直しては手直しして、コンセプトだけは一丁前にしっかりして来ているのだが、まだ楽譜に起こそうという気が湧いていない。

『Count Down』

既に10年以上温めている楽曲である。もう、楽譜になったり音になったりすることはないのかもしれないが、個人的には自分んが聞きたい音楽の一つであることいは変わりないので、いずれ取り組みたいと考えている。

そして最近、新たにこれまでとは全く異なるアイデアが浮かんで来ている。
さて、これらは音符となり、或いは音となって空気をふるわす時が来るのだろうか。
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2018/2/8

ゲームと現実/目的と手段  モブログ

ゲームの定義はなかなかに難しい。まして、ゲームは見る専門で全くと言って良いほどやらない自分にはメチャクチャ難しいw

かつて羽生善治さんが「将棋はゲームだ!」と仰っていたこともあるが、一般的には「立ちはだかる障害物を乗り越えて目標達成を目指すもの」と定義っていうか、そんな感じだと思う。

但し例外的なゲームもあって、例えば「シムシティ」は作者自身も「ゲーム(game)」ではなく「おもちゃ(toy)」であるとしているらしいです。つまり、手段がたくさん用意されていて、何を目指すかはプレイヤー次第だから、ということのようですが。

またエンドレスに続けられるゲームの場合、プレイヤーが独自に「獲得得点」や「クリアスピード」など、他のプレイヤーよりも優れたプレイを目指すという目的を設定することもある。(そういったプレイ動画を動画サイトで拝見するのも好きですが 笑)
シナリオのある複雑なゲームの場合、プレイ中に出くわす選択肢によってストーリーが分岐し、複数のエンディングにたどり着くというものもある。(ギャルゲーや昨今のRPGなど、かな?)
ゲームオーバー的な意味合いの強い「バッドエンド」、一応の到達点としての意味合いの強い「ハッピーエンド」や「ノーマルエンド」、そして最も到達が難しい物語の真の結末である「トゥルーエンド」などに分類できるのだろうか。

さて、なんで突然こんなゲーム話をし始めたかというと、2月6日のニュースに「メタルギアソリッドV ファントムペイン」の隠されたカットシーン(=トゥルーエンド)が突如としてアンロックされた(=見られる状況になった)が、コナミもその理由がつかめていないようだ。」というニュースに触れたからである。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180206-00000002-ignjapan-game

このゲームのことは名前くらいしか知らなかったので、まずはどんなゲームなのか。
戦術諜報アクションゲームで…、って言葉だけ見てもよく分からないのですが(笑)、大雑把にネットに接続して遊べる“戦争系ゲーム”って認識でOKでしょうか(大汗)。

で、この「トゥルーエンド」を見られるようになる状況というのが、「全プレイヤーがゲーム内最強の武器である核を捨てること」らしいんです!

ニュースによると、全員が核を捨ててトゥルーエンディングが解禁せれた訳ではないそうです。まだどうして見られるようになったのか原因は分かっていないようですが、核保有数が32bitコンピューターがカウントできる最大数(21億4748万3647)個に達したからではないかという憶測も飛び交っているそうです。
http://jp.automaton.am/articles/newsjp/20180206-62333/

このニュースに触れて衝撃を受けたのことは2つ。
一つは、「核なき世界が真のゴールである戦争ゲーム」という発想そのもの。
もう一つは、それを捨てれば真のゴールに到達できると分かっていても、人類は核を捨てないんだという事実。。。


そこから「目的と手段」についてぼやーっと考えだしてしまいました。
前述のとおり、ゲームが「立ちはだかる障害物を乗り越えて目標達成を目指すもの」だとすれば、プレイヤーは「目的達成のために手段を尽くす」ことに惹かれている訳で、ゲームはそれに叶う「立ちはだかる障害(=目的)と適度な手段」を提供しているものと思われるのです。
しかし今回の場合、一般的なゴール(ノーマルエンド?)への到達に恐らく最も有用であるだろう手段である「核」を捨てる、つまり「最有力手段を全員捨てることが最終目的」ってことになる訳です。


…えー、なんとなくなのですが、最近の現実世界に似た構造だなと思いませんか。
「核」という話で言えば、核保有国の増加や核戦略の増強など「みんな捨てられない!」って感じが似てるなと思いますし、「目的と手段」という話で言えば目の前の有力で魅力的な手段を手に入れることや、手段を所有していることが目的になってしまい、その先にあるはずの目的が見えづらいと思うことが増えた気が…。さらには「この所有する手段が正しい!」という考えが強すぎるためなのか、他の手段の検討を蔑ろにしたり、他の手段を否定・論破したり、目的はどこにあるのだろうかと思うことも増えたような…。(あれ?僕サブい事言ってる?)

※僕個人のスタンスは、「目的は一つであっても手段(=到達の仕方)は人それぞれ!」とです。念のため。



「もう、勇者しない。」というキャッチコピーを持つ【moon】というゲームを、ふと思い出したりもするのでした。



あなたは世界のために自分の持つ最強の手札を捨てられますか?
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2018/1/8

イメージと言葉と音楽と  モブログ

僕には自分の考えやイメージを上手に伝えられるだけの語彙力がありません。
仮に何かの賞を頂けるような語彙力があったとしても、それを上手に使える自信は微塵もありませんが・・・。

とても光栄でありがたいことに、年末年始に自作曲の練習に立ち会う形で指揮をさせて頂く機会がありました。
音楽を、リハーサルを通して一つの形に作り上げるという行為に立ち会えることは作曲家冥利に尽きるだけでなく、音楽ファンであれば誰でも憧れるシーンであろうと思いますが、そういう音楽を作るリハーサルの場では、"言葉"が重要な役目を果たします。

学生の頃、「タダで僕のレッスンが受けられる!というつもりで僕が指揮するオ
ケのトラをお願いしたい!」と、僕を誘って下さった先生が練習の場でつかわれていた言葉・単語は、僕には選択できない言葉・単語が印象的に使用されていて、その言葉がもつ響きに感化されて奏でられる音楽の音色が変わっていくという貴重な経験をさせていただいたこともあって、言葉選びには気をつけているつもりなのですが...。

ボキャブラリーが乏しいんだよね!

そうして、結局のところ、音の質感を伝えたいがために、個人的にリアリティーがあるであろう言葉やイメージを伝えるのですが、なかなかうまくいかないものだな、と思ったのでした。


誰もが同じ作品を見ている訳ではない。
例えば、「今期の大河ドラマであった秀吉が明智を討ち取るときのように短時間で緊張感があって動きがダイナミックな」というような表し方は、一見具体的なようで曖昧なんですよね。
でもそういう曖昧をかき集めた方が、楽曲としては面白くなるような気もしていて...。
「唯一無二の正解」を求めるのではなく、感じるままに正解を求めて進ん
でいく在り方を、僕は美しいと感じるのだと思います。



えーっと、まだ決定!というほどでもないのですが...。
いまのところ、今月初演される新作は、僕が指揮することになりそうです...(恥)。
見に(聴きに)来て下さいまし!




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2018/1/6

2018年 新年になってた(汗)  モブログ

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

年頭にあたり抱負を・・・とも思ったのですが、いろいろ考えていたら訳が分からなくンってしまいました(笑)。
例年通り、マイペースに自分の心の動きに敏感に、知的好奇心を忘れず、人様に迷惑をなるべくかけないよう心がけていきたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

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年末年始は家族で僕や妻の実家、自宅など動き回っておりましたが、今になって腰を落ち着けてたまった作業などをやれるような状況になりまして(年末年始こそ忙しいって、幸せなことだけれど何なんでしょうね
笑)。

今年の目標という訳ではないのですが、勿論抱負というほどでもないのですが、インプットとアウトプットのバランスがよろしくない気がしているので、もう少しインプットを充実させていければと思っています。
またアウトプットも"蓄積"を意識したツールを選択して、それを上手に拡散していくようなスタイルを模索できればと思っています。

別に今の形・有り様に不満がある訳ではないのですが、さらさらと全てが流れていかないように、上手に楽曲だけでなく想いや考え、活動を残していければと思っております。(と言っても、全てネット依存なんですが
苦笑)

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年末年始に漠然と移動時間に考えていたことは、2つ。
1つは、「虚構再構築II」について。
別に誰かに作曲を頼まれた訳ではなく、でも、"虚構再構築"のスタンスというか有り様というか、その精神は絶やしてはならない!的な不思議な使命感がありまして(笑)。
なんでこんな気持ちになるのかなーと思っていたら、年明けの新聞を読んでいて気になるキーワード2つを見つけて個人的に腑に落ちました。

「雑」と「幸福」です。
「雑」は"乱雑"や"手抜き"のような、粗雑な意味でのそれではなく、"雑学"や"雑煮"のような多様なものが入り交じるという意味合いでの"雑"です。
恐らく、現代は"雑"(もちろん後
者の意味)な世界を目指す流れがあるように感じているのですが、それが何かによってブレーキをかけられているような感じがしています。そのブレーキが「幸福」なのかな?とも思いました。

「幸福」「幸せ」とは、本来、人それぞれそれを得る条件は異なるはずです。
最高の演奏を奏でた楽団の一員として本番に臨めた幸福。
有意義だと考えて取り組んでいたことが一応の形に着地した幸福。
朝起きて「おはよう」という相手がいる幸福。
他者から見て有意義かなど関係なく、自分自身が「あ、幸せだ」と感じられることが重要です。
しかし【幸福になるための5つの最低条件】みたいな、昨今のネットニュースタイトルのような見えない圧力によって、
雑であることをなぜか戒めてしまう(?)ようなことはないだろうか?と思えたのです。

今、自分が欲するもの、今自分が幸せに感じるものや事柄、それを大切にしていければと思いました。

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閑話休題。

で、考えていた『虚構再構築II』の根幹は「雑」になるのだろうと思いました。
複数の色がそのままに混じり合うような音楽って、複数の演奏者がそのままに混じり合うアンサンブルって、どんな音がするんだろう?
と自分は考えていたのかなと思います。


相変わらずアホで無意味なことばかり考えておりますが、それが自分なので。
そこに意味を見出して自分が面白がることが
僕の幸福なので、このままマイペースに行ってみようかと思っています。

今年は年男です。もう36歳ですよ(笑)。
多少は、自分のやっていること・やることを整理していかねばと思いましたので、HPやとっ散らかってるブログなど、そう言ったものも整理していければと思っています。


長くなりましたが、本年もよろしくお願い致します。
本年が、どなたにとっても身の丈にあったそれぞれの幸福が認め合える有意義な1年になりますように。


渡邉達弘

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2017/12/22

12月22日 年末を感じ始める  モブログ

一体何日振りなんだろうか。家族3人が夕飯時に揃いました。
息子とお風呂に入り、温かいご飯を食べて(普段、帰りが遅いので音を立てないように温かくないご飯を食べることが多いので…)、音楽を流して踊るように寝かしつけました。

産まれてから1年くらいは、Tatiana parra & Andres Beeuwsaertの「aqui」というCDが好き(これを聴くと心穏やかになる)だったので、よく聴いていましたが、最近は息子の好みにも変化が現れた(!?)ようで…。

僕の知る限り最近は、プログレッシブ・ロックをよく聴いていました。
「YES」とか「ZAZEN BOYS」とか聴きながら抱っこしていると気持ち良さそうに寝る傾向が続いたのです。
ベースライン(オスティナート)が曲を通して変わらない感じとかが気持ちよかったのでしょうか?

何日かぶりに息子の寝かしつけの時間帯に家にいたので、プログレを流して小躍りしていたのですが寝る気配なし。
ふと思うところがあってマイケルジャクソンを流すと…。

すぐに寝ました!

僕自身の音楽視聴歴が、親から聞くところによると「プログレ」→「洋楽(マイケルジャクソン)」→「フュージョン(カシオペア)」→「Japan Domestic(小田和正・松任谷由実)」という流れだったらしいので、まさかと思ってマイケルジャクソンを聴かせてみたのですが…。

まさか、、ね(笑)。

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年内の音楽活動は、気がつけば納めていました。
週明けに来年初演される拙曲のリハーサルはありますが、公には仕事を既に納めてた!という感じですね。

年明けは、1月19日に「為替見!ユーロビート」をレパートリーにしている音大(一体どういうことなんでしょうか 笑。演奏もさることながら、レッスンを見てみたいっス!)さんが、チャペルで演奏して下さるそうです。

正直、意味がわかりませんw(感謝しかありませんが、為替見!をチャペルでってwww


それと、1/27に横浜美術館で初演される楽曲ですね。これはとても楽しみにしています。年末のリハーサルも非常に楽しみです。

(´-`).。oO(それ以降は特に楽譜書きの予定とか初演・再演の予定は把握してないなぁ。)※作曲依頼承ってます!

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息子、バナナが大好きなのですが、夜空に見えた三日月を指差して「バナナ!」と言っていました。

_人人人人人人人人人_
>?その発想はなかった<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^YY ̄

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2017/12/21

12月21日 夜の星が綺麗なので  モブログ

お久しぶりです。
何かの師匠になった覚えのない平民ですが、気忙しさと実際本当に走る羽目になるような慌ただしい日々を送っております。

まだまだ仕事納めとはなりませんが、ようやく「あー、今年も終わるんだなー」と感じられるようになったのか、今宵の星が綺麗だなーと思って無駄に感じたことを書き留めたくなり投稿しております。


昔々、星の配列から星座を作り、神話を作り出した人類。無意味な(いや、実際のところは意味があるかも知れないけれど、現時点で誰の目にも明らかな意味が示されていない)ことに意味や形・名前や物語を見出して、与えて、作って、味わって来たんだよなと思ったとき…

「今の時代に“無意味なことに意味を見出すこと”に意味・意義を感じている人ってどれくらいいるのだろうか」と漠然と思った。

そういう無意味なことの大切さを忘れてはいけないよなー、と思いながら

「オリオン座、オンドリャ〜」

と星を見ながら無意味なダジャレを一人放ったりしながら家に帰ったのであった。
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2017/11/20

11月20日 いつのまにか葉が色づく  モブログ

前の日記投稿から1ヵ月経過ですって。。。
ご無沙汰です。

今月頭に風邪をひき、すぐに治ったのですが、今度は息子がRSウィルスになってしまい、ドタバタな生活を送っているうちに紅葉が色づいてきましたね…。

ドタバタしておりますが、色々なところにご迷惑をお掛けしながらも、なんとかやっております。
まずは「いつものテンポ」みたいな生活リズムに早いところ戻りたいなーと感じているところです。

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演奏活動は全くやっている暇がない状況ですが、これから年末に向けて幾つがありますので後ほどお知らせさせて頂きますね☆(最後まで読んでね!)

作曲はですねぇ、意外と頑張りまして、依頼を受けて書いている"あの曲"、終止線が視野に入ってきました。こちらも初演日が決まり、情報解禁のご連絡を頂きましたので、後ほどお知らせさせて頂きますね☆(最後まで読んでね!!)

ありがたいことにこの一月に海外の方から拙曲について2件もお問い合わせを頂きました。SNSを通して連絡をくださったそうで、「HPはネット翻訳して拝見しました!」とまで言ってくださっていたのですが、翻訳されるとどうなるのか、ちゃんと翻訳されるんだろうか?心配にもなりますが、案外「英語ページ」みたいなサイトを用意しなくても、見る人は見るんだなーとも思いました。すごい世の中になったものです。
これに触発されて、拙曲の音源公開場所を整理しようかなと考えはじめています。詳細は後ほどお知らせさせて頂きますね☆(最後まで読んでね!!!)


そのような感じです。
流行語大賞ノミネートのニュースを先日見ましたが、なんでしょうねぇ。不思議な1年になったなーと漠然と思っています。
"ビール瓶"はノミネートに間に合わなかったわけですが、リモコンであれアイスピックであれ、道具は正しく使わなきゃねと、およそ正しい使い方の基準がよく分からないスマホでブログを書いてみたのでした。
(サゲが落ちてない気がする…)

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【お知らせ】
<その1>11/25 うたってがやがや、おどってがやがや

子どもから大人まで楽しめる参加型ライブです。いっしょに歌って、リズムで遊べます。
http://www.kokuchpro.com/event/11_25/


<その2>12/3 キッズホリディコンサート#6

開放的なウッディーなホールで、0歳児から入場可能な音楽とライブペインティングのライブ!演奏者やペインターのすぐ隣で見聞き出来ます。
ライブ後には楽器にも触れちゃうよ☆(少なくとも打楽器はOKよ!)
http://www.monten.jp/20171203


<その3>Winter Concert

拙曲が初演される演奏会のお知らせです。
2008年に病原性大腸菌0-157のDNA情報をもとに作曲したピアノ曲(なんじゃそりゃ!笑)が、なんと室内楽版で初演されます!
曲名は『Central Dogma-0-157_H7- for Crmber ensemble』。
当日は僕も客席でコンサートを聴かせて頂く予定です。

『Winter Concert』
2018年1月27日(土)開演17:00(開場16:30)
横浜美術館レクチャーホール
全席自由¥3,000
お問い合わせ:4t.trio@gmail.com


<その4>デモ音源 on YouTube

自作曲は、作れるものについてはデモ音源を作っています。これまで、SoundCloudやあちこちのブログに投稿(データ置き場にしてただけ?)していたのですが、一か所にまとめようかと思いまして、YouTubeへ投稿をはじめました。
まだ全然曲数がないですが、少しずつ増やしていければと思っています。
また、許されればいずれは演奏音源も公開できたらなぁと思っています。

●デモ音源
https://youtu.be/z4imFyOVjv4?list=PLSTZaDFW8jVrQUzNKPVZMWZwn8CjUKYrl
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2017/10/21

10月21日 独り語(ひとりがたり)  モブログ

大変ご無沙汰しております。
なんと6ヶ月ほどブログを放置しておりした。すみません。

投稿が滞っていたのは時間がなかったためなのですが、この6ヶ月間も公私共々これまでのように色々なことがあって、いろんなことを思っていろんなことを考えました。

そして考えたことや思ったことは、言葉になることなく、形になることなく、僕の残念な記憶力により忘れさられてしまいました。

いろんなことがありました。
いろんなことを感じました。
いろんなことを考えました。
でも、全て覚えていません。


FBで「3年前の今日の投稿」のようなものを見て、懐かしく感じることが増えました。
思い出すことも多く、それが今のモヤモヤとしたアイデアと繋がってクリアーになることもありました。

なので、このブログを始めた頃のように、「きままに綴る」と謳っているように、想いや考えを書き留めておく場所としてこのブログを再起動しようかな?と思い始めています。


これまでのように、暇な時にテキストを書いて後から見直して投稿するような暇はないので、暇な時に書いてそのまま投稿となるでしょう。
そのことには不安はあるのですが…。


(´-`).。oO(「ぼぶ日記」ではなく「独り言」とか「独り語」にしようかというくらいに。)


今日のところはスマホからの投稿テストです。



ハロー世界!聞こえますか?
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2017/4/25

4月25日 脱・調律世界  モブログ

新聞で坂本龍一の記事を読んだ。


朝日新聞 2017.4.24 朝刊「ノイズとの境界 取り払った」


それを読んで、近年自分がのめり込んでいた(いよいよ足を洗おうと思っている 笑)微分リズムなどの歪んだリズム構造を持つ音楽と自分との関わりの歴史について気が付いたことがある。

歪んだリズムの存在に気がつくキッカケになったのは、2001年にはじめたPCでの作曲だと思う。

「ぺたぺたMIDI」というフリーソフトで、五線を模したウィンドウに音符を選んでクリックして並べていく感じのソフトだった。

音符入力は、一般には1拍を4等分(=16分音符)で入力できるようにデザインされていて、詳細設定を活用すれば1拍を12等分まで細分化できるようになっていた。(これにより3連符や6連符の入力が可能になる。)

作曲をはじめて間もなくはこの1拍4等分の設定のみで満足していたが、比較的すぐに3連符入力の必要性から1拍12等分の設定も活用していたが、単純なリズムトラックではノリが出ないことに悩まされた。
しばらくは音色の強弱(Drumsの後ろで小物打楽器を使用して、弱く刻むとかパンを振って使用するとか)の工夫で乗り切っていたが、それでも満足できなくなり、MIDIの設定上、音の立ち上がりが速い楽器(Tri.やcowbellなど)と遅い楽器(厚胴のスネアやクイーカなど)を組み合わせてノリを作り出そうともしていた。
これって、歪んだリズムへの第一歩だったのかも知れない!と思ったのだ。

因みにその後は、1拍12等分の設定を敢えて等分に使用しない(ex.3連符=4,4,4、歪み=3,5,4、など)手法にも挑戦していたが、えらい時間が掛かるのと大学に入学したことで生で演奏できる音楽を作ることにより重心を置くようになっていったのだった。(Finale導入の影響も大きいと思われる。)
当時は、「リズムの歪み」とかあまり考えずに心地よさを求めていじくっていただけだけれど、今振り返ると無意識に『調律された世界』の居心地の悪さを感じていたから取り組んでいたことなのかもしれないと思った。

尚、時は流れて今現在。歪んだリズムを軸に据えた曲作りはそろそろ卒業しようかなと思っている。
かつて、ミニマル音楽ばかり作っていた時期もあったが、その経験がオスティナートを作る際にとても役立っていると感じている。
なので、今後作る曲の一部品として微分リズムなどを活かしていけるのではないか、と考えている。

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