人間は誰でも完璧じゃないし、
人に完璧さを求めてもいけないし、
人の嫌だなと思う部分は、必ず自分も持ってる部分だと思うし。
今って、みんな人を勝手に評価したり、人を裁いたり。
そうじゃなくて、
どんなに輝いて見える人でも、どんなに酷いと思える人でも、
やっぱりみんな影響し合って生きてるわけで。
あいつはダメで、俺はすごいとか、
俺はダメで、あいつはすごいとか、
人間誰でもそういう風に感じたりもすることもあると思うけど。
それで何かを感じ合って成長するってことは、
みんなお互い様だし、みんな平等なんだろうな。
誤解を恐れずに書くとすれば、
人それぞれみんな違うけど、
人間の中心にあるもの、何かを求める心、何か良いものを感じようとする心、
何か悪いものを感じようとする心には、それほど違いはなくて、
生きてく上での人に対するイメージのぶつかり合いで生じる誤解(理解ではなく、あえて誤解と書かせてもらいます)が、それぞれの感じ方の違いを生む、個性になってるんじゃないかなと思う時がある。
話はちょっとズレてくるけど、人のイメージの話。
人に対する自分のイメージと、自分に対する人のイメージが違うことはよくあると思うけど、
そこで人に合わせて自分を演じてしまったりする所に問題があって、
一度演じてしまうとそれがどんどん膨らんでいって後戻り出来なくるんじゃないかな。
わかりやすい例だと、
ビッグスターになった人が、世間の自分に対するイメージと、
本当の自分のズレに悩むっていうのはよく聞く話だし。
嘘を1つつくと、それを補う嘘をまたつかなくちゃいけなくて、
どんどん嘘が膨らんでいくのに似てると思う。
嘘も方便とは言うけれど、僕が嘘が嫌いなのはそういう所なんだな。
あー、ちょっとまてよ、礼儀ってどうなんだろう?
礼儀も自分を演じてる事になるのかな?
うーん、いやいや、礼儀は人の共通言語だし、
人間関係を誤解の無いようにスムーズに進める為のものだからいいんだな。
親しき仲にも礼儀ありと言うしね。
***
自分と人を比べるのは良くないし、
人は自分を映す鏡にこそすれ、自分と同じものを求めすぎてもいけないんだなと思う。
今の時代、情報がめちゃくちゃ多い割にそれに振り回されて、
みんな自分を見ない割に、人に対して神経質で攻撃的で、
やれ失言だなんだっつって、人の間違いばっかつついたりね。失言がいいってわけじゃないけど。
政治家の演説とかも、人を攻撃してそれと比べて自分はこうだってことを主張するのが気になる。
攻撃する暇があったら、自分の志を少しでも述べた方がいいんじゃないかな〜って思ったり。
子供の頃から僕は、人と自分を比べてばっかりだった。
他人がすごく見えて、自分はなんてダメなやつなんだろうと思ってばっかだった。
みんな堂々と自分を表現して主張してるのに、
僕なんて…って思って殻に閉じこもってばかりだった。
まーそりゃーいじめられるわな。
中学の時なんか、女子の集団に、「存在感ない!」とか言われて、
うるさいなぁ、存在感ないならほっといてくれよ!とか思ったりして。
世のいじめられっ子よ、堂々と生きろ!と言いたいな。
自分は自分だ。卑屈になっちゃだめだ。
自分をしっかり持っていれば、いつか報われる時がくる。
と、僕は今も信じているよ。
あ〜長くなってしまった。しかも何が言いたいんだ?って感じだなぁ。
話題が暗いよ!読みにくい文章ですいません。
別に何があったってわけじゃないけど、考えてみた。
こういうことはあんまり書くまいと思ってたけど、
ちょっとまとめたくなる時もあるよね。
こういうことばっか言ってると、嫌われるけ〜ど〜、
がんばっちゃうもんね〜!

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