岡本太郎の
「人間は瞬間瞬間に、いのちを捨てるために生きている。」
(タイトルから強烈だよね)という本を買って読み始めた。
(今回の文は「です、ます」口調ではなくした。なんとなく。)
まだ読み始めて最初の方だが、岡本太郎が母と父について語っている。
岡本太郎といえば、激しい言葉と、ともすれば極端な言動で誤解されがちだが、
この母と父について語る文章の中では、僕がいままで目にしてきた岡本太郎の
文の中でも特に冷静に、緻密に書かれている。
僕はそれにまず新鮮に感じて、読み始めた。
とても深い愛情を持って、かといってベタベタと甘えた愛情ではなく、
時に突き放したような厳しさをもった、対等な人間としての親子関係であったようだ。
それを芸術家である母と父のそれぞれの性格、強さ、弱さなどから発生する苦悩や波乱を
冷静に分析しながら、しかしとても熱く語っている。
人間関係は千差万別で、こんな親子関係があるんだなと、深く心を動かされた。
これを読んで「人間関係はこうあるべき」という概念は、あって無いようなものだとも思った。
特殊な繋がりを持った、他人には伺い知れない特殊な人間関係というのは存在するのだ。
でも考えようによっては、みんな特殊ではないだろうか?
本当に相手の事が100%分かって理解し合えてる関係があるとしたら、
関係性を深める必要がなくなってしまう。そしてそんな人間関係はありえない。
だとしたら、本当に人間関係の噛み合わせは千差万別だ。
理解できない部分があるからこそ、確かめ合う事が出来る。そんな気がする。
もちろん、理解できない部分が大きすぎれば、関係は絶たれてしまうんだろうけど。
話を岡本太郎とその両親にもどそう。
両親と特殊な絆を持った岡本太郎は、母が亡くなり、父が亡くなる時の心境や状況を書いている。
その時の悲しみと落胆たるや、心を動かされない訳にはいかなかった。
何故か僕は今、特に「いのち」にグッと迫ってくるものに関心というか、心が向かってしまう。
ここで言う「いのち」は単に肉体上の生死のことじゃなく、
なんというか、心の本質に迫ってくるものという意味である。
少なくとも僕にとって、と言うことだけど。
そんなこんなで、今頭の中は、岡本太郎とマニックスと村上春樹が三角形に結ばれて、
グルグル回ってる感じ。
うーん。
テーマがそれぞれヘビーなのでいろいろ考えるんだけど、
現実的に、四六時中それに捕われてばっかりではダメで。
ちょっと心を軽快にしないといけないような気もしてる。

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