昼間も書きましたが、娘と二人で出かけています。知らない間に大人になっている子どもたちを見るにつけ、うれしいが半分寂しいが半分。男親の感覚ですが、そんなもんでしょう。
長男が高校を卒業し、就職した折に、二人で出かけました。その時は沖縄へ行き、戦争の跡を中心に周りました。私も戦争は知りません。ただ、戦中を生きてきた親から、何十年もその時の話を聞いたものです。
戦争を肯定する気はありませんが、戦争という時代があり、今日の日本があるのが事実です。したがって、日本で生きていくということは、歴史を感じることから始まるのかなぁ。と昔感じていました。その私が親となり、いまでも、その想いは持っています。
我が子たちに、一度はその歴史を感じる機会を作ってやりたいと考えていました。そして、同時に私も自分に対する戒めを感じるために、機会あれば関連の場所へいこうと思っていました。
長男は、ひめゆりの塔へ行き、平和記念公園へ行き、最後の砦とされた通信基地である防空壕へいき、確実に何かを感じてくれました。
今回娘も、同じような場所を選びました。私自身が大変な折ですが、最初で最期と思えば、それなりにやってしまおう。と勢いで、知覧まで着ました。
知覧の特攻平和会館。1053名の特攻兵の絶筆と遺書が遺影とともに並んでいます。
17歳から20歳くらいの青年兵たちが命を落としております。
昭和20年3月26日から7月19日まで。敗戦が確実となったその時期にただでは負けないと、家族のため、愛する人のため、母国のためと死んでいきました。
その内容は凄まじいものがあります。そして、書かれている文字の美しさに感動いたします。
私は、何年かに一度はここへこなければならないような気になっております。
死んでも、死ななくても、敗戦は決まっておりました。それでも死んでいく。それも、死ぬ時間まで予定されている中で、数週間から数日間普通に生きていける精神に敬服いたします。
丁度、今の娘たちの年齢です。その絶筆を読み、彼女たちが何を感じてくれるのか・・・。
少しでも、生きるという意味や価値。そして、守るという重さ。責任、勇気、精神・・・。
いろんなことを考えてくれる機会になってくれたらと願っています。
原爆ドームや、靖国神社も感じる場所ではあると思いますが、この知覧や、徳山の回天の基地は比較してはいけませんが、鬼気迫る感じがします。
子ども達には幸せになってもらいたいです。でも、幸せの中に埋もれていたら、幸せの意味が解らないのではないかとも思います。たくさんの刺激を受けて、たくさんのことを知って、今がいかに幸せかを感じてもらいたいと思います。
それは、すなわち、私自身にも言えます。

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