『七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき』
兼明親王 かねあきらしんのう
延喜十四〜永延一(914-987) 別称:前中書王・御子左大臣
【通釈】小倉(京都嵯峨の小倉山付近)の家に住んでおりました頃、雨の降った日でしたが、来客があって、帰りがけ蓑を借りたいと言われたので、山吹の枝を折って持たせました。その人は事情が呑み込めずに帰って行きましたが、何日か経って、山吹の真意が解らなかったと言って寄越したので、その返事に歌を届けました。
解釈:山吹ではありませんが、お貸しすべき蓑ひとつ無くて心苦しいことです。
山吹の花は咲くのに、実が一つも結ばない花であるのに例えて
八重咲きの《山吹》は実を付けないが、《一重咲き》には実を付ける。
この歌が、
後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)に掲載されていたと言うことは、
園芸品種の 八重咲きは 元号:応徳(おうとく)の時代には既に存在していた事になる。
意外にも古くから在る花だったのね。

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