東京へ行ったついでに足を伸ばして、
小山市に行ってきました。上野から新幹線で45分(でも高いから在来線で80分かけて行きました)、栃木県南部にある人口17万人弱の都市です。
小山評定跡地は、
現在の市役所と須賀神社の2説ありますが、それぞれすぐ近くであり、そもそも「三間四方の仮御殿を急造」といわれるようなものだったらしいので、私は公平にどちらも訪ねました。
「小山評定」についてはどなたもごぞんじだと思いますが、念のため市役所前に立っていた由来碑の碑文をそっくり紹介します。
小山評定由来
慶長五年(1600)7月24日、徳川家康は、会津の上杉景勝を討つべく小山に到着しました。
このとき石田三成が家康打倒の兵をあげたことを知り、翌二十五日この地において軍議が開かれました。これが「小山評定」といわれるものです。
軍議は、三間四方の仮御殿を急造し、家康と秀忠を中心に、本多忠勝、本多正信、井伊直政や福島正則、山内一豊、黒田長政、浅野幸長、細川忠興、加藤嘉明、蜂須賀至鎮らの諸将が参集しました。福島正則が協力を誓い、これをきっかけに軍議は家康の期待通りに決まりました。
同年九月十五日、関が原の戦いがおこなわれ、東軍(徳川方)の勝利にむすびついた歴史上重要な所です。
もちろん、この評定においてわが一豊が、家康の心を動かす重大発言をしたことは、みなさんよくごぞんじのとおりです。
当地では「歴史を決した土地」「家康の天下取りを決した地」という触れ込みで、熱心に歴史を顕彰しています。NHKの大河ドラマでも、クライマックスの一つとして大きく描かれることになると、私は思っています。そこで、須賀神社でのお賽銭に100円(!)を投じるとともに、「小山評定」と名づけられた純米吟醸酒と羊羹を買ってきたのだ!



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