山内家第19代御当主、元黒田城主澤井家第16代御当主、サミット会場でご対面
私がお引き合わせしたのですが、黒田城にゆかりの二大名直系の御子孫が初顔合わせ。これは
歴史的なことですよ。
秀吉と家康・織田の連合軍が対峙した
小牧長久手の戦いにおいては、当時の
黒田城主・澤井雄重が睨みを利かせ、秀吉軍の木曽川渡河を許さぬ構え、やむを得ず秀吉軍は犬山付近で木曽川を渡る。一豊はといえば、秀吉の援軍として羽黒城に陣を構える。つまり、
一豊・雄重は敵味方の関係にあったのです。
その後一豊は、みなさんご承知のような出世を遂げる。一方雄重はあくまで織田家の家臣であることを貫き、秀吉の再三の誘いを断って、津島付近に隠居、子孫は後に尾張徳川家に仕えることになります。
明治になってからの澤井家は、
第14代元長氏が、初代黒田村村長をつとめられ、濃尾大震災に当たっては、私財をなげうって黒田村の復興に努められるなど、おおいにこの地に貢献してこられました。
また、先祖代々門間の伊富利部神社、黒田の籠守勝手神社などにご寄進をつづけられ、第16代ご当主澤井昭之氏は今も毎年、伊富利部神社の例祭に参列なさっています。
なお昭之氏は75歳、
ノルウェー、レバノン、パナマの大使を勤められた往年の外交官ですが、ご先祖の地木曽川町をとても大切にお思いで、今年3月、城主として勇名をはせた
雄重公の顕彰碑を、黒田城址に建立寄贈していただきました。黒御影石に木曽川出身の
彫刻家桜井真理氏のレリーフを配した見事な石碑です。ぜひご覧ください。
というわけで、山内家、澤井家のご対面がいかに歴史的かを、説明させていただきました。今日のところは黒田城址の拙写画像・・・ご対面の写真はまたの地ほどということにします。

左が澤井昭之氏

一豊生誕碑の右奥に雄重公顕彰碑、充実した黒田城址

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