9日、
メニコンの
田中恭一会長に、久しぶりでお会いしました。ますますお元気そうで、
堂々たるお姿を拝見すると同郷人としてうれしくなります。
今回は、
一豊まつり協賛の
「知らない町を歩いてみようウォーク・木曽川」の打ち合わせ(お願い)と、地域文化誌
「シティワン」の取材という用件でうかがいました。ウォークでは、
日本のコンタクトレンズの発祥地でもある、
会長のご生家跡を訪ね、説明と模擬問題の出題をさせていただく予定だからです。
いずれも快く承諾してくださり、用件を終えた後、またまたすばらしいお話をたくさんうかがうことができました。
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人の目、犬の目、馬の目と研究対象が広がっていく。光学から医療へ・・・その広い領域での研究に世界中の企業・研究機関が取り組む中で、
何年に一つ、直径数ミリ、厚さ0.0何ミリという新製品が世に出るわけだから、困難極まりない仕事といえる。
■13才で
軍需工場に動員されたが、指導者のおかげもあって1年半で
旋盤技術を身に着けた。その後眼鏡を扱う店に勤め、17才の時、米軍の将校夫人にコンタクトレンズの存在を知らされ、現物を見ることはできなかったが、
「アメリカで出来るものなら日本で出来ないわけがない!」と脳裏に
ひらめくものがあった。それはやはり
技術・学習の積み重ねが培った自信の賜物だと思う。
■
父子相伝というか、兄弟はみな、父親で
「竹の芸術家」といわれた
田中崋山の血を引き、
手先が器用で創造力に秀でたものを持っていると思う。特に私の弟は仏像彫刻のほか、
ボトルの中に金閣や夢殿などの建造物を組み込む技術では、
世界中の誰にも出来ないものを持っている。メニコンは
創業60周年を迎えるが、記念行事に世界から集まる眼科医・学者に、
世界のメニコンの技術は、そういう美術工芸の才が基礎になっていることを知ってもらおうと思っている。西欧の人たちは芸術があらゆるものの基礎になるということに理解が深いから。
このあと私はしつこく
「郷土に喝を!」と、会長の一言を所望したのですが、そこはやはり私などと違って、軽々にお説教めいたことをおっしゃる会長さんではありませんでした。返事に代えて「
木曽川発といえば、私の生家の近くに社長がお住まいの、
タクテックスという超優良企業を知っているでしょう?」と聞かれ、カタカナに弱い私は「えーっとー、あのー・・・」という始末でしたが、よくよく考えたら、大変お世話になっているお家のことでした。社業までは詳しくお聞きしたりしなかったものだから、前町長としては、
恥をかいた形になってしまいました。
これに懲りずにまたお話を聞かせていただけるかどうか・・・近頃自分の首を絞めてばっかりいる私ではありました。

あるときは
郷土のなつかしい方、あるときは
世界のメニコン会長!
堂々とは、これです。

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