「
音楽、
美術、
すこし町の文化」・・・内容が少し偏ってきました。
そこで今回は
「すこし政治」といきましょう・・・といってもそんな大したもんじゃないんですよ。
20日、
内外情勢調査会一宮支部懇談会で、日経政治部記者を47年間つとめられた
田勢康浩早大院教授の講演を聴きました。
講演前の雑談では
「プーチンと会ったときねえ」とか、
近寄りがたい話しをしておられたのですが、本番になるとさすが、
私にもわかる程度のむつかしさで、興味津々のお話が続きます。それが証拠に、口をあんまり開けずに小さな声でボソボソ話されるのだけど、
居眠りしていられないのです。
私にもわかった部分を少し紹介します。こんなことをブログネタにすると、
また叱られるかな? でも、いかにも
百戦錬磨の方のようだから、大丈夫でしょう? 私の感想の形で書きます。
*辞任された大臣のバンソーコー、「しみ取り手術」の跡を隠すためではないかといううわさがあったのだそうですね。私も大きくなるやつが気味悪くて、取ったことありますが、ほんとでしょうかねえ。
*「お友だち内閣」といわれたけど、終わってみれば
結局誰もお友だちじゃなかったのだそうで・・・政治の世界の人間関係って、けっこう寂しいものだそうですね。
*人事に失敗があったのではないか? 小泉元総理の首席秘書官と
安部元総理の首席秘書官・・・手腕にずいぶん違いがあった。なぜあの人を首席秘書官に?・・・井上さんという人は高校卒で霞ヶ関でがんばっていた人、
安部さんは高校卒という人を初めて見たのではないか、だから新鮮に写って選んだのではないか・・・田勢さんも高卒の人をあまりご存じないのかもしれない、そういう環境の人だから、こんな話を冗談のように言えるのかもしれないなと思いました。ま、考えてみれば
永田町も霞ヶ関も2世3世がいっぱいで、
「三丁目の夕陽」みたいな世界を想像できないような人が多いのでしょうね。(わしらとえらい違いや)
*麻生さん・・・すごい家系だってことは聞いていたけど、妹さんが
「ひげの殿下」の奥様だそうで、ご本人の奥様の方を辿っていくと、
大久保利通に行き当たるのだそうです。我々の想像を絶しています。どんな子供時代を送ってこられたのでしょう。テレビで見る服装、毎日違っていて、
全部ブランド品、仕立て品だそうですね。
下着も仕立てじゃないかとおっしゃっていました。
*福田さんもお父さんが総理をなさった人です。非常にソフトのようで、実は
頑固なのだそうで、
「よきにはからえ」ということは決して言わない。
「官僚が嫌がるだろう」ということでした。ポンと官房長官を辞めたのは、表向きは「年金未納」だったけど、実は
小泉首相との間に、北朝鮮との交渉をめぐる対立があったのではないかといわれました。
政局を鋭く見つめ、かなりきわどいことを含めたくさんのことをお話しいただきましたが、なにか
「眠気覚まし」のような部分を、
興味本位で選んで書いてしまいました。
多勢先生、お許しください。まちがっていたら、お叱りください。それではすまないかな?
私、よせばいいのに
質問しました。
質問「私はこの内外情報調査会の東京懇談会で、当時の
小泉首相の講演を聴きました。北朝鮮に自ら乗り込んで、
5人の拉致被害者の帰国を土産に意気揚々と引き上げてこられた、次の次の日でした。びっくりするようなテレビカメラの砲列と記者の群れをにらみつけながら、
『成果を得て北朝鮮から帰国したら、マスコミは批判的な対応、私は今日は諸君の前でまともなことを話す気にはなれない』というようなことをいわれ・・・正確ではありませんが、感じとしてそんな風に受け止めました・・・結局その日の講演はあまりおもしろくなかったのです。帰国の際、
記者さんたちとどんなやり取りがあったのか、ご存知でしょうか?」
回答「小泉さんは一体向こうの
誰と交渉をしたのか、どんな話をしたのか・・・日本側にわからないままだった。これは
危険な外交ではないかと、マスコミは小泉さんのことをほめなかった。そのことを小泉さんは言ったのではないか?」
わざわざ東京まで行って、一国の総理の話を初めて聴くというのに、長いだけで少しもおもしろくなかった・・・そんな不満を抱いて返ってきた
あの日の思いが、やっと解けました。
先生、ありがとうございます。
こんな話を書くのはむつかしいですねえ。あ、私、
しばらく行事が立て込んで、ろくな書き込みも出来ないかもしれません。今までもロクなのはなかったけど、また、ドッサリ書きます。政治の話しではないと思うので、
また読んでください。

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