「私の生きてきた中で一番幸せ」な話しばかりしていて、
肝心の講演の内容をお伝えするのを、すっかり忘れていました。何しにいったんでしょうね?
今回は、
川合玉堂美術館館長の小澤恒夫先生との対談という形で、お話が進められました。
小澤先生は、玉堂さんのお孫さんのお婿さんで、亡くなられた
前館長川合三男先生の義理のお兄さんに当たる方です。
言葉の歯切れのいい方…というのが最初にお会いしたときの一番の印象です。
「江戸弁」の響きを感じてそのように申し上げると、「時々
青梅言葉が入っちゃうんだよね」とおっしゃる。そこまでは尾張人には判別できませんが、とにかく
大学の講座でも学生さんに大人気だとか、きっと「歯切れ」ですよ。
さて
「美術対談」、お二人は、全く別の角度から玉堂さんについて語っていかれるので、とても味のある楽しいトークになりました。司会は
毛受(めんじょう)学芸員さん。日本画にとても造詣の深い方で、うまくポイントをとらえてお二人のお話を引き出していかれます。
【
閑話休題】
トーク前に控え室でお話していたとき、先生方がこっそり私に言われました。「学芸員さん、
珍しいお名前ですねえ、モウなんとか…」 私はきちんと説明しました。
「メンジョウです、一宮の地名にもちゃんとあります」(あ、あれはメンジョか?)
もう一つ、「合併で、
玉堂さんの出生地が‘一宮市’になったんだね。
葉栗郡外割田村というのとずいぶん感じが違うね」と小澤先生。
さて「トーク」です。
先生方のお話の印象的な部分を、いくつかご紹介します。
小澤
こちらは初めてだけど、尾張一宮の駅で降りて思いました。
風と光が違うね。
明るいし緑もきれい。玉堂は大正時代10数年間、横浜市の金沢八景の別邸に住んでいたけど、あそこも海を見下ろす美しいところだった。
木曽川や長良川の光とか空気を背負って最後は東京に出てきたんだが、
それで玉堂ができていったんですね。」
安河内
絵を見るとき、やはりその画家が
どこで生まれて、どんなものを見て育ってきたかが、ポイントになりますね。テレビの
鑑定団の鑑定のお話になりますが、まず私が本物かどうかを判断して選び、スタッフがその絵がそこにある背景などを調べます。
本物かどうかの判断は、
@ まず
絵の良し悪し(いいえ絵だなと思えるかどうか)を見る。
A
落款、印章を資料と比較して調べる。
B
絵の具、絹、紙、表具、箱を、
時代や質などを考慮しながら判断する。
ここまでは
基礎的な条件の調査・判断です。
一番の決め手は私自身が瞬間的
にその作家特有の「空気感」を感じ取ることができるかどうかです。
作家の人柄、生活感、どんな時代に生き、何を愛していたか、どんな手法で表現しようとしたか・・・つまり、
その作家らしさ(空気感)を持っていなければ、私の腹に流れないのです。だからその作家が
生まれ住んだところを知ることは、とても重要なことなのです。
ここまで聴いて、私感動しました。
真摯さ、誠実さ・・・これが透けて見えるから美しいのです。
【
閑話休題】
もっともっとお伝えしたいのですが、実は11月4日の
文化祭に出品する絵が、まだ描けていないのです。今日やっと着手して、輪郭だけ描きました。あと搬入前日の金曜日しか時間が空いていない。つまり、
玉堂さんの絵どころではないという状況に追い込まれているのです。
というわけで、また!

対談風景ですが、できの悪い写真で・・・

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