「
いそがしい、イソガシイ、地域福祉ネットワークのレジメも作っているひまがない」と人にはいいながら、実は
26日日曜日、岐阜市民会館であの有名な…というか、なつかしい
『カンタータ・土の歌』を歌ってきました。
合唱の名曲といわれ、その中の最終楽章
『大地讃頌(さんしょう)』は、長く
中学校の音楽教科書に取り上げられ、中学生は今でも合唱コンクールなどで、よくこの歌をうたいます。
私があまり練習にも行ってないのに、本番のステージに乗ることを認められたのは、
非常に低い音域の曲があって、
その音が出せる人が少ないからというのが、一つの理由でした。
私、低音なのです。
中学時代からその低音が珍しがられ、教科書の朗読などをよくやらされましたが、逆に高い音域の歌についていけず、
以後音楽が嫌いになってしまったという、いわく付きの声なのです。
45才から始めた合唱でも
バス(ベース)は「日陰の声」でして、
「ボンボンボン」とかいってみんなの美しい
メロディーを引き立たせるのが主な役割でした。
それが曲の一部とはいえ、その
「最低の声」が認められたわけで、忙しかろうとナンであろうと行かなきゃいかんと、
積年の恨みを果たしに言ったのです。
私は日常では
桁外れのサイズの人が、バレーボールとか相撲とかで認められ、人気を博しているのを見るのが大好きですが、理由はこれです。
今日はこんなことを書こうと思ったのではない、ついつい…すみません。
『土の歌』の歌詞を、改めてみなさんに読んでいただきたかったのです。
人がつくり出した「異常」でこんなにクソ暑いのかどうかはわかりませんが、街路の下草が赤く焼けてしまっているのを見るにつけ、
先人の「心の叫び」「警告」に、耳を傾けてみたいと思うのです。
では、私の低音が陽の目を見た第6楽章と、中学生に人気絶大の第7楽章をどうぞ。
第6楽章「地上の祈り」
美しい 山河を見て 美しい 花を見て
大地の意(こころ)を信じよう
恩寵を 自然に享(う) 感謝しよう
ああ 戦争の狂気をば 鎮めたまえ
剣の乱れ 爆弾の恐れを さけたまえ
天意にそむく 動乱を おさめたまえ
ああ 戦争の狂気をば 鎮めたまえ
地の上に 花咲く限り
よろこんで 日ごと営み
悲しみも 耐えて生きよう
ああ 栄光よ
ああ 地の上に 平和あれ
第7楽章大地讃頌
母なる大地のふところに
われら人の子の喜びはある
大地を愛せよ
大地に生きる人の子ら
その立つ土に感謝せよ
平和な大地を 静かな大地を
大地をほめよ たたえよ 土を
恩寵のゆたかな大地
われら人の子の
大地をほめよ たたえよ 土を
母なる大地を たたえよ ほめよ
たたえよ 土を
母なる大地を ああ
たたえよ大地を ああ

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