第一子を身ごもり、女房は、まん丸の大きなお腹をかかえて在所に帰った。
鳥取日赤病院に入院、出産の兆候ありという報を受け、見舞いに出向いた。
ちょうど陣痛が始まったところで、女房はウンウンうなっている。
こういう時に「そうか、痛いか」などという言葉がうまく出てこないのが、自分でもやっかいなところだと思う。
結局は「そうか痛いか。では、俺は忙しいから帰る」といって帰ってしまった。
「やさしいお父さん」には信じられない行動かもしれないが、私は病院とか助産婦さんとか在所のお母さんをまるっきり信用していて、何の役にも立たない自分はこの場に不要であると判断したわけで、悪いことをしたという自覚はなかった。
木曽川で生まれた第二子の場合も同じだったが、第三子の場合はちょっと状況が違った。「後置胎盤」ということで、産院から帝王切開をする旨連絡を受けた。
私としては、こんな状況にも全く無力なわけだから、「そうですか、よろしくお願いします」と電話を切って、仕事に出かけた。
夕方、上の二人を保育園に迎えに行ったところ、先生が走り出てきて「お医者さんから電話で、赤ちゃんが生まれたのに誰も付き添っていないと怒っておられましたよ」と言う。急いで産院に行ってみると、看護婦さんがすごい剣幕で「赤ちゃんかお母さんか、どっちかが危ないという手術なのに、誰も付き添っていないなんて、お宅は一体どういう家族なんですか!」・・・頭から叱られた。
さすがにこの時ばかりは、あまりエラソウにしていているばかりではお父さんはつとまらないのかなと反省し、とりあえず病室に入って「大変だったらしいな」といたわりの声をかけた。
看護婦さんが重ねて怒った。「先生は、俺の手術の腕が信用されとるということだろうと、のんきなことを言ってるんですよ!」
まさにその通りだと思ったが、口に出すことははばかられた。
出産という女の大事業を軽んじすぎたな。
お母さんと三人の子どもたち、
ごめん。
その後大きくなった子どもたちは、日常生活でまったく私を当てにしなくなった。
学校から帰って私の顔を見ると、三人それぞれに「おかあさんは?」と聞く。
お父さんには用はないのだ、いつも、誰も・・・ムクイだなこれは。

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