新年あけましておめでとうございます!
今年は去年よりブログをアップしようと、新年の誓いの(多すぎる)10項目にいれました。
12月後半より正月明けまでの2週間を、1年半以上ぶりの日本で過ごした。ありがたく、溜まっていたマイレージの積算マイルでビジネスのアップグレードがとれて、ヨハネスブルグー香港はしっかり眠れたものの、相変わらずヨハネスブルグ、香港での2度の乗り継ぎを要する気の遠くなる旅。それに、関空でレンタカーを借り 実家までくだる約2時間あまりが付け足される…。
実家では日頃出来ない父の世話、パートナー&息子への通訳(彼らへの日本語教育に対する 私自身の怠慢さの結果)、東京2泊、大阪2泊のホリデーという言葉には確実に置き換えられない2週間だった。それでも日本は楽しかった。帰ってきてから日本ホームシックになったほど。

南アフリカで今や住む私たちにとって東京の景色は「未来都市」。コンクリート文明の賜物を拝む芝浦〜お台場ボート移動。

友人アキが本当に心地よく住んでくれていて感謝の東京のマンション。富士山が遠くに見えるのは、この部屋の素晴らしいもののひとつ。ランドセルを背負った子どもが一人で高層階の部屋に帰るためにエレベーターに乗り合わせるのを、不思議な気持で見てしまう。そうだ、有難いことに 日本はまだまだ平和なんだ。

そして、日本の食べ物。
神戸牛が兵庫に住む従姉より届けられいてた。ありがとう。
日本は「食べ物」で全てが満たされ動かされている様にしか思えない!と、この滞在中 非難もしつつ、それでもこんなビーフ、世界のどこにいっても食べられない…と私の身体全体が、その肉そのもののようにトロけながら満喫するのをとめられなかった。
上記した様に、食べ物で社会がまわっている様にしか思えなかったというのが今回の日本に感じたこと。そして 思いのほか、何もかもが生温かったこと。ナマヌルイ暖房がいたるところで入っていて、ナマヌルイ感覚が浮遊している感じ。それは日本人の私も一歩足を踏み込むと、抜け出すことができない心地よさとともに、抜け出せられない怖さも潜まれているものだった。それでも人々の他人に対する尊敬、物に対する感謝、気遣い、には頭があがらなかったのも事実。みんな優しい。
アフリカに帰って来て、もう一度気をひきしめなおし、この土地で生き抜かなければ!と自分自身に活を入れたのがやっと今週始め。さあ、今年もがんばろう。