昔よく使っていたIDEEのカフェにも行ってみた
日本の外にいて、人々にちょっとでも日本のことを聞かれたりすると「日本いいわよ。遠くに東京大好き、面白いよ。」と言い続けて来た。特に「TOKYO」の部分を強調して。
私にとって、東京に住んだ数年は本当に充実していたから。新しいものがグングン出てくるような、それまでのやわらかくそして古いものが頑固と残る京都生活や、しっかりと両親や近所の人々にサポートされた高校生活までを過ごした実家の田舎、とは打って変わったスピード感にワクワクしながら。
今週、約5年ぶりに一人でゆっくりした時間を東京で取ることができ、住んでいた代々木周辺やよくいっていたお店なんかを、自分に対する「復習」のように訪ねてみた。
ちょっとした感慨を持って自分の住んでいた小さなアパートに別の人の洗濯物が干されているのを見たり、前は空き地だったところに新しいマンションが工事されている様子に時間の経過を感じたり、よく通っていたクリーニング屋のおばさんが前と変わらずお客さんを相手している様子を見つけて元気になったり、とたくさんの感情の波が押し寄せて来た。
そして、よく行っていた気に入りのお店たちを再度訪れて感じたこと。昔ほどワクワクしない。理由が自分でもはっきり分からない。多分、それらの食べ物屋、服屋、インテリア/雑貨ショップは西洋のものに憧れていたその頃の私にとって新しいものだったからか…。それともそれらは日本においてはとても簡易的なものに今回は見えてしまったからか…。
まだ短期ではありながら、それらがしっかりと根を下ろした国々に、それらに囲まれて暮らしている私にとって、昔胸を躍らせてくれた物たち(そう!日本はこの『物』という言葉で埋まってしまっている。残念ながら。)は、今の私にとって何も意味しなくなっていた。
それより今回もっとワクワクさせてくれたのは、日本のたっぷりの水で潤う自然と、家に祖父母の頃から残されている和の器や道具類の数々、子供の頃は本当に見つめるのも恐かった実家の天井隅の深い陰、手作業でハラワタをきちんと洗われピシっと並べられて干されている魚たち、都会の忙しい中で自分のペースを失わず生活している数少ない人々、そして徹底したゴミ分別収集(ファンタスティック!)。
これからは単純な自分が「日本いいわよ。特に古い物たちが残っている田舎とゴミ分別収集ね。」と言い始めるのが目に見える。
日本ではデザインという存在がアートの力より大きい。そんな中で地道に物を創造しているアーティストには胸が動く。自分へのお土産に。ロンドンにもどったら大きな額に二つ並べて飾ろうと思う。
アーティスト名:Mr. 永田哲也(tetsuya nagata)
他にも和菓子の木型から和紙をかたどったものなどもあります。
彼の使う和紙は99%白です。