ロンドン2005年7月 自転車に乗る人が急増
本当に「やれやれ…」という言葉が口からもれるニュースが続くロンドン。余りにも悲しい事件が続くのでブログを書く気分にならなかった。
街中で見かける警察官の数、遠くで聞こえる救急車/警察の車のけたたましいサイレン、空を飛び回る重いヘリコプターの音。私も含め、人々が何に対しても敏感になっているのを肌で感じる毎日。
そういう中、昨夜、私たちのフラットの下の住人であるイスラム系の若者たちの窓ガラスが割られた。その場にいなかったのではっきりしたことは判らないけれど 誰かが何かを投げ入れて窓を割ったらしい。
歩道に散乱している2階から落ちたガラスの大量の破片は 何やら今のロンドンに住む人々の信頼しあえない関係を象徴しているようで見ているととてもつらく、公の掃除人がくるのを待ちきれずに 同じ建物に住む何人かと この被害にあった若者の一人と 一緒に片付けた。
先週の木曜に、ある機関のメルマガに定期的に載せているコラムのために 下のような文を記した矢先の 本当に残念な出来事だった。どうか理不尽な差別が広がりませんように。
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NOT IN OUR NAME 〜 July 21, 2005
ロンドンがテロ爆弾を受けてから2週間が経った。
先週の木曜は正午とともに街中が2分間の黙とうを捧げた。オックスフォードサーカスとピカデリーサーカスを繋ぐリージェントストリートにいた私の友人は、「あのいつもは たくさんの人と車の喧騒につつまれたストリートが、静まりかえったんだよ。正午を合図に、車も人もスローモーションのようにストップしてゆく光景はとても印象的だった。」と、語っていた。
そして、2週間目の今日。ロンドンの朝に欠くことができない無料の新聞 METROの1ページを大きく買い取り、英国に住むイスラム教の各団体が一致団結しこの見出しのメッセージを載せた。
NOT IN OUR NAME 「私たちの名のもとではない」と。
”The moslim communities across Britain are united in condemning the terrible atrocities of July 7th in London.”
本当にたくさんイスラム系の人々がロンドンに住む。
確かに、あの顔も全てをも隠した一部のイスラム教女性たちの黒尽くめの格好を視界にいれて戸惑わない、といえば嘘になるけれど、それでも私は彼女たちが許された部分でのお洒落を楽しもうと、私たちと同じようにセルフリッジの下着売り場でセクシーでカラフルな数々を選んでいるのを見かけたりすると、ホッとする。(それと同時に、そこでしか自分のアイデンティティーを表現できないという部分を とても不憫に感じたりもするけれど。)
当たり前のこと。彼女たちは、宗教や文化の違いは多々あれ日本人の私となんら変わりはないのだ。そして今回の一連のテロを、大多数のイスラム系の人々は私たちと同じように とても残念に思っている。それを表明するための今回のとても目立つメッセージ。あのテロ後、彼らは形見の狭い思いをしていたのだろうか?
しかし、私は以前と同じように、毎朝 エジプト人が経営する角の店に牛乳を買いにいってオシャベリをしているし、嬉しいことにこれらの店は明らかに他の顧客たちからもボイコットされていない。
人々のお互いへの気遣いに、人種を問わないイギリスの洗練を感じた。
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