グラフティについては「公共の建物への落書き」として犯罪とされたり「新しい形でのマニフェスト」と認められたり と意見が分かれる部分であるけれど、
BANKSYのグラフティにいつもわくわくさせられる私は、完ぺきに出来上がった美しい形でならグラフティはミューラルペインティングとして存在できると考える。
最近
英国ガーディアン紙ブログに載せられたBANKSYの記事の中の彼のコメント。
...Graffiti is not the lowest form of art. Despite having to creep about at night and lie to your mum it’s actually the most honest artform available ... the people who run our cities don’t understand graffiti because they think nothing has the right to exist unless it makes a profit. ...
(訳:グラフィティは低いレベルのアートではないと思う。親に嘘をついて、夜に家を抜け出したりしないといけないけれど、それは最も正直なアートの形ではないかな。都市を管理する人たちがグラフィティを理解できないのは、利益を出せないものの存在を考えられないからだ。)
今、手伝いを始めようとしているAFHはいくつかのビルボードを借りとり、そこにHIVや社会問題をテーマにしたアートを載せ 通常はギャラリーでアートを見る余裕などない道を歩く人々に見てもらおうという活動をしている。ついにダーバンエアポートにまでビルボードをレンタルできた。BANKSYに通じるワクワクさがあって共感している。
下はBANKSYの イスラエルの壁へのグラフィティ