
足早に2011年も過ぎてしまった。
要領の悪さと容量の少なさから、本当に忙しい年だった。
ブログをアップする余裕なんて全くなかった。
この2011年12月15日午後1時から2時の空いた時間を、やっと物を書くということに費やせて嬉しくてならない。
最近はいくつかアートにかかわるデザインの仕事をし、それらに関わる多様な人々に出会えた。
国際的に活躍する人間としての”テイスト”がしっかりある、とても素敵なキューレーターマダムのキャロルや、反アパルトヘイトをかかげた学生の頃から今でも変らずどっぷり社会派のなかで生きる ヘビーに吸う煙草のやにの色までもが染み付いた様に見えるぼろシャツとジーンズがトレードマークの大学美術教師ヤン、巻きすぎたネジがとたんにはなされた様に創作に入ると壊れたコマのようにあらゆる人を巻き込みながら物を創るフランスなまりがひどくて話していることがほとんどわからないザビエ。そして私が尊敬してやまない、売れない若い油絵画家ピーター。この人たちの存在が、私を創作活動に いてもたってもいられなくさせてくれ、来年こそは裏の納屋となりつつあるコテージを改造しアトリエに、と意欲も湧きつつある。
家族ごと と言えば Dは2年通った幼稚園を卒業、来年からは私立の男子高にGrade R(日本では年長さん?)として入学する。女の子たちと楽しく唄うこれまでの学校の発表会を鑑賞しながら、これから先、彼にとって遥か遠くまで続く男の子ばかりの環境を想像する。それがDの中に、いい意味で何をもたらし、悪い意味で何を残すのだろうかと戸惑いつつも。まあ、とりあえずその学校に入れてみようとAと話す日々。D本人は男の子ばかりの学校に通い始めることが少し大きくなった証のようで 楽しみでしょうがないという様子。
Aはこちらの医大に去年設置された 世界一大きい(といわれる)結核の研究所で、研究に没頭することに。本人、とても興奮している。格好いい。これでこれから4年は確実に南アだ。
そして来週には義母がイギリスよりやってくる。クリスマスを含む1週間をここで過ごしたあと、みんなで義兄家族もやってくるモーリシャスへ2週間。本当に楽しみでならない。スーツケースをもう開けて、厳選した本10冊を投げ込んだ。その次に投げ込むのは4枚の水着。数枚のサンドレスとサングラス。それ以外は何もいらない。
クリスマスといえば、いつも思い出すのがロンドン時代の友だち、ポーランド出身のマルゴの子ども時代の思い出話。
彼女が小さかった頃はポーランドはまだとても貧しい国で、お父さんは他の国に出稼ぎに行っていたのだという。一年に一度、毎年クリスマスの頃になると家族のもとに戻って来て みんなで山の小屋に出かけて過ごすのだったそうだ。特にその年はとても寒い冬で、大雪が1ヶ月も続いていた…。
「家族みんなで山の小屋で泊まっていたらある日、余りの大雪でドアが中から開かなくなったの。そう 数日は、みんなまったく小屋の中から出られなくて、それがね 子どもながらにとても嬉しかったの。『パパはもうどこにも行けない、私たちとずっと一緒だ』と思うと。小さな小屋の中で、夜はキャンドルの灯りのもと 家族みんなでずっと話をし続けたわ。父はたくさんのジョークを言ってみんなを大笑いさせ続けたの。本当に楽しかった。今でもクリスマスになるとその冬のことを思い出すのよ」。
これを越えるクリスマスストーリーにまだ出会っていない。
皆さん、メリークリスマス。
どうぞよいお年を。