明治時代、23歳という若さでこの世を去った音楽家・滝廉太郎…
彼の名曲「荒城の月」が、HR/HMの世界でも愛されていたことは、
私にとって嬉しい驚きでした・・・
お気に入りの白いピアノ。W 9.8×H 8.8×D 9.5(p)
陶器のクマさんもかわいいでしょ?
きょうは、黄色のバラのつぼみを飾ってみました。
皆さま〜☆
今年のゴールデンウィーク、いかがお過ごしですか? (^-^)/
北海道にもやっと桜が届いたそうで、私もとっても嬉しいです。
今が満開のようですが、例年より1週間ぐらい早かったんですね。
北国の皆様、お花見、楽しんでくださいね〜
ここしばらくアレコレと忙しかった私ですが、
このお休みは、ふんわりぼんやりShannonかも〜☆。・。・。・

お部屋のオブジェになりかけていた(爆)ピアノを久しぶりに開けてみました。(なんとかMETALLICAのFade To Blackを弾きこなしたいと…)
白と黒の鍵盤、見てるだけで落ち着きますよね〜♪
さてさて、昨年、SCORPIONS(スコーピオンズ)1978年初来日時のライヴ
CD“TOKYO TAPES”(「東京テープ」/中野サンプラザ)を聴いたんですが、この中に収録されていたJapanese folk tune、“Kojo No Tsuki”「荒城の月」、実はずっと私の中で気になる存在として残っておりまして・・・
← もしかして、
このオニイサマ、
イナバウアーしてる?
(^^ゞ
そういえば、高校時代、
こうやってブリッジの
練習してました。(^-^)v
(ど〜でもいい話)
SCORPIONS/TOKYO TAPES (←クリックでHMVへ)
(1978.4.24、27 / Sun Plaza Hall,Tokyo)
Klaus Meine ( Vocals )
Rudolf Schenker ( Rhythm Guitar )
Uli Jon Roth ( Lead Guitar )
Francis Buchholz ( Bass )
Herman Rarebell ( Drums )
ちょうど今から30年前の春だったんですね〜
クラウスおじさま、伸びのあるとってもいいお声でホレボレしちゃうんですが、日本語で歌う「荒城の月」も、その澄んだお声が本当に心地よい。。。
ギターでのアレンジもすばらしいですね〜☆
SCORPIONS「荒城の月」 (←クリックでYou Tubeへ)
Y Y Y Y Y Y Y Y Y Y
「荒城の月」といえば、滝廉太郎の名前がすぐ浮かんできますが、実は、私、彼のことも曲のことも、あんまりよく知らなかったんです。(音楽で習ったおぼろげな記憶しか…) (;^^)トホホ…
で、SCORPIONSがらみで、最近ムクムクと興味がわいてきまして・・・
「荒城の月」・・・
1901年(明治34年)に、中学校(旧制中学校)唱歌の懸賞応募作品として、滝廉太郎が作曲したもの。歌詞は、東京音楽学校が土井晩翠(つちいばんすい)に、これも懸賞応募用に依頼したもの。
春高樓の花の宴
めぐる盃 かげさして
千代の松が枝 分け出(い)でし
昔の光 今いづこ
秋陣營の霜の色
鳴き行く雁の数見せて
植うる劔に照り沿ひし
昔の光 今いづこ
今荒城の夜半(よは)の月
変わらぬ光 誰(た)がためぞ
垣に殘るは ただ葛(かずら)
松に歌ふは ただ嵐
天上影は変わらねど
榮枯は移る世の姿
映さんとてか 今もなほ
鳴呼荒城の夜半(よは)の月
私、1番しか歌えなかったんですが、こうして全体を見ると、
この歌詞、まさに和風テイストのきれいな七五調なんですね〜☆
西洋音楽と和のリズムとの不思議な融合・・・ちょっとドキドキです〜☆
今は、ロックやへヴィメタ、ブルーズ、ジャズなどなど、なんでも普通に聴いてる私ですが、音楽でも西洋に追いつけとばかりにはりきってた当時の日本では、この「荒城の月」、かなり画期的な試みだったのかもしれませんね。
で、他に調べていたら、こんなのもみつけたんです!\(^0^)/
ハイ!
ご存知、泣く子も黙る
速弾きYngwieさま!
1984年のメタリック・ライヴ!
ここで、なんと!
「荒城の月」のソロを
聴かせてくれてるんです!
カッコイイですよ!
よろしかったら、
コチラです。。。
(クリックでYou Tubeへ)
↓
Yngwie Malmsteen
Kojo No Tsuki
Metallic Live '84
次はですね〜、
Gamma Ray(ガンマレイ)というおじさまたちのご登場で〜すっ!
このおじさまたち、私は名前ぐらいしか知らず、
ふだんどんな曲をやってらっしゃるのか、さっぱりなんですが、このライヴで歌っていらっしゃる「荒城の月」、アコースティックヴァージョンで、とっても優しくてかわいいんです♪(ちょっと胸キュンかも〜)(≧∇≦)♪くぅ〜っ!
このおじさまたち、
いつもお二人で
こうしてライヴやってらっしゃる
のかな?
ニコニコおじさま、
「ハイ、みなさんどうぞ〜」と
オーディエンスにも
促してるんですが、
会場の皆さん、シャイなのか
イマイチノリが悪いようで…
(^^;)
てか、
歌詞をご存じないのか?
よろしかったら
コチラですけど…
↓
Gamma Ray Live
Kojo No Tsuki
2005 Acoustic Cover
「荒城の月」。。。
完成度の高い名曲であり、時代背景を考えても画期的な曲であったわけで、それゆえにこうして海外のアーティストが、ライヴで取り上げていたんだろうと思います。。。
とりわけ、滝廉太郎は、上野の音楽学校時代、優秀であったことから、ドイツへの国費留学生に選ばれ、短期間ではあれ滞在していたライプチッヒには、2003年に記念碑まで建立され・・・
ドイツのバンド、スコーピオンズも、もしかしてそういうことまで知ってて取り上げた曲だったのかもしれない・・・
あ、このあたりは調査できていないので、はっきりしたことはわからないのですが、少なくとも、滝廉太郎が日本の誇る作曲家・ピアニストであり、「荒城の月」が日本人なら老若男女を問わず愛している曲だろうと彼らが考えていたことは間違いないのではないかと思うのです。
が。。。 が。。。ひとつ思ったことなんですが・・・
ライヴでいきなり「みんなも歌おう〜もっと大きな声で〜みんな日本人なんだから歌えるでしょう〜 カモ〜ン!」なぁんて言われても、ああいう会場で、この七五調の硬い歌詞、「はぁるぅ〜こぉ〜お〜ろぉ〜お〜のぉ〜♪」って、すぐ歌いだせるものではないような気がするんですが、どうなんでしょうか〜???(^o^;)
私なら・・・ 正直、モードの切り替え・・・難しいかも〜・・・(;^^)
あ、インギーのように、ギターソロという形でプレイを聴かせてくれるのなら、ちょっとしんみり〜なぁんて気分にひたれるかもしれませんが・・・
もちろん、基本、日本のファンへのあたたかいサービスだと、好意的に受け止めたいと思ってますけどねっ! (*^_^*)thx!
海老澤敏 著
『瀧錬太郎
−夭折の響き−』
2004.11.19
岩波書店
で、実はですね。。。まだあるんです。
今回、滝廉太郎への興味が高じて、こんな本や楽譜まで買って読んでたんですが…
その中で、ちょっとおもしろい話が・・・
ご存知だという方も多いのかもしれませんが、この「荒城の月」、1917年(大正6年)に、山田耕筰氏が一部改変をしていたそうなんです。
「春高樓の花の宴」の「え」の音を原曲より半音下げたヴァージョンに・・・
そういえば、私が口ずさむのも、確かに半音下げの山田ヴァージョン!
で、前述のお三方、スコーピオンズ、Yngwie、ガンマレイの皆さんはどうしていらっしゃったのか、興味津々でさっそくもう一度聴いてみたんです。。。
なんと!スコーピオンズのクラウスおじさまだけが、滝廉太郎の♯付き原曲ヴァージョンで歌ってるぅ〜っ! なんで???
てか、もしかしたら、意識しての滝廉太郎リスペクトっ?!
えらいぞ、クラウスおじさま!(^-^)v
一方、サンプラ会場のオーディエンスはどうかというと、半音下げの山田ヴァージョンでコーラスしてるしぃ… (^^;)うっ…
クラウスおじさま、気がついてたかな〜、どうなんだろ。(^o^;)
非常に興味深いところです。
Y Y Y Y Y Y Y Y Y Y
映画
『わが愛の譜
滝廉太郎物語』
カラー125分
製作1993年
監督:澤井信一郎
出演:風間トオル
鷲尾いさ子
天宮良
藤谷美紀
浅野ゆう子
檀ふみ
佐藤しのぶ
柴田恭兵
藤村志保
加藤剛
滝廉太郎・・・
1879(明治12)年8月東京生まれ。父は明治政府に仕える役人。
1891(明治24)年、大分県竹田の町に移り住む。成績は抜群。音楽への興味が芽生え、高等小学校4年生のときに、オルガンを習い始める。(おぼっちゃまだったんですね。)
1895(明治28)年、東京音楽学校に入学。
この東京音楽学校、日本史でも習ったけど、1949年に東京美術学校と合併して、今の東京芸術大学になるんですよね!私の好きな坂本龍一さん(教授!)は、東京芸大の大学院出身。カッコイイ! (^-^)v
ピアニストとして、音楽学校のよきライバルでもあった中野ゆき。
映画の中では、音楽学校教授・幸田延(こうだのぶ/文豪・幸田露伴の妹)の姪になっているんですが、実際には、前述の幸田延の妹・幸田幸(こうだこう)がモデルになっていたようです。
鷲尾いさ子さん、長身でとってもステキなお嬢様!
ほのかな恋も?('▽'*)。。oO
ほとんどが西洋音楽の輸入とまねっこばかりだった当時の日本の音楽。そんな中、日本人による西洋音楽作りが求められていたんですね〜。
文部省は、東京音楽学校に、学校などで子供たちに教える唱歌作りなども期待し、この時期、廉太郎は「はぁ〜るの〜 うらぁ〜らぁ〜の〜♪」の「花」を含む組曲「四季」を完成。上のキャプは、廉太郎の「花」の楽譜を見て、仲間たちが「すばらしい!」と絶賛し、二部合唱をしているところです。確かに名曲ですね。
中野ゆきが先にドイツに留学。その後1年の間に、廉太郎は「箱根八里」など多くの曲を完成させるんですが、あの「荒城の月」が生まれたのもこの時期!
さらに「幼稚園唱歌」にも取り組み、「鯉幟(こいのぼり)」「お正月」「桃太郎」など、お子ちゃまの歌もいっぱい完成!
あ。。。実は私、この3曲、滝廉太郎の曲とは知りませんでした。ハイ…
m(_ _)m 深くお詫びしゃのん。。。
上のキャプは、ドイツ留学が決まり、送別会で「荒城の月」を演奏する廉太郎。ソプラノ歌手・佐藤しのぶさんのすばらしい歌声も聴けます!
ドイツのライプツィヒ音楽院で学び始めた廉太郎でしたが、ドイツの音楽にふれればふれるほど、「ドイツの伝統と文化には、とても太刀打ちできない。自分の非力を痛感するしかない日々だ。」と、自信を失ってゆく。。。
当時のドイツ。。。大きな存在だったんですね〜☆
あ、もちろん今でもジャーマンメタル、すっばらしいですもんねっ!
スコーピオンズ! マイケル・シェンカー! ACCEPT〜!
\(^0^)/ バンザーイ!
ドイツで再会した中野ゆきと・・・
彼女のために曲を書くことを約束する廉太郎・・・
けれど・・・結核という病魔に・・・
志なかばにして無念の帰国。
病床で曲を書き続けたのですが、未完のまま・・・
1903(明治36)年6月29日、23歳と10か月で帰らぬ人に。。。
やりたいこともいっぱいあったであろう廉太郎の気持ちを思うと、とっても切ないです。
この映画、滝廉太郎没後90年として製作されたそうですが、彼の人生・業績の紹介だけでなく、明治時代の様相やクラシック音楽の名曲の数々にもふれられる、とっても充実した内容なんです。ドイツでのロケーションもステキです。日本の音楽史のお勉強にも〜☆(^-^)v
(風間トオルさん、この映画のために、かなりピアノの特訓をなさったそうで…)
Y Y Y Y Y Y Y Y Y Y
さて、30年前にドイツのスコーピオンズが日本で歌った「荒城の月」がきっかけで、滝廉太郎という音楽家にハマリ、「荒城の月」を耳にすれば、♯付きかどうかをまず意識しちゃうこだわりShannon完成〜!\(^0^)/
MSG(マイケル・シェンカー・グループ)も、次回来日の際には、シブ〜イ「荒城の月」を聴かせてくれたらいいな。♯付きで!
(お兄ちゃんバンドに負けるな!)
(> マイケル&ゲリバデおじさま!)
。.:*:・'゜☆。キラッ

しゃのん
(all photos by Shannon)

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