とうとう安倍首相が辞任を表明した。最後は精神錯乱のような状態であったと思う。
彼の辞職の理由はこうである。
テロとの戦いは継続すべきだが、テロ特措法の延長について小沢氏を説得できなかったし、党首会談すらしてもらえない状況である。これ以上は、政策を進めていくのは困難だ。総辞職して政策を推進したい。
この安倍の論法の全ての始まりは、テロとの戦いの必要性である。
おぞましい糞マスコミも、この『テロとの戦い』の必要性が当然であるかのような論調である。安倍が辞めたのは大した感想はないが、糞マスコミのこのような報道姿勢には辟易してしまう。大衆を煽っているのである。
そもそも、本当に『テロとの戦い』が必要なのか?
確かにテロは手段として戦争と同じくもっとも愚かしい行為である。アメリカ主導のテロとの戦いによって、テロが根絶できるのであれば、アメリカに追従するのもひとつの選択肢である。
しかし、現実にはどうか。テロは拡散し、被害は拡大するばかりである。そして、テロの恐怖が国民に植え付けられ、際限のないテロとの戦いが継続されている。
そもそもテロは、力による弾圧では決して解決しない。テロ行為は、戦争という場においては敗者となる者が選択する手段だからだ。たとえ戦争に勝ってもテロなどなくなるわけもない。
ブッシュはテロとの戦いだと宣言し、恐怖を煽りながら、声高に正義を主張する戦争狂に過ぎない。
問題は経済格差と、搾取と被搾取の関係にこそある。文化・教育・宗教の違いがこれを加速する。
この構造は資本家と労働者の関係と似ている。労働者の蜂起にしぶしぶと資本家と資本家の利益を保護しようとする国家が労働者の権利を少しずつ認めて来た。いわば社会の軋轢のガス抜きのために労働者を保護する道を歩んできたように、テロリストを生み出す構造を変えなければ、問題は決して解決するはずもないではないか。国際交流、援助はそのためにある。
テロを根絶するには、資本主義の進展の過程において労働者への配慮や権利の拡大が認められてきたように、経済発展において遅れている諸国の国民への配慮こそ厚くなされるべきなのである。
テロとの戦いという旗印は、じつは世界の貧困との戦いにフレーズを替えなければならないと私は思う。どこかの国のひとりひとりの国民の貧困を踏み台として、先進諸国の富が築かれている現実を直視すべきである。
だとすれば、根本的にテロの続発を防ぐためには、こうした世界に存在する格差のガスを抜くことに労力を費やすべきだろう。
軍事力によって解決しようとするアメリカの選択は、戦争の世紀であった20世紀流の時代遅れの政策である。その遅れた政策にどっぷりつかった小泉・竹中・安倍政権は、自ら泥沼に入り込んでいく愚か者にしか見えない。抱えた銃器の重さで自ら泥沼にはまる愚か者なのである。
戦争国家アメリカは、もはや裸の王様なのだ。人は武力だけでは押さえつけられないのだということを、誰かがアメリカに教えてやらなければならない。
その際、国連という場を生かして、合議によって進む道を選択するのは、現実に取りうる選択肢のひとつであると私は思う。
地球はひとつしかない。開拓しつくしてしまえば、それでおしまいなのだ。しかし、ブッシュはインディアンを殺すことに躊躇いのないカウボーイのようだ。開拓は彼には限りなく正義なのである。そして、開拓に逆らうインディアンの血は、ブッシュには人の血ではないのだ。
自分に擦り寄る黄色人種の小泉や安倍はブッシュの目にはどうのように映っているのだろうか。
安倍が辞めたところで、どうということはないのだ。
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ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
ところで、これまで小泉・竹中・安倍政権が何をしてきたのか、毎日反芻し、周囲に伝えるべきだという考えから、
眠り猫さんの了解を得て
、『平和のために小さな声を集めよう』の記事へのリンクを掲げて来ましたが、このたびの安倍内閣総辞職により、一応の目的を達したことから記事へのリンクをはずすように、眠り猫さんから要請がありました。
眠り猫さんのこれまでの活動に敬意を表しますとともに、これまでリンク先の掲示の継続を快諾してくださったことに改めて感謝の意を表します。
今後、また新たな戦いに向けて記事をアップしていただけることを、眠り猫さんに期待しています。
尚、このブログはぼちぼちと更新しますので、今後ともよろしくお願いします。
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