国語辞典によると、小役人:地位の低い役人。下級の官吏。 となる。
小役人という言い方は、相手を馬鹿にした表現である。役人が自らへりくだって言うなら話も分かるが、面と向かって言えるせりふではない。『 小僧! 』と罵るようなものだからだ。
年金を窃取していた者は責められてしかるべきだ。だから、
『マスゾエ、よく言った!』
という人もいるだろう。円天に狂った人もいるのだから。
しかし、マスゾエの今回の発言は、こうした人達の顔色を見た発言でありスタンドプレイに過ぎない。
コイズミ改革に踊らされた連中は、今回のマスゾエ発言をコイズミのでたらめ発言に狂喜したように、今回も褒めそやすのだろう。
マスゾエは、地方公務員を、無能と罵ったに等しい。
もちろん、大役人でも小役人でもない私は、地方公務員の給料その他の優遇には腹立たしく思っているし、かれらの仕事のいい加減さに触れると怒りが沸騰する。しかし、それはそれ、これはこれと考えている。
鳥取県倉吉市、鳥取県町村会、東京都武蔵野市の市長が「職員の士気が下がるとして抗議文を送ったという。頭から『 無能! 』と言われてしっかり仕事する気になる人はいない。地方の長としては、部下をバカ呼ばわりされたこととなる。
市長の抗議は当然の行為である。
これに対して、マスゾエは、バカ市長と呼ばれたくないだろう。言いたいことがあるなら、地方交付税をもらわずに言え。と、啖呵をきったという。
バカはお前である。この市長の思いが分からなければ、舛添はまだこの問題に対する当事者意識がない。あくまで外部の人間にすぎない。
年金問題はいくつかの複合的な問題である。すこし整理してみる。
■年金問題は年金制度そのものに不具合があったこと。
つい数年前に、『 百年年金 』などという大嘘をついたのは誰なのか?公明党である。自民・公明の政府与党であった。
現在支払っている人たちの分は現在の年寄りに配分するなんて制度は、団塊の世代で大きく膨らんだ人口構成の将来を予測すれば、誰にだって破綻する制度だということは明らかだったはずだ。小学5年生くらいであれば、十分予測できたはずの不具合だ。
こんなばかばかしい仕組みを構築し、放置した政治家と大役人の責任は極めて重い。今話題になっているL&G(円天)の方が、投資話なのだから罪ははるかに軽いだろう。投資なら、金に目がくらんだ人間が騙されただけの話である。それがなけなしの老後資金であっても、本来自己責任の範疇なのだ。
しかし、年金は違う。これは国家の詐欺行為であった。
『 年金を支払いなさい! 』
あんた達が老人になったときは、支払えるかどうかわかんないんだけどね。
『 年金を支払いなさい! 』
あんた達がもらえる年齢は、70歳?75歳?・・・いくつになるか、わかんないんだけどね。
『 年金を支払いなさい!100年年金で安心です! 』
支払えなくなったら、受給年齢を先延ばしすれば、100年安心でしょ?
『 年金を支払いなさい!議員も払ってる! 』
議員年金は税金がたっぷり投入されるからね。安泰なんだよね。いいでしょ?うらやましかったら、国会議員になったらいいよ。地方議員も結構おいしいよ。
こんなばかばかしい制度を作っておいて、若者達に年金を支払えとよく言えるものだ。民間がやったら、詐欺行為だろう。
■流用問題
これも役人と政治家の責任である。
グリンピアで費消した年金は4000億円に上る。
で、誰が責任とったのか?
地方公務員の窓口を小役人呼ばわりし、市長をバカ呼ばわりする前に、まず、行政の長が、責任を明確にすべきである。
もともと、制度自体に誤りがあったことにこの問題の根がある。将来は将来の勤労者が支払う金で年金を給付すればよいのであれば、現在プールしている金はつかっちまってもOKじゃないか、という話になる。予算消化を第一に考える役人の発想で行けば、いけいけどんどんとなるのも当然の話だったろう。これに絡む政治かも大喜びするし、天下り先はできるし、やりたい放題だったということだ。
で、誰がこの制度を作ったのか?
誰がこの制度を作ったうえで、やりたい放題の年金流出を許したのか?
地方の窓口を責めるのはいい。しかし、トップが誰も責任を取ることなく、言い逃れるような政治で、地方の『小役人』は滅私奉公などできるわけがない。
糞コイズミなんぞは、年金流用のグリーンピア問題が発覚した当時、参議院労働委員会で次のように言い放っている。
「役人の責任だといいますが、国会議員が全部欲したんです。そして、この地元にはおれが持ってきた、みんな喜んだんですよ。」(2004年5月30日(日)「しんぶん赤旗」)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-05-30/15_01.html
この発言は、この平成の無責任有害男コイズミの下劣極まりない本質をよく現している。
みんな喜んだ?誰が?
喜んで賛成した連中は、ひとりひとり引きずり出して、政治責任を取らせるのが筋である。その上で、役人の責任を追及すべきなのだ。
コイズミ改革で格差が広がった?みんな賛成したでしょう?これと同じ論理である。
賛成した大衆は愚かであるが、それを主導した政治家は、行政の長として、自己の愚かな行動の責められるべきである。政治責任を取るという姿勢が、大衆誘導で成り上がる政治屋にはごっそり抜け落ちている。
大衆を誘導し、扇動し、盛り上がりの中で手前勝手な政治を行なう。失政であっても責任は取らない。だって、みんな賛成したんだからだという。失政が明白になれば、大衆の中に埋没して逃げるのである。
今回の参議院選挙で落選した片山虎之助がこの通りの理屈を言い放っていた。
政治家が悪い、政治家が悪いと皆が言うが、おかしな話だ。政治家を選んだのは国民だ。政治家を責めるは、天に唾して自分に降りかかるようなものだ。みんなが選んだから、そういう政治になった。それが民主主義だ。こう言い放ったのである。
こんな糞政治屋は二度と当選させてはならない。
コイズミ以降、日本の政治は無責任になった。マスゴミがこれを加速する。しわ寄せは、全て底辺の庶民が背負っている。
■消えた年金問題
帳簿がでたらめだったという話。
それを許した社会保険庁は『 仕事 』をしていなかった。
管理責任まで窓口という訳にはいかない。
この問題は大問題だが、それ以上でも以下でもない。
■年金の横領問題
これは言うまでもないが、犯罪である。
もっとも、グリンピア建設のような、公的な仕組みをでっちあげての流用の方が罪が重いし、巨額である。ところが、巨悪となると、知らんぷりがまかり通る。
これまでのところ、大臣マスゾエも必死になってシランプリに徹しているようにみえる。マスゾエが『 小役人 』と呼び、『 バカ市長 』と罵ることで、中央の愚政は隠蔽される。責任の所在はますます不明確になる。
マスゾエは小役人を罵り、懐を肥やす同僚や上司に媚びる悪代官に過ぎないように見えてならない。
年金保険料着服問題では、日野市が7年前に保険料など140万円を着服したとして免職処分にした職員を、警視庁に刑事告発した。市民生活部の職員だった50代の女性を告訴したのである。
日野市市長は唯々諾々と告訴に踏み切ったわけではあるまい。
業務上横領なのであるから、もともと7年前に告訴すべきであったのだ。当然のことである。
各市町村は、過去の横領事件を公表し、告訴できるものは全て告訴すべきである。
トカゲの尻尾きりをしろというのではない。地方の窓口の『 小役人 』がどんどんと告訴されれば、上の管理責任に及ぶ。上の上は社会保険庁であり、いずれ政治家の政治責任に及ぶ。
マスゾエに、その気概があるなら、よい。
国民がマスゾエに求めるのは、小役人を縛り上げることではないのだ。
こんな事態を引き起こした政治家の責任を追求して欲しいのだ。
そのぐらい、やってみろ。
というわけで、これでも私は、マスゾエに大きな期待を寄せている。

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