大阪府知事選挙の結果は、空威張りの記事ばかり書いていたが、あっさりと当初の予測通りになってしまった。大衆民主主義そのものである。独裁者は人気者の顔をして現れるというが、ここまで大阪府民の政治的意識が低いとは正直思ってもいなかった。これでは単なる人気投票にすぎない。
私達は恐ろしい時代にすんでいる。あっさりと扇動家の登場を許してしまう。そうした時代なのだ。
この件に関しては、もう書くこと自体が嫌である。晴天とら日和のとらちゃんの記事を読んで欲しい。
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/51150147.html
橋下が大阪府知事になった以上は、彼の施策に期待するしかない。とらちゃんのおっしゃるとおり、今後は彼の言動に注意して、問題が生じればリコール運動でも起こすほかはない。
実は、日曜日は仕事をしながら、山口母子殺人事件弁護団懲戒請求問題について改めて考えていた。私自身、なぜ、橋下にこれほどまでに大きな違和感というか、嫌悪感を覚えるのか、その理由はこの問題を避けて通れないからだ。
刑事事件の裁判構造は、犯罪を犯したとされる被告人を訴える検察側と、被告人の人権保護のために被告人の主張を代弁する弁護団側とに別れ、両者のやり取りと証拠によって犯罪の成否と被告人の有罪無罪を裁判所が判断するという当事者主義と呼ばれる訴訟構造になっている。
当事者主義の訴訟構造においては、検察側と弁護側でそれぞれがそれぞれの立場で対立した主張をさせ、公平な立場にある裁判所が判断する所に大きな意義がある。
大罪を犯した犯罪者の弁護をする必要などないと思うかもしれないが、被告人は有罪とされるまでは『犯罪者』ではない。あくまで公訴を提起する検察が、犯罪を犯したのは被告人だと主張しているに過ぎない。忘れてはならないのは、訴追権は国家だけが握っているということだ。国家の思惑次第で訴追は行われたり行われなかったりする。もちろん検察審議会による監視もなされているが、なぜ不起訴なのかという事件は頻繁に起こっている。
国家権力の暴走を抑止する三権分立の制度の趣旨が、裁判においては最も貫かれなくてはならない。ところが犯罪者の断罪を主張する検察側も、一見正義の味方のように思われがちだが、国家権力のひとつに過ぎないのである。検察官による訴追行為のみならず裁判それ自体も、国家という、国民には抗うことのできない強大な権力によって行われるということだ。訴追の仕方、裁判の結果いかんによって、市民の生活は簡単に破壊されてしまう。こうした危険性を回避すべく、国家の恣意的な判断を許してはならないという理念が裁判制度の根幹にあり、これを担うのが弁護士の重要な職分である。
わかりやすく言えば、強大な権力の前に、ひとり弁護団だけが唯一被告の味方なのだ。あなたが被告の立場に立ったらどうするか?弁護士以外に味方はいない。たとえば痴漢事件の被告になる可能性はいつだってある。女性の勘違いで、ある日突然逮捕拘留されることは誰にでも起こりうることだ。あなたがやっていないと叫んでも、事実やっていないとしても、逮捕拘留はあっさりとなされ、あなたの生活は破綻する。あっさりと、どうする術もなく、破綻する。
そうした危険性を回避する仕組みが当事者主義の訴訟構造をとる裁判制度であり、国民の立場でこれを担うのが弁護士なのである。この裁判制度の根幹に関わる弁護活動に対する批判を、単なる感情論によって訴えるのは弁護士の職分を忘れた暴挙以外のなにものでもない。
弁護団の弁護活動の内容が許せないと考えたにしても、こうした裁判の仕組みの趣旨を理解していれば、懲戒請求を煽るような行動は控えるものだ。少なくとも弁護団は圧倒的に強大な権力と戦っているのだ。訴訟当事者でもないタレント弁護士が、その強大な権力側に味方してどうする。国家権力を前にすれば、ただでさえ弱い弁護士の立場を攻撃して何がうれしいのか。
山口母子殺人事件では、その陰惨な事件内容から被告人に同情するものはいない。私も憤りを覚える。被害者には心底同情するし、犯人を自己の手で処罰したいという思いもよくわかる。しかし、だからといって、弁護活動に支障をきたすような行動はすべきではない。まして一般大衆を扇動することによって弁護団を攻撃するなど、もってのほかである。結果的に裁判の公正を担保する制度それ自体を傷つけるからである。
たとえ極悪人を裁く際であっても、『 弁護するな 』ともいうべき暴論は、つべこべ言わずにとっとと処刑してしまえ、という考え方に限りなく等しい。大きな広場の真ん中で、あいつは犯罪者だ、殺せ!わめく行為に等しい。被害者がこれを言うのはわかる。しかし、第3者のタレント弁護士が声高に大衆を煽るのは手段として間違っている。確かに大衆は喜ぶ。叫ぶ本人はアジテーターとして持ち上げられる。そして、被告を弁護する者は石のつぶてを投げつけられる。あたかもお前も同罪であるとでもいうように。
刑事裁判は国家権力の力の強大さをまざまざと見せ付ける。国民はこれに逆らえないのだ。だからこそ、より公正であるべきであり、間違いのない手続きを踏むべきなのである。その手続きの途中にあるにも拘らず、そのやり方が気に入らないからといって、弱い立場にある弁護団を攻撃するのは権力を盲目的に信ずるものか、これに擦り寄ろうとするばか者だけである。人権は圧倒的な権力者から、少しずつ少しずつもぎ取ってきた権利だという認識がすっかり抜け落ちている。
いずれにしても、橋下は大衆誘導に長けたアジテーターであることが今回の選挙で証明された。大阪府民は、つまりは日本国民は、あっさりと扇動にのってしまうことも明らかになったのだ。大衆民主主義の危うさが如実に出た選挙だった。
彼は権力志向の権化であり、何より類まれなアジテーターであって、独裁者としての優れた資質を持つ。そして若い。いずれ国政に打って出るだろう。
たかをくくってはいられない。私達は、恐ろしい資質に恵まれた男を知事に選らんでしまった。そのことを忘れてはならない。

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