凄惨な新宿秋葉原事件の背景になにがあるかを考えてみたい。
犯人本人の個人的資質や家庭環境については考えない。これを分析してみても、どのみちプロファイルなどはできないからだ。
ただ、犯人の知的レベルについては、残された文章を読めば大方の想像はつく。(大きな事件が起こると、その犯人像を予想するようにしている。サカキバラ事件で「この犯人は頭がよく、十代後半だ」などとほざいていた「識者」がいたが、私はサカキバラの実年齢と知的レベルをきちんと分析していたことがある。)
彼の携帯サイトへの書き込みを読むと、これまでの無差別殺人の犯人とは明らかに異なるのは、その高い知的レベルだろう。
彼のような高い知的レベルにある青年が、ある日、無差別殺人を犯すという現実に私は愕然としてしまう。彼のような能力があれば、いずれきちんとした仕事に就き社会的な立場を得て、苛立ちの原因はいずれ解消されるはずなのだ。しかし、そうはならなかった。彼は、現実の生活において、無差別殺人を犯さなくてはいられぬ状況にあったのだ。つまり、そこから抜け出せない状況にあったのである。
労働者派遣法を改悪し、労働者派遣(物の製造業務の派遣)を解禁したのは他ならぬ小泉・竹中糞内閣である。以来、派遣事業の拡大に伴い、日本には殺伐とした格差社会が広がっている。
私は学生の頃に日雇い労働者の日常を知ろうと思い、新宿職安前の立ちんぼに通ったことがある。立ちんぼというのは、その日一日の労働と引き換えに日当を得るために職安前に並ぶことである。早朝、6時半ごろに職安前に行けば、いつも仕事をもらえた。
たこ部屋と呼ばれるところにも行った。
昼間から酒を飲んでクダを巻いている刺青男とも酒を飲んだ。2日前からその現場に通っていた私だが、それでもその日にその現場に来た刺青男にとってはセンパイだから酒をおごるのだと言った。飲めない酒を飲んだ。
今日、東北の田舎に帰るという出稼ぎ者とも話をした。日当6000円。たこ部屋の宿泊費2000円。食費1000円。煙草代と酒代を抜くとほとんど残らなかったと悄然としていた。こんなとこは早く出なければダメだと私に説教していた。
当時、日雇いの職を斡旋する親方はいくらでもいて、非合法でありながら公共職業安定所の前で声を張り上げていた。「5時まで昼付きで5000円。やるか?」5000円というのは、当時としては少し良いという程度の金額であった。一日働いて、一丁前の労働者気取りで酒を飲み、風呂に入れば日当の半分は確実に消えてしまう。
現在の労働者派遣業は合法的な日雇い労働者派遣業である。その日一日の食い扶持は確保できる。しかし、明日は、ない。怪我をすれば、おしまいなのである。それでいて、正規社員よりも低い日給に耐えなければならない。早朝や深夜に突然携帯の電話がなり、現場を指定される。断れば次が無い。そして日給はとんでも無く安いのだ。
中国、ベトナム、インド・・・世界の経済は彼らが引っ張っている。トヨタやキャノンなどの日本の大企業の国際競争力を確保するため、国内においても格安の労働力を確保する必要があったのだろう。合法的に労働者としての権利を保護する必要のない労働者、社会保障の恩恵に浴することのない労働者つまりは会社にとって負担とならない労働者の大量発生を国は許したのである。その旗振り役となったのは、他ならぬ小泉・竹中である。
労働者派遣に登録して派遣社員となると、もはや自由はない。合法的なたこ部屋住まいとなる。生活を続けるには、不安に耐えながら仕事を続けるしかない。先の大阪府職員との話し合い朝礼で、橋下知事を批判した労働者もどきとは意味が違う。彼らは本当の意味で『労働者』なのだ(それにしても、公務員給与は断固として引き下げるべきである)。
労働者は労働者を量産する。そしてエリートはエリートを量産するのだ。それが真実だとすれば、頭のよい労働者階級に属する人間は、絶望するか、社会を変えようと活動するしかない。
裸の資本主義は、労働者を使い捨て、彼らを切り捨ててきた。病に倒れた職工達は、戸板に載せられて故郷に返される。資本家にとってみれば、労働者など、どこにでもいるのだ。使えなくなったら捨てたらいい。
しかし、こうした社会格差は、確実に社会不安をもたらす。生きるか死ぬかの格差なのだ。命がけの闘争が起こりうる。社会保障制度や労働基本権などは、こうした社会不安がバクハツする前のガス抜きの役割を果たしてきた。ところが、一億総中流社会の幻想の元に、そんなことに金を使うのは惜しくなったのである。もっと安く労働を確保する方法を認めなければ本社を海外移転するぞ!とでもトヨタやキャノンが圧力をかけたのかもしれない。国際競争力確保のために労働者派遣法ができ、派遣先の大企業に何らの責任を負わさない形での労働力の確保が可能となったのである。
彼は派遣社員だった。彼は何を考え、何を思ったのだろうか。己に未来はない。嫁をもらえるあてもない。そこから這い出すのは、並大抵の努力では不可能なのだ。
社会不安がこのような形で噴出したことを、政府は知るべきである。この事件の犯人は、悪政が生み落とした異形の怪物なのだ。
秋葉原無差別殺人事件の被害者の方々に、黙祷を捧げる。

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