このところ、ブログの更新がほとんどできていません。政治への関心が薄れてきたことと、ブログ間同士の不毛な争いを見たり、なぜかトラックバックを蹴飛ばされてしまって馬鹿馬鹿しくなってきたりして、書く気持ちになれないということがひとつの理由です。私は、二つのボランティア団体の役員を務めていますが、そちらの活動が忙しくなっているのも理由となっています。
ただ、ブログという情報伝達手段は、ジャーナリストではありませんが、それでも個々の生活者からの生の声を伝えることができる手段として、これからますます重要な意味を持つものと思っています。ですから、ぼちぼちでも書き綴っていきたいと思います。
このところ、気になるのは、四川地震の続報のないことです。密集している原子力発電所に影響は無かったのでしょうか?また、チベットはどうなったのでしょうか?中国は報道規制を敷いていますし、日本のジャーナリズムの自由度も世界的に見ればかなり低い現状では、これらの情報を入手するのは困難ですから歯がゆくてなりません。
今日は、
BBCから中国の暴動発生の記事を引用してみます。
Angry crowds have attacked government buildings in south-west China in protest at the death of a teenage girl.
Reports said several thousand people took part in the riots, setting fire to police stations and cars in Wengan county in the province of Guizhou.
Local residents were angered after a police inquiry concluded that the girl, found dead in a river earlier in June, had committed suicide.
Her family accused the son of a local official of raping and killing her.
中国の地方の当局者の息子が、十代の娘を強姦致死に至らしめたのにもかかわらず、その訴えに警察も耳を貸さず、自殺として処理したことに住民が怒り、暴動を起こしたようです。住民の怒りが湧き上がったことに、隣国中国への希望を見出します。人として当然の悲しみ。人として当然の苦しみ。人として当然の怒りに、人たるものの本質を見ることができます。
そういえば、隣国、韓国においては米国産牛肉の輸入解禁に対する抗議行動が激しさを増しています。彼らの怒りには、日本人のおとなしさを歯がゆく思います。なぜ日本人は怒らないのでしょうね。
裸の自由主義は、19世紀の労働者の不幸を招くことは明白です。今までは、なんとか生活ができ、曲がりなりにも子育てをできた、教育をすることもできた・・・しかしこれからは、そうしたことのできる一部の階層とできない多くの階層に分断されて行くのでしょう。生活ができず、自らと自らの愛するものたちの生き死にに係わることが明白となれば、人は恵まれた人々を羨み、憎み、やがて彼らを倒すことしか望まなくなります。生活の展望の開けない格差社会においては、テロは自然に発生します。テロは日本においてもいずれ発生します。
天下国家を顧みず、自己の保身、天下りによる金作りにのみ熱心である役人のように、政権に汲々とする自民党内閣は、今という時代の深刻な状況を把握していません。どんよりとした梅雨空のように、私たちに重くのしかかる時代の不安は、いずれ爆発するのではないかと思います。それがどのような形であるかは不明ですが、圧倒的な不安感に苛まれた人の取りうる手段は限られています。
そのようなことが起きる前に、ドラスチックな政権交代を果たすべきでしょう。政権交代がばら色の未来を約束するものではありません。しかし、少なくとも閉塞感に押しひしがれた今という時代にあっては、それがひとつのガス抜きになることは確かだからです。

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