なぜ正論が通らないのか?と言うよりも、なぜ正論をぶつけることすらしないのだろうか?
竹島・対馬問題のことである。
韓国の横暴にはほとほと呆れ返る。子供の喧嘩のようなものだ。言ったもの勝ちのような態度に終始している。
少なくとも政府は国際司法裁判所に改めて提訴すべきである。韓国がこれを受けないのであれば、制度の不備を指摘すべきだろう。
領土を守るのは国の最低限の役割だ。それすら主張できないのであれば、国の体をなしていない。こんな政府はいらないのだ。
本来、竹島が日本の領土であるのならば、韓国が兵士を駐留させた時点で行動を起こすべきであった。彼らの行為は、明らかな侵略行為となるからだ。しかし、政府は動かず、これを黙認し続けてきた。そして同盟国であるはずのアメリカも同盟国が侵略されているのにもかかわらず、これを放置して来た。そしてブッシュの訪韓を前に、韓国の領土であると認めるような行動にまで出ている。
同盟国にまで見放された現状を打破するのは、毅然とした態度表明しかない。成り行き任せは既成事実を追認するに等しいからだ。権利が日本にあるとしても、放置したら負けなのである。
俺のものだ、私のものだ、という主張の裏には、必ず手前勝手な理屈が背景にある。だからこそ第三者の判断が必要不可欠となる。第三者の判断を仰ぐにも、断固たる主張があってこそなのだ。
こんな愚かで何もできない政治家を代表に選択している日本は不幸であるとしか言いようがない。厚生労働省、防衛省、教育関係者・・・全て公務員制度そのものが利権として機能しているが、その背景には政治家の愚かしさがある。私が行政官ならば、『やってられない。』と考えるだろう。そして、自らの保身や利権の獲得に走ったとしても不思議はない。
官僚制度をはじめとするこの国の行政機関の楼閣は、今音を立てて崩れている。にもかかわらず、行政は何ら責任を負うこともなく、日々過ぎていく。食肉偽造等の民の取り締まりと責任追及にばかり熱心で、お上の不正、不作為には何の追及もないのだ。内に厳しく、外には見て見ぬ振りをする。威厳も何もない。権威も何もない。
官僚たち、教師までもが腐ったとしても、無理も無いではないか。
行政機関の長たる政府閣僚は、国土の侵略行為すら見てみぬ振りをする愚か者なのだ。行政機関が腐るのも無理は無い。愚かな長の元に、優秀であるはずの官僚たちがスポイルされて来たのだろう。官僚たちにすれば、馬鹿馬鹿しくてやっておれないというところなのだろう。
教育関係者の不正は、暗に当然視はされてきたが、実際に金のやり取りまであったことが暴露されたのは衝撃であった。教師の息子で、教育大学を出たものが教師に就職することに何の疑問も持たなかった。コネがあっても当然だろうが、それでも教育に携わりたいものがコネを利用しても悪いとまでは思わなかったのだ。しかし、そこに金が動き、合格すべき者が不合格となるという事実が暴き出されると、恐ろしいほどの腐敗というほかはない。
そのようなことまでして息子や娘を教師にする。つまり、教師という仕事はそれくらい『おいしい』仕事ということなのだろう。全く卑しい話である。
竹島問題と、教育問題は同一に論じることができない。ただ、マトモな行政官をスポイルする点で両者は共通の土壌がある。
真剣に国土を守ろうと考えている自衛官はどんな思いで政府の対応を見守っているのだろうか。文官がこれほどまでに愚かで無責任であっては、馬鹿馬鹿しくてやってられないと思うのでは当然ではないのか。三島が渾身の力で描いた憂国のように、自衛隊の中に憂国の志士がいてもおかしくはない。おそらく大半は、既に文官の愚かしさを見せ付けられて、やってられない、と考えているのだろうが・・・。
政治に少しでも関心を持ち、ニュースを監視していると、まず報道の偏向に驚く。政治家の放言に現れる程度の低さと無責任さにあきれ果てる。行政機構の腐敗にもほとほとあきれる。自らを労働者と主張する糞教師どもの嘘にも反吐が出る。この国は外から見れば美しい富士の国なのであろうが、近づけば耐え難い腐臭がする。真剣にブログを書いていると、そのうちに鬱になってしまうしかない。事実を見て、どうしようもない無力さの前に、鬱になるのだ。私のブログの記事の更新が進まない理由もここにある。
もうすぐ北京オリンピックが始まろうとしている。私はオリンピック関連のニュースは見ない。中国が国の威信をかけて取り組んでいる張りぼての偽りだらけのセレモニーの間に、何か大きな事件が起こらないように祈るばかりである。

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