子供の被爆基準量の上限(暫定安全基準値)として、年間20ミリシーベルトとの政府決定が出た後、4月21日に参議院議員会館で行なわれた福島県民と文科省役人とのやり取りのビデオを見た。
http://www.eizoudocument.com/0610kodomo20.html
一言で言えば、ここまでひどいやり取りが行なわれているとは思わなかったということに尽きる。
役人は危機には役立たない。彼らは、国民に寄り添って仕事をしていないからだ。公僕たる誇りを持って、私達が国民を救うのだという気概など、かけらもない。
少なくともこのような「公僕」としての自覚が役人にあれば、きちんと回答できるはずだ。少なくとも誠実に応答するだろう。応えられないことに歯がゆく思い、身をよじって悔しがることだろう。
寄り添うべきは、国民であって、権力ではないことを知るべきである。
20ミリシーベルトの基準決定のプロセスについて質問すると、「福島県、国、文科省で詳細のモニタリングをした上で決めたのだ」という。原子力安全委員会では、19日に被爆量に関する助言を行なったが、その議事録があるかどうかも分からないという。
彼らの応答を聞いていて、はっきりしていることがひとつだけある。後から、誰も、誰一人も責任を取らないで済ませようと汲々としていることだ。これだけは、はっきりしている。
この手法は、あらゆる役人の逃げ口上によく使われる手法である。将来、問題となるような事項は全て諮問委員会を設置して決められる。御用学者で固めた諮問委員会の答申に従って決定したという形を作る。結果ありきのストーリーを形作るのは、実は役人達なのである。彼らは決して責任を負うことのないポジションに立ち、御用学者や専門家達を操作する。
無理も無い。彼らが長としていただく菅首相も全く同じだからである。国会答弁を見て欲しい。ひとつの判断の根拠を問われると、必ず「専門家」という言葉を多用する。そして、様々な専門家や専門機関とのやり取りを前置きにして、うやむやの形で決めたのだと眠たいことを言う。菅の言いたいことは、ひとつだけだ。責任は「専門家」にある。俺にはない。
ところが、この「専門家」の議事録は公開されてすらいないのだ。
結局のところ、菅内閣の無責任さが、あまねく役人の隅々までいきわたっていることとなる。誰も責任を負わない無責任内閣は、即刻退陣すべきである。
ことは、幼い子供の命と将来に係わることだ。感情的な爆発が起こるのは時間の問題であると私は危惧する。このままでは、英雄を気取ったテロリストが官邸を襲撃することも起こりうるからだ。それほどに、現体制は、無能で、無責任で、人災を撒き散らしているように思う。
思えば、小沢氏の起訴相当の判断を出した検察審査会の議事の過程も同様であった。誰も責任を取らない。取らせることのないブラックボックスだった。それを利用して、一人の有能な政治家を葬り去ろうとしたのが、現政権の菅直人その人なのだ。「専門家」や「専門機関」という言葉を多用して、無責任な判断の先送りや責任の所在の曖昧化を図ろうとする構図とそっくりである。
自分は責任を負わない。
しかし、誠実なリーダーであるかのようにふるまいたい。
すべきことは全て中央で、つまりは自分で決めたい。
しかし、責任は絶対に取りたくない。
だから専門家、専門機関を利用して責任の所在を曖昧にする。
これでは、人間のくずではないか。
久し振りに、本当に怒りがこみ上げて来た。
自ら、信念を持ってことに当れないのであれば、無能であることを認めて、即刻退陣するべきである。

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